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カモミールティー

作者: 鱒子

僕には、一人の彼女がいる。素性は知らない。そして、同棲している。



朝のテレビが大嫌い。あんな騒音機、消えてしまえばいいと毎朝思っている。僕はテレビがついていると食事に倍どころでない時間をかけてしまう。観ないようにしようとしても耳にその音声が入り込み、意識を持ってかれてしまうのだ。けれど、彼女の方が早いものだから勝手についてしまっている。彼女にいわせると朝の情報源だそうで、勝手に消すと怒られてしまう。

 起きるのが早い分、出るのも早い。だから彼女を見送って一人になってまずするのはテレビ――二人で観るにはあまりにも大きすぎる――を消すことだった。テレビの代わりに音楽を流す。

 僕にとってテレビと音楽は同じ音を発すれど、真逆だ。音楽には静寂を感じる。とくにクラシックなんかがそうだ。音楽を流しているときその音楽以外の音を感じなくなる。それがざわめいてはいるものの一歩外へ出ると孤独なようで、落ち着ける。僕のこの感性については今まで誰からの理解も得られなかったけれど、別に構わない。

 同棲といっても僕が彼女の家に住み始めたのだった。多分家賃はもの凄いはずだ。僕がそれを知らないのはそれについて全く関与していないからだ。家から出て目の前の路地を抜けるとすぐに大通りにでる。そこには変な形のビル――上部が削れて四角が三角になっていたり、他のビルに寄りかかりそうなくらい思いっきり傾いていたり――が立ち並んでいる。これがオシャレというものなのか。その通りも片道三車線で車の行き交いはかなり激しい。いわゆる都心で住んでいて、その家賃を払う収入源も謎に包まれている。

「何もしなくていい、だからここにいて」

そういわれたような気もする。

 そうはいっても、さすがに何もしないのは罪の意識が芽生えてしまう。そこで、なくなったあるいはなくなりかけているいわゆる生活必需品の類は僕が黙って買い足すようにしている。シャンプーやリンスから彼女のたまの煙草、そして彼女が毎晩愛飲しているカモミールのティーバッグまで。だから僕は彼女が出てリビングでソファと向かい合っているテレビを消した後、それらの在庫状況に取り掛かる。最初はとても骨が折れた。それでも、まず風呂場、そしてそれと隣接する洗面台、トイレ、リビングという風に自分のルートができあがってからは速かった。特に慎重にならなければいけないのは彼女の部屋――家のなかで一番奥まったところにあって、最初は秘密の部屋に思えた――だった。彼女自身その部屋にいることは少なかったが、気を抜いて配置を変えるとどうなるかわからない。そして煙草については普段からそんなに吸わないのでストックも少ない。だからよく確認する必要がある。

 隠れてやっていてもやはりばれてしまうもので、気づく度にお礼を言ってくる。僕はそれでもしらを切るが、こんな僕の心理など見え透いているのだろう。もしかしたら僕は彼女のそういうところに惚れたのかもしれない。



 彼女が煙草を吸うのはきまって雨の日だった。雨の匂いと煙草の匂いはとても相性が好いらしい。雨が降りしきる中わざわざリビングから通じるベランダに出て、煙草に火を点ける。一応備え付けの屋根があるとはいえ、(へり)に当たった飛沫で毎度びしょびしょになって帰ってくる。前に僕も一緒にそこへ出てみたことがあった。その日は特に豪雨だった。

 どうして、と訊いた。

「どうして、こんな雨の中で?」

彼女は無視をした。その後も何度か訊ねてみても生半可なうん、がやっとで、退散する他なかった。

 雨自体は僕も好きだ(服装に気合いを入れたときを除いて)。寝るときのそれはもちろん、傘を差しながら散歩をすることもある。快晴より快雨の方がせいせいするのだ。そして降られて家に着いて慌てて入浴したあとのホットミルクも含めて。

 このホットミルクは僕が幼いころから母がしてくれていたことだった(学校から帰るといつもホットミルクの準備がされていた)。これを初めて彼女にしてあげたときは、とても喜んでくれた。彼女の愛用するかわいらしい青りんごの描かれた少し大きめのマグカップを両手にしながら満足そうな笑顔を浮かべている彼女に向かってカモミールじゃなくていいの、と訊くと、ぶんぶんと大きく横に頭を振った。

「雨の日はホットミルクね」

とすっかり気に入ってくれた。彼女のわかりやすい癖のひとつは、上機嫌になると所作が大袈裟になることだった。

 こうして互いの文化を交えるのも悪くない、と思える。恋愛に関わらず人と付き合うことの醍醐味はこれなのだろう。

 実際に僕と彼女はいわゆるカップルと比べても違うところばかりで、同じところは数えられるほどしかない。だからこそ僕は彼女の影響を色濃く受け、その逆も又然り、なのだろう。思うに、違いがあればあるほど付き合いはうまくいくのだ。

 しかし違いがあっても、僕らは喧嘩というものはしたことがない。お互い気が弱いこともあるだろうが、そもそも主張をしない。それにこれはこうでなくてはならない、などという妙なこだわりもない。同棲までしているくせに、相手の生活を基本的に侵食したがらない。逆に、だからこそ同棲できているといえるのかもしれない。

 彼女は、干渉するな、という旨のサインをもっている。たとえばぼくがつくったときの夕飯で彼女が嫌うブロッコリーを避けているときの言及――こんなにおいしいのをのこすなんて考えられないよ――や、リビングの大きい本棚のよくつかう段がごちゃごちゃとしているときの詰問――せっかくきれいな本がこれじゃくたくたになっちゃうよ――には、彼女はわざとらしい微笑をつくってみせる。

 いつもの自然な微笑は僕が彼女の表情のなかで一番だと思えるくらいなのに、そのわざとらしいのはどうも苦手でまいってしまうのだった。そして彼女はそれを知ってその表情をする。いわば確信犯なのだ。そんなときにはたとえ言及や詰問をしている途中でも口をつぐむしかなくなってしまう。

 実はうまくやっているようで、やはり彼女のほうが一枚上手なのだ。そしてそれに助けられていることにも肯くしかない。

 こんなことを考えていると、僕と彼女の相性は最高なように思えてくる(普段はこんな浮かれた発想は毫ももたない)。すると、幸福な感情がゆっくりと足先から上ってくる。まあでも、悪くはない。

 さて、今日は雨だからホットミルクでもつくりながら彼女の帰りを待とうか。



僕は彼女の仕事すらしらない。一応スーツを着てでているけれど別にそんなに高そうにも見えない。夕方には必ず帰ってくる。住んでいるところの割に質素な生活を送っている。酒も滅多なこと――たとえば、僕や彼女の誕生日――がないと摂取しないし、他の嗜好品――煙草なんてなんで買っているのかわからないくらい――もあまりみかけない。あっても就寝前の読書のお供であるカモミールティーぐらいなものだ。

そのカモミールティーを僕は毎晩できる限りお供している。リビングで電気の明るさを一段階落とし、それを受けながらソファで並んで各々読書に耽る。大抵は、彼女は内田康夫、僕は江國香織。

残念ながら、彼女の読む類のものは僕にはよく分からない。というのも推理モノ自体僕にはあまり良さがわからない。それでも2人にとって読書というものは付き合ってから、やっとみつけた共通項だった。だからこそ大事にしている。

毎日そうしていると、彼女の読むペースも掴めてくる。僕がこのくらい進んでいたら、彼女はあれくらい。

「ふぅー」

彼女の音のない息を吐く動作は、読書から就寝にうつる合図だ。それを聞いて彼女の方を見やると、目が合って、そして微笑んでくれる。

「寝よっか」

 そうだね、と返して持っているそれを閉じる。そうして二人は立ち上がって電気を消し、寝室へと足を踏み入れる。そこはとても殺風景だ。ベッドと簞笥と存在感のない本棚の3つだけが常にある。僕らは基本的に買った本を売ったり捨てたりすることはない。そしてその本棚はメインのものとは違ってあくまで保存のために存在していて、だから触れられる機会すら少なかった。

僕は起きるのが遅いから先に壁際の方へとベッドに入り、彼女が入るときに毛布を上げる。二人が入って上を見たまま、

「おやすみ」

彼女がいうと、おやすみ、と僕も言う。


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