第69話 野江先生
分割後編です
『ピロリロリロリン~ピロリロリロリン~』
暫くの間、止まる事無く繰り返される抱擁のローテョーションに、さすがに『そろそろ飽きてきたなぁ~」と思い始めた頃、突然この電子音が生徒会室に鳴り響いた。
これは電話の呼び出し音かな?
その音に皆がハッとして我に返った。
丁度次に俺を抱き締める番で手を広げて抱き付こうとしている宮之阪と目が合う。
その距離は数㎝、下手すると唇が触れ合う程近い。
慌てて俺達はその身を離した。
「あわあわあわわ……わ、私なんて事を……」
顔を真っ赤にしておろおろしている宮之阪。
暴走が解けた周りの皆も一様に先程の痴態の凶宴の事を思い出して赤面していた。
後から来たお笑い芸人達は別に暴走していた訳ではないので、逆に皆が恥ずかしがっている事に首を傾げている。
と言う事は、素面のまま抱き付いて来ていたのか、この二人?
それはそれで、どう言う事なんだよ。
本当にノリが良い二人だな。
「あっこの音、私のだわ!」
いまだ鳴り響く電話の呼び出し音に、恥ずかしさに身悶えていた宮之阪が更に我に返り、慌てて自分のバッグからスマホを取り出して電話に出た。
「もしもし、お母さん! どうしたの? え? え? もうそんな時間? 何やってって、あ、あ、あのその、生徒会の手伝いを……」
電話の相手は宮之阪のおばさんのようで、先程の痴態が頭をよぎるのかうまく説明出来ずにしどろもどろになっている。
それを見兼ねた学園長が宮之阪からスマホを譲り受け電話に代わりに電話に出た。
「お電話代わりました。私、この学園の学園長をしております御陵 美都乃と申します。大切なお子様をこんな夜分までお預かりしてしまい、ご両親方には大変ご心配をお掛けしました事をお詫び申し上げます。本当に申し訳有りません。生徒会の方は香織さんのお陰で大変に助かっております。お家の方には私が車でお送りさせて頂きますのでご安心ください」
学園長は先程までと打って変わって、丁寧な口調でおばさんに謝っている。
この人ちゃんとしてる時はちゃんとしてるのか。
そう言えば入学式の時は出来るキャリアウーマンみたいな感じだったっけ?
「あ、あの牧野くん? さっきはごめんなさいね?」
すっかり暴走から覚めたギャプ娘先輩が謝って来た。
良かった、ボコボコにはされそうにないみたいだ。
俺としては天国みたいな一時だったので逆にお礼を言いたい気分なのだけど、どちらかと言えばそんな事より、なんで皆が嬉しそうに俺に抱き付いて来たかの方が気になっていた。
冷静になって考えると、年頃の女子が男子に抱き付くと言うのは、その相手が……『好き』と言う事なのではないだろうか?
いやいやいや、それは無いよな。
だってお姉さんや仮想息子として俺を見ている学園長ならまだしも、数年ぶりに再会した宮之阪や八幡にしても、出会って数日の先輩達、それにお笑い研究部の二人は出会いから数時間も経っていない。
そんな人達が俺の事を奪い合う程、好きになる筈が無いじゃないか。
まぁ芸人先輩とお飾り部長は完全にギャグの一環だろうけど。
やはり極度の興奮から来る集団催眠だったんだろうな。
だけど俺も年頃の男子なんだから、こんな事をされるとちょっとが勘違いをしてしまうな。
これ以上勘違いの深みに嵌りたくないので一応釘を刺しとくか。
「いえ、それは良いんですけど、あまりそう言う事をされると、年頃の男子として色々と勘違いしてしまうので、冗談でも出来るだけ勘弁してくださいね?」
「え?」x全員
あれ? 俺が勘違いさせて来ない様に頼むと全員が驚きの表情で俺を見た。
なんだなんだ? 俺そんなに変な事言ったのか?
俺が勘違いすると言ったのを『冗談なのに、なに自意識過剰になっちゃってるの? 気持ち悪い~』とか思っているんだろうか?
うわ! そうだったらそれはとても恥ずかしい! 俺死んじゃうかも! 精神的に!
「あれ? 牧野くんがそんな反応をするなんて?」
「いっちゃんなら絶対『いや~絞め殺されるかと思いましたよ~』とか『俺相撲は苦手なんだよね~』とか言って全く気にせえへんと思ったんやけど」
「やっと僕の気持ちが届いたんだね!」
「どうしたの? 熱でもあるの?」
俺が自己嫌悪に陥ろうとしていたら、なんか俺の思惑とは異なった内容の反応の声が次々と上がってきた。
かなりディスられている気がするのは気のせいだろうか?
一人変なのが居たけど無視しよう。
「あ~そう言えば先程の部活巡りで牧野くんは成長したんだったよ」
訳が分からず涙目になっている俺を前にして皆が口々に俺の態度への疑問の声を話し合っている中、萱島先パイが思い出したようにそう言った。
え? 成長ってそのオッパイに顔を埋めた事ですか?
ある意味大人の階段を上った気がしないではないですが、それを今ここで暴露されると命の危険が半端無いのです……。
「彼は映画研究部で昨日のあの部長と奇跡の和解をしてね。しかも小さい頃のトラウマを克服した様なんだよ」
あっ、宗兄のことか。
言われたら、宗兄とのわだかまりが消えた事で心が軽くなって来た気がするんだよな。
「なっ!? だとしたらちょっと皆集まって! 対策会議を開くよ~。野江先生は牧野くんの耳を塞いでて下さい」
桃やん先輩が急に皆に指示を出す。
「え~先生、仲間外れ~? 寂しいなぁ~」
野江先生は不満げな顔で俺の元にやって来る。
対策会議? 何それ? 俺って危険人物?
俺は後ろを向かされて、更に野江先生に両耳を塞がれ、その対策会議とやらが終わるまでじっとさせられている。
ぷにぷに。
と言う物の、俺はそこまで退屈はしていなかった。
ぷにぷに。
先程から俺の背中に当たっている柔らかい物に意識を集中していたからだ。
気付いているんだろうか?
ぷにぷに。
あぁ、これ気付いているな。さっきから押し付けては離しを定期的に繰り返している。
多分からかっているんだろう。クスクスと言う笑い声も聞こえるし。
注意しなかったら、後で『牧野くんてむっつりスケベなのよ~』とか言いそうだな。
「あの? 野江先生? 先程から何やら背中に当たってますよ?」
俺が注意すると、プニ~と更に胸を強く押し当てて耳元まで顔を近づけて来た。
そして、艶めかしい吐息と共に……。
「当たってるんじゃないの、当ててるのよ」
「なぁーーーーーー!」
あまりの発言に俺は慌てて野江先生から離れる。
何言ってんだこの人!
俺の心臓は破裂しそうにバクバクと脈打っている。
「こらー! 牧野くん! なんで野江先生から離れてるの!」
桃やん先輩が俺に注意するがそれどころじゃない。
「だ、だって野江先生が……」
「いや~、私だけ除け者で暇だったから、ちょっとからかってみたくなって~。てへへ~」
この人、学園長の事を『プチ大和田先輩』とか言ってたけど、あんたも十分『お姉さん』だよ!
この三人似たもの同士だったから、当時仲が良かったんだな。
「まぁ良いか、丁度会議は終わったし。んじゃあ今の話し合いの通り、取りあえず今期中は抜け駆けせずに、今の感じの距離感のまま皆で牧野くんのサポートをする事」
「は~い」x12
サポート? 抜け駆けと言うのが良く分からないけど、俺を助けようとしてくれているのかな?
色々大変な事ばかりだし、有り難いよ。
「はいはい、もう遅いから今日はこれで解散ね。送って欲しい人は言ってちょうだい。何だったらタクシーも呼ぶわよ?」
学園長がそう言うと何人かが送って貰おうと声を上げる。
学園長は俺にも聞いて来たが丁重にお断りした。
「俺は歩いて帰れる距離ですし良いですよ。お姉さんはどうする?」
「私はコーくんの家に寄る予定だから一緒に帰るわ」
やっぱりハンバーグは食べて帰る気だな。
「わかった。それじゃあ牧野くん、明日あなたの活躍話を詳しく聞かせて貰うわね」
「はい分かりました」
そう言って、それぞれ明日の会報完成に向けての意気込みとさよならの挨拶を交わし、俺達は別れて帰路につく。
すっかり日も暮れた、まだ少し肌寒い4月初旬の帰り道、俺はお姉さんと一緒に歩いている。
「コーくんは凄いね。この短期間で私や光にぃが出来なかった、全ての部活の歓迎写真を撮り終えたんだから」
急にお姉さんがしみじみとそんな事を言って来た。
その言葉はちょっとくすぐったい。
だって厳密に言うとそれは間違っているしね。
「俺の力じゃないよ。生徒会の皆と学園長や校長に理事長、それに先輩達。あぁそうそう、親父の威光にお姉さんの伝説のお陰でも有るね。それが有ったから俺でも出来たんだよ」
これだけの協力が有れば俺じゃなくても誰にだって可能だろう。
「それに本番はこれからだし、褒めるのは全部終わってからでお願い」
俺がそこまで言うとお姉さんは笑いだす。
「あははははは! まぁそう言う事にしておきましょ。フフフ、本当にコーくんは……」
そう言ってお姉さんは俺の頭をぐりぐりと撫でだした。
子供扱いされているようだけど、正直嫌じゃないな。
俺はそんな気持ちのまま撫でられていたが、急にお姉さんの手が止まった。
何だろう?
俺はお姉さんの方を見る。
そこには複雑そうな顔をしたお姉さん。
「でもね、学園でハーレム作ってるのは、ママとしてどうかと思うな」
俺の頭に置かれている手に力が入り、ガシッと掴まれ締め上げられる。
「痛たたたた! お姉さんストップ! ストップ! ハーレムなんて誤解だよ! 皆俺をからかってるだけだから」
お姉さんの手が止まる。
涙目でお姉さんの顔を見ると、お姉さんはジト目で俺を見つめている。
そして小さい溜息をつくと、手は離して俺の頬に手を当てた。
「まぁ良いわ。それがコーくんの力なんだろうしね。でも誰も泣かしちゃだめよ? あぁ、泣かすと言っても今日みたいのは違うわね。誰も悲しませてはダメよ? そこはちゃんと気を付けてね」
優しい笑みで俺の頬を優しく撫でる。
本当にお姉さんは口だけじゃなく、本当の母親みたいな事をしてくるから困るよ。
「……ぱ~い、……く~ん」
俺がお姉さんの態度にホロっとしていると、坂の上から誰かが声を上げながら走ってくるの音が聞こえて来た。
「大和田せんぱ~い! 牧野く~ん! 待って~」
お姉さんを先輩と呼ぶ人と言えば野江先生だ。
声のする方に目を向けると息を切らせて走って来る野江先生が見えた。
何か忘れ物をしたっけ?
何だろうと思いお姉さんを見ると、お姉さんも訳が分からないようで首を傾げる。
「ハァハァハァ。やっと追いついた~」
「どうしたんですか? 何か忘れ物ですか?」
とうとう俺達の元に辿り着いた野江先生に何を慌てて追いかけて来たのか尋ねてみた。
「ハァハァ、そうなのよ。ハァハァ」
野江先生は呼吸を整えながら喋りだす。
やっぱり忘れ物? 何か忘れたっけ?
「先生を忘れてるわよ!」
「え? どう言う事ですか?」
「あ~そう言えばそうだったわね」
「えっ? お姉さん何か知ってるの?」
「牧野くん料理が得意なんでしょ? 私も食べたいって言ったら大和田先輩が『じゃあ今日ハンバーグだから一緒に行きましょう』って約束してくれたのよ」
「は? お姉さん何勝手に約束してるの?」
「良いじゃないコーくん。減るもんでも無し」
「いや減りますよ。物理的にミンチとか」
「え~ダメなの~? 先生悲しい~」
「先生泣き真似はやめて下さい!」
「ほらコーくん、ママがさっき言ったじゃない。誰も悲しませるなって」
「それとこれとは話が別ですよーーー!」
俺の叫びは四月の夕闇に空しく響き渡り、晩飯をまんまとゲットした野江先生は意気揚々とお姉さんと共に足取りも軽く歩いていく。
俺はその弾んで歩く野江先生の後姿を見ながら、ペコモン5匹目Getだなぁと溜め息をつくのであった。




