10話「会わないほうが良いよ」
僕の言葉に、彼女は俯いて背を向けた。
「うん……うん、そうだよね。そうだよね……何でかなあ私、告白したら付き合ってもらえるとばかり思ってた。おこがましいや」
ちょっと笑っているようにすら思えたが、鼻をすする音も聞こえる。無理しているのはまるわかりだ。
「おこがましいのは僕の方だよ。君みたいなかわいい子、普通に向き合えるんなら絶対に付き合いたいって思える。でも、僕はそんな君に対して正直にいられる自信が無いんだ」
今は無理。こんなことを言っておきながら、嫌われないようにするための言葉だけは言葉尻にしっかり添えている。僕はこんな僕が嫌いだ。
「何でかなあ……普通だったらうまく行ってたはずなのに」
「うん、ごめん」
きっと失恋なんて経験したことが無いんだろう。こんな形で振られる経験なんてしたことがないんだろう。周りも――きっと。
「……何でなんだろう。私じゃダメな理由が知りたい……」
僕にも聞こえない声で、彼女が呟くのを、僕はただ何か聞こえたふりをして、その場をうなずいてやり過ごした。
体育祭の日を最後に、空井さんと話すことはめっきりなくなった。他のクラスメイトたちと関わることも、あの日を境に徐々に少なくなっていき、よっぽど仲良くなった者とくらいしか、今でも関わることはない。
「おはよユウヤ」
一週間たっても治らない、僕の憂鬱な気分を跳ね返すかのような腑の抜けた声で朝の挨拶をするのは、秋田タイシ。あの一件が終わった後でも、僕に相変わらず接してくれる無二の友人だ。
あの一件――僕が、空井さんに正直にすべてを話した、体育祭の日のことだ。
「……相変わらずまた深い深い考え事をしてるみたいだけど、そんなに考えたってあの幸せな日々は戻ってこないんだぜ」
遠い眼をしながら、遠くなる青空を見ているタイシ。もうすぐ10月。季節の変わり目ということもあって、涼しい日も増えてきたところだった。
「……幸せな日々……か」
「ああ」
借り物競争での事件をきっかけに、サヨとは少し気まずくなった。カホは、色々と事情を察してくれているらしく、僕やタイシとも相変わらず親交こそあるが、少し前よりは減った。
ケイジは相変わらず空井さんのことが好きらしいけど、文化祭と体育祭をきっかけに、学校全体でファンが増え、彼自身も困っているようだった。
空井さんは――かれこれ一週間も学校を休んでいる。
「しかし、空井さんはあれから来ねえし、一体どうしたらいいもんだか」
タイシが僕にも聞こえるように言ったのは、僕にもそう告げたかったからなのだろう。
「そうだね」
力なく返事をして、僕は机に突っ伏した。……こんな未来になるなら、過去を変えたい……。
そう僕が思ったとき、教室の扉が開いて、担任と、一人の男が入ってきたのだった。ざわつく教室。ホームルームの時間より、少し早い時間に現れた担任に対し、何かあるのか、と勘繰る僕らに対し、目の前の頭髪に乏しい男は、言った。
「転校生だ。桐谷玲司くん。みんな仲良くな!」
転校生――妙な時期にきたとも思った。桐谷くんは先生から紹介されると、後ろの黒板にチョークで名前を書き始めた。
「桐谷玲司です。みなさん気軽にレイジって呼んでくれたらうれしいです」
顔立ちは、少しケイジくんに似てるかな、と思った。いわゆるイケメン。顔立ちどころか、名前もどこか似ている。紹介を聞く限りでは愛想も良くて笑顔を常時出せる人だろう。こんなやつなら、クラスに溶け込むのも時間はかからない。
「ちょっとイケメン!」
「ケイジくんには勝てないって!」
「……いや、今となっては競争率を考えるとやはり……」
女子たちの囁き声が聞こえる中、転校生のレイジくんが座らされたのは、一番端の席――今は空席となった空井ミキの横の席である。
「ああ、すまんな。今、隣の席の空井ってやつは休んでるんだよ。だから……その前の席に座ってる秋田ッ、代わりにしばらく桐谷のことよろしく頼む」
「えぇー。かわいい女の子だったら言われなくても引き受けたんだけどなあ」
タイシはチャラさを前面に出して笑いを取る。レイジくんは笑う口に右手を添えて微笑んだ。
「行ってやれよ」
僕がそう言うと、タイシは僕の方に身を乗り出してきて頭の前で手を合わせた。
「そんなこと言うならユウヤもついてきてくれよ。頼む!」
「はは……仕方ないな」
こうなってしまっては断れない。僕は渋々、タイシと共に、転校生のレイジくんへの校内案内を行うことになった。
「ここが体育館……まあ部活中は男女バスケ部が使ってるわ。あっ、女子バスケ部のチカちゃんは俺の推しメンだから手出し禁止で」
「誰だよ」
「ははは」
タイシの独特の案内も、レイジくんは笑いながら聞いている。顔は似ているが、ケイジくんとは打って変わって愛想がとてもいい。
「ねえ、二人とも……今日休んでる、空井未来さんって、どんな子?」
「あっ、それ、ミライじゃなくて、ミキ。空井ミキって言うんだよ」
レイジくんの質問に答えるタイシ。
「とりあえず言えることはかわいい。んで、男見る目は間違いなくクラス1だと思うぜ俺は」
タイシが俺の方をちらちら見てくるもんだから、レイジくんは何かを察したらしい。
「あっ、そういうことか。良かった。末永く――」
「いや違う」
僕は真っ先に訂正を入れた。
「別にそんなんじゃないから……。うん、ほんとに……」
「そっか……それは残念」
「いや、気にしないでくれよッ!」
レイジくんが急に俯くもんだから、雰囲気を悪くしたのではないかと慌てて謝る。
「そんなに、深刻そうな顔すんなよ……」
タイシがどちらに向けて言ったのかはわからないが、目の前のレイジくんの顔は明らかにおかしかった。
「……空井さんの住所、教えてください」
「えっ、いきなりどうした?」
僕は思わず冷静に突っ込んでしまったが、レイジくんはその整った顔をまっすぐ僕の方に向けたままだ。
「俺がかわいいって言ったから、気になって仕方ないんだな?」
「い、いや……そ、そんなんじゃねえ!」
取り乱したレイジくんは、咳ばらいを一つして、再び言い直した。
「いや、今日もらったプリントを届けるのに、聞いておいた方がいいかと思いまして。1週間も休んでる人が、明日来るとも思えねえから、会っておきたいじゃないか」
「なるほどそうか……お前良いやつだな!!」
タイシがレイジの肩をぽんぽんと叩く。彼は気恥ずかしそうに照れていた。まさかな――
空井さんの住所がわからないので、とりあえず、中山カホに聞いてみることにした。
「ああ……そういえば私も行ったことないな……」
カホは「サヨに聞いてみる!」と言って机から離れていった。しかし、いったん振り返って、こちらに顔を向けた。
「あっ、ユウヤ……個人的に用があるからちょっと来て……」
カホに呼び出された僕。タイシとレイジくんを教室において、誰もいない閑散とした自習室の中に入っていく。ここは普段三年生が使っているのだが、昼休みに勉強をするほど意識の高い学生は、この高校にはいない。
「あの転校生に、今のミキを会わせて大丈夫だと思う?」
「えっ……」
カホの言葉は、僕の予想よりも少し斜めを行っていた。
「……いや、なんというか……イケメンで人当たりは良いけど、さすがに休んでる人に会いに行くっておかしいでしょ」
「まあそうだけど……」
「あんたもついていくつもり?」
「……」
カホの言葉には痛い所を突かれた。正直まだ、迷っていた。
「今のあんたはまだ、ミキに会わないほうが良いよ。もちろん、レイジくんも。っていうか、私たちも、誰も」
「……」
何も答えられなかった。
「あんたの判断を責めてるわけじゃない。でも、ミキの気持ちも、少しはわかってあげなよ……」
カホはそう言って一人自習室から出ていく。取り残された僕は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。