孤独の空間 ~白宮弥生~ 2話
きっかけはなんだったか――今になってはわからない。
でも後悔は決してしていなかった。
出会えてよかったさえ思ってる。
――季節は7月。
私たちが入学してから3ヶ月……そして"彼女"が来てから2ヶ月が経っていた。
3ヶ月もすればクラスの人間関係は完全に出来ている。
当然ながら浮いているのは"彼女"だった。――転校生、白宮弥生
誰とも話そうともせず、感情を表に出しているところを見た事がない。
気にかける者はいたが、関わる者はいない。――以前の"私"と同じ。
私との違いは、他者との繋がりが一切ないところ。
繋がりを作らないところ。――作ろうとしないこと。
「白宮さん、今日一緒に帰らない?」
声をかけたのは、本当に偶然だった。
移動教室の際、彼女と教室で二人きりになれたからだ。
前々から声をかけたがったが、機会がなかった。
"彼女"は驚いていた。無理もないだろう。
私は彼女に関わりが全くなかった。
転入当初、興味本位で近づいてた人間もいたが、それすら私はしなかった。
流斗の事がショックだったせいもあるだろう。
それ以前に勝手に恋敵――ライバルと認識してたからもあるはず。
無意識化で彼女を否定していた。
しかし、今は時間が経ち、気持ちの整理もついている。
よく彼女を観察してみると、私と似ている点がいくつかあった。
それだけに放っておけなかった。
――以前私を助けてくれた流斗の気持ち。今なら分かる気がする。
「ごめんなさ……」
「ありがとう!じゃあ放課後に正門で待ってるね!」
彼女が言い切る前に私はそう言った。
断れるのがわかっていたし、
自分の"経験"からこういった事は、強引に行わないと絶対に取り付かない。
「じゃあまた後でね!」
私は彼女に笑顔を向けて、教室を出た。
――何が起こったのか理解できなかった。
この学園に来てから様々な事があったが、こんな誘われ方は初めてだった。
そもそも、誰も私に近寄ろうとしない。
興味本位で近づいてきた者も、私が素っ気無い態度を取り続けてたがために、
飽きてしまったのか、話しかけてくる者などいなかった。
彼女はいつも誰かと一緒にいる明るい少女。――名前は確か、浅木ゆうな。
クラスの人気者で、いつも笑顔が絶えない。他人が嫌がる仕事も率先して行う。
誰からも頼られる、クラスの中心人物。
……私とは真逆の人間。
だからこそ不思議だった。なぜ私に関わろうとするのか。
いつも独りぼっちな私を馬鹿にしてるのじゃないか。
私が困っているのを見て話のネタにしようとしているのではないか。
……そんな事ばかり考えてしまう。
私はもう誰かの玩具になるなんて真っ平だ。
次の授業が終わったら……きっぱり断りを入れよう。
彼女は授業終了後、すぐに教師から呼び出されていた。
その次の授業も、一つ上の先輩が彼女を訪ねてきており、
声をかけるタイミングが全く見つからなかった。
分かっていた事だが、彼女は常に誰かと一緒にいる。
二人きりになれる機会なんて、そもそもなかった。
約束を裏切る事は絶対にしたくはないが、そもそも約束になっていない。
私は何の返事もしていない。
それに、もしかしたら思い過ごしかもしれない。
交友関係の乏しい私が勝手に勘違いをしていただけ――という可能性もある。
さっきの言葉に偽りがなかったとしても、
少しだけ、遅れて帰るようにすれば彼女も諦めて一人で帰るだろう。
そう思い、私は屋上へ向かった。
――どれくらいの時間が経ったのだろう。
気付いたら私は、屋上で昼寝をしていた。
陽は落ちかけ、星が薄らと空を覆い始めていた。
「……急いで帰らないと」
私はすっかり浅木さんとの"約束"は忘れていた。
皺になっていたスカートを直し、急ぎ足で昇降口へと向かった。
正門を通りすぎようとした所で、ふと声をかけられた。
「白宮さんやっと来た!何か仕事でもしてたの?」
暗がりで相手の顔が見れなかったのもあるが、突然声をかけられた事に驚いてしまった。
ナンパ――というのだと後で知ったが、知らない男に話しかけられた事は何回もあった。
男からはいつも怪しい雰囲気が漂っていたため、私は声をかけられる度に逃げていた。
幸い、昔から身体を動かす事は得意だ。
全力でダッシュすれば、成人男性ですら追いつけないスピードが出せる。
そんな経験からか、じりじりと逃げの体勢を作っていた。
「待って待って、私、浅木!」
「あさ……?あっ……」
浅木さんが諦めると思い、屋上で時間を潰してから来たはずだった。
それなのに彼女はずっと待っていた。
その"約束"自体を私は忘れていた。
「……あの、ごめんなさい。待っ……」
「あっ、もうすぐ見たいTV番組始まっちゃうの!歩きながらお話しよっか」
また途中で遮られてしまった。
待っているとは思わなかった。――なぜ待っていたのか。
心は少し痛かった。
"約束"を破ってしまった事――約束ではなかったにせよ、無下にしようとしてしまった事。
きちんと断れば、彼女を失望させる事も、自分がこんな気持ちになることもなかった。
ひたすら自己嫌悪に陥る。
そんな私を見てか、浅木さんは声をかけてくる。
「そんな暗い顔しないで。私が一方的に誘っちゃったんだし……
って暗い話になっちゃうし、この話はもう無しにしよ!」
「でも……」
「だーめ、これ以上続くなら怒るからね」
人の感情に触れる事があまりなかった私には、意味がわからなかった。
でもそれは浅木さんの優しさ――そう思えた。
少なくとも、こんな遅くまで残ってくれたのだ。
彼女は"敵"ではない――興味本位や家柄目当てで近づいてくる輩とは違う、と思う。ううん、そう思いたい。
一日だけ、一日だけ彼女と一緒に帰ってみたい。そんな興味が出てきた。
私の心はきっと、誰かと繋がる事を求めていたのだろう。
でも、何を話せばいいのだろう。彼女は『お話しよう』と言った。
しかし、私には同学年の子と話せる話術もなければ、話題もない。
与えられた環境は、常に形式上の付き合いだけ。
誰かとそういった表面上の付き合いをすれば、"両親"の仕事は上手くいった。
――怖かった。失敗は許されない世界。
常に"正解"を求め続ける必要があった私は、初めて行う事などは大の苦手だった。
私の不安を映し出すように、場に沈黙が流れた。
「そういえばさ、転入した日、私達出会ってるよね?」
彼女の問いかけにより、沈黙は一瞬にして過ぎ去った。
「転入初日……ごめんなさい、あの日の事はあまり覚えてないの」
それも事実だった。――初めての一人暮らし、初めての学園。
色んな事がありすぎて、細かな事は覚えていない。
出会っていたのだとしても、覚えていないのだから私は真実を告げた。
今度は私から問いかけてみる。今日一日ずっと疑問に思っていた事だ。
「……浅木さん、何故今日、私を誘ったの?」
「せっかく一緒の方から来てるんだし、一緒に帰りながらお喋りでもしないかなーって、思ったの」
私の問いかけに浅木さんは笑顔で答える。
「また随分急だね。でも私と話しても……何もないし、つまらないよ」
「うーん……確かに馬が合わない人もいるし、必ずしも誰でも仲良くなれるなんて思わない。
それでも……ね?それは話してみるまでは分からないと思うの」
「……」
彼女の言動がいまいちわからなかった。私に何を求めているのか。
――空っぽの私は何もない。何かを求めても何もないから与えられない。
「そんなわけで、白宮さんの事知りたいな!
って急言われても困るよね!あっ、そういえば同じクラスだけどまだ自己紹介とかしてないよね」
そう言うと彼女は私に向き合う形を取り、目を合わせた。
「私は、浅木ゆうな。趣味はショッピングと料理!食べるのも作るのも好きだよ~」
そう答えると彼女は期待の眼差しでこちらに向けた。
……何も答えなければそれはそれで面倒そうだ。
「白宮弥生……趣味は特にないわ。」
同じように答えたが、彼女は何やら思案している。
「白宮さんって運動得意だよね。いつも体育の授業で大活躍だもん!」
「小さい頃から……色々やってきたから。」
――幼少の頃から様々な事をやらせられてきた。
たくさんの習い事、家を継ぐための勉強。
やりたくない、やりたくなかった。
「私スポーツからっきしダメで、最近は階段の昇り降りだけで疲れちゃうんだよ」
鐘鳴学園は一学年が最上階。学年が上がるたびに下の階になるシステムだった。
「うちの教室……4階だもんね。でもさすがに運動不足すぎると思うよ」
「う、確かに……おかげで最近太ったかもしれない」
浅木さんはそう言うとお腹をつまみ始めた。
「ふふっ……」
その行動が可笑しくて私は感情が表に出てしまった。
「あっ……やっぱり。白宮さん、笑ってる方が可愛い!」
浅木さんにそう言われ、私は頬に手を乗せた。
笑ったのなんてどれくらい振りだろう。――自然に笑みがこぼれたのは今まであっただろうか。
「白宮さんいつも綺麗だけど、やっぱり女の子は笑ってる方が何倍も可愛く見えるよ」
……恥ずかしい。例え同姓であっても『可愛い』なんて言われたのは初めてだった。
その後も、浅木さんが中心になり色んな話をした。
帰り時間という限られた時間の中で、私は今まで生きてきた中で一番喋っただろう。
会話をしているうちにあっという間に時間は過ぎていった。
「あっ私こっちだからここまでだね!」
浅木さんは私の帰る方向とは違う方向を指差した。
「うん……じゃあ……」
……少しだけ楽しかった。
他愛のない会話など今までしたことがなかったからか、私にはとても新鮮な時間だった。
楽しい時間には必ず終わりが来る。明日からはまたいつも通りの"孤独の空間"――。
「白宮さん、明日も一緒に帰らない?」
「え……あの……」
突然の誘いに困惑してしまった。
「大丈夫、今日みたいに強引に誘ったりはしないよ。……本当に嫌だったら言ってね」
浅木さんは少し悲しそうな顔でそう言った。
「……いいよ。帰るだけなら、一緒でも……」
少なくとも嫌ではなかった。
特に害もなかったし、わざわざ"敵"を作る必要もない。
それに他人とはいえ、悲しむ顔は見たくなかった。
「本当!やったあ!」
浅木さんはすごく嬉しそうに私に抱きついてきた。
「あの……んっ」
もうここまで来てしまったらどうしていいか全くわからなくなってた。
彼女の腕の中で身動きが取れずにあたふたするしかなかった。
「えへへ、白宮さん可愛いなぁ……じゃあ、また明日ね!」
そして、そう言い残し小走りで去っていった。
私が動けたのは彼女が去ってからしばらく経ってからだった。
――寝る前に考えていた。
彼女だけは、違うかもしれない。今まで出会ったどの人物とも違うかもしれない。
今日の自分の感情。今まで味わった事のない高揚。
「また明日って……言えなかったな……」
今日の反省を言葉に残し布団を被る。
そして、今日の"約束"を思い出し、少しだけ頬を緩ませた。
弥生のお話はまだもう少しだけ続きます。
週一ペースで上げていきたい(願望)