第102話 大切な場所 大好きな皆
加筆修正分割分です。
「失礼します」
俺はそう言って障子を開け、大広間の中に入った。
右手、右足しかまともに動かないのでかなり不恰好な動作となってしまった。障子を閉め直すのでさえ一苦労だ。
「ま、牧野くん! な、なんて事……」
「牧野君、あなた……、そんな」
その様を見て、学園長だけじゃなく理事長さえも、表情を歪ませ目に涙を浮かべている。
そりゃそうだ、左腕は垂れ下がり、左足は怪我した状態で無茶した為にズボンが血みどろだ。
二人は慌てて俺のそばに駆け寄ろうとするが、『動くな!』と言う美都勢さんの声に制止され、悔しそうな顔で創始者を睨んでいる。
そんなやり取りの中、俺は大広間を見渡した。
そこには美都勢さんが右手奥にある床の間の前の上座に正座しており、部屋の両端に理事長の家系と恐らく幸一さんが死んだ後に生まれたと言う、橙子さんの祖母に当たる美幸……さんの家系に分かれ並んで座っているようだ。
俺が入って来た方が橙子さんの家系で、反対側が理事長率いる美佐都さんの家系となっていた。
全員の目が俺に集中する。
そう言えば、橙子さんの家系はこれが初対面だな。
すぐ目の前で全員が俺を見ているので少し緊張する。
一番上座方向に座っているのが美幸さんだが、一目で分かった。
美呼都……理事長より美都勢さんに似ている。
その横に座っているのが、恐らくその旦那さんだろう。
何か汗をかいて、ぐったりとしているのは、お姉さんの圧力に気圧されたからなのだろうか。
その横、まぁ俺の前になるんだけど、二組の夫婦が並んで座っている。
やはり女性側は美都勢さんの面影が有るので、恐らく孫なのだろう。
う~ん、マジで女系一家だな。
上座の方のきつ目の顔をした女性が俺の事を鋭く睨んでいるが、もしかしたら橙子さんのお母さんなのかもしれない。
厳しい母親と聞いていたけど、今回の騒動で俺の事を娘を誑かした張本人と思っているのだろう。
まぁその通りだな。
お父さんに当たる人は……、何故だろうか? 俺の事を心配そうに見る反面、どこか優しげな表情に見える。
その顔立ちを見ると橙子さんはどうやらお父さん似のようだ。
最後に座っている夫婦は我関せずと言う面持ちだ。
あぁ、旦那さんだけは汗だくで腰を抜かしている様なので、お姉さんの気にやられたんだろうな。
反対側に座っている理事長の家系は、理事長夫婦と学園長、ん? 知らない顔がもう一人いるな?
学園長より10歳以上は離れていると思われる若い女性が学園長の隣に座っている。
と言ってもお姉さんと同年代と言う所か。
美佐都さんの姉……いやいや、そんな者は存在しないだろう、と言うかそんな歳の娘は居る筈ないので学園長の妹さんなのだろうか?
一応俺のボロボロの姿を見て驚いてはいるが、表情の奥から滲み出てるのは『早く帰りたい』とでも言いたげな気怠さだ。
横に男性が居ないのは独身なのかな。
美幸さんの家系と比べて男性は理事長の旦那さん一人。
う~ん、なんか寂しいな。理事長の旦那さんは理事長よりかなり年上のようだ。80歳前後位か?
しかし、美幸さん側の男性達と違い、どっしりと構えており顎鬚を摩りながら、何か不思議そうな顔で俺を見ている。
その顔に、何故か幸一さんの夢が一瞬フラッシュバックした。
どこかで見た面影が有る、誰だったっけ?
「フフフッ。その姿、紅葉の言葉に従わなかった自業自得と言うところですかね……。しかし、賊に相応しい格好と言えるでしょう。こんな所に居るよりも病院で寝てる方がお似合いでしょうに」
俺が御陵家親族一同の値踏みをしていると、美都勢さんが然も愉快と言うような言い回しの割りには、その表情自体は暗く、眉間に皺を寄せてそう言ってきた。
「御婆様! さすがにその言い方はないでしょう!」
美都勢さんの俺に対するあざ笑うかのような言葉に、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、学園長が声を荒げて立ち上がろうとした。
「学園長、良いんです。怒らないでください」
そう言って制止した俺を、学園長は驚きの顔で見詰めてくる。
他の親族も俺の言葉に呆気に取られているようだ。
俺には分かる。
美都勢さんがきつい言葉を言う時、それは本当は励まそうとしたり心配してくれている事の裏返しなんだ。
だって、その握りしめた手、そして唇を微かに噛みしめて歪めている顔が物語っている。
恐らく今の俺の姿に、大好きだった幸一さんの姿を見ているんだろう。
瓜二つの俺が傷付き、今にも倒れそうになっている様に、幸一さんが倒れた時の記憶が蘇っているんじゃないだろうか?
いや、これじゃいけない。
美都勢さんを余計に悲しませているじゃないか。
先程交わした紅葉さんとの約束を破ってしまう。
俺は死ぬ気で気合いを入れた。
痛みなんか今は忘れろ! 美都勢さんを心配させまい、何もなかった普段通りの俺に戻るんだ。
俺は激しい痛みを押し殺し、体を庇う為に傾いていた背筋を伸ばした。
「心配してくれてありがとうございます。この通り大丈夫ですよ」
そう言って、俺はにっこりと微笑んだ。
美都勢さんが一瞬呆然として『あっ』と小さく言葉が漏れたのが聞こえた。
しかし、すぐに我を取り戻し、厳しい表情で俺を睨む。
「え? お父様?」
「せ、先生……!」
理事長夫婦が今の俺の仕草を通して幸一さんの姿を見たのか、二人して目を大きく見開きポツリと零した。
あれ? 理事長の旦那さん、俺の事を先生と言ったのか?
と言う事は幸一さんの生徒だったのか。
見た事は有る気がするけど誰だったかな? それに幸一さんが現役時代って理事長はまだ小学生だったよな?
なっ! 高校生の分際で小学生の娘に手を出したのか! なんか腹が立ってきた。
って、違う違う。あまりの事に夢の中での日々で培った理事長に対する父性が急に湧きたって幸一さんとシンクロしてしまった。
それに娘である学園長との年齢差を考えると、理事長が結婚したのは遅そうだし健全な付き合いをしたんだろうって、これも違う違う、まだ少し引き摺っているな。
娘を持つ父親ってこんな気持ちなんだろうか?
いや話を戻そう。
先程の美都勢さんの態度、それに理事長夫婦の言葉、もしかして今の俺の言動はそれ程幸一さんに似ていたと言うのか?
しまった! これじゃ本当にダメだ。
大広間に入るまでは、幸一さんの記憶を使ってでも美都勢さんを説得すると思っていたけど、改めて美都勢さんを見た時に分かった。
それでは、親父が行った『借り物の知識で幸一さんを演じる』と同じだと言う事。
そんな事では、美都勢さんの心の傷は埋まらないのは、親父が身を持って証明したし、これでは無理だと結論付けていたじゃないか。
夢の中では僕だったけど、その僕は幸一さんであって、俺じゃない。
過去に有った追体験での知識、言わば借り物だ。
もしかしたらあの夢は、現状を憂いて成仏出来ない幸一さんが残された愛する人達を助けて欲しいと、姿が似ていた俺に見せた奇跡なのかも知れない。
押し付けられた運命? いや、そうじゃない。
俺の行動の数々が、俺を守ろうとした皆の気持ちを無駄にして、この現状を招いたんだ。
それが分かったから、幸一さんは俺にあの夢を見せたんだと思う。
あの夢は美都勢さんに対する攻略法に成り得るだろうけど、それを知識として語るのではなく、想いを俺としての言葉にしなければいけない。
そう、夢の中で幸一さんは言っていたんだ。
大切なのは想いを伝える事だと。
それに、皆が俺に期待してくれているのは、俺自身に対してだ。
学園長にしても、美佐都さん達生徒会の先輩達にしても、俺が幸一さんに似ていると言う事で、美都乃さんの説得を期待していた人は居なかった。
後から萱島先パイと芸人先輩と言う幸一さんの件を知っている人達が現れたけど、それにしても俺が美都勢さんを説得すると信じてくれたのは、俺が牧野 幸一だからではなく、牧野 光一だったからだった。
僕ではなく、俺としての本当の想いで美都勢さんを説得するんだ!
俺は痛みを隠し、普段通りに振る舞い部屋の中央まで歩く。
橙子さんのお父さんが道を開けてくれて助かった。さすがにこの足で、美幸さんの親族を迂回するのは途中で気力が尽きていただろう。
すれ違いざまに『ありがとうございます』と言うと、橙子さんのお父さんは微笑んでくれた。
「さて、何の用ですか? 話を聞くとは言いましたが、下らない話なら今すぐ出て行って貰いましょうか」
俺が中央に立ち、美都勢さんに向き合うや否や、そう言って来た。
丁寧な物言いだが、お姉さんの殺気とはまた違った圧力が言葉の節々に練り込まれている様で、一瞬吹き飛ばされそうになった。
なるほど、『老いてなお、その壮烈さは健在』とはこの事か。
俺が痛みに耐える為に、死ぬ気の気合いを入れてなかったら実際に心が吹き飛ばされていたかもしれないな。
「全てを終わらせる為に来ました」
俺は笑顔のまま、力を込めてそう言った。
そう、悲しいすれ違いから起こった全てを終わらせる為にここに来た。
俺がそう言うと美都勢さんが笑い出した。
「フフフフ、何を言い出すかと思えば、馬鹿な事。全てを終わらせるとは……」
一拍の後、目に見えるかのような殺気が美都勢さんの身体から放たれた。
「私を殺すとでも言うのかっ!」
その言葉は途轍もない高密度の殺気を刃と化し、俺の身体を突き刺そうとする。
これは先程のお姉さんどころの騒ぎではない。その迫力に男性陣はおろか、血族の女性達でさえ、小さな悲鳴を上げ身を竦ませた。
しかし、俺はこの殺気を涼し気な顔で受け止める。
いや、内心はかなりビビったのだが、そんな事よりこれだけの殺気を放つ様になってしまう程の苦労を、今まで美都勢さんがして来たのかと思うと、俺の心は恐怖よりもその悲しみで満たされたからだ。
でも今その悲しみを表に出してはいけない。
彼女が今まで幸一さんの想いに応える為、そうしてまで必死に生きて来た人生を否定する事になってしまう。
だから俺は、あえて涼し気な顔で受け止めたんだ。
「ほう? 邪な考えの小悪党なら今の威圧で腰を抜かして逃げて行くところですが。そんな顔をして立っていられた者は……初めてですね。お前は余程肝の据わった大悪党か、それとも……? ふん、まぁいいでしょう。そんなボロボロの格好で目の前に立たれても邪魔なので座りなさい」
威圧に動じない俺に美都勢さんはそう声を掛けた。
フフッ、最後の言葉は俺の身体の事を心配しての言葉だろうな。
本当に素直じゃないな、こう言うのをツンデレって言うんだろうか?
それに何とか俺に興味を持ってくれたようだ。
これなら俺の言葉がその固く閉ざされた心に届くかもしれない。
俺は美都勢さんの言葉に甘えてその場に正座をした。
ぐっ! ビクッ。
う~ん気合いを入れているけども、シャレにならない程の痛みが太ももに来るな。
俺の気合いよ、もう少しだけ持ってくれ。
顔には出さない様にしているが、無意識の神経の反射だけはどうしようもない。
正座による、傷口への負担で時折ビクビクと体が勝手に反応してしまい、かなりみっともない様になってた。
「あっ、あなたは馬鹿ですか! そんな傷で正座するなんて! 足を崩しなさい。いや、まずは治療が先でしょう! おい! 誰か医者を……」
「いえ、待ってください! 治療は後で良いです。お言葉に甘えて足だけは崩させて貰いますけど、それより話を聞いて下さい」
俺の痛みを隠すその仕草に、またもや幸一さんをダブらせてしまったのか、思わず素の表情となり慌てて医者を呼ぼうとした美都勢さんを俺は制止した。
痛みで気を失いそうになっているが、そんな事より今を逃すともう説得の道が無くなってしまうかもしれない。
中断して、もしその間に冷静になった美都勢さんが、再び心を閉ざし話を聞いてくれなくなる事だって考えられる。
皆のお陰でこの場に辿り着く事が出来たんだ、美都勢さんの心に負担を掛けさせる事になるだろうけど、この機会を無駄に出来ない。
俺の言葉に唖然としている美都勢さんを尻目に、俺は痛みがマシになる位置になるように胡坐をかいた。
流れた血が畳を汚しているのはごめんなさい。
周囲の親族達が、俺と美都勢さんのやり取りを見てどよめき出した。
仕方無い、ただの高校生が御陵家を支配している女帝と対等に話をしているんだ。
そりゃあ、今まで美都勢さんに怯えていた親族に取ったら信じられない光景なのだと思う。
いや、俺も信じられないけどね。
橙子さんが言った人生ハードモードに進む運命は伊達じゃないな。
一週間前の俺だったらここに来る前に逃げ出していただろう。
でも、この一週間色々な人と出会って色々な想いを知った。
俺に期待してくれる人、俺を応援してくれる人、俺を慕ってくれる人、本当に色々な想いを受け取った。
なにより、美都勢さんと幸一さんの想いも知ったんだ。
これだけの想いを受けながら、この場から逃げてのうのうと暮らせる程、俺の心は強くない。
俺は弱いからこそ、数々の引っ越しでこれ以上自分が傷を付かない様にと、広く浅くな人間関係を築いて自分の居場所を作ろうと、そして人と繋がろうとして来たんだ。
俺は新しく出来たこの大切な場所を失いたくない。
だから逃げ出さないし、挫けない。
幸一さんと美都勢さんの別れから始まった、この悲しい想いのすれ違い。
それらを全て正して、大好きな皆が笑って過ごせる場所を作るんだ!
俺はその決意を胸に、最後の気合いを全身に漲らせ美都勢さんを見詰めた。
書き上がり次第投稿します。
皆様のご意見ご要望をお待ちしております。