第70話 ペコペコ
「ふんふふ~ん。今日はハンバーグ~。それに教え子にご馳走して貰えるなんて嬉しいわ~」
勝手に夕飯をご馳走する約束をしたお姉さんの所為で、強引に付いて来た野江先生はとてもハイテンションでとうとう先頭を切って歩き出す。
しかも、いい大人がスキップしながらだ。
諦めにより覚悟完了した俺は、そのハイテンションな野江先生の後姿を眺めている。
お姉さんさえも、その年甲斐もなくはしゃぐ姿は一緒に隣を歩くのは気が引けるようで、ゆっくりと野江先生から離れ俺の隣まで来ていた。
「あっ先生! そこ左ですよ」
「え? そうなの? ありがとう!」
俺の家の場所を知らないのに、この人はなんで先頭切って歩いてるんだろうか?
このまま先に行かせて、何も言わずに置いてきぼりにして様子を見てやろうかと悪戯心が湧き上がるのだが、なんかこの人マジ泣きしそうなので止めておこう。
「なにがそんなに嬉しいんですか?」
このハイテンションに少し引き気味な俺は、腰に手を当ててスキップしながら歩いている野江先生に尋ねた。
暗くなったとは言え住宅街だ。
まだまだ帰宅の人並みはそれなりに有る中、この人は人目もはばからずこの浮かれ具合。
この春と言う季節がそうさせるんだろうか?
通る人は『あぁ春の風物詩だね』とか、『新歓コンパの罰ゲーム?』とか言う生暖かい目で野江先生を横目でチラチラと様子を伺うように見ている。
そらそうだよね、こんなハイテンションな人をガン見して目が合ったりすると絡まれそうだし。
「だって、あの牧野会長と大和田先輩の息子さんの手料理よ? そりゃ嬉しいに決まってるじゃない!」
「いやだからお姉さんとは血が繋がってないって! ほらお姉さんも納得したって顔しない!」
とんでもない事を言う野江先生。
昨日説明したのに何言ってるんだこの人は。
もしかしてお姉さんがまた何やら吹き込んだのか?
「それは分かってるわよ~。でも牧野くんはやっぱり大和田先輩の息子だと思うのよ」
「どう言う事です?」
野江先生はとても嬉しそうにそう言った。
やっぱり息子ってどう言う事だろうか?
「血の繋がりと言う事じゃなくてね。牧野くんは大和田先輩の魂と言うのかしらね? そう言う心の本質の想いをちゃんと受け継いでいると思うのよ。昨日の事といい、今日の事といい、学生当時の大和田先輩がダブって見えたわ」
「え? 俺そんなに暴力的ですか?」
「コーくん酷い!」
お姉さんがダブって見えたって言われても実感が無いよ。
不良狩りとかしてないし……。
「違う違う。大和田先輩は、まぁ美都乃さんに唆されてたりしてたんで、そんな暴力的な一面ばかり有名になってるけどね。私が似てるって言うのはそこじゃないのよ。大和田先輩はね、当時困っている人を見たら手当たり次第に首を突っ込んで助けて回ったり、問題が起これば皆と一緒に悩んで解決したりとかね。いつも皆の中心に居て、皆と一緒ににこにこ笑ってる。そんな太陽みたいな人だったのよ」
「ええっ!? なんか思てたんとちゃう!」
思わず大阪弁になる程のショックが俺の中を走り抜ける。
本人曰く学生時代はムシャクシャしてたから不良を叩きのめしてたとか言ってたぞ?
でも、やっぱり学園長が不良狩りを唆していたんだな!
俺は急いでお姉さんの顔を確認して。
お姉さんは何か凄い照れた顔をしている。
「もうっ! 野江ちゃんたら~。そんなに褒めても、今晩のおかずぐらいしか出ないわよ~」
……そのおかずを作って出すのは、俺なんですけどね。
う~ん、当時近くで見てた野江先生なんだから、話を盛ってるにしても嘘ではないんだろう。
それに昔から面倒見の良い所は有るし、先輩達のお姉さんの名前を聞いた時の態度も暴力だけの人物に対する物ではなかった。
ポックル先輩もお姉さんの事を正義の味方と言っていたし、案外本当なのかもな。
「牧野会長の扇動力と大和田先輩の求心力、その二つを受け継いでる牧野くんはやっぱり二人の息子だと思うの」
そんな大層な物を受け継いでる実感は無いんだが……。
「そうなんですかね? 自分ではよくわかりませんよ」
そんな俺の返答に困った顔を見て野江先生はほほ笑んだ。
「そりゃ伝説の二人と比べたら、牧野くんはまだまだ力不足だけどね。でも先生は確信してるわ。牧野くんなら二人を超えるんじゃないかって。応援してるから頑張ってね」
そう言って野江先生は俺の肩を叩いた。
「わかりました。頑張ります」
俺は笑顔でその言葉に答える。
ただ心は裏腹にその言葉の重みに少し沈んでいた。
……また俺に期待をしてくれる人が現れた。
その言葉に不安がよぎる。
昨日の演説や御陵家の事情に首を突っ込んだりと自業自得とは言え、俺に期待の言葉をかけてくれる皆。
そして俺の傍に居てくれる皆。
その人達の期待に応えられるのだろうか?
期待外れと失望されて皆去って行ってしまわないだろうか?
幾度と心を奮い立たせてそんな気持ちを吹き飛ばそうとして来たが、やはり期待が増えて行く度にその事が頭にチラついてくる。
バシンッ!
「痛ってぇーー!」
落ち込んでいる俺の背中をお姉さんが叩いて来た。
「コーくん! 期待に応えられてるかなんて、今は考え込まないの! コーくんは思うが儘に思いっ切り突っ走っていったらいいのよ。それだけで大丈夫。ママが保証するわ!」
ママじゃないですけどね。
でも、そのお姉さんの言葉は俺の暗い気持ちを吹き飛ばす。
本当にお姉さんは昔から俺が考えている事や悩んでる事が分かるんだよな。
そして今の様に俺を元気付けてくれる。
学生時代もこうやって学園の皆を励まし、そして救ってきたんだろうか?
だとすると、この人の息子って呼ばれるのも悪くないかもな。
……って、ヤバいヤバい。また洗脳されかけてたよ!
「ほら、コーくん。早く帰るわよ~。ママお腹ペコペコなんだからね」
「私もペコペコよ~」
俺を置いて歩き出す二人。
う~ん、二人とも良い事言っていたのにこの落差。
さすが親友、二人は息がぴったりだわ
そして、そのペコペコのお腹を満たすのは俺の料理なんだよね。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
既にこの時間は商店街も閉まっているので、俺達はコンビニに寄って飲み物やおやつを購入してからマンションに向かった。
いつも通り202号室の前を通り過ぎると扉が開き、当たり前の様に涼子さんが俺の部屋まで付いて来る。
「え? え? 誰? この人? え? 何? 怖い!」
突然現れて付いて来た涼子さんに野江先生が酷く怯えている。
そりゃあ無理もないよな。
遅くなった所為で、7割方は腹ペコモンスターと化している涼子さんを見て、初見の人が冷静でいられる訳が無いし。
「あぁ気にしないでください。別に噛みついたりしませんから」
「え? え? 本当に大丈夫なの?」
俺の陰に隠れる野江先生。
いや隠れると言うか、両脇掴んで押し出すようにしてるし、これ俺を盾にしてるよね。
教師は生徒を守るものじゃないのか?
「ほら、涼子さん? おやつですよ~」
部屋に着いた俺はコンビニで買ったチョコ玉子数個を取り出し涼子さんに与えた。
売れ残りらしく珍獣でも絶滅種でもないパッケージの物があったので、気になって一緒に購入しておいたんだよね。
喜んでくれるといいが。
最悪おまけが気に入らなくても、少なくともチョコを食べたら元に戻るだろうし、まぁいいか。
差し出したチョコ玉子を受け取った涼子さんは、にぱ~っと嬉しそうに顔をほころばせた。
最近ちょっとこの顔に癒されてる俺がいる。
やっぱりモグって涼子さんに似ているよな。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「牧野くん? その人誰なの~? また新しい女~? ちょっと妬けちゃうな~」
部屋に入り居間で休んでいると、チョコ玉子を食べ復活を果たした涼子さんは、かなり際どいラインの爆弾発言を投下してきた。
新しい女って人聞きの悪い。
ほら、その言葉に反応して野江先生がケダモノを見る目で俺を見ているじゃないか。
「先生、 この人の言う事は基本右から左でお願いします。考えるだけ無駄ですんで」
とは言ったのだが、突然湧いてきた涼子さんに対して俺どころか、お姉さんまで平然としているこの現状に野江先生は混乱しているようだ。
まぁ改めて考えると成人女性が未成年男子の家に当たり前のように入ってくるって異常だし、野江先生の態度の方が自然なんだけどね。
それにチョコレート食べただけで超スピードで人間に戻っていく様を見たら悲鳴上げて逃げ出してもおかしくないんだから、先生は頑張ってる方だよ。
「あっ、あの、あなたは牧野くんと、どんな関係なんですか? ずいぶん親しいようですけど」
恐る恐る涼子さんに尋ねる野江先生。
あぁさすが教員なだけあるよなぁ~。
人としてちゃんと扱ってるもん。
俺なんてまず『人間ですか?』って聞いちゃったしね。いまだに疑ってるけど。
多分先祖は妖怪なんじゃないかな?
食べたら膨らむ系の。
「あたし? あたしはね、牧野くんのメシ奴隷なの~」
ブフォォォォーーー!
「ゴホッゴホッ、涼子さん何言ってるんですか!」
俺は壮絶に噴出してむせる。
「え? どう言う事なの? 奴隷って? もしかして牧野くん、この人といかがわしい事をしてるの?」
俺からあからさまに距離を取って怯えたような顔して、これまたとんでもない事を聞いてくる野江先生。
「違いますよ! それ主語が間違っています。俺の方がメシを作らされている奴隷ですよ」
「それって、ご飯を提供する代わりにいかがわしい事を? それ援助交さ……」
「違いますって! その思考から離れてください! 俺はあくまで無償でメシ提供してるんですよ! お姉さんも大抵一緒に居ますし」
「え? 三人で? 爛れてる……」
何か定番になりつつあるなこの流れ!
「だ~か~ら~! 違いますって!」
「無償って酷いわ、牧野くん。ちゃんと私の漫画貸してるじゃない」
貸したって言うけど、無理矢理押し付けたくせに……。
「自分の書いた奴の感想を聞かせてとか言ってたじゃないですか。あれって飯の駄賃のつもりだったんですか?」
俺の言葉に野江先生が反応する。
「自分が書いた漫画? もしかしてその人、漫画家さんなの? プロ? それとも同人作家?」
今までのやり取りでそこに喰い付きますか。
まぁ矛先が変って良かったかな?
「同人てのは良く分かりませんが、一応プロみたいですよ。編集の人も来たりしますし。その人は来週発売する雑誌の追い込みとかで来れないみたいですけど」
俺が紹介すると涼子さんは腰に手をやり鼻高々と言うのけぞった態度を取っている。
「そうなのよ~。私漫画家さんなの!」
その言葉を聞いて野江先生が目を輝かしている。
「すごい! 生の漫画家さん見たの初めて~! あの、あの、なんて言う方なんですか?!」
凄い喰い付きだな~、野江先生って漫画好きなのか。
目をランランに輝かせて、先程の引いていた態度は何処へやら、グイグイと身を乗り出して涼子さんに名前を尋ねている。
「ほらっ!これよ! 牧野くん? 漫画家を目にした時の態度って普通の人はこうなのよ! 牧野くんは淡泊すぎるわ」
そら見た事かと言うどや顔で俺に言ってくる涼子さんがちょっとウザい。
「すみませんね、淡泊で。ほら自己紹介待ってますよ」
「あっ、ごめんなさい。私のペンネーム深草 京子! ……って言うんですが。……あの、知ってます?」
最後の方は何か自信無さ気になんだけど、『誰? 知らないわ』とか言われた時の事を想像したんだな。
まぁ意気揚々と自己紹介して、そんな事言われたりすると、俺だったらショックで寝込んじゃう自信有るし。
さて、野江先生の反応は?
ん? 表情が止まったぞ? 記憶の底で該当する名前を検索でもしてるのかな?
それともやっぱり知らなくて、気を使ってどうやってフォローしようとでも考えているんだろうか?
良く見ると、なんか小刻みに震えてるし。
「あ、あの~、どうしました? あたしの事を知らないなら知らないって言ってくれてもいいですよ? あたし耐えますから……」
逆に困ってるっぽい野江先生をフォローしようと、そんな事を言う涼子さん。
うん、ちゃんと人に気を使える優しさを持ってるんですね。
頑張ったんでハンバーグは大きいの作ってあげますね。
「い、いえ違うんです。そうじゃなくて、深草 京子ってそんな。……もしかして、『月刊 ローズヒップ』の、あの深草先生なんですか? 今『ミトンの不思議な工房 ~憧れのあの人と結ばれたくて、あたし靴の妖精に魂売っちゃいました!~』を連載してる?」
あっなんか涼子さんの事を知ってるようだ。
良かった、良かっ……。
って言うか、漫画の副題長ぇぇぇーーっ!
しかも内容も酷い! 魂売るってなんなんだよ……。
今書いてるのそんな題名なのかよ。
あの妖精、なんか全能感溢れてると思ったら、魂を売るとかって実は悪魔なんじゃないのか?
主人公もライバルに対して容赦無いしな! お似合いだぜ!
そもそも魂売るとか言う語句って、なんか少女漫画的にかなりアウトな気がするんだが?
しかし、野江先生も野江先生で良くこのタイトルを最後まで言えたよな。
主に口に出すのが恥ずかしくないか? って言う意味で。
「そうよ! あたしの事を知ってるの? 良かった~」
本当に良かったですね。
涼子さんは野江先生の言葉にとても嬉しそうだ。
「私ファンなんです! 毎月『ローズヒップ』読んでます! 勿論先生の単行本もデビュー作から全部揃えてるんですよ!」
野江先生も鼻をフンフンさせて喜んでる。
ポックル先輩も似た様な事、言っていたな。
もしかして二人気が合うのかも。
「デビュー作の『スク・スク』呼んで衝撃を受けました! 一話の冒頭の数ページ! あれファン以外にもネットで伝説として語られてますよ! 日常を描きつつ、作品のシュールな世界に誘い込むテクニック! いや~女子高生が通学中に6枚切りの食パンを飲み物無くて食べ切る所を描く展開なんて普通考え付きませんって!」
え? いやいや、アレ多分そんな事全然考えてなくて、ただ単に涼子さんの中の日常的な通学風景だったんだと思うぞ?
涼子さんも『そうなのよ~。分かってるじゃな~い』とか言う顔してるけど、ああ言う時は大抵嘘を誤魔化してる時なんだよなぁ~。
「でも、その子が一巻の最後であんな事になるなんて……」
少し悲しそうな顔をする野江先生。
いや、ちょっと待って俺そこまで読んでない!
「先生ストップですよ。ネタバレは止めて下さい」
『あんな事』が少し気になるけど、ちゃんと自分で展開見たいし。
「あっごめんなさい。牧野くんまだ読んでないのね。じゃあ止めとくわ」
あぶない、あぶない。
さて、ここに居ると思わぬネタバレされそうだし、そろそろハンバーグを作ろうかね。
「牧野くん? いまこの人の事先生って言ったよね? もしかして?」
俺が台所に行こうと立ち上がったところで涼子さんが野江先生のことを聞いてきた。
そう言えば結局野江先生の紹介はしてなかったか。
「えぇ、俺の担任の野江 水流先生ですよ。更に俺の学校のOGにして元生徒会長。つまり俺の大先輩なんですよ」
俺がそう紹介すると、それに続いて野江先生が自己紹介をする。
「挨拶が遅れました。牧野くんが通う刻乃坂学園高等部で現代文の教師をしている野江 水流と申します。そこに居る大和田先輩の一つ下の後輩でもあったんですよ。それより今日は深草先生に会う事が出来てとても幸せです。これからもよろしくお願いします」
そう言って頭を下げる野江先生だった。
いくら好きな漫画家とは言え、年下にえらく丁寧に挨拶するなぁ~。
さすが教職者だね。
その挨拶を受けて涼子さんが慌てて土下座をする。
「急にどうしたんですか涼子さん!」
「深草先生? 顔を上げてくださいよ」
急な土下座にびっくりして俺達は声を掛けた。
「いやいや、まさか本職の先生だとは思いませんでした~。しかも、年下なのにナマ言ってすみません~」
何言ってるんだこの人?
「涼子さん? マジでどうしたんですか?」
「いや、だって高校の先生なんでしょ? あたしなんかがタメ口聞いていい相手じゃないじゃない?」
卑屈だなぁ~。
学生時代になんか先生に対してトラウマでもあるのかな?
「そんな! 深草先生! そんな事気にしないで下さいよ。全然タメ口でOKです」
「そんな恐れ多い!」
「そんなこと……」
「いえそんな……」
なんかお互いに恐縮しだしたので、俺は相手するのが面倒臭くなり二人を残し台所へ向かった。
実はハンバーグのタネは今朝の内にコネ終えて冷蔵庫に寝かし済みなんだよね。
空気も抜けただろうし、さあ作るか!
お腹ペコペコなペコモン達を背に、久し振りのスコッチエッグ風ハンバーグ作りに胸を躍らす俺だった。
書き上がり次第投稿します。
皆様のご意見ご要望をお待ちしております。




