閑話 シュリとの出会い2
「ヨル、此方は片付いた。エルフの娘を連れて村の方へと来てくれ。」
少女の作業が終わると同時、虚空から現れた魔法陣から声が聞こえてくる。
それに少女は返事を返すと共に、完全とは言えないまでも、原形を取り戻した母の遺体を背負い、私について来てと告げて歩き出す。
私は……母に抱かれ来た道を、母の遺体と共に歩き、村へ戻った……
「この村の村長の家はどこ?」
村に着くなりぞんざいに少女は聞いてくる。
私は何も言わずに少女を先導し、村長の家へ向かい歩き始める
村に来るまでは少女が先行していたため、どうしても彼女が背負う母の遺体に目が引かれていたが……自身が前に立つ事になった為、呪いを掛けられたかの様に引き付けられていた視点が解放される……私はそこで初めて、村の内部の惨状へ目を向けた。
至る所が崩壊していた。
今までの日常の一部だった風景は一変し、死臭と崩壊が蔓延する景色となり、傷を負った者、健全な者を問わず、自身の探し人を求めて周囲を見回しながら歩き回っていた。
それでも、先ほどまでの様な、何処に向かえばいいかも解らぬほどの阿鼻叫喚は無く、今はとても落ち着いた光景だ……その事から、既に事態が終息に向かっている事が解った
「お父さん……どこにいるの?」
ふと、自身の口から呟きが漏れた……忘れていた訳では無いが、きっと父も私と母の事を探し回っているはずだ……そうであるなら、一秒でも早く父に、事の顛末を告げるべきではないのか?
内心に湧いて来たその考えは、きっと、母という支えを失った自身が無意識に欲した、もう一つの支えへの逃避なのかもしれない……当時その認識があった訳では無いが、父を探す為、私の視線は落ち着きなく動き回る。
しかしその視線を遮る様に、白い影が横合いから前へ出てくる。
「すまないけれど……父親を捜すのは後にしてほしい。今はあの人と合流する事が最優先……」
歩調を乱した為、少しずり落ちた母の遺体を背負い直しながら、白い少女は呟く。
私の心の中を覗き込んだかのような言葉に、内心面白くない感情を抱くが、その感情を押し殺して村長の家へと向かった……
「此処が村長の家……です……何で村長の家なんかに来たの?」
そういえば、何故この少女がこの場を目指していたのか……それを聞いていなかった。
案内を終えた私は、彼女に振り向きつつ、浮かんだままの疑問を口にする……それに対し白い少女は……
「此処に彼がいるから……。私は……私だけは、彼を裏切る訳にはいかないから……」
彼女は、周りの喧騒に消されそうな程小さな声で呟く。
そして、もう私には用が無いと言わんばかりに横をすり抜け、器用に母の遺体を背負ったまま、戸を開け中へ入り込む。
「……私はどうすればいいの?」
取り残された私も、彼女と同じ様に、周りの喧騒に掻き消されそうな声を漏らす……当然だ、此処は彼女が目指していた場所であって、私は何の関係も無い場所だった……
一人ぽつんと取り残され、どうするべきか視線をさ迷わせること数秒、私は少女を追いかける事を決め、彼女が消えた戸を開く……深い考えがあった訳では無いが、彼女は母の遺体も一緒に持ち込んでいってしまった……今さら遺体に対し、何かしらの危害を加えるとは思わないが……何となく、自身の認識の外に母が行ってしまうのが不安だった……そんな事を思っていたからだろうか……村長の家に忍び込むという行為に対し、特に躊躇う事は無かった。
戸を開いた自身を出迎えるのは、とても大きな広間……そして、その一番最奥……突き当りにある部屋から響いて来る怒鳴り声だ。
何を言っているのかは、籠った声によって聞き取れない……それでもその声質から、その怒鳴り声が村長の物である事は解った。
普段給仕を雇っているはずなのに、今は誰一人いない広間を横断し、先程白い少女が通ったのだろう……点々と続く血液を辿りながら突き当りの部屋を目指す……
「……が!! お前達がオーク共を操ったのではないのか!? そうでなくては納得できん!! オーク共が徒党を組んで攻め入ってくるなど……そんな事……あり得るはずが無いんじゃ!!」
段々とはっきりしてきた村長の声を耳にしながら、私は薄く開いた扉の隙間から、中の様子を伺う……其処から見えるのは、大きな席に腰かける黒い肌の男と、その傍らに立つ二人の……悪魔と白い少女の姿だった。
そして、彼らの対面の席に座しているのは村長……彼は、皺だらけになった顔を真っ赤に染め上げ、黒い肌の男達へ向け、怒鳴り散らしていた……
「儂が生きて来た300年間……こんな事一度たりとも無かった!! じゃから、何か原因があるはずなんじゃ……オーク共が徒党を組み、己が食欲に乱される事無く、協力関係を結べるような何かが!! お前達なのじゃろう!? お前達がオーク共を唆したんじゃ!!」
怒りに我を忘れているかの様に、普段温厚な村長は怒鳴り散らす……その怒りを真正面から受けても尚動かぬ男は、少し思案に暮れる様に天井へ視線を移すと瞼を閉じながら呟く。
「確かに……オーク共が徒党を組む事など、私の経験則と知識からも有り得ないと断ずることが出来る。ですがそれはそれとして……私がオーク共を操ったという事になる根拠は、一体どこにあるのかな?」
その声は村長の怒気を孕んだ声とは対照的に、静かだ。
まるで衝撃が加えられていない水面の様に、穏やかな平穏を湛えたまま、男はその巨躯を器用に縮めて、本来三人掛けであるはずの椅子を独占している。
傍らに立つ二人は、男の横暴がさも当然であるかの様に、その姿勢を崩す事無く立ち続けていた……
(……あ、お母さんだ……)
そして、視界に移った少女……彼女が背負った母も、未だその場に存在する。
母の姿につられるように、扉を開けて中に入ろうという考えが沸き上がった……しかし、中の雰囲気は良いとは言えず、今私がこの中に入っていくと、余計話がこじれそうだった……仕方なく浮いた手を下ろし、覗き見を続ける。
「じゃから!! あり得ない事が起きたのじゃと言っているんじゃろうが!! その場に突如現れた、奇妙な者達を疑うのは当たり前じゃろうが!?」
「……疑うにしては断定している様な物言いではあったが……まぁいい。貴方の懸念は杞憂だ。私達は、偶然この場を通りかかった旅人に過ぎない。」
「ならその死体は何じゃ!? オークに襲われたにしては形が整い過ぎている!! 貴様が手を下したんじゃろう!! そうなんじゃろう!?」
「……この女性は残念ながら、私が此処に着いた時には亡くなっていた……オークの一撃を受けていた為、私とアグリウス……この悪魔が村に援軍へ向かう前に、ヨルに……今女性を背負っている少女に指示を出し、形を整えさせたのだ。……嘘だと思うのならしっかりと女性の傷を見ると良い。ヨル、彼らに遺体を引き渡してくれ。」
男からの指示があったからなのだろう、少女は動き出す……そして、隙間から見えない所へ消えたかと思うと、其処に母を下ろしたのだろう……身軽になって男の元へと歩いて戻る。
村長は彼等の動きを警戒しながらも、少女が消えた場所へと向かう……そして、それっきり怒号を上げる事は無くなった。
「……良いの? 死んでいるとはいえ、女性の尊厳を気に掛けていたみたいだけど……」
急に静かになった部屋の中、少女と男の会話が聞こえて来た
「ああ、死体の処理は私達では無く、この村が負うべき義務だ……本来なら親族に任せるべきなのだろうが……族長の地位に着く者に任せるのなら、問題は無いだろう。それに、その過程でありもしない疑惑を払拭できるのであれば、彼女には悪いが、私にも都合がいい話だしな……そういえば、娘が一人いたはずだが……どうした?」
「此処まで案内してもらった……今はどこにいるかは解らない……けれど、村の中にいるのは確定している、安全の方は問題ない……連れてくるべきだった?」
「結果論で言うのならその通りだが……まぁ仕方のない事か…………いや、今にして思えば、あの娘程我々の疑惑を払拭するのに適した者はいないな……しくじった、連れて来させるべきだったか……」
眉根を寄せて難し気な顔を男はする……その顔に悪魔と少女は何の反応もする事は無く、ただ事の成り行きを待ち続けている。
きっと彼等は、男に対して必要以上の言葉を掛ける気は無いのだろう……その姿は従順な従者の姿を思わせると共に、崇拝に近い何かを感じさせた。
そんな事を思っていると……彼らの事を無視して母の遺体を……その傷跡と、少女の処置の後を確認し終えたのであろう村長が、対面の席へと座り直して口を開く。
「…………確かに……死因は鈍器だ……内臓が破裂しているという事から、オークの一撃なのだろう……それは間違いない……」
村長の声音は、つい先ほどまでの怒りが嘘の様に落ち着いている……男は村長の落ち着いた声を受け、口の端を歪めながら笑う。
「解ってくれて何よりだ。経緯自体は気に食わんが、甚大な被害を出し、追い詰められた貴方達の気持ちも解る……故にその無礼を水に流そうではないか。」
男は傲慢に……尊大に……笑う。其処には哀れみを覚えている様子など無く、同情している様子もない……ただただ自分の疑いが晴れてよかったという感情しか伺えなかった……しかし……
「……じゃが、偽装という可能性もある。もしそうであるのなら……この者は何か都合が悪い物を見たから、偽装してまで殺されたのだとも考えられるのじゃ……そして、儂が見る限りだが……お主の腕力は相当な物であると窺える……」
村長の、躊躇いがちな言葉が水を差す……
既に自身の考えにすら自信が無いのだろう……伺う様にではあるが、しかしそれでも、はっきりと口に出して疑惑を口にする。
疑心暗鬼の末に辿りついたその思考……疑り深いという言葉を通り越した暴論に、顕著に怒りを表した者がいた……今まで男の後ろで佇むのみだった悪魔である。
「貴様!! 師匠の慈悲からの行動を否定するばかりか、根も葉もない疑いを掛けるか!! 幾ら貴様が疑い深いのだとしても、限度という物があるぞ!!」
悪魔は青年の様な若々しいその声で、叫ぶと共に、腰元の長剣へと手を伸ばす。
そして、その怒りのままに引き抜こうと力を込め……
「落ち着け、アグリウス!! 事を荒立てる必要は無い!!」
男の静止の声に阻まれ、引き抜く事は無かった。
しかし悪魔は……アグリウスと呼ばれた者は、その姿勢を解く事は無い……長剣へ伸ばした手もそのままに、尚も叫ぶ。
「何故止めるのですか!? せっかく救ったのにも関わらず、温情に感謝するどころか、これ程までに無礼な態度を取る輩……生かして置く価値など何もないでしょう!? 所詮、師匠が慈悲を掛けなければ滅んでいた部族……誰が手を下しても同じでしょう!!」
その声は獣の咆哮に近い……ただ怒りという感情を表す為だけに発せられている。
しかしアグリウスとは対照的に、男は冷静だった。
「アグリウス、落ち着けと言ったのが聞こえなかったか? ……確かに、お前が言う事にも一理あるのだろう……しかし彼らが立たされていたのは、種の存続を問われる程の窮地であった事も又事実……ならばこそ、助かったのだと実感しても、直ぐに警戒を解く訳には行かぬのだろう……別に私としても、何かの見返りを求めての事では無いしな……気に食わない態度といえばその通りではあるが……それ事態も私が我慢すればいいだけの事……わざわざ救った命を、自身の手で摘むことも無いだろう。……違うか?」
「……納得出来ません!! 何故師匠が我慢しなければいけないのですか!? 救われたのはあちらの方でしょう!? ならば、この村の美女の二人や三人、師匠の端女として差し出されてもいい物を……感謝の言葉すらない所か、あらぬ誤解を吹っ掛けてくる始末!! それを納得しろという事の方が無理があります!!」
「……頭に血が上り過ぎだ。先も行ったであろう……所詮気まぐれでしかない慈悲だ。その結果が気に食わないのだとしても、私の我慢が効く範囲であれば不問にする。……それに先も言ったが、彼方も種の存続が掛かっていた状況だったのだ、簡単に警戒を解く訳にはいかないだろう……問答無用で追い出されなかっただけ、良かったとしようじゃないか。」
男との問答の末、アグリウスは怒りを抑える事にしたのだろう……その瞳を鋭くし、村長を睨みつけながらではあるが、剣に掛けた手を解く。
その様にほっと胸を撫で下ろしたのは他でもない、切って捨てられそうになった村長である。
死の恐怖が去った事を確信し、安堵した様な表情をその顔に浮かべているが、村長の中では依然として、事態は逼迫した状態なのだろう……安堵した表情はそのままに、張り詰めた空気を保ちつつ口を開く。
「……すまない……儂も少し興奮していた様じゃ……確かに、貴方方が本当に関係が無いのであれば……儂が取っている態度は無礼極まりない物なのじゃろう……しかし、それでも……」
「解っている。他の者を先導して歩くのなら、全てを疑ってかかってもまだ足りないだろう……アグリウスとヨル……この二人を率いる私でさえも苦労しているのだ。それよりもより多くの……多勢を統括する貴方の心労には、おおよその察しが付く。」
「……ありがとう……名も知らぬ旅人よ……だが儂達に返せる物は何もないんじゃ、すまないが手を此方に出してくる様な事はしないでほしい……それと……即刻とは言わないが早い内にこの村を去ってほしい……状況が状況じゃ、儂の考えと同じ様な事を考える輩が現れるかもしれんのでな……お主たちの気分を害するかもしれん。」
村長の言葉は非情に冷たい物だった……躊躇いがちに様子を伺いながらではあるが……その言葉に込められたのは拒絶の意思……窮地を救ってくれた相手に対する対応とは、とても言い難い物だった。
だが、村長の言葉を予測していたのであろう男は、大きく頷くと口を開く。
「解った……少しの休息の後、私達はこの村を出る事にしよう……ただ……一つだけお願いしたい事があるのだが……いいかな?」
村長にとって男の言葉は、特段断る理由が無いものだったのだろう……出来る事ならと注釈を付けながらではあるが、一つ頷くと彼の言葉を待つ。
その姿を認めた男は、質問を口にしようと再度口を開き……
「こら!! 村がこんな状況なのに、こんな所で何してるんだ!! お前の両親が、今も必死に探し回っているんだぞ!! さっさと自分が無事だって事を伝えに行け!!」
突如として掛けられたその怒鳴り声に、私は振り向かざるを得なかった……
其処にいたのは一人の男性エルフ……彼は出入り口の扉を開けた所で私に気が付いたのだろう……怒声を上げながら戸を閉めると、大股に私へと近寄ってくる。
「全く……まだ混乱が続いているってのに、こんな所で何を……かくれんぼでもしていたのか? まぁその結果助かったのなら御の字か……」
ぶつぶつと眉根を寄せ、此方へ向かってくる男を見つめること数秒……やがて私の前に辿り着いた彼は、何かに気が付いたかのように歪めていた眉を解くと、言葉に喜色を表す。
「……って、お前……もしかして○○か!? ○○なんだな!? 良かった……無事だったんだな!! マナさんは!? マナさんも無事なんだよな? どこ行ったんだ? はぐれたのか?」
先程までの剣幕が嘘の様に、彼の声には喜びが込められている……突然の事で状況が理解できていない私は、それでも何とか現状を理解しようと……
「……おじさん……誰?」
疑問を口にする……そう、私は彼の事を何も知らなかったのだ……彼は私の事を知っている様だったが、私は彼の事を……名前はおろか、見た事すら無い。
だからその声は少し引き気味に……ともすれば体すら引いていたかもしれない……警戒心をむき出しにした物だった。
「おじさんって……お前のお父さんと同い年なんだけどな……まぁそんな事はどうでも良いか。え~と……俺はお前のお父さん……ジークの友達なんだ。勿論、お前のお母さん……マナさんとも話した事があるんだぞ。その際、色々とお前の事は聞いていたんだ……目に入れても痛くない愛娘……だってさ……」
彼の初めの声は楽し気だった……しかしそれはどんどん尻すぼみになっていき、やがて途絶える……
其処に渦巻くのどういった感情なのかは解らない……彼は何かを迷っている様に、口を開けては閉じて、又開けては閉じるという行為を繰り返す。
「…………ともかく、無事でよかったよ……本当に……あいつも……ジークも浮かばれるってもんだ。」
最終的に絞り出されたのは、とても小さな呟き……何となく……嫌な予感がした……私の存在意義を否定するような……私の全てを否定するような……そんな嫌な感覚が……
「そこにいるのは誰じゃ? 今取り込み中なんじゃが。」
「すみません村長!! 知り合いの無事が確認できたんで、少し話し込んでしまいました。」
お父さんは今、どこにいるの? ……そう言おうとして開けた口は、私の背後から聞こえて来た村長の言葉に押さえつけられ、音を発することも無く閉じる。
後ろへ振り向くと、先ほどまで私が覗いていた扉が開け放たれており。此方の様子を訝しむ様に窺う村長の顔が覗いている。
私へ声を掛けた男は、村長へ向け軽く礼をすると共に口を開く
「大体の被害状況の把握が出来たので報告に着ました。細かい部分はまだ確認が取れていませんが、オークの群れと戦った者達……勇敢な兵士達の死傷者数は、確認できています。」
「そうか……状況を報告してくれるのはありがたいんじゃが……」
彼の言葉に対する村長の反応は浮かない物、少し迷ったかのように村長は振り向くと、室内にいる者へと……黒い肌の男へと視線を向ける。
「私としては聞かれて困る様な事は無い。私との話を優先するというのであれば、中で待って貰ってもいいだろう……貴方が話を聞かれたくないというのなら別だがな……」
黒い男は気負いなく村長へ答える。彼に取っては私達の存在など、どうでも良い事なのだろう……くつろぐ様に三人掛けの椅子に腰かけ、背伸びをしている。
「……解った、お前さんの言葉に甘える事にしよう。……え~と……」
「フリードです。」
「そうか、フリードか……家族が心配な中ですまないが……部屋の中で話が終わるまで、待っていてほしいのじゃが……」
「何でしたら、ご用件が終わるまでここで待っていますが?」
「いや、こんな冷えた所では辛いじゃろう。……それに、どれ程の時間掛かるかも解らぬ。少しでも温かい空間にいた方が楽じゃろう……お主がどうしてもというのは止めはしないが……状況が状況じゃ、多少我が儘になってくれても構わないぞ?」
「そういう事でしたら……お言葉に甘えさせていただきます。」
会話の末男は部屋の中で待つ事に決めた様だ……彼は、部屋の中に引っ込んだ村長の背を追いかけようとし……
「○○、マナさんの場所は解るかい?」
足元にいた私の事を思い出したかのように、その足を止め、目線を合わせる様に腰を屈めて問いかけてくる。
……私は……彼の問いに答える事が出来なかった……
母は既に死んでおり、目の前の部屋に母の遺体が存在している事が解っているのに……どこに母がいるのか、解り切っているはずなのに……答える事が出来なかった。
「……そうか、解らないか……なら、お兄さんが一緒にマナさんを探してあげるよ。その為には、今少し時間が必要なんだ……だから、一緒に部屋の中で待っていようか?」
きっと彼は、何も言わなかった私が、母の居場所を知らないからだと思ったのだろう……まるで泣き喚く子供をあやす様な声で、彼は優しく語り掛けると、私の手を引き、部屋の中に入った……
「………………え……? マナ……さん?」
彼の開口一番の言葉は困惑だった……丁度、出入り口からは見えない位置に寝かせられていた母を……死者となったその姿を見つめ、彼は混乱に彩られた疑問を口にする。
しかしそれも数秒。はっと我に返ったかのように、彼は私の手を強く引き、私の体を手繰り寄せると、空いている左手で私の目を覆う……私は彼の行動に抵抗する事は無く。閉ざされた視界によって、暗くなった世界の中で周りの音に耳を傾けていた。
「村長!! マナさんは!! ……この女性は……どうしたんですか!?」
彼の叫びが室内に木霊する……それに答えを返す村長の声は、少し躊躇いが混じった物だった。
「……すまない……まさかお主の知り合いじゃったとは……配慮が足らんかった……」
「そんな事はどうでも良いんです!! 彼女は……彼女は無事なんですよね!? ただ具合が悪くて眠っているだけなんですよね!?」
まるでその現実を認めたくないかのように……彼は私の視界を閉ざしながらも叫ぶ……それでも現実が変わる事は無い。
「……横から口を挟むようですまないが……その女性は死んでいる……私が助けに入った時には既に事切れており、助かる状況では無かった……うん? ……ヨル、どうした? ……ふむ、そうか……私の予想通りだったか……」
その現実を突きつけるのは黒い男の声……彼は残念そうにではあるが、はっきりと真実を告げる。
そして彼は、白い少女から何かを聞いている様に、少し歯切れの悪い呟きを繰り返す。
黒い男に答える音は無い……私の視線を遮るフリードは、ただただ沈黙を続け。彼の右手に掴んだ私の左手を、強く……強く握りしめていた。
「そん……な……それじゃ……この子は……」
やっとの事で彼が絞り出したのは、呟きとも取れない小さな言葉……私にしか聞こえないであろうその声は、直ぐに黒い男が発する言葉にかき消された。
「……だが不幸中の幸いでもある。確かにその女性は……その子の母親は死んでしまった……しかし、まだお前がいる。確かに母の死は辛い事だが……両親の片割れ……お前という父親が生き残っているだけで、最悪ではないのだ。……確かに、お前も愛する者を失ったその胸の内は、想像出来ない程の苦痛を感じているだろうが……今お主が潰れては、せっかく回避できた最悪を、自身から引き起こす事になる……感情を切り捨てろとまでは言わないが……状況が落ち着くまでは、踏ん張るべきだ。」
……きっと、黒い男は……私の手を引き、必死に母の遺体を見せまいとする、このエルフの事を……私の父であると勘違いしたのだろう……
優し気に……それでも尚突き放す様に……此処で倒れるべきではない……と、父ではないエルフへ向け、一人の父へと向けた活を入れる……
ただ……いかに混乱が勝っている状況でも、その事に気がつかない程彼は取り乱してはいなかった……はっと息を飲む音と同時……現実を……私という存在、その全てを否定する現実を口にした。
「……違うんです……違うんですよ!! 僕はこの子の父親ではないんです!! ……この子の父親は……俺の友達は……ジークは……死にました……俺の目の前で……オークの一撃を受けて……」
もしかしたら、既に私という存在はこの場にはいないのかもしれない……そう錯覚するほどに、私の心は平静だった……
それが何故なのかは解らない……ただそれでも、暗い視界の中……光を閉ざされた暗闇の中でも、私は取り乱す事無く彼の言葉に耳を傾ける。
「……即死だった……即死だったはずなんです。……あんな歪に体が歪んでいるのに……生きていられるはずが無い……のに……それなのに……あいつは……駆け寄った俺に向けて……言ったんです……マナと娘を頼む……って……なのに……なのにこんなのあんまりじゃないですか!? ジークは死んで!! マナさんも死んでいて!! この子は……この子は独りぼっちだ!! まだまだ親に甘えたい盛りなのに……なのに……どうして……こんな事に……」
嗚咽すら混じり始めた声は、やがて尻すぼみとなり……途絶える
それに何かしらの言葉を掛けられる者は居らず、誰もが自分から口を開くのを窮したかのように、破られる事が無い沈黙が続く。
「そうか……それは残念だったな。ただ、私には関係の無い事だ。……村長、さっさと話しを進めたいのだが……いいかな?」
だが、永遠に続くと思われる沈黙を破る者がいた……黒い男だ……彼は感情の消え失せたかのような声で、村長へ話を切り出す。
「……残念? ……関係ない? ……ふざけるな!! お前達が!! お前達がもっと早く来ていてくれれば!! こんな事にはならなかったんだ!! それを関係ないだなんて!! お前に感情は無いのか!?」
そして、薄情とも言えるであろうその態度に激高する者がいた……
怒りを露わにしたその声と共に、私の視界は光を取り戻す……一瞬白一色となった世界は、直ぐにその色を取り戻し、目の前に広がる光景を映し出す。
見るとフリードは、黒い男へ向けてその足を進めている……既に私の左手も解放されており、先程まで私の手を握っていた右手は、彼へと突きつけられている。
「……ほう……私に責任がある……と? 本気でそう言いたいのか!? 貴様は!?」
黒い男はその顔に嘲りを浮かべ、怒りを内包した声で吠える
そしてその怒りを表現するかのように、突きだした右手をフリードへ向ける……きっと、先程肉の塊へ使った魔法を使う気なのだろう……歪んだ靄が現れ始めた
黒い男の動きと共に、その怒りに答える様に、今度こそはと悪魔は再び長剣へと手を伸ばし、村長はあたふたと自身の前で手をふらつかせている……事態を止められる者は居らず、このまま最悪の結末を迎えるのだと、傍観し続けることしか出来ない私は、そう思っていた……しかしそんな中でも、最悪を回避するべく動く者がいた……彼女は、誰かが行動を起こすよりも尚早く行動する……
「…………まったく……何でこんなにも死にたがりが多いのかな……」
呆れが入り混じった嘆息一つと共に、その影は空へと躍り出る。
そして躍り出た勢いそのままに、黒い男へ歩を進めていたフリードへと飛びかかり、空中で彼の頭……その真横をすり抜ける様に、器用に体勢を整えると。横に伸ばした腕で、そのままジークの頭を抱え込む。
結果、いかに彼女の体躯が小さなものであったとしても、勢いと共に適度な重さを加えられたジークの体は、大きくバランスを崩す……そして、大きくのけぞったかと思えば、彼女もろとも床に倒れ伏した。
一連の行動を行ったのは白い少女……今までの間、ほとんど動く素振りすら見せなかった少女だった……彼女は、脇に抱えたフリードがもがくのを押さえつけている。
「……さっさと話しを終わらせて……鼻息が気持ち悪い……」
ぼそりとそう言い放ち、それ以降彼女は何も言おうとしない。
悪魔と村長は、彼女の突然の行動に何の反応も出来ず、ぴたりと静止した姿のまま、少女を眺めている。
「……ふむ、私も少々頭に血が上ってしまった様だ……すまない。」
だが、そんな中でも自身のペースを崩さない者が一人……黒い肌の男だ。
彼は少しばかり反省したかのように呟くと、気を取り直したかのように言葉を続ける。
「村長……先も話した通り、今回の件で行き場を失う者も出たはずだ……その者達を引き取りたい。勿論、本当について来たいと願い出た者に限るし。私の方からは圧力を掛ける様な事もしない……貴方はただ、行き場を失った者に私とついて行く、という選択肢を提示するだけで良い。」
男は自身の提案を言い終えると、村長を見つめたまま口を閉じる……それ以上は何も言う事が無いという様に……聞きたい事があるのなら、自由に聞けばいいという様に……傲岸不遜に其処に存在した。
村長は彼の瞳に射すくめられた様に、彼の視線を受けたまま動く事は無い……しかし村長も何か考えを纏めたのだろう、そっと口を開く。
「……お前について行った者はどうなる? お前は……その者達をどうするつもりだ?」
村長は小さな変化も見逃さんとする様に、睨みに据える様に眉根を寄せ、男を見つめる……その村長の気迫と疑問を受けても尚、男は態度を崩さない。
「別に何ともしないさ。ついて来た者には最低限の住居を割り当てるし……その者が望むのなら、農業などの手引きをしてやってもいい……流石に至れりつくせりとは言わんが、自身で努力し、状況を改善しようとする気概を持つ限りは、その手助けぐらいならしてやる。……ただそれだけだ。」
「……解らぬ……本当にお主の考えがその通りならば……そこに何のメリットがある? そこまでする義理が何処にある? 見返りを求めないと言っても限度があるじゃろう? お主は何を求めて行動しているのじゃ?」
村長は尽きぬ疑問を投げかける……男の狙いが何も解らないが為に……男の考えが、何一つ見えてこない為に……ただただ疑問を口にする事しかできないのだ……
男は深いため息を一つ吐くと席を立つ……その背はとても高く、天井に届きそうな程である……彼は少し天井の位置を気にすると、ゆっくりと歩き始めた。
「何も求めてはいないさ。私は……とある日を境に、他者に何かを求めようとは考えなくなった……だから私がする事といえば……他者に分け与える事ばかりだな……それ故に、見返りを求めて行動する事も……完全にとは言い切れんが、無いのだよ……ただそれだけだ……それに……」
男は数歩でその歩みを止める……私の目の前に立った男を見上げると、彼の視線は私を見下ろす様に下げられており、腰を落とす動きにつられて、段々に下がってくる。
「大切な者を失った時の辛さは……重々承知している……それが、血の繋がった自身の両親であれば尚更だろう……だから、少しでもその辛さを取り払ってやりたいと思っただけだ。」
男の視線はやがて私と同じになる……奇妙な形に体勢を崩した男は、その顔に辛そうな感情を浮かべたまま、私を見つめてくる。
それを私は見つめ返す……感情など消え去ってしまった様な穏やかな心と共に、何も考える事無く彼の瞳を……吸い込まれそうな程大きく、深い眼球を見つめ続ける。
彼は私のその反応をどう思ったのだろうか……沈黙を続けていたかと思えば、そっと自身の右手を差し出してくる……手の平を上にしたその手は、何かを待つかのように、私の体の前で固定される。
「私と共に来るか? お前がそれを望むなら……私の手をとると良い。」
男は呟く様に私に語り掛ける……それっきり動く事が無い事から、私が何かの行動を取るまでは、その体勢を維持し続けるつもりなのだと解った
(……どうするべきなのだろう……)
私は、男の顔と手の平を見つめながら、誰も教えてくれない答えを探し求める。
今までは、お父さんとお母さんが答えを教えてくれていた……しかし今は……いや、これから先は……答えを教えてくれる存在はもういない……
(私が……自分で決めなくてはいけないんだ……)
熱を帯び、稼働し続ける思考のまま……私は……男の手を……
「○○駄目だ!! そんな奴の戯言を聞くな!! 自分から危険に飛び込む必要は無い!!」
男の手をどうしようとしたのかは解らない……フリードの叫び声が、私の思考と行動を阻害したからだ……
見ると彼は、少女に押さえつけられながらも必死に顔を動かし、私を見つめている……自身の言葉に反応を示したのを認めたのだろう……彼はその声をさらに大きくさせる
「……そうだ!! そいつは危険なんだ!! 俺達エルフ族の者が束になっても、オークを一体狩るのがやっとなのに……こいつらは単体で、造作も無いように狩って回った!! 単純に考えても力の差が有り過ぎる!! それに加えて君はまだ子供だ!! 何かをされそうになっても、抵抗できる様な相手じゃないんだ!! だから……」
「……なら、お前がこの子の面倒を見るというのか? お前にも家族がいるのだろう? その者達を守るのですらやっとなのに……血も繋がらぬ者の為に、その身に降りかかる災厄を撥ね退け、この者が望む便宜を図ってやる事が出来るというのか?」
フリードの話を途中で遮り被せられるのは男の言葉
黒い男は依然として私に手を差し出したまま、器用に後ろを振り向くと、彼を見据えて問いかける。
「言っておくが……面倒を見るというのは簡単な事では無いぞ……それも、家庭を持っているのであれば尚更だ……自身の息子娘と同様に、この者も分け隔てなく接し、養い、愛さなくてはいけない……その上で自身だけでなく、お前の家族にもそれを徹底させなければならない……大よそ達成できるとは思えんが……それが出来るとお前は言うか? 勿論それが出来るというのなら、この者を私が引き取る必要もない……喜んで手を引こう……しかし、出来ぬというのならいらぬ口を挟むな!! 決断をただただ鈍らせるだけの言葉は、お前にとっては親切でも、当事者にとっては害でしかない!!」
男の言葉は、子供である自身でも解る程に、私という存在が重荷である事を指示していた……当然か……今男が語ったのは全て真実なんだ……それ程、一つの生物を受け入れるのは難しい事なんだ。
「………………」
男の問いにフリードは答えられない……彼は黒い男を真正面から睨みつけてはいるものの、出来ると断言することは出来無い
「答えに窮すれば沈黙を貫くか!? 話にならんな……無駄な時間を使ってしまった。」
男はその姿に嘲笑を返すと、再度私の方へその顔を向ける……後は私の答え次第だ……そう言わんばかりに、それっきり動く事は無い
私は……この期に及んでも迷っていた……何が正解なのかも解らず……どう答えればいいのかも解らず……ただたださ迷う視線で、助けを求めた……
村長は、私と視線が合うと、何も答える事無く瞳を閉じる……フリードは、私と目が合うと手を取るべきでない、と訴えかけてくる……悪魔は此方へ視線を合わせようともせず、白い少女は、フリードを取り押さえるのに夢中だ……
どうするべきなのか……どうすればいいのか……解らなかった……
「貴方は……何で私の答えを聞こうとするの?」
だからだろうか、私は彼に向かい問いかけていた……答えを出す事から逃げたいが為に……自身で決断を下す事を恐れたが為に……
男は、突然の質問で虚を突かれたかのように、その眉根を大きく上げている……しかしそれも数瞬、直ぐに穏やかな顔つきになると、問いに対する答えを返す。
「私は……群れという存在が嫌いなんだ……確かに、この世界は一人で生きていくには辛すぎる……だから、群れという生存形態は理にかなっているのだろう……だが、群れというのは多数によって支配される事が多い……その結果……必然とも言えるが、多数が支配するという事は、少数が淘汰されていくものなのだ……其処に個の意思は必要なく、又、個である事を疎まれ始める事さえある……可笑しい話だろう? 個が生き残る為に群れを作ったのに、その結果、個である事を否定されるのだ。……私が……私達が強すぎたというのも大きいのだろうが……長い経験と知識から、どうにも群れという存在を肯定的に見れないんだ……だから私は群れよりも個を重視する……お前に選択を迫るのもその一環だ。」
長ったらしい独白だったけれど……要するに、私という存在を肯定してくれているという事らしい……なら、何を迷う必要があるのだろうか?
私という存在が重荷である事は既に解り切っている……そして、その重荷を無条件で背負ってくれていたお父さんとお母さんはもういない……
これからは……私が……一人で……生きていかなくてはいけないんだ……
考えは直ぐに纏まった……そして、その考えを否定する理由が無い私は、直ぐに行動を起こした。
「……言っておくが……私はお前という個を尊重はするが、愛しはしない……お前が個である事を止めた時点で私は、手伝いという干渉すらしなくなるぞ?」
ちょっこりと彼の右手に乗せられた私の手を見つめ、男は最後の忠告をしてくる……私はそれに……
「解ってる」
たった一言だけで返した
……それが私とあの人との出会いであり、彼と共に歩む切っ掛けとなった出来事だった……
「シュリ? そんな所で呆けて、如何なさいました?」
思考に耽る私の意識を、現実に引き戻す声が一つ……私は覚醒した意識のままに、其方の方へ顔を向ける。
「……スロノドール……貴方こそ、どうしてここに?」
其処にいたのは、豪奢なドレスを着こなした一人の女性……スロノドールだった。
たしか……彼女は今も尚、屋敷内の清掃中であったはずだ……彼女の性格から、自身の役割を終えるまでは、持ち場を離れる様な事は無いはずだが……
「清掃が終わったから……と胸を張って言いたいのですけれど……実を言うと、少しばかり休憩したかったのですわ。まぁ中庭も私の管轄ですから、完全にサボりという訳ではございませんけどね。」
私の疑問に答えつつ、彼女は私の隣に……噴水の縁へと、そのほっそりとした腰を下ろす。
その間も、終始彼女は私の顔を眺め続けていた……何かおかしい所でもあるのだろうか?
「……何か可笑しな点でも?」
「うふふ、いいえ……なにもございませんわよ。」
少しぶっきらぼうになったその声に、彼女は笑いながら答える。
明らかに私を馬鹿にしている……咄嗟に後ろの噴水に振り返り、底に溜まった水面へと顔を映し、自身の顔を確認する……しかし……
「……? 何も、可笑しな所は無いじゃないですか?」
其処に在るのは、いつもと変わらぬ自身の顔だ……何かゴミがついている訳でも、変な痣がある訳でも無い……
「いいえ、すごく可笑しいですわ。よくご覧になってみなさい。」
彼女は声に笑いを含んで否定する……それ程可笑しな点があるのだろう……それを見つけようと躍起になって、水面に移った自身とにらめっこを続ける……が
「……やはり可笑しい所は何もありませんよ。スロノドール……貴方、目にゴミでも入ってるんじゃないですか?」
やはり可笑しな点は見つからない……ならば彼方の目に異常があると判断するしかない……そう思い、その旨を伝えながら彼女へ向き直ると……
「えいっ♪」
「はひふるんへふは」
急に両手を伸ばして来た彼女は、私の両頬を摘み、持ち上げる……なにするんですか、という私の抗議は、その暴力の前に無残に敗北し、形を成す事は無かった。
それでも、私の抗議は届いていたのだろう……彼女はその顔に、同性である私ですら見惚れそうな笑みを浮かべて笑う。
「可笑しな点を修正しているのよ……シュリ、駄目じゃない。そんな仏頂面では、せっかくの可愛い顔が台無しよ。」
「ほへひなほへはへふ」
抗議は聞いても、受領する気は無いらしい……彼女は私の頬を摘み上げ、ぐりぐりと動かし続ける。
「ほ~ら、これならどう!? うん!! いいわ!! どんどん良くなってるわ!!」
グニグニと奇怪に頬を変形させ、彼女はその顔に、より深い笑みを浮かべる……一体何がそんなに楽しいのだろうか……到底、理解できない感情だ。
「っ!! いい加減にしてください!! 一体何なんですか!? 何か言いたい事が在るのなら、こんな回りくどい事せずにはっきりと言ってください!!」
流石に我慢の限界だった……乱雑に彼女の手を振り払うと、今も笑みを浮かべるその顔へ怒りを叩き付けた……しかし……
「ほら、それが可笑しいのよ。解らないかしら?」
私の怒りを受けても彼女はどこ吹く風……笑みを崩す事無く、飄々と指を突きつける
「シュリ……貴方が何を考え、何を悩み、何を迷っているのかは聞かないわ……ただ、だからと言って全てを抱え込むのは良くないわ。……抱え込んでしまうとね、いかに強靭な精神を持っていたとしても、潰れてしまう時が来るの……時には発散しなきゃね。」
……きっと彼女は、私の事を心配して、あんな奇行をしたのだろう……その理解が及ぶと共に、今朝の一件でやさぐれていた私の心に、彼女の優しさは染み込んでいく……
「……別に抱え込んでいません……ただ……」
だからなのだろうか……彼女の言葉を否定しながらも……その続きを聞いてほしいかの様に、途中で言葉を途切れさせる。
「……ただ?」
彼女は優しい瞳で先を促してくれる……その優しさに引かれながら、ぽつり……ぽつりと、言葉が漏れ出ていった
「……ずっと間違いがないと思っていたのに……それを否定されたんです……私の考えが間違っているとは思えないのに……あの人は……拒絶したんです…………解らないんです……どうすればいいのか……どうするべきなのか……スロノドールは……そんな時ありませんか?」
自身の口から発せられた言葉は、思考によって整理される事無くばらばらだ……その事実が、自身の本心を綴っているのだと証明している……
そして、自身から体裁を取り繕う事無く発せられたその言葉が、自身の明確な本心なのであると自覚した時、彼を慕う感情……その内面に含まれていた、自身の感情に気がつく
(きっと……私はあの人に依存しているんだ……あの時……私が初めて自身の手で道を選択し、彼の手を取った時と同じ……自分自身で答えを出すのを恐れて、誰かに明確な答えを出してほしいと……そう思っているんだ……けれどそれは……)
「……う~ん……そうねぇ……前提条件としてだけど……自身が間違っていないと思っているのでしょう? なら自身にとってはそれが真理……他の意見で崩される事はあるだろうけれど……それまでは自身の絶対的な答えじゃない? ならそれに殉じるべきだと思うわ……」
スロノドールが答えるのは、確固たる自信を持った個の答え……当然だ……あの人の周りにいるのは全員が個であり、その全員が共通の理由を持っているという理由のみで、群れの体裁を保っているに過ぎない……故に最終的な判断を下すのは、いつも自分自身なんだ……だから……私の脆弱な個が出した、逃げの考えを理解できない……
「でも……でも、否定されたのですよ!? それでも貴方は……」
「否定されたも何も……そんな事関係ないじゃない? だって、その否定自体が間違っている、という答えが出ているのでしょう? なら其方を正させるべきじゃない? わざわざ捨ててやる理由も無いわ。」
私の精一杯の抵抗は即座に否定される……私は……彼女のその強さが羨ましく……疎ましかった……
「…………貴方は……実際にその場面に直面した事が無いから、簡単に物を言えるのよ……」
「かもしれないわね。……でも、私という個が自信を持ち続けている限りは、その答えを曲げる事は無いわ……それだけは断言できる。」
口をついて出るのは最後の最後まで逃げの言葉……終始徹底されるその逃避に、自分で自分が嫌になる……
普通であれば、私の悪態は癪に障るはずだ……しかしそれでも……癪に障るはずの悪態をつかれても……スロノドールは優し気な微笑みを浮かべていた……それが憎たらしくすら思い始める。
「…………それが……リジィー様が、自身の死を願う物……だったとしてもですか?」
だからだろうか……私は意地悪な質問をしていた……
絶対に答えが出る事が無いはずの質問を……あの人の意思を尊重すれば、彼女の意思が認められず……かと言って、あの人の意思を無視すれば……それは10魔族としての……あの人の為に作られた組織の一員である事を否定する……そんな質問を……でも……
「……そうねぇ……」
答えに窮するはずの質問を受けた彼女は、少し眉根を寄せながらも、自身の答えを出す事を止めない……
そんな事はあり得ない……とか、もしもを聞くのは効率的ではない……とか……逃げる手ならいくらでも思いつくのに……彼女はその時の事を想定し、本気で悩んでいる様に空を見つめ続ける……
「多分だけれど……受け入れるんじゃないかしら?」
そして、深いため息を一つ吐くと、その答えを絞り出した……
まるでその時を実際に体験したかのように……彼女はその綺麗な顔に愁いを帯びさせ、重ねた両の手をそっと自身の太ももへと下ろす……
「……なぜ……ですか?」
私は……思わずその問いを口にしていた……
何に対して何故かと問うたのかは解らない……何せ、彼女の全てが理解できなかったからだ……
何故、その答えに辿り着いたのかを始め、何故、答えを出せたのか……何故、答えを出す事から逃げなかったのか……何故、自身の意思を押し殺してでもあの人に付き従おうとするのか……
ありとあらゆる事に対する何故、という疑問が、その一言に集約されていた……
「……だって、あの人が其処まで考えたって事は……きっと其処に至るまでに、多くの……本当に多くの苦痛が在ったと思うの……その苦痛を乗り越えられず……其処から逃げ出したいと、本気で思ったのなら……もう、私に言える様な事は無いのかな……って、思って……ね。」
しかし私の内心を彼女が知る訳が無い……彼女が答えるのは、何故その答えに辿り着いたかについてのみである……それでも、その答えにすら疑問が尽きる事は無い
「それなら尚更じゃないですか!? 苦痛から逃げる為にその選択をしたというのなら、その背を押すのではなく、引き留めるべきでしょう? なのにも関わらず、貴方は……」
「シュリ!! ……間違えているのは貴方の方よ……だって……私達が傍に居て……その上で彼が下した、死、という逃げる為の結論よ……其処に至るまでに、その苦痛を取り除けなかった私達に……今更、何が出来るというの?」
私の反撃を叩き伏せ、彼女は悲しそうに笑う……其処に在るのは紛れも無く、諦めの感情だった……
……もはや私に言えることは無かった……互いに沈黙し、風が草を擦れさせる音が聞こえていた……
「ねぇシュリ……貴方はどうしたいのかしら?」
一体どれ程の時間そうしていたのだろうか……ふっと息を吐く様に、彼女は私へ問い掛ける
……私はその問いに答えを返す事が出来なかった……どうしたいのかが、自身でも解らなかったから……
その結果、沈黙が再び場を支配し始める……しかしそれを良しとしないかのように、彼女は私の答えを聞く事無く、話し続ける
「……貴方達の間に何が起きたのか、私は知らないわ……けれど……私達が知っている彼は……この世界に、完全な正解なんて存在しないという事を知っている……だから……本気で貴方の感情をぶつけて……その部分を正してほしいって言えば……きっと彼は答えてくれる……はずよ。だから、何も迷う必要が無いと私は思うわ……貴方はどうかしら?」
「……私は……」
慈愛に満ちた彼女の言葉は、私の迷いを取り払う様に染み込んでくる……それに釣られる様に、私は口を開いた……しかし其処から出たのは、思考によって統括された理知的な答えでは無く……
「……怖いのよ!! 私は独りぼっちだから……間違う訳にはいかないの!! だって……だって間違えば、独りぼっちの私ではもうどうする事も出来ないから!! あの人が手を差し伸べてくれなきゃ、私は何もできない弱い存在だから!! ……スロノドール……私は、何でも出来る貴方とは違うのよ……私は……私は、弱く、ちっぽけな存在なの……だから……逃げる事ばかり考えてしまうし、それを否定する気も無いの!! ……だからもう放っておいてよ!! 貴方に迷惑はかけないから……もう……放っておいてよ……」
ただただ乱れた感情の発露……纏まりすら失ったそれは、閉じる事を忘れた口から垂れ流され、スロノドールへと叩き付けられる。
それに伴い視界がどんどん歪んでいく……ひくつき始めた喉につられ、嗚咽が漏れ始める、そして乱れた呼吸もそのままに、思考は統制を失い、ただただ自身の感情を表す事に専念する。
彼女にとって、今の私の存在はとても疎ましい存在であるはずだった……それでも……
「全く……世話が焼けるわね……」
彼女は乱れた私の姿に、臆する事なく手を伸ばす……そして、私の両肩を掴むとそのまま引っ張り、自身の胸に抱きよせた……
突然の事に、何の反応も抵抗も出来なかった私は、その勢いのままに彼女の胸に頭を抱きかかえられた……そして、後頭部に添えられた拘束によって、離れる事を封じられる……
「い・つ・か・ら、シュリは一人になったのかしら? ……私は、貴方が彼と共に歩む事になった経緯を知らないわ……だから、貴方が抱えるトラウマを理解も出来ないし、それを払拭してあげる事も出来ない……それでも、10魔族として……あの人の仲哀を奪い合うライバルとして、貴方と共に、同じ道を歩んでいるつもりだったわ。……確かに、目的が目的だからいつまでもこの関係が続くとは思えないけれど……今この場に限って言えば、貴方という存在を見捨てる様な考えはないわ。」
彼女は私の頭を撫でながら、優しく淡い声音で話しかける。
まるで駄々をこねる我が子をあやす様に……その姿に、遠い昔に無くなった自身の母の姿を重ねてしまった……
「マユは……独りぼっちじゃないの? 本当に……本当に、マユは独りぼっちじゃないの?」
だからだろうか……私は、遠い昔に捨てた名で、自身の事を呼んでいた……
その際、まるであの時まで時を遡ったかのように、急に舌っ足らずになった口調も添えて……
(……すごく恥ずかしい……)
思いもよらなかった失態に、どんどん顔が熱くなっていくのが解る……しかし幸いな事に、今の私は彼女の胸に顔を埋めていた。
だから、羞恥に染まる顔を見られることは無い……はず。
「……そうよ、マユは独りぼっちじゃないわ。だって、貴方が手を伸ばす限り、その手を掴んでくれる魔族が絶対にいるのだもの……だから、苦しくなったら手を伸ばしなさい。あの御方は勿論、私も、手を放す事はしないから……」
スロノドールは、突如として出て来たマユという名に驚いたようだが……私の様子から察したのだろう……直ぐに会話に組み込んで来る……それに伴い、尚も顔が赤くなっていくのが解る……しかしそれでも……
(ありがとう……スロノドール……)
彼女の機転と優しさを拒絶する様な事は、決して無かった……
◇◆◇◆◇◆◇
「………………とんだ醜態です。まさかこんな痴態を晒す日が来るなんて……」
彼女の頭を撫で続けて十数分……やっとの事で落ち着きを取り戻したのだろう……シュリは私の胸から顔を上げる
その顔は涙と鼻水に濡れ、興奮と羞恥によって熟した果実の様に赤い……茶目っ気な思考はそれを指摘してみようかと思ったが、せっかくいつもの気迫を取り戻したのに、それに水を差すのは気が引けたから止める。
「でも、すっきりしたでしょう?」
「……はい……すっきりしました。」
私の問いに返す彼女の言葉は、その声音に悔しさを滲ませてはいるが、とても明るい。
良かった……内心で生まれる穏やかな感情のまま、彼女の晴れやかな顔を眺めていると……
「……私の醜態はともかくとして……ありがとうございました。私は……少し考えすぎてしまっていたみたいですね。その事を教えてくれて……本当にありがとう…………ただ、それはそれです。」
いつもの強気な態度を取り戻した彼女は、足を大きく振り、腰を中に勢いよく浮かせ、立ち上がる。
そして、片足を軸にくるりと半回転すると、先程私が彼女にしたように、右手でずびしと指差してきた。
「スロノドール……私、負けませんから。」
彼女が突然突きつけて来たのは宣戦布告……彼という存在の隣を奪い合う、ライバルとしての言葉だった。
先程までの弱気な子供の姿が嘘の様に、一転して強きとなった彼女の顔はまだ赤い……そのちぐはぐさに思わず吹き出しそうになったのを堪え……
「ええ、望む所ですわ。簡単に敗北を認められては、私としてもつまらないですもの……精一杯、存分に彼を奪い合いましょう。」
ライバルとしての答えを返す
シュリは私の言葉を聞き、その顔に不敵な笑みを浮かべるとそのまま再度半回転、後は言葉も無く中庭を去って行く……
その姿に私が出来る事は全て完了したのだと思い、ふっと張り詰めていた息を吐く……そして……
「これでよかったかしら? アグリウス」
「ええ、十分……だと思います。」
先程から、ずっと此方の様子を伺っていた悪魔へと声を掛ける。
私の声に、青年の様に若々しい声で返し、姿を現したのはアグリウス……先程、清掃作業に追われる私に対し、お願いをして来た悪魔である。
(シュリの様子が変なので、どうにかして、彼女の調子を取り戻してほしい……さっきは気にしなかったけれど、酷く曖昧なお願いだったわね……)
ふと思い出したお願いの内容に、よくもまぁこんなお願いを、二つ返事で受けたものだと、自分で自分に驚いた……結果として、想像以上に調子を崩していたシュリを救う事が出来たのだけれど……一体何があったのだろうか……
内心で疑問に思っていると、アグリウスは私の横に立っていた。
その視線はシュリが去った方へと向けられ、既に見えなくなった彼女の姿を追う様に眺め続けている。
「……一体何が御座いましたの? シュリがあそこまで感情を露わにするなんて……私、少し驚いてしまいましたわ。」
「……少し……諸事情がありましてね……私も、事態を正確に把握できていないので何とも言えませんが……リジィー様がらみの事ですよ……」
彼と共にシュリの去った道を眺めていると……湧いていた疑問はそのまま独り言として漏れ出ていた。
彼も、今の言葉が独り言だとは理解しているであろうに律儀に返してくる……まぁ、その内容も概要のみで、中身が全く見えてこないのだけれど……それでも、最低限の礼儀だと言わんばかりに彼は続ける。
「出来る事なら、貴方にも詳しく説明をするべきなのでしょうが……すみません……」
「別に気にする必要はありませんわ。整理できていない情報を頂いても、混乱が大きくなるだけですもの。それ位、理解していますわ。」
もはや此方から何かを言う事も無いだろうし……そろそろ清掃に戻りたかった。
話もそこそこにこの場を去る事にし、シュリとは反対の方へ足を進める……
「……スロノドール……少し聞きたい事が……」
「……なにか?」
しかし、背へと掛けられたその問いに、進めていた足を止める事になる。
首だけを回して後ろを見ると、彼もまた此方に視線を寄越しており、そのまま躊躇いがちに口を開く。
「……え~と、何と言えばいいのか……先程、シュリと会話していた時の内容を聞いていたのですが……貴方の口調……といいますか、雰囲気……といいますか……いつもと違う様に見受けられたので、少し気になったのですよ。」
「…………ああ、そういう事……」
何てこと無い質問だった……一体何を聞かれるのかと、張り詰めた空気が直ぐに瓦解する。
「あれが素の私、という事ですわ。相手の本音を聞きだすのなら、聞きだす私が着飾ったままでは、シュリに失礼だと思っただけですわ。特に気にする様な事はございません。」
所詮この面倒な話し方は、あの御方の気を引くためだけの道具……他の者とは違った話し方を徹底する事で、あの御方に、少しでも深い印象を与える為の作戦……その一環でしかない。
その言葉遣いが、さっきのあの場では適していないと判断したまでの事……だからここ最近どころか、遠い昔に使わなくなった口調へ、一時的に戻しただけ……今の口調を変える気も無いし、覚えていても意味が無い情報だ
だから、アグリウスが気にする必要は全くないはずなのだが……
「……そう……なんですか!? へ!? あれが素!? ……はぁ!? わざわざ変な口調を徹底させて、一体何のメリットがあるんですか!? 訳が分かりません!!」
……彼にとっては理解に苦しむ行為だったらしい……
彼は尚も何か独り言を呟き続け、その頭を大きく傾げている……さすがに、それにまで付き合ってあげられる程時間が在る訳では無い私は……
「女性というのは猫の一つや二つ、被るものなのですわ。この程度で混乱していては、身が持ちませんわよ。」
軽い嘲りを残し、その場を後にした。




