第82話 鬼畜の所業
分割再編集分です
「牧野くん! 本当にごめんなさい! この人達を止められなかった」
合鍵で無理矢理入って来た涼子さんが、申し訳無さそうにもう一度俺に謝って来た。
俺もまだ突然のこの乱入劇に心臓がバクバクと脈打っている。
「どう言う事なんですか!? 何ですかその後ろに居る血に飢えた猛獣みたいなのは!」
台所兼ダイニングを挟んで見える玄関に立っている涼子さんの後ろから、先程聞こえて来た会話の人物と思われる人影が四体見える。
なんか後ろの方の影は背が小さいのか、ぴょんぴょん必死そうに跳ねながらこちらを覗きこんでいる。
が、一見微笑ましくも見える光景とは違い、その両眼はまるで獲物を狙うハンターの如く、迸る眼光で鋭く俺を貫いていた。
なんかマジで怖ぇぇ!
だけど、俺はそんな猛獣達を前にしても、普段のだらしない格好とは違い、隣人美人モードの涼子さんの方に目が奪われていた。
初めて会った時の様に少しドキリとする。
ノーメイクでも結構可愛いのに、本気メイクした時の涼子さんは、ある意味芸人先輩を凌駕する変わり様となる。
それに、服装に知性が引っ張られるのか、何故か態度や口調まで変わってしまうようだ。
先程のセリフも普段の格好なら恐らくこう言っていたに違いない。
『えへへ~、ごめんね~。なんか皆が来たいって言うから連れてきちゃった~』と。
などと、あまりのショックから軽く現実逃避をしてみたものの、涼子さんの後ろにはいまだまるで物理的に俺を喰ってやるとでも言いた気な殺気を放つ得体のしれない四体の危険生物が、俺の部屋に侵入しようとしている状況である。
今のところ、そうなっていないのは、涼子さんが健気にも開いた扉の前で必死に手を広げ通せんぼをしてくれているお陰で、なんとかその四体の危険生物の侵入は防がれていた。
そのいつもと違う必死な隣人美人涼子さんを見ていると、なんだかスゥ~っと焦りや恐怖と言った悪感情は消えて行き……。
あ~、もう何か急に怯えるのが馬鹿馬鹿しくなって来たな。
だって最近こんな事ばっかりだし、ちょっと慣れちゃったよね。
それに涼子さん?
そんな事するなら鍵を持っていない振りしたら良かったんじゃないですか?
多分、二回鳴らしても俺が出なかったので『あぁそう言えば合鍵持っていたわ』とか言って開けたんでしょ?
「あの~涼子さん? そのまま事情を説明して貰えます?」
冷静になったものの、俺は目の前で起こっている阿鼻叫喚な状況自体は変わらないし、理解も出来ずにいるので説明して貰おうか。
と言うか、早くご飯を食べたい。
「い、いま先輩の名前を下の名前で呼んだ! キーーー!」
おいっ、あの後ろでぴょんぴょんしてるのマジで凶暴だぞ?
ぴょんぴょんしてるから顔はよく分からないけど、ちらちらと見えるその一瞬でも、相変わらずまるで親でも殺されたかのような眼光で睨んでいるのだけは確認出来る。
飛び跳ねる度に短めツインテの髪が上下に揺れるので、まるでウサギみたいだな。
「おぉ~、やれやれ系の高校生か! 興味がそそられるな!」
なんだよ、やれやれ系って……。
しかし、この人……男?
いや女性だ!
何か口調が豪快でサバサバしてて服装もパンツルックにジャケットで少しウェーブの入った茶色く染めた短髪。
中性的な顔付きで男前とも美人とも取れるんだけど……。
一つだけ一目で女性と分かる特徴を持っている。
それは立ち塞がっている涼子さんの横からチラりと見えるだけのソレが悠然と物語っていた。
半分以上涼子さんが隠しているにもかかわらず、圧倒的な自己主張には全米がスタンディングオベーション間違い無しと言えるだろう。
そう、この人すっごい巨乳だ!
まぁ、俺は大きさに惑わされるような男ではないので、そんな事関係無いけどね。チラッ、チラッ。
「こ、これが現役男子高校生の部屋の匂いなのね? なんかちょっとお味噌みたいな匂いがするわ。香しい~。す~は~、す~は~」
なんかほんわかしている優しいっぽい雰囲気の人だけど、発言内容もギリギリだし、なにより目が真剣で怖いな。
まぁ、味噌臭いのは今日一日かけて牛すじ煮込みを作ってましたからね。
そりゃ味噌の匂いで充満してますよ。
今も鍋はコンロの上に置いたままですし。
あと深呼吸するな。
「あっ、あの子がそうなん? 結構いいやんかぁ~。まぁ、うちはもう少し幼い顔の方が好みやけどね。でも、少し困った顔でこちらを見てはる所なんかは最高やね。まずは及第点をあげましょ」
赤点で構いませんので帰って頂けないでしょうか?
この人はなんか一言で言ったら、『蛇』と言うイメージだ。
肩下辺りで切揃われた漆黒と言う言葉が似合う黒髪、長身痩躯で女性的な膨らみはあまり目立たないけど、何やら怪しい色気と言うか妖気を醸し出している。
その切れ長の目でニタリと笑いながらこちらを舐めるように見て来られると、まさに蛇に睨まれた蛙の様に背筋が冷える。
しかし困った顔が最高って、何か萱島先パイみたいな人だな。
「で? 涼子さん説明をお願いします」
俺は口々に喋りだした危険生物達の説明を求めた。
やはり発言内容からすると身の危険をひしひしと感じるので、情報収集は大切だろう。
敵を知り己を知れば百戦危うからずって言うからね。
「あ、あのね。昼間にあげた新刊の巻末の話覚えてる?」
「あぁ、あのとんでもない内容の奴ですね」
最終ページは修正させられたみたいだけど、俺の事を無断で色々紹介したと言う傍迷惑な巻末漫画の事だな。
しまったな、そう言えばどんな酷い内容なのか、それだけ先に確認しておけばよかった。
「それでね、今日の女子会でね……」
涼子さんの説明が続く。
まぁ要するに、その内容を読んだ四体の危険生物達が俺に会いたいと言い出したってところだろう。
涼子さんはどうやって俺に怒られず済むかと色々言い訳してるみたいなので、その間に晩飯を頂こうか。
俺はあれこれと言い訳に必死な涼子さんを酒の肴気分で眺めながら、先程から箸で掴んだままの牛すじを口に入れた。
はにゅっ。
あぁ~これだぁ~! 歯を当てただけでスッと切れるまでに煮込まれた牛すじ。
そして十分に煮込まれたソレは、主な構成物であるコラーゲンがもう口に入れただけでふぁ~ととろけていく。
良く染みた味噌の風味が牛脂と交じり合い、まるで濃厚で上質なミルクを彷彿とさせる芳醇な香りが口の中に染み渡る。
極限まで煮込まれた味噌だが、塩辛さなど俺的万能調味料であるチョコ玉子の偉大な甘味によってかき消され、甘辛い極上な旨味へと昇華し、口の中には牛肉エキス、コラーゲン、そして味噌と言う素晴らしいテイスト達による混声合唱の一大コンサートが行われているようだ。
俺はその素晴らしい音色が織りなす極味の奔流に身を任せながら、おもむろにホクホクのご飯を思いっきり掻き込む。
あっ……、最高……。
俺はこの味を堪能する為だけに、存在してきたのかもしれない。
さて、次は里芋だ。
これも琥珀色になるまで煮込まれた最高の一品と言えるだろう。
表面は少しとろっとしており、気を付けないと箸が滑ってしまい兼ねないので要注意だ。
しかし、今の俺からはそんな事では逃げられない。
素早く箸を操り、的確に里芋の真芯を捉えて掴みあげた。
中までホクホクと煮えている為、気を付けないと箸で掴み切ってしまう。
ここは優しく丁寧に赤ちゃんを触るような力加減で。
俺は掴んだ里芋をまるで宝石を見るような目で様々な角度から眺める。
うん……素晴らしい色だ、今回の出来は過去最高だと思う。
これは黄檗さんの和食料理に関する指導の賜物と言えるだろう。
俺は心の底から彼女に感謝した。
あぁ、早く黄檗さんにこの牛すじ煮込みを食べて貰いたい。
さて、この琥珀色の宝石を頂こうか。
俺は優しく掴んだ里芋を口に運ぶ。
あ~ん。
「って、あたしの話を聞きやがれぇぇぇぇーーーーー!」
バシィ!!
「痛ぇぇぇぇ!」
俺は涼子さんの猛ダッシュチョップ攻撃による痛みにのた打ち回る。
しかし、そんな刹那の奇襲を受けても、里芋は無事に口の中に収納済みだ。フフ。
う~ん、味が染みててマジでうめ~!
「もぐもぐもぐ、なにふるんでふか、ごくん。涼子さん!」
俺はチョップされた頭を摩りながら涼子さんに抗議した。
「人が一生懸命……ごく、説明してるのに……じゅるり、なんで無視して…… ごきゅり、美味しそうに食べてるのよ! じゅるるぅ」
涼子さんはちらちらとちゃぶ台の上の牛すじ煮込みを見ながら俺に文句を言って来た。
ほらほら、涎が垂れていますよ涼子さん。
「あわわわわ、私より上手く先輩を扱っている……」
「あいつやべぇ~な。人に説明させておきながら無視して平然と食べだしたぞ? しかも攻撃されてまで食べながら反論するって、まさに鬼畜の所業だ。しかしそこが気に入った!」
「あのマイペースで自分を貫く所は、ストームの小野くんみたいで、とってもいいわ」
「あぁ~なんか素敵やわ~。お約束の新喜劇見てるみたいで、本当おもろい子やね。10点プラスやわ」
猛獣達は俺と涼子さんの掛け合いに呆気にとられたのか、先程までの襲い掛からんとする程の殺気は消え去り、各々が感想を口に述べた。
うわっ、何か気に入られてるっぽい。
なんかウサギの子が一人変なの事言ってるけど放っておこう。
いや全員変な事言ってるんだけどね。
そして蛇の人、加点しないでください。
ふぅ~、まぁもう命の危険は無さそうだし、まだ肌寒い四月の夜中に外に立たせておくのも、それはそれでご近所さんの目に留まって噂になりそうで嫌だから、部屋に入れるか。
多分帰れって言っても帰らないのは予想出来るし。
「皆さん外は寒いでしょうから上がってください。そこで騒がれると近所迷惑にもなって俺が困りますしね」
俺は落ち着きを取り戻した猛獣達を部屋に招き入れた。
座っても何なので俺も立ち上がり涼子さんと共にダイニングまで迎えに行く。
念の為、後ろ手でスマホを『110』を入力した状態で持っている。
いつでも発信出来るようにね。
「おう、ありがとう。お邪魔するよ。しかし気を使ってるようで、しっかり本音を入れてくるところも気に入ったぜ」
「あらあら、ごめんなさいね。お邪魔するわ」
「おおきにどうも。お邪魔させてもらいます」
三人が次々と挨拶しながら入って来る。
あれ? ウサギの子は?
玄関の方を見ると、なんだかもじもじしている女性が立っている。
いや女性と言ってもそんなに歳は離れていないんじゃないだろうか?
背も小さいしツインテの所為も有って、鉄面皮モードのギャプ娘先輩の方が年上に見えるな。
一応年上だと思うが、下手したら中学生でも通りそうだ。
人数的にこの人が、さっきまでとても凶暴だったウサギの子だよね?
「どうしました? 遠慮せずにどうぞ」
それでもウサギの子は、もじもじ恥ずかしそうにしている。
それに、よく見ると四月の夜では少し寒そうな薄手の服なので微かに震えていた。
「ほら、早く入ってください。そうだ、その格好ではまだまだ寒いでしょ? 今何か温かい物を用意しますね」
俺はそう言って食器棚からマグカップを取り出し、手早く紅茶を淹れてウサギの子に差し出した。
まぁ学園長の本格的な作法の紅茶と違って、電子ケトルのお湯とティーパックだけどね。
ウサギの子は更に顔を真っ赤にして、なんか焦ってしどろもどろになっている。
これ本当にさっきまで凶暴だった子か?
この感じ乙女先輩の時のようだな。
『おい、こいつ今さらっととんでもない事をしでかしたぞ? 男前過ぎるだろ』
『そうなんですよ。しかも今の本人は無自覚でやってるんですよ』
『そうなの? 何かとても手慣れててびっくりしたわ』
『更に+20点やわ~』
こそこそと隅で話している他の4人を放っておいて。俺はウサギの子に近付き紅茶を渡す。
だから蛇の人は加点しないで。
なんとか受け取ってくれたウサギの子は渡された紅茶を一口啜り、ホッと息を吐いた。
その表情は緊張が解れたのか少し笑みが零れている。
うん、どうやら落ち着いてくれたようでよかったよ。
「落ち着きましたか? さぁどうぞどうぞ」
俺はそう言って招きいれようとしたが、ウサギの子はまだモジモジしていた。
う~ん、そんなに俺の部屋に入るの嫌なのか?
さっきは乗り込まんばかりの勢いだったのに。
あれか! この味噌臭さが原因か?
良い匂いなんだけどな~。
「おい、鈴? どうしたんだよ。牧野君もそう言ってるだろ?」
巨乳の人も入るように促してくれた。
ウサギの子は鈴って言うのか。
「あっ、あの、私男の人の部屋に入った事なくて、その事を急に思い出しちゃって、その……」
なるほど~、本当の意味の純情乙女なのかこの人。
乙女先輩に似ている筈だ。
「あ~、そう言えばお前から男の話聞いた事無かったもんな~」
「あら~? 貴女も男の話って言うと、胸をジロジロ見てきた男とか、電車で触ってきた痴漢とかを殴り飛ばしたとかばかりじゃない?」
巨乳の人がウサギの子の純情さに納得していると、深呼吸の人が割って入る。
「バッ、何言ってるんだ! 昔は色々有ったさ! こ、こら! 人の胸を掴むな!」
「本当かしら~? 前に男なんかこれ目当てで寄って来る屑ばっかりだとか言ってたじゃな~い」
深呼吸の人の言葉に焦っている巨乳の人を面白がって、事も有ろうにその圧倒的存在感を掴みかかった。
深呼吸の人グッジョブ!
……いや、一つ語弊が有った。
巨乳の人も、俺も『掴む』と言う言葉を使ったけど、今目の前で繰り広げられているソレは、そんな暴力的な言葉で表現される現象では無かった。
正しくは『沈み込む』。
そう、深呼吸の人の手は圧倒的存在感の中に埋没するかの如く、沈み込んでいるのだ!
俺はこの目の前で起こった神からの素晴らしき恩寵を、一生の宝物として大事に記憶の書庫に仕舞い込み、素早く鈴と呼ばれたウサギの子に視線を戻した。
何故かって? だってさっき深呼吸の人が言ってたじゃないか。
巨乳の人は『胸をジロジロ見てきた男を殴り飛ばした』って。
「え~と鈴さん? 大丈夫ですよ? ほら皆さんも居ますし」
俺はいまだ固まっている鈴さんの警戒心を解こうと思い、優しくにっこり微笑んだ。
ウサギの……鈴さんはそんな俺の顔を見て目を見開いて固まってしまった。
怖い怖い! 目を見開いた顔がすごく怖いよ。
どうしたのこの人? 俺何か変な事した?
あ、なんかちょっとぷるぷるしだしたぞ。
「ボッ」
ビクッ!
ぼ? えっ? えっ何? ビックリした!
鈴さんは急に顔を真っ赤にして変な声をあげた。
なになに? なんなんだ?
その声に俺だけじゃなく、皆も不思議に思い鈴さんに注目する。
鈴さんは暫くそのままだったが、段々と顔の赤み引いていき何故か真顔になった。
その意図が分からず首をかしげていると、なにを思ったか鈴さんはゆっくりと涼子さんの方を見る。
最初は顔を見ていたようだが、徐々に目線をお腹の方まで下ろす。
涼子さんは『え? 私お腹出てる?』と太った事を目で指摘されたと思い、両手でお腹を隠して焦り出した。
次にゆっくり俺の顔に目線を移す。
顔は無表情だけど目には力が有った。
なんで真顔で見詰めて来るの?
そして同じく俺のお腹の方、いや、それより少し下だ。
おい! 一体どこ見てんだよ!
その後、更に目線を動かし、今度は自分をお腹の方を見て、お腹を優しくさすり出す。
「うん」
え? 何が『うん』なの?
急に鈴さんは何かを納得したかのようにそう頷いた。
そして、顔を上げると何故か満面の笑みで俺を見詰めてきた。
何? この人やっぱり怖い!
「決めたわ!」
何を『決めた』の?
最初の凶暴だった時の方がまだマシだった程、この人本気で怖いよ!
「じゃあ、お邪魔しま~す。 ウフフ」
先程までのモジモジは何処へやら、嬉しそうに部屋に上がりこむ。
俺は訳が分からず皆を見るが、太った事を心配して焦っている涼子さん以外は何やら話し込んでいる。
『おい、鈴の奴。今トンでも無い事を考えてたぞ?』
『う~ん、若い子特有の妄想による暴走なのかしら?』
『そうなん? うちはソレも有りと思うんやけど?』
『『ハッ!!』』
『なるほど! それも一つの手か』
『そうね、その手も有ったわね』
と聞こえてくるんだけど、どんな手なの?
いや、やっぱり知りたくない!
絶対アカン奴だし、その手って。
俺は選択を誤ってしまったのだろうか?
この人達を部屋に入れてはいけなかったんじゃないだろうか?
今はその疑念が真実かまだ分からないけど、近い将来現実となりそうな予感だけは確信と共にしっかりと心に湧き上がっていた。
「ねぇ? 牧野くん? 私太ってないよね? 大丈夫だよね?」
そんな周りの黒い思惑もなんのその。
涼子さんだけは、いまだに先程の勘違いを引き摺って焦っている。
ハハハ呑気なもんですね涼子さん。
「大丈夫ですよ」
「本当? ありがとう牧野くん!」
一人何もわかっていない涼子さんだけは、とっても元気いっぱいだ。




