悲しみ
セラの死から一か月が経ち、行列はようやくなくなった。
ハルカの女王として公に出るようになった。
すべてに責任が重くのしかかる。それでも、タイラやカナタ、ホタカが支えてくれていた。
軌道に乗っていた。けれどその中で足りないものがあった。
カイの笑顔を見ていないのだ。
食事もろくに取らず、あまり眠っていないようである。ただふらふらとした足つきで城を出て、セラが眠る墓の前に座り、時間を過ごしていた。
ハルカたちが話しかけても、耳を貸そうとしない。
ハルカもタイラもそんなカイの姿は見たくなかった。でも仕方のないことかもしれないとも思っていた。最愛の人を亡くす。そのつらさをハルカはよく知っていた。
だから余計に何も言えなかった。それでも、立ち直ってほしかった。笑顔のカイがハルカたちは好きなのだ。
何もできないかもしれない。それでも、話をしようと、2人はセラの墓の前にきた。
「お父さん」
「…」
「ちゃんと食事も睡眠もとらないと身体を壊しますよ」
聞こえないほど小さな声。
「何ですか?」
少しカイに近づいて耳を澄ませる。カイは首を横に振りながら言った。
「俺の身体なんてどうだっていいんだ」
「…お父さん」
「俺の身体なんてどうなったって」
「…そんなこと言わないでください」
「セラは俺のすべてだった」
「…」
胸が締め付けられた。愛し合っていたことは知っていた。けれど、直接聞いたのは初めてだった。カイの目は、自分たちを見ているようで、決して映っていないのだと、ハルカたちにはわかった。
「でもお母さんも今のお父さんの姿を見たらがっかりしますよ」
「そうですよ。お父様。お母様は今のお父様の姿を望みません」
「俺はセラと約束した。ずっと一緒にいると」
「…」
「お前たちは知らないだろうが、俺は貴族出身ではないんだ」
「…そうですか」
カイの言葉に、ハルカだけでなく、タイラも驚いた。
「セラは王家で生まれた。王女は世襲ではない。けれど、セラは試験で受かり、王女となった。…セラは根っからの王家なんだ」
その話は聞いたことがあった。セラの祖母が女王であり、16歳の時、次期女王となったのだと。それから長い間ずっと、セラはこの国を治めてきたのだ。
「俺は平民だった。薄汚い服を着てた」
「…」
「そんな俺にセラは声をかけた。セラが次期女王になる少し前のことだったと思う。初めは王家の人間だなんて思わなかった。そこまでいい服を着ているわけではなかったから、少し裕福な家、くらいに思っていたんだ」
カイの声は弱々しかった。それでも、微かに頬が上がっている。
ハルカとタイラに話しかけているのではなかった。セラと思い出話をしているのだ。
「セラは俺に話しかけてきた。それで畑を手伝うと言い出したんだ。俺はいいと言った。でもセラは暇なのだと言った。だから俺は畑の仕事をほったらかしにしてセラと一緒に遊んだんだ。セラは嬉しそうに笑っていた。土で顔を汚しながら。それでもセラは美しかった」
「…」
「それが俺とセラの初めての出会いだ。それから何度かセラは家に来た。毎回汚れてもいいような粗末な服を着てきたよ。それで一緒に遊んだ。時々畑仕事を手伝ってもくれた」
「…」
「そのうちセラが試験を受け、時期女王になったんだ。とんでもない人だったとその時初めて知ったよ。それから、セラは俺の前に現れなくなった。…当たり前だと思った。ひと時の幸せな夢だったんだって思うようにした」
「…でも、セラはもう一度俺の前に現れた。18歳の時だ。俺は、求婚された。女王となったセラにだ。彼女らしくて笑ってしまったよ。…嬉しかった。だから、断った」
「…嬉しかったのに?」
「ああ。嬉しかったから、セラが好きだったから、俺と結婚しない方がいいのだと思った。彼女にはもっとふさわしい人がいる。何もできない俺なんかじゃなくて」
「…」
その気持ちはハルカには痛いほどわかった。身分などどうでもいいと言われても、そう言って愛されても、どうしても気にしてしまうのだ。隣にいることが間違いなのだと思ってしまうのだ。
「それでもセラは諦めないでくれた。好きなのだと言われたよ。大好きだから傍にいてほしいと。頭を下げる勢いだった。一国の王女がだ」
「…」
「いいのかと思った。王女でも何でも、好きという気持ちだけで動いたっていいんじゃないだろうかと。だから頷いた。俺も愛していたから」
「…お父さん」
「けれど王家に入るとやっぱり問題は出てきた。ハルカ、君のように平家出身というだけで何かと言われたよ。でも、セラが一生懸命に庇ってくれた。こんな俺を小さい身体で全力で守ってくれた。…本当は泣き虫なんだ。それなのに、いつも強がって俺を守っていた」
「…」
「嬉しかった。嬉しかったんだ。好きでいてもらえることが、好きになれたことが」
「…」
ハルカの目に涙が浮かんでいた。なぜ自分が泣いているのかわからなかった。
「俺はセラに聞いたことがある。なぜ俺なのだと。セラには親に勧められた人がいたそうなんだ。お金持ちの貴族だったらしい。でもセラは俺を選んでくれた。…セラは俺の問いに、優しいからと答えた。畑で野菜を見ている目が優しかったんだと。話したら、やっぱり優しかったと言っていた。その優しさがいつも傍にあったら嬉しいと思ったと言われたよ」
「…」
「だから俺は約束したんだ。傍にいると」
「お父さん…」
「だから俺はここにいたい」
「…でも、お母さんが愛したのはそんなお父さんだったの?」
「…」
「お母さんが傍にいてほしいと願ったお父さんの姿は今の姿ではないと思います。優しさが溢れるそんな姿でしょう?それはお母さんだけに優しいだけでなく、みんなに優しく笑いかけるお父さんの姿でしょう?」
「…セラを失って笑うことなどできない」
「一生ずっとそんな姿をお母さんに見せるつもりですか?」
「…」
「お父さん。お母さんのこと忘れろ、なんて言いません。そんなの私にだって無理です。でも、大好きなお母さんに立派な姿を見せたいと思って努力することが大切なんじゃないですか?私は大丈夫、心配しないで。と言えるようになることが必要なんじゃないですか?」
「…」
「今のお父さんの姿を見ているお母さんは心配している筈です」
「…」
「…それに、きっとお母さんはいつもお父さんの傍にいますよ。だってお母さん、お父さんのこと大好きですもん。お父さん、お母さんが好きなお父さんに戻ってください。お母さんを安心させてあげてください」
「…」
それでもカイは黙ったままだった。しかしハルカは懸命に続ける。
カイの笑顔で癒されたのは、カイの優しさを必要としているのはセラだけでないことをわかっているから。
「私もタイラもお兄さんたちも、お母さんと同じくらいお父さんが好きです。きっと誰にでも愛されるお父さんの傍に、お母さんはいたいんです。笑顔の溢れるお父さんの傍にいることが幸せだったんです」
「…そうだな。ハルカの言うとおりだ。セラは優しい俺を好きになってくれた」
「お父さん」
「…それに俺はセラにこの国の将来を任されていたんだ」
「私たちにはまだわからないことがいっぱいです。お父さんの力が必要なんです。それにたとえお父さんが何もしなくても、優しい笑顔で『大丈夫だよ』って言ってくれるだけで安心するんです。お父さんの話を聞いて、明日も頑張ろうって思えるんです。だからいつものお父さんに戻ってください」
「心配させてごめんな。…ダメな親だな、俺は。でも、大丈夫だ。ハルカ、タイラ」
カイは笑って見せた。痩せて肉が落ちてしまった顔。それでも、笑顔は優しかった。
セラの愛した優しさ。
「もう大丈夫だ。さあ2人は戻りなさい。やらなくてはいけないことが山ほどある筈だ。俺も手伝おう」
その声に2人は大きく頷いた。城の中に入っていく。
そのあとをゆっくりとした足取りでカイが続いた。
数歩歩いてセラの墓を振り返る。振り返った先で、セラが笑っているような気がした。
「セラ、心配掛けたな。大丈夫だ。…ハルカは君が思っている以上に立派な女王になるかもしれないな。…あと何年先になるかはわからないが、いつか俺もそこに行く。その時、さっきまでの俺では、君は会ってくれなかったかもしれないな。セラ、俺はこれからも君に好かれる男でいられるように頑張るよ。俺にできることを精一杯する。だから君は俺の傍にいてくれ。俺も君の傍にいると約束するから。…セラ、たとえどんなに離れていても、君の隣にいるのは俺だ」
そう告げ、カイはセラに向かって軽く右手を上げた。
それはサヨナラの意味ではなく、ずっと傍にいるという約束だった。
振り返ることなくハルカとタイラを追って行った。
「ねぇ、タイラ」
前を歩くタイラに小さく言う。
「ん?」
「お母さんはお父さんにすごく愛されているんだね」
「ああ、そうだな」
「タイラ。女性の方が平均寿命は短いし、私は女王だからこの国のために大きな魔力を使わなくてはいけない時もあると思う。そしたらただでさえ短い寿命を縮めることになる。…きっと私はタイラより先に逝く」
ハルカの言葉にタイラは何も言わなかった。ただ次の言葉を待っている。
「その時、タイラは周りの人に心配かけちゃだめだよ」
「…」
前を向いたまま無言でタイラは足を止めた。ハルカも少し距離を保ったまま同じように止まる。
少しだけ静かな時間が流れた。その沈黙をハルカが破る。
「でも、1日は思いっきり泣いて、私のこといっぱい想って欲しい。いなくなったこと淋しく思って欲しい。…ごめんね、わがまま言って」
その言葉にタイラは静かに振り向いた。
ハルカも顔を少し上げ、タイラの目を見る。
その大きな目は、優しかった。
タイラはゆっくりハルカの肩に手を回す。ハルカの身体を自分の方に強く引いた。
ハルカは目を閉じ、タイラの胸に額をあてた。微かに心臓の鼓動が聞こえる。
「ああ。…でも1日じゃなくて3日にするよ」
「…うん」
涙交じりの声が微かにそう言う。タイラは腕に力を込め、ギュッとハルカを抱きしめた。
ハルカもタイラの背中に腕を回す。
そのまましばらく間、穏やかな時間はゆっくり流れていく。
静かな風が吹いた。
セラの墓の前に置かれている無数の百合の花が無造作に揺れる。
たとえ綺麗な花瓶の中でなくても、白い百合は美しかった。




