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それぞれの役割

1日馬車で走り、トヨに着いた。

ハルカとタイラは馬車に乗ったまま窓から外の景色を見る。他の地域と同じように畑や果樹園が広がっていた。

しかし殺風景だった。

他の地域は野菜の葉の緑や果物の赤や黄色で彩られている。何人もの人が畑のそばに集まり、楽しそうに話をしながら農作物を採るのだ。

しかしトヨは違った。

成長の悪い農作物が力なく生え、働いている人々は老人や小さな子どもばかり。

話を聞けば、力のある若者はより豊かな地域へ出ていってしまうらしい。

残っているのは貧しく、この地域から出ることのできない人ばかりだという。

着ているもはつぎはぎだらけ服。おしゃれを楽しむ余裕などある筈もない。

ハルカとタイラはトヨの風景を見て言葉を失った。ハルカは貧しさを知っていた。けれど、これほどひどくはなかった。

この場所で自分たちにできることなどあるのか、2人は考えた。

一時的に金銭を与えても何の意味もない。不公平なく金銭を与えるのは不可能だった。

馬車を停めて人々の働く姿を見る。

10歳くらいの女の子が野菜を籠に入れている姿がハルカの目に入った。

「あ、だめだよ」

思わずそんな声が出る。少女はまだ青い野菜を籠に入れていた。

ハルカは数か月前の自分を思い出す。

農業全般を任されていた。

「タイラ、少し外に出てみるね」

ハルカは馬車から降りる。それにタイラも続いた。

ハルカとタイラの服装は、質素なものだった。それでも、この貧しい地域でどこか浮いている。

一気に人々の視線を浴びた。

しかしハルカは気にしなかった。人々の視線を完全に無視して、畑の傍に行く。

スカートが汚れるのも厭わず、しゃがみ込んだ。土を触る。土を手に取り、さらさらと落とした。

「…だめだよ、こんな土じゃ」

 土を見る限り、野菜は上手く育ちそうもなかった。

いい土の見つけ方。おいしい野菜、果物の見分け方。重い荷物の楽な持ち方。ハルカはそれを知っている。それを伝えればいいのではないか。その考えをタイラに告げた。タイラはすぐに賛成する。

ハルカらしい、ハルカにしかできないやり方だと思った。

「…でも、俺は何ができるだろう。俺はハルカと違ってずっと城の中で、何もなく暮らしていたから…ここじゃ何もできないよ」

「タイラ、お父さんの話してくれるような話できる?」

「ああ。お父様が今まで話してくれたもので覚えているもの何個かあるけど」

「しゃあ、それ話してあげてよ」

「そんなことでいいのか?」

「そんなことでいいんだと思う」

「でも迷惑になるんじゃないか?」

「そうだな…まだ仕事に出られない幼い子とか、休憩中の人とかならいいんじゃないかな?それに私なら手を動かしている時でも話を聞くのは嬉しいけどな。教養にもなると思うし」

「そっか。…でもそれって役に立っているって言えるのか?」

「…私たちってね、何も知らないの。目の前の現実しか知らない。だから嬉しいと思うよ。大人でもね。…実際私は嬉しかった。世界は広いって思えたから」

「…わかった。やってみるよ」

そう頷いた。そんなタイラにハルカも笑顔を送る。

2人は行動を開始した。

ハルカは馬車に戻り、動きやすい服に着替える。

その間、トヨの人々が2人を見て何やら話していた。

人々は2人が貧しい人ではないことはわかっていた。

しかし自分たちの地域に王家の者が来るなどと思う人などいなかった。

トヨの人々はハルカとタイラをどこかの貴族だと思っているようだ。しかしなぜ貴族がこんな場所に来るのか、仮説すら出せる人はいなかった。

そのため人々は2人の姿を見ながら、手を休め、驚き合っている。

その混乱の中へ着替えを終えたハルカが乱入した。

周りのざわめきも構わず、大きな声で講義を始める。その光景を人々は少し離れて見ていた。

貴族というだけで反発を抱く人もいる。周囲を囲んでいる人たちもそうだった。

何か企んでいるのかもしれない。そう疑っている。

しかしどう見ても、大声で話すハルカの姿は貴族には見えなかった。話の内容は畑仕事に関するものだ。

彼らの知っている貴族は、自分たちを蔑み、富を奪っていく存在。

土に触れることなど絶対にない存在なのだ。

彼らの瞳に映るハルカは違う。

何度も触りながら土の質について説明している。慣れた手つきで野菜を抜いた。作業の効率を上げる方法、木登りの仕方を教えている。魔力の使える女性には木登りは必要ない。しかし、男性にとっては必要な術なのだ。

ハルカの言葉は的確だった。人々が心を許し始めている。徐々に集まり始めた。

話に耳を傾けている。

「…これは私が長年かけて学んだことです。みなさんも参考にしてもらえるときっと今より楽になると思います」

「あんた、貴族ではいのかね?」

一人の老婆が聞いた。

ハルカは真っ直ぐに彼女を見つめる。首を横に振った。

「私の手を見てください」

 腕を前に出す。綺麗な服には似合わない手だった。

「長い間、土に触れる日はない、という生活をしてきました。力仕事もしてきました。擦り傷や切り傷が残って汚い手です。けれど、私にはこの手が誇りです。私が頑張って生きてきた証だと今では思っています。みなさんも自分たちの手を誇りに思ってください」

人々は自分の手に視線を落とした。硬く、汚れている手。けれどそれは必死に生きてきたあかしでもあった。

人は時に忘れてしまう。自分たちは多くのものに支えられていることを。そして支えていることを。

その手があるから、その手の持ち主がいるから、この世界は動いている。


 タイラは遠くからハルカを見た。

多くの人の前に立ち、堂々と話している。土を触る姿は生き生きしていた。

そういう姿が好きだと思った。

自分も負けられない。自分を鼓舞し、声を張り上げる。

話しかけても無視され、うるさいと言われた。

長年王家にいたタイラにとって人に暴言を吐かれるなど初めての経験だった。

しかしそれでも自分の知っている物語を話し続けた。意味のあることだとは思わなかった。カイの話を聞いているハルカの笑顔を頭に描く。そんな風に笑顔にできるとは思っていなかった。ただ、誰かの心に響けばいいと思う。

 喉が痛くなった。誰も聞いていない。それでも、頑張らないわけにはいかなかった。

パートナーは率先して動き彼らの役に立っている。それなのに、自分は何もできない。野菜の作り方も知らなければ、木に登ったことさえない。

2つ目の話が終わった。

気がつけば、子どもたちがタイラの近くに集まり始めている。

タイラを取り囲むように座っていた。子どもたちは笑顔だ。

よく見ると手を動かしている大人たちもタイラの話に耳を傾けているようである。

3つ目の話が終わると自然に拍手が起こった。遠くにいた人も、手を休め軽く2、3発手を叩く。

泣きそうになった。役に立っている、そう実感した。野菜を作れなくても、木に登れなくても役に立てるのだ。

タイラはずっと、「平等であればいい」と思っていた。城の中でそう考えているだけだった。

どんなに強く思っても、行動を起こさなければ意味がない。わかっていても踏み出せなかった。自分には何もできない。そう思っていた。

けれど、違うのだ。踏み出せばできることがある。子どもたちの楽しそうな顔や遠くから聞こえる拍手が教えてくれた。

空が暗くなり、人々が家に帰る時間となる。家に向かう子どもが「ありがとう」と言った。

畑仕事で汚れた手でタイラの頭に軽く触れてくれる人もいた。タイラの前を通る人々は笑顔だった。それだけで喉の痛みは消えていた。

 ハルカとタイラはそのまま3日間滞在した。

2人に好意を持たない人もまだいたが、それでも2人は人々の中に溶け込んでいた。

「また来いよ」

「今度来たら話をもっと聞かせてね」

 別れを告げると彼らの中からそんな声が出る。

ハルカとタイラは顔を見合わせ笑った。短い間でも本気で向き合えば、心は開ける。

今回の旅で2人が学んだことだった。

「困ったことや手助けがいることがあれば何でも遠慮せずに城に言いに来てください。すべての要望に応えられるかわかりませんが、話を聞くことはできます」

馬車に乗り込む前にタイラが告げる。突然出た「城」という言葉に人々はざわついた。

ハルカとタイラは少し笑うだけでそれ以上何も言わず、トヨを後にした。

2人がいなくなった後、ひとりが言う。

「もしかして王家の人たちだったのかねぇ?」

「王家なわけねぇだろう」

「いやそうかもしれねぇぞ」

「いや、違うだろう」

「でも、いい人たちだったな。また来てほしいもんだ」

「ああ」

 答えは出なかった。「また来てほしい」それだけでよかった。王家でも貴族でも平民でもなく、ハルカとタイラとして人々の記憶に残るのだ。

青空を隠す入道雲の切れ間から太陽の光が差し込んでいた。

人々はまぶしそうに空を見上げている。

たとえ遠くにいても、空は繋がっていた。

離れていく馬車の上にある青空は、たとえどんなに離れても同じである。


 ハルカとタイラはトヨで、自分たちなりに精一杯やることができたと満足だった。

2人の顔には笑みがこぼれている。

しかしその笑みも城に近づくにつれて消えていった。

心にたまった満足感が大切な人を失った喪失感に変わる。

涙は出てこなかった。

しかし交わす言葉は少なくなり、ただ自分の足もとばかりを見ていた。

何時間もそのままの状態で馬車は進んだ。

馬の足音だけが響いている。

ハルカがふいに外を見た。

小さい何かが目に映る。よく見てみると人だった。

それも何十人、何百人といる。その人々は列になっていた。その列は城に向かっている。

ハルカの様子に気づいたタイラも外を見た。

馬車が進むにつれて、その列をつくる人々の姿が大きくなっていく。

手には白い百合の花が握られている。

「お母様の好きな花だ」

タイラが呟いた。

そしてわかった。

この人々はセラに会いに来た人々なのだと。

トヨにはまだ届いていなかった訃報を聞いた人々なのだろう。列をなしている人々には様々な人がいた。美しい服を身にまとう貴族。話の巧そうな商人風の格好をしている人。汚れた服を着ている人。若い女性。老人。小さな子どもが母親と手をつなぎながら並んでいる姿もある。

列は長い。

ハルカの頬を涙が伝う。タイラも泣いた。喪失感が涙と共に流れていく。

自分たちの母を誇りに思った。

何百人もの人々の姿を見ながら2人は城に着く。

城のすぐ近くにはセラの墓が建てられていた。2人は人々の目的地の正確な場所を知った。

墓の前は白と緑の絨毯が引かれている。

城に入ると先ほど帰ってきたというカナタとホタカが出迎えてくれた。いつもなら出迎えてくれるカイは調子が悪くて部屋にいるらしい。

出迎えてくれた2人もハルカとタイラと同じ顔をしていた。

失ったセラの存在は大きい。

けれど、そのことを嘆き悲しむ姿をセラは望まない。

こんな多くの人々に愛されたセラを目指し、少しでも近づくこと。

そしていつか追い越すこと。それをセラは望んでいる。セラを知る者にはそれがわかっていた。

城の2階の窓から見える長すぎる行列。4人はそれを見つめた。

喪失感と満足感、セラへのそれぞれの思いを胸に秘めたまま、それぞれの1週間の報告を互いにし合った。

誰も悲しそうな顔はしていなかった。それぞれが胸を張ってセラに自分たちの功績を伝えようとしていた。

 


「まだあんなに並んでいるね。」

2階の窓から外を眺めていたタイラにハルカが声をかける。辺りは暗くなっていた。

「あの列が終わったら私も行こうと思っていたのに…全然終わらないや」

「ああ。俺も行こうと思っていた。でも次から次へと来るんだな。いつまでも途切れそうもない」

「そうだね。みんな、お母さんが好きだったんだね」

「そうだな。この列を見ていると、お母様はすごかったと改めて思い知らされる」

「うん。きっとどんなに月日が経ってもお母さんはみんなの中に残ると思う」

「きっと…いや、絶対にそうだ」

ハルカが静かにタイラの肩に頭を乗せた。

タイラはその頭を2、3回撫でる。

2人は無言でまだ帰りそうもない人々の姿を見つめていた。

セラの笑顔を思い出しながら。

無数の星が人々を見ている。

今夜の星はいつもより輝き、電灯のようにはっきりと人々の足元を照らしていた。

決して転ばないように。

温かい淡いブルーの光は美しかった。

2人は空を見上げる。夜空には名前も知らない星座がいくつもあった。

光を放つ星の中に1つ、強い光で照らしてくれる星がある。2人はその星を見た。

放つ光は強く、濃い。

しかし穏やかで優しい光であった。


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