中編
長くかかりました。
前の話しは忘れられている気がしますが、やっぱり中編になりました。
「何だってまた、やる気になったんだ? 俺はもう、別にいいんだぜ、スプーンなんざ曲がろうが曲がらなかろうが」
「なに言ってんだよ。お前のそういう態度が少年をやる気にさせたんじゃねーかよ」
ひそひそと、なぜか窓にかかる暗幕の、その影で、業平は明良を捕まえていた。
新聞局の中は、以前と同じように真ん中に椅子を置き、その真横に旧式のVHSビデオを据え置いている。以前と違うのは、二つある窓の両方に、映研から借りた暗幕をかけていることだ。部屋は暗く、天井の蛍光灯も、一灯だけにしぼられている。
業平は、それが気に入らない。
「大体なんだよ、何で暗幕なんか」
「それが条件だってんだよ。この間は明るすぎて、集中できなかったって」
「明るすぎだあ? 北向きだぜ、ここは」
細く暗幕を開けて、その向こうで椅子の位置を念入りに直している鈴木少年とその連れを眇める。
「とにかく。鈴木少年はお前のためにもう一度挑戦するんだから、ちゃんと見てやれよ」
明良はそういって業平を暗幕の外へと押し出した。
「だから別にどうでもいいってのに……」
後ろ向きに呟きながら、業平はようとか何とか右手を中途半端に挙げて挨拶をした。
「林先輩、来ましたね。おれ、今日はできる感じなんで。よろしく」
前回とは別人のように自信たっぷりに、鈴木少年は笑った。
「あ、ああ。まあがんばれよ……」
F5を、しかし業平はもてあそぶだけで構えようとはせず、VHSの隣に置かれた椅子に腰掛けた。
はっきりいって、もうどうでもよくなっていたのだ。
スプーンが曲がるところを見たいと、たしかに二ヶ月前には切望した。
だが沙那と知り合ってから、もうそんなことはどうでもよくなっていたのだ。
世の中には超常現象が確かにある。
目の前に突きつけられなくても、業平にとってそれは、すでに常識だったのだ。
二ヶ月前はスプーンが曲がるわけはないと思っていた。
しかし今、確かに空に浮く人間がいるのを知った今、スプーンが曲がることが、ごく当たり前のこととしか思えなくなっていたのである。
目の前の鈴木道隆の、緊張が高まっているのが分かる。
明良が回すビデオの音が、静寂を強調する。
鈴木少年が、スプーンを熱心にこすり続ける。
サッサッと、表面を、丁寧に指で磨くかのように、軽く親指と人差し指で挟み、親指を動かし続ける。
やがて−。
「あ!」
明良が、思わず声を上げた。
こすり続けたスプーンのクビが、この時ぽとんと落ちたのだ。
「……」
さすがに、目を瞠った。
局室の中に、重い空気が下りた。その空気に絡め取られたように、身動きができない。
鈴木少年が、すっと椅子から立ち上がった。
後ろに控えていた連れに向かって頷くと、床に落ちた柄の方を拾い上げた。
暗幕がさっと開き、薄暗さに慣れた目を一瞬くらませる。
次に視界が戻った時、目の前に鈴木少年がいた。
勝ち誇ったように頬を紅潮させて、鼻腔を広げて。
「見ましたね、林先輩。おれ、インチキじゃないんで。これで、信じてもらえますね?」
業平に、二つとなったスプーンを、手渡しながら言った。
「この前だって、別に信じなかったわけじゃないさ」
成り行きで受け取り、そのスプーンに目を落として、業平は呟いた。
「は?」
「別に信じてないわけじゃなかったっていってんだよ。ただ、俺の目の前で、それをやって見せて欲しかっただけだ。こんな風に再試合しなくたって、俺はお前をインチキだとはいってねえだろ」
それが本心ではないことは、業平が一番よく分かっていた。
あの時には俺は、たとえ目の前で見せられていたって、トリックの可能性を追求したに違いないのだ。
「はあ?」
それを見抜いたかのように、鈴木少年があきれた声を出した。
「あんた、なにいってんだ、先輩。あんたあの時は、おれが何やったって疑わしそうな目で見るだけだったじゃないかよ。信じてないわけじゃないだ?
ふざけんな!!」
だんだんに激高し、ついに、業平につかみかかるかのように叫び下ろした。
部室の中に、緊張が張りつめた。
「おい……」
それを振り払うように、努めて明るい声で、明良が二人の肩をたたく。
「なんだよなんだよ、そんなに怒んなくてもいいだろ。業平もさ、鈴木に謝った方がいいよ、うん、この前は確かに、信じているとは思えない態度だった。鈴木も、もう少し冷静になれよ。業平だってインチキなんて、そこまでは言ってなかっただろ、この前だって、な?」
何とか取りなそうとする明良の努力を、鈴木少年はしぶしぶ受け入れ、くるりと業平に背を向けた。
「分かりました。綿貫先輩、そのビデオ、おれにもダビングしてください。おれ、自分のやってるとこ、一度見てみたかったんで」
「いいよ、もちろんするよ」
部室の出口へ向かう鈴木少年を送るように、明良がついて行く。
「……」
業平はスプーンを見つめたまま、呟いた。
「信じてないわけじゃないさ。ただ、」
ただ、スケールが違うんだよ。
「もう、スプーンごときじゃな……」
驚きはしない。
そう、業平はひとりごちた。
それでは自分はただ、驚きたかっただけなんだろうか。
鈴木少年が部室から出て行ってしまい、明良がその後についてやはり出て行ってしまってから、業平はじっくりと考え始めた。
俺は、驚きたかっただけなのか?
超常現象とか、そんなものは自分の目で見なければ信じられない。
いくらみんなが本物だっていったところで、結局自分が信じるのは、自分自身の判断だ。
だから、本物だというのなら、それを目の前で見せて欲しかった。
のだと、思っていたが。
竹森沙那が宙に浮いていた。そして自分の目の前で、石を浮き上がらせて見せた。
それでも、目で見たものしか信じられないから、スプーン曲げが見たかったのだとしたら、たとえ沙那が宙に浮いた後でも、スプーン曲げはスプーン曲げであるはずだ。
しかしそうではないようだ。
確かにスプーンが曲がった時にはちょっとビックリした。しかしその時に業平の頭にあったのは、「こんな程度じゃな」ということだった。
沙那と鈴木少年は別のはずなのに。
沙那が本物だから鈴木少年も本物であるわけではないのに。
これでは、闇雲に何でも信じる明良とかわりはしない。
「人のことは言えねーな」
業平は苦笑し、そしてほんの少し、自分が落ち込んでいるのに気づくのだった。
「業平、いる?」
帰ってこない明良を待つべきなのかどうなのか、決めかねながら片づけを始めていた時、控えめなノックと共に、沙那が部室のドアを開けた。
「ああ、そろそろ帰ろうかと思ってた。入れ」
「ん」
落ち着かない様子で沙那は中に入り、あたりをきょきょろと見回しながら、おずおずと業平の斜め後ろに立った。
「さっ……き、一年生が怒ったみたいに出て行ったけど、なんかあったの?
綿貫くんが追いかけていったけど」
「ああ、」
なんでもない、といいかけて、業平はちょっと考えた。
沙那に、聞いてもらいたいと思った。
自分の思っていることを、自分の世界を変えてしまった相手に。
「実はな……」
「ふーん」
ひとしきり話し終えた後の、沙那の言葉である。
人ごとのようなその反応に、業平は少し腹を立てた。
もとはといえば、沙那のせいなのである。
超能力やら幽霊やら、ましてや魔法だなんて、まったく信じる方がどうかしている。本当にそんなものがあるんだとしたら、仄めかしじゃなく、俺の目の前で見せていくれ。
ずっとそう思っていた業平の目の前で、その魔法をやってのけたのが、この目の前にいる竹森沙那だったのだ。
「もとはといえば、お前が悪いんだぞ」
「えー?」
怒気を含んだその声に、沙那は微笑みを浮かべながら聞き返した。
「そうだ、お前が悪いんだ。お前が俺の目の前で、空に浮いたりしなければ、俺はなにも、自分の考えを変えることもなかったんだ」
だいたい何であんなにタイミングよく、と、難癖に近い文句を言おうとした時、沙那は言った。
「あんたは元々こっち側の人間よ。信じてなかったなんて、そんなことは全くない。信じたくて信じたくて、でも綿貫くんの手前、双手をあげて大賛成できない、そんなとこにつまんない意地をはってたってだけ。そうじゃなきゃ、あたしが見えたわけがない。
あんたは、何か自分を−、信じてるって言えるように意地を崩してくれる何かを、全力で探してた。
そう。あたしがあんたの前で浮いたわけじゃない。あんたが浮いたあたしを捜し出したのよ」
「な……、」
図星だった。
ずばりとつかれ、業平はうろたえた。
自分では気づいていない事柄だったこともある。気づいてはいないけれど、うすうす感じていたことではある。しかし、面と向かってそういいきられると、やはり怒りの感情が先に来た。
「なんだそれは! 俺が自分のことを自分で決められないっていいたいのか!? 見栄、見栄を張って、明良に見栄!」
「そうでしょ。あんたは綿貫くんより自分の方が、ちょっと大人だと思いたいんでしょ。超常現象を信じないって言う方が、あんたの基準の常識に近いから。違う? そうでしょ?」
かっとした!
かっとして、業平は思わず沙那の腕につかみかかった。
「俺が、俺が明良に、見栄はってる!? なんでそんなもん張らんきゃなんないんだよ! 明良にいまさらなんで見栄なんか! おまえは、なにをわかったような……。大体なんで、そういう話しをする時だけ、そんなに意気高なんだ!? 普段は、どっちかってとおっとりしてるくせに!」
すると沙那は、きつくつかんだ業平の指を、身を揺する奇妙な体動一回で完全にふりほどき、いっそすがすがしいほどあざやかな笑顔となった。
「あたしには、自信がある。ほかの人がなんと言おうと絶対に分かっていることがあるって、自信が。
魔法は、ある。
あたしは検証者じゃなく実践者だから、誰がなにを思おうと、自分自身に自信を持てる。
あんたみたいにふらふらしない。なぜならちゃんと、知っているから」
一呼吸置き、呆然と突っ立っている業平が、ちゃんと言葉を捉えたのを確認して、沙那は、まるで退場だけを練習してきた女優であるかのように優雅に、部室から退場した。
「……一人きりの実践者だけれど」
ほんの微かに苦い口調で、沙那はそう呟いた。
続く