11話「大切な人なんだろ?」
カホにあんなことを言われてしまった僕だが、ホームルームや、昼からの授業があることに気づき、カホのあとを、少し距離を置きながら追った。その帰り道、ふと窓から、旧校舎のそばのゴミ捨て場に、見覚えのある人影を見つけた――水野サヨと、誰か……先輩だった。
何をしているんだろう、と純粋な興味から窓を覗き込む。壁にもたれかかるサヨに、いわゆる壁ドンというやつをする先輩。苦虫をかみつぶしたような顔をして目線をそらしたサヨに対し、その先輩は余計に顔を近づけていた。
「えっと……とりあえずやばいのかな」
そこに向かおうと、一歩だけ勇み足を踏み出した僕だった。しかし、よくよく考えたら、僕には関係ないんじゃないのか……?
でも、単純にサヨが嫌がってるようにも見える。先輩相手だから強く断れないのかもしれない。余計にかわいそうではある。
ここ何日かは、気まずくて口もきけなかった彼女に対し、僕がそこまでする必要あるのか――と、疑問すら出てきた。こんなことをしたって、サヨは複雑な気持ちになるだけだ。だったら、そんなことしないほうが――
「どうしたんだ?」
レイジくんが葛藤する僕の様子を見かねてやってきたらしい。僕の視線の先を、彼も見つけて慌てる。
「あっ、あれって……クラスメイトの水野さん。助けに行かなくていいのか? 嫌がってるみたいだけど……」
「関係を荒立てるべきじゃないよ……。彼女のためにも……」
「そ、そうか……」
僕の言葉にしばらく考えるように窓を見ていたレイジくん。しかし、彼は僕の方を向いて言った。
「ユウヤくんは優しい人だね」
優しい微笑みを僕に向けるレイジくん。しかし、そのあとに待っていた言葉は、予想もつかないものだった。
「……そんなんだから――」
まるで僕のこれまでを知っているかのような言葉。彼は続ける。
「大切な人なんだろ? 彼女のためとか言ってねえで自分のために動けよ! 困ってる人が大切な人なのに、それで動かねえなんて――優しいことが免罪符になるわけねえだろッ!」
声を急に荒立てたレイジくんの様子に、僕は口をぽかんと開けてしまった。そのまま後ろに回り込まれ、為すがままに背中を押されてしまう。
「行けッ!」
身体が勝手に前に走り出した。どうやら、心も後押しされたらしい。
そうだ。僕は――――水野サヨのことが好きなんだ。だから、嫌がる彼女を放ってみているわけにはいかないはずなんだッ!
僕は階段を駆け下り、校舎の外へ、内履きのまま飛び出した。ゴミ捨て場まで、遅い脚で直行し、水野サヨと先輩の視界に入るところまでやってきた。
「ぜぇ……サヨを……ぜぇ……離してください」
慣れない運動をしたせいか、僕の息は既に切れていた。こうしてみてみると、目の前の先輩はヤンキーっぽいというか、やんちゃそうというか、そんな人だった。
「ゆ、ユウヤくん……」
サヨは心配そうに僕を見ていた。もうここまでくると気まずさなどどうでも良くなってきた僕は、サヨに言った。
「ダメだよ、嫌なら嫌ってちゃんと言わなきゃ……」
「おい、何俺を無視してしゃべってんだよ。お前には関係ないだろ」
先輩は視線の矛先を僕に変え、迫ってきた。僕は思わず仰け反ってしまう。
「こんなぱっとしねえ男に、とやかく言われる筋合いはねえな。お前には関係ない。俺はサヨちゃんと喋ってんだよ」
「わかってますよ……」
僕の視線を受け、サヨは頷く。
「ごめんなさい先輩……。私、先輩のことはすごくいい人だと思いますし、部活でもお世話になっているので嫌いでは無いんですけど、付き合うのはちょっと違うかなって感じがするので……ほんとごめんなさい」
サヨは先輩に頭を下げ、三歩ほど後ずさりした。
「ちっ……何だよ、どいつもこいつも……。頭緩そうだからヤらせてくれると思ったのによ」
小さく最低な言葉をつぶやいて去っていく先輩。止めてよかった、と僕は心の底から安堵した。あとでレイジくんには礼を言わないとな……
「あっ、ユウヤくん……」
サヨが凄く申し訳なさそうな顔で僕を呼び止めた。
「あっ、大丈夫だった? 出しゃばってごめん……」
「ううん! 私も……断り切れなかったのが悪いからさ……。ありがと」
少し目をそらし、照れながらそう言ったサヨの顔が、なんだか久しく感じて僕も顔を朱くしてしまう。その間、沈黙が流れる。
「こないだ以来だね……こうして話すの」
情けないことに、またしてもサヨの方から話しかけてきた。僕が返事の言葉を脳内で探っているうちに、サヨの口から次の言葉が出てくる。
「ごめん、私も……ユウヤくんの気持ち、まっすぐ向き合えなくてさ」
「あっ……いやその」
サヨは悪くない。悪いのは、自分の気持ちにも向き合わず、他人の気持ちばかり考えて結局両方を蔑ろにした僕の方なのだ。
「……僕は、またこんな風に、サヨと話せて嬉しいよ」
「……私も」
サヨの笑顔は、僕がよく知ってる大好きなあの笑顔だった。
僕の言葉は、届いただろうか――ホームルームのチャイムがなり、僕らは慌てて教室へと走るのだった。やっぱりサヨには、追いつけない。
放課後、昼休みの一件で仲直りを果たした僕とサヨ。その礼を言いにレイジくんを呼びに来た僕。
「レイジくん、お礼がしたいから、帰り喫茶店でも行かない?」
「あっ、俺も行く」
レイジくんよりも先に、彼と話していたタイシが答えた。タイシからの視線も受け、レイジくんは首を縦に振った。
「にしても、やっとユウヤがサヨちゃんと仲直りしたかあ。俺としてはヒヤヒヤもんだったんだぜ」
「っていうかそんな事情があったんなら言えよ。あんな無茶言わなかったのによ」
タイシとレイジくんはそろってアイスコーヒーを飲みながら僕にそう言ってくる。
「……うん。でも、ほんとに、レイジくんの言葉が無かったら……僕は……」
「まっ、良いじゃん。こうやってアイスコーヒーおごってもらえたんだし」
レイジくんのストローが黒くなっているのがわかる。汗を掻いたグラスを持ちながら、僕は苦笑いした。
「でも、レイジくんも、似たような状況になったことあるの? ものすごい剣幕だったけど」
「……」
僕の質問に、レイジくんは黙ってしまった。タイシの気まずそうな目を察し、僕は慌てて謝罪する。
「あっ、ごめん。軽率だったね」
「いや……わりぃ」
レイジくんも謝った。
「……まあ、あるっちゃある。二回」
「二回も……」
「気になるじゃねえか。教えてくれよ」
さすが、モテる男は違うな……と感心に浸っている僕と、その話題に関心を示すタイシ。
「でも、一回目は、どうしようもできなかった。ちょうど、今日のユウヤくんみたいに……。俺には関係ないからって……動かなかった。でもさ……それがきっかけで、俺の周りが壊れちまったんだ……。だから次は……絶対に後悔しないようにって……」
レイジくんの言葉には、妙な重みがあって、説得力があって、まるで僕らとは違う世界を生きてきたみたいで、不気味でちょっとだけ羨望した。
「……うん。まあ、そんなところだ。しょうもない話してすまねえ」
「いやいや、振ったのは僕たちだし」
「そ、そうそう、深い話聞けたぜ!!」
謝るレイジくんをフォローする僕ら二人。
「……空井さんにも、しっかり会わないといけねえな」
タイシが僕の方を見て小声で言った。その言葉はきっとレイジくんには聞こえていない。
「カホには止められてるけど、行くしかないか」
きっと僕の言葉も、レイジくんには聞こえていない。
「……会わないとな。絶対に……」
そして、レイジくんの言葉も、僕らには微かにしか聞こえていない。