第108話 これが見たかった
加筆修正分割分です。
「森小路先生? これは一体? このような物を製作する予定はありませんでしたが?」
美都勢さんは顔を上げると、なにやら困った顔をして千歳さんにそう尋ねた。
うん、そうだよね、その疑問は至極当然な事だと思う。
しかも、本番のは六十ページの豪華さらしいし……。
なんかもう、生徒会会報がオマケみたいじゃない?
「え? あ、えっと。それは折角70周年記念と言うおめでたいこの学園の節目ですので、それに相応しい物を、と私財を奮発いたしまして……」
目の前で行われている想像外の出来事の数々に頭の整理が付いて来ていない千歳さんは、突然話を振られた事にあたふたしながら答えている。
森小路先生と言うのが何なのか良く分からないけど、やはり聞き間違いでもなく千歳さんの事のようだな。
「ふふっ、面白いですね。後で掛かった額を光善寺家に請求しておきなさい」
「ええっ? 良いんですか? ありがとうございます。是非そうさせて頂きます。 ……と言うか美都乃さん? 本当に美都勢様どうしちゃったんですか? 丸くなるどころじゃないですよ!」
「私も分かんないのよ~」
……光善寺家も良い迷惑だな。
しかし、千歳さんは美都勢さんの事を丸くなったと言っているけど、それは逆なんだ。
今の美都勢さんが本当の美都勢さん。
頑固で思い込みが激しい所が有るけど、本当は優しくてちょっとおっちょこちょいな所が魅力の素敵な人なんだ。
そんな美都勢さんが会報を開き、1ページ、1ページ丁寧に目を通していく。
萱島先パイのレイアウトデザイン指示のもと、従来の事務書類然としていた会報より洗練されて、更に各データも見易くなっている。
改めて製本された物を見ると、PC画面で見た以上に素晴らしい出来になっていた。
追い込みの修羅場で急に変更指示された時はキレそうになったけど、投げずにやっておいて本当に良かったよ。
美都勢さんは真剣な面持ちでページを捲っていたが、とうとう問題のページに差し掛かったようだ。
大丈夫だろうか?
幸一さんの想いは後から知ったけど、この写真とインタビュー記事は、その幸一さんの想いそのものだとは自負してる……。
とは言え、美都勢さんもそう思ってくれるだろうか?
そんな不安を胸に美都勢さんの様子を伺うと、先輩達の新入生を歓迎する心が溢れ出さんばかりの歓迎写真を見るその目には、驚愕の色を写しながら大きく開かれていた。
その後、暫く固まったていたかと思うと、急に弾かれたように次々とページを捲り出す。
素早いが、その表情からすると興味が無いと言う訳では無く、早く次のページが見たいと言う気持ちが強く表れていて、その頬は赤く上気している。
最後のページに差し掛かった時、急に顔を俯け、ピタッと動きが止まった。
俯いている為、その表情は窺い知れない。
暫く辺りに沈黙が流れる。
その場に居る皆が固唾を飲んで美都勢さんの回答を待っていた。
「あの、美都勢さん? どうでしょ……」
「ほら、やっぱり私が言った通り、こう言うパァ~っと楽しそうな方が良かったんじゃない!」
気力の残り時間が少ない俺は、いつまでも固まったままの美都勢さんに感想を聞こうと声を掛けた途端、急に顔を上げまるで当時のままの太陽のような笑顔でそう言った。
その様に、皆が驚愕と言って良いほどのどよめき声をあげる。
恐らくこんな姿、この場では郡津くん以外見た事が無いだろう。
いや、郡津くんですら久し振り過ぎて逆に驚いているようだった。
勿論俺も驚いたけど、それ以上に納得していたんだ。
だって、当時も口では俺の言葉に従ってくれていたけど、なんだかんだ言って最後まで不満そうだったもんね。
「そうですね。でも、あの時はあれで良かったんです。やっと時代が美都勢さんに追いついて来たって事ですよ」
「ありがとう。そう言う事にしておくわね」
そう言うと美都勢さんは太陽の笑顔のまま部活紹介の最初のページに戻り、今度はページを舐め回すようにじっくりと読んでいく。
「この部長へのインタビュー……。これもあの人の理念のままだわ。あの人は常日頃から言っていたのよ。『部活動を通じて個人として皆と共に競い高めあう、それが学校と言う物だ。そして、それが本当に大切な事だ』って。よく部活動している生徒達に『何を目指して部活動をしていたのか』と聞いていたのを思い出すわ。結構煙たがられたりしていたけどね。本当に懐かしい」
目を細めて当時の事を懐かしそうに語る美都勢さん。
早送りの記憶の中で、確かに部活動中の生徒に聞き取り調査のような事をしていたな。
え? あれって煙たがられていたの?
そうだったのか……、まぁ部活動中に中断させていたのだから当たり前か……。
僕も部活に入った事が無かったから、その気持ちは良く分からなかったよ。
美都勢さんは、引き続き熱心に部活紹介のページを読んでいく。
その様に、親族達も気になったようで覗きに来た。
「ほう、なかなかいいですね。中等部でも採用したいと思うのですが、御義母様よろしいでしょうか?」
「小等部も是非」
美幸さん所の親族はどうやら小等部と中等部を受け持っているようだ。
それぞれの声に美都勢さんは笑顔で頷いている。
あぁ、これだ。
これだよ。僕が見たかったのはこれなんだ。
美都勢さんが笑って、僕の子供や孫達が楽しそうに輪になって団欒しているこの光景。
心の中? それとも背後から? そんな声が聞こえて来た。
皆には聞こえていないようだ。
俺も既に視界はぼやけ、身体を支える事もままならない。
けど、気力が尽きる前に解決出来て良かった。
俺もこれが見たかったんだ。
あの夢を見せられた時から、この現状に対する色々な感情で心が痛かったんだ。
でも、本当に良かった。
笑顔の皆に囲まれて、それ以上に素敵な笑顔の美都勢さん……。
段々と意識が遠のいていく。
でもとても幸せな気持ちに包まれている。
いつもの素敵な笑顔で皆に囲まれて笑っている。
あぁ…美都勢さん……、出会った時と変らない……、太陽のように……まぶし……。
最後に俺の意識が霧散して、身体が重力に従って倒れて行くのが分かった。
遠くで皆が俺の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
でも、俺はもうその声に応える事が出来ない。
白い光と共に全ての感覚が消えて行く。
『本当にありがとう……』
光に包まれながら何処からかそんな声が聞こえて来た気がした。
幸一さん……さようなら
…………。
…………。
…………。
誰かが呼ぶ声が聞こえる。
俺は重い瞼をゆっくり開け周りを見渡す。
「牧野くん! 目が覚めたの? ごめんなさい、私の所為でこんな目に合わせて……、本当にごめんなさい」
目を開けた先には泣きはらして目が真っ赤な美佐都さんがいた。
今も大粒の涙を零しながら、必死に俺に謝っている。
「美佐都さん……、良かった。解放されたんですね。本当に良かった」
俺がそう声を掛けると、感極まったのか顔に手を当て大声で『ありがとう』と何度も言いながら泣き出してしまった。
どうやら俺が倒れた後に解放されたのか俺を看病してくれていたようだ。
辺りを見渡すと美都勢さんに学園長、それに親族の皆、お姉さんに千林ファミリーズ、あと空手部の先輩達が居た。
それぞれ俺の意識が戻った事に安堵の表情を浮かべ、『意識が戻って良かった』と口々に声を掛けてくれた。
俺はその言葉達に笑顔で出応える。
「私も居るんですけど……?」
「え?」
その声に目を向けると、美佐都さんの反対側に橙子さんが少し拗ねた顔で俺を見ていた。
あっ、すみません橙子さん。そちら側に居ましたか。見渡した範囲外だったので気付きませんでしたよ。
「すみません、橙子さん。でも、あなたの『たすけて』の言葉の通りにやって来ましたよ」
「そんな、ありがとう……」
俺の言葉に顔を真っ赤にして乙女モード全開の表情の橙子さん。
それを見た橙子さんのお母さんが驚きの声を上げている。お父さんは少し嬉しそうだ。
「くすん。で、でも、かな入力に戻せないまま入力して送ってしまったのに良く分かりましたね」
「えぇ、俺は分からなかったんですけど、丁度そんな叙述トリックを知っていた知り合いが居て……」
あっ、これ言ったらマズイ奴だ。
あの時、涼子さんの知り合い達に囲まれていたなんて言うと要らぬ誤解を招いてしまう。
あぁ、遅かった。どんどん皆の顔が猜疑の目に変わっていく~。
「へぇ~そんな早い時間に部屋に誰か居たんだ」
美佐都さんの目が怖い!
「誰なんですか? 一緒に居たのは?」
橙子さんが通常モードの顔に戻って、俺に睨みを利かせながら聞いてくるぅ~!
「ち、違いますよ! 電話です! 電話で聞いたんです!」
俺は必死に両手を振って誤解だとアピールした。
けれども、その焦り様が余計に皆の猜疑心を煽っているようだ。
う~んどうにかしないと……って、え? 両手?
「あれ? なんで俺の左手動いてるんですか? 痛たっ。まだ少し痛いですが、先程までじゃありませんし……」
指も自由に動くし、一応痛みを我慢すれば肩も動かせる。
さっきは痛みが酷かったし、ピクリとも動かなかったのに。
「それは、紅葉が治しました。折れたのではなくて脱臼だったようです。痛み収まっているのは、痛み止めの注射によるものですので、無理に動かしてはいけませんよ」
俺の問いに暗い顔をした美都勢さんが、そう説明してくれた。
そうだったのか。てっきり折れたと思っていたよ。
動くって事は筋や腱が切れた訳じゃないので良かった。
紅葉さんにお礼を言わなきゃね。
俺はそう思い辺りを見渡した。
「あれ? そう言えば紅葉さんは?」
この部屋には紅葉さんは見当たらない。
別の部屋に居るんだろうか?
肩を治してくれたお礼や、もう知っているとは思うんだけど、約束を無事に果たせた事への報告もしたいんだけど。
俺の問い掛けに美都勢さんは、苦虫を噛み潰したような表情で押し黙る。
え? どう言う事? なんでそんな表情をするんですか?
何やら嫌な予感がして来た。
その予感に俺の心臓の鼓動が早まっていく。
「……紅葉には暇を遣りました……」
その信じられない言葉に対し、俺の心臓がドクンと跳ね上がるのを感じた。