13話「何がいけなかったんだよ」
過去の出来事が、走馬灯のように僕の記憶の中をぐるぐる――
おそらく、今僕の脳内は、高校一年生の頃を思い返している。僕の人間形成にかかわる、大きな事件があったころを。
――まだこの学校に空井さんもいなくて、ケイジくんとも話したこと無くて、カホやサヨとも友達じゃなくて、タイシとはまだ出会ったばかりだった――三末高校一年生の春、5月のことだ。
このころの僕は、いわゆる無気力系――というか、そういうのがクールだとか、そんなことは考えたこと無くて――単純に頑張ることが馬鹿らしくなっていた時期だった。原因は高校受験。僕よりも賢かったやつが、受験勉強なんてものを一切せずに偏差値68の高校に進学したもんだから、めちゃくちゃ勉強した僕がバカみたいじゃないか、と自嘲していたころだった。
部活動でもそうだった。中学の時は野球をしていたけど、レギュラーなんか、小学校でリトルリーグに所属している奴らばかりがもらっていって、そんな彼らよりも何倍も努力した僕が試合に出られたのは、三年生の最後の大会だけ。代打で初球大振りキャッチャーフライ。僕の唯一の打席での思い出だ。
そんなこともあって、高校での部活動を決める機会があったのだが、僕は『保留』という結論に至った。どうせ頑張ったって何も報われやしない。せめて、誰の迷惑にもならないように無所属でいればいいじゃないか、と。
そんな僕の、平凡で変哲のない日常を変えようとしていたのは、同じクラスだった女子、宮原友香子。みんなからはユカと呼ばれていた。
「千田ユウヤくんだっけ? 部活入ってないんでしょ?」
何もすることが無いから、と購買に向かおうとした僕に話しかけた一人の少女。僕はゆっくりと振り返り、その子を見る。宮原ユカコだった。
「まあ、そうだけど……」
「軽音楽部入らない? 今年作ったばっかりで、人数微妙に足りないんだ」
「……楽器できないよ?」
「だからだよ! 教えることなら私、できるから!」
半ば無理やり軽音楽部に名前だけ登録した僕。どうせ楽器なんて苦手で、バンドとか組んだとしても、僕が失敗して足を引っ張るんだろうな……と思っていたから、部活にもあんまり参加せずに、名前だけ登録して幽霊部員にでもなっていればだいぶ楽だろう。
「ちょっと、どこ行くの? どうせバイトもしてないんでしょ! 行くよ」
この呼び止める声が無ければ、僕の放課後は、どれだけ楽で、退屈で、つまらないものになっていただろうか。
ユカは、初心者で卑屈で、性根のねじ曲がった冴えない僕にでさえも、優しくギターを教えてくれた。彼女の得意楽器はベースらしいのだが、それでもギターの腕前も、僕とは比べ物にならず、ただただ憧れを抱くばかりだった。
部員は4人。主にベースが得意で、歌も上手く、ボーカルとベースを担当するユカ。音楽に詳しく、ドラムが叩けるヨウ。幼少からピアノの英才教育を受けていたが、グレて軽音楽に逃げてきたキーボードのヤマト。そして初心者ながらユカらにギターを教えてもらっている僕、ユウヤ。4人とも名前の頭文字がYだったから、Ysなんて一丁前に名前をつけたものだった。みんな、僕と同じく、この高校でやりたい部活が見つからなかった人だったらしい。
最初は4人とも仲良く楽しくやっていた。僕が初心者ながら入ってくれた、ということはみんな知っていたから歓迎してくれた。ユカは優しくて、気が利いて明るかった。あとから気づいたことではあったが、僕は彼女のことを好いていた。ヨウはその気になれば何でもできるやつだったが、頑張ることが嫌いだったらしい。僕とは対照的だが、考えは似ていたので気が合った。でも彼には、人を馬鹿にする癖があった。ヤマトは、挫折した過去から、内気で逃げ性なやつで、何ごとにも無関心なやつだった。でも、話していると不思議と落ち着いた。
「ノーミスでできたな」
「ユウヤもだいぶ成長したし、来年の文化祭も、頑張ろうッ!」
「そうだね」
「……良かった……」
文化祭での軽音楽部のバンド発表後での部室での会話だった。ヨウは僕の肩に腕を回してきてユカを呼ぶ。
「おい、ユカ! 記念撮影しようぜッ!」
「いいね。私も入れて」
「僕も」
ユカとヤマトも入って、4人で撮った写真――結局その写真をあの日以来見ていない気がする――
翌日の体育祭で、僕という人間を変える大きな事件が起きた。借り物競争でのこと――僕は『好きな人』というお題の紙を引いてしまったのである。
当時の僕にとって、好きな人に該当する人物なんていなかった。強いてあげれば、唯一かかわりのあった女子、宮原ユカコ――ユカだった。
「ユカ、来てッ!」
僕は顔を真っ赤にしながら、ユカを連れて3着でゴールした。ここまでは良かった。でも――壊れたのはここからだった。
「お、おい……お前、ユカのこと好きだったのか?」
ヨウとヤマトがやってきて、ゴールした二人をいじる。そのときのヨウの顔が、『お前がユカのこと好きだなんて、身の程知れよ』と言った顔に見えてしまったのは、僕の心が卑屈だったからだろう。
「そう……だよ」
「そっか……」
途端、ユカらの顔が険しくなったことに、僕は気づいてなかった。
「お前がそんなに無神経なやつだとは思わなかったよッ」
ヨウはその言葉を吐き捨て、僕から遠ざかっていく。何がいけなかったのかわからなかった僕に、ヤマトが言った。
「ユウヤ、もうちょっと君は周りに気を遣った方がいいんじゃない」
ヤマトも背中を向けて去っていく――残った僕とユカ。ユカは僕に小さな声で告げた。
「ごめんユウヤくん。ユウヤくんにとって、私がそんなだったとか知らずに……」
走り去っていくユカを僕はただ一人で呆然と見ていた。
「何がいけなかったんだよ……」
帰りに知ったこと――ヨウがその前日にユカに告白しており、ユカは部活を優先してその話を断ったこと、ユカはその判断に気を病んでいたこと、ヨウも、ショックを隠せずにいながら、気丈にふるまっていたこと、ヤマトはそれらのことをすべて知っていたこと。
僕の無神経な行動のせいで、ユカは学校に来なくなった。ヨウやヤマトとは疎遠になり、僕は自主退部という形で、軽音楽部を去った。僕のいない軽音楽部なら、ユカはまた学校に来て、楽しく軽音ができるはずだから……と、僕なりの、周りを気遣った風に見せた、逃げだった。
でも、一度壊れた関係は修復するはずもなく、軽音楽部は廃部になった――僕のせいで、人間関係が壊れてしまったのだ。想いを伝えることは――人間関係を壊すことにつながる。
僕が想いを伝えたせいで、それなのに、その想いにまっすぐ向き合わない姿勢を取ったせいで、僕も、ユカも、みんなも壊れてしまった。
僕はあの日から誓ったはずだったんだ。言いたいこと、想いは、心の中に閉じ込めて、みんなに合わせて生きていれば、誰も傷つかない。相手に言われたことも、真剣にとらえてたら壊れてしまうから、自分なりに誰も傷つけない選択を取ればいい。少なくとも、そうしていれば、僕はこの安寧の中に過ごすことができるはずだ――と。