君がいると。
第5話
「岸辺君、ありがとう」
私がそういうと、落ちないように優しく降ろしてくれる。
「重かったでしょ。ごめんね、何か」
「軽いっすよ、春山さん。それに抱いてて気持ちよかったですし」
岸辺君はふっと微笑んで、自分の頭をかいた。
照れ隠しだろうとは思うのだが、その仕草にドキりとしてしまう自分がいる。
「さて、じゃあ気を取り直してご飯食べに行きましょ!」と満面の笑みでいうと、私の手を握って歩き出す。
朝はいきなり腕を掴んでくるわ、急にお姫様抱っこをするわ、しかも手まで握ってくるだなんて。
何を考えてこんなことをしているのか分からない。
ただからかっているだけなのか。それとも私に気があってこういうことをしているのか。……そんなわけがない。
怒られてばかりで、自分のいい所なんて一つもない。自惚れるにもほどがある。
やっぱり私はだめな人間だと改めて自覚すると、重いため息が出た。
「ん?どうしたんすか?」
「……ううん、何でもない」
私の手を握りながらニコニコとしている岸辺君を見ていると、自分の心が洗われるような感覚と同時に胸を締め付けるような感覚に陥った。
この感情に、名前をつけるのだとしたら、なんだろうか――。
そんなことを考えてただ歩いていると、急に立ち止まった岸辺君に頭突きをしてしまった。
「あっ、ごめん」
咄嗟に謝るが返信がない。怒ってしまったのだろうか、と不安げにその背中を見つめていると、こちらに振り返って私の肩を掴んだ。
「俺のこと、嫌いですか?」
今にも泣きそうな目をしながら、そう訴える。
――もしここで好きといえば、彼と付き合える?
でも、果たしてそれは彼が望む答えなのか。
そう考えると、私は何も答えられなかった。
無言のまま和食店に入り、お互いに自分の食事を注文する。
店員が持ってきた無料の水を口に含む音が露骨に聞こえてきて、妙なドキドキ感に包まれる。
ごくり、と喉元を通る瞬間のあの音だ。
「……」
何もいわず、ただ水を飲んで座るだけの状況。沈黙が続きなんとも気まずい状況に陥っていた。
単調な声でメニュー表を差し出すと、自分もメニューを開いて自分の食べ物を選び始める。
もごもごと口を動かしながら、あれにしようこれにしようと悩んでいるようだ。
かくいう私も、どれにしようか迷っていた。
和食店なんてめったに入らないし、まず外食をすることすら久しぶりなのだ。
「どうしようっかな……」
ぼそりと呟くと、はっとした表情でこちらを見る岸辺君。
「すいません、和食店だと選びづらいですか?」
「いや、そういうんじゃなくて。滅多に外食しないから慣れてなくて」
「そうだったんすか……何か無理強いしちゃってすみません」
「謝らないで? 結構誘ってくれたの嬉しかったんだよ……」
俯きがちにそういうと、彼は頬を染めながら「はい」とだけいいまたメニューに目を戻した。
何でかわからないけど一緒にいるだけで心がきゅうっと締め付けられる。
こう、上手く表現できないけど、恋してるみたいな錯覚に襲われてしまう。
岸辺君がこちらを見るたびに、ふわりと宙に舞うくらいに嬉しくなっている自分がいた。
どうしてなのかも分からない。
けれど、きっと彼が私を好きだというのを、なんとなく察してしまっているからなんだと、言い聞かせるしか私にはできなかった。
「すみません」
沈黙を破るように、手を上げて店員を呼ぶ岸辺君の声を聞いて少しあせる。
考え事をしていたせいで自分が食べたい料理が決まっていないからだ。
私が焦りながらメニュー表をめくっていると、すぐさま店員がやってきた。
「カツ丼定食を一つと、さば味噌を単品で」
「かしこまりました」
あっさりと注文を済ませ、メニュー表を閉じる。
店員は私のほうに視線を移して、「どれになさいますか?」と笑顔でたっていた。
未だに何を頼むかすら決めていない。
「……えっと、オススメのとかってありますか?」
「そうですねえ、この季節ならうどんが美味しいですよ」
「じゃあ、ざるうどんと玉子焼きを……」
「かしこまりました。ご注文を繰り返させていただきます。カツ丼定食をお一つ、ざるうどんがお一つ、玉子焼きとさば味噌をそれぞれ単品でお一つでよろしいでしょうか?」
満天の笑顔でそういう店員に、負けない位の笑顔で返事をすると、少々お待ちくださいとだけいって戻っていった。
また沈黙が流れる。ここまでくると慣れてきた。
「……春山さん」
「何?」
真剣な眼差しで私を見つめる彼に、少しだけドキリとする。
「さっきの返事、聞かせてくれませんか」
「さっきのって?」
「とぼけないでください」
「……岸辺君のことは嫌いじゃないよ。でも、どういう気持ちなのかはまだ分からない」
私がそういうと、がっくりと肩を落としてため息をつく。
「安心しました。嫌われてるんじゃないかって正直不安になってて。でも今の言葉聞いてめっちゃ安心したっすわ」
満面の笑みでそういう彼に、私は心臓をぐっと掴まれたようだった。
罪悪感と幸福感が入り乱れ、なんともいえない心情。
「うん……」
上手く返答ができずにそのまま俯く。
すると、悲しそうにこちらを見るとそのまま黙り込んだ。
私もそのまま黙り込む。
果たして、彼に対するこの気持ちは何なんだろうか。
岸辺君がいると、どうも落ち着かない。そわそわして、周りの視線をやけに気にしてしまう。
ちゃんとお化粧は乗っているかとか、変な髪型してないかとか。
いつもなら有り得ない事にまで気を配っている自分に、ふと疑問を持った。
沈黙が続くと、そのうち注文していた料理が運ばれ、お互いに手を合わせて「いただきます」といった。
目が合い、クスッと笑い合うとそのまま料理を口に運ぶ。
「美味しい……!」
反射的に出た言葉を聞くと、岸辺君は心底うれしそうな顔をこちらに向ける。
――そんな顔しないでよ。私の心をぐっと掴むような笑顔をしないでよ。
ぐっと唇を噛みしめながらそう心の中で叫ぶ。
「気に入ってもらえてよかった……」
そういうと、彼は自分の料理を口に運ぶ。
赤面した私は一度彼を見てから、そそくさと箸を動かすのだった。