別れ
セラがハルカ、タイラ、カナタ、ホタカの4人を呼んだ。
カナタとホタカには他国との交渉を、ハルカとタイラにはシャマ国で一番貧しいとされるトヨという地域への訪問を命じた。
ハルカとタイラにはそこで自分たちで考えて役に立って来るという課題も付け加える。
双方は同時に一週間ほど城から離れることとなった。
城の前でセラとカイが双方を見送る。
「じゃあ気をつけて。ちゃんと自分たちで考えて行動してくるのよ」
その言葉に4人は頷いた。
「それじゃあ、いってらっしゃい」
セラとカイの言葉にまず、カナタとホタカが頷き、馬車に乗り込んだ。
ハルカとタイラも別の馬車に乗る。
ハルカは立ち止まり、深呼吸をすると、振り返り、セラとカイを見た。
「じゃあ行ってきます。おか…えっと、セラ様、カイ様」
「ふふふ。まだ慣れないかしらね。でもいいわ。あなたは私たちの娘ですもの」
「はい。行ってきます」
2つの馬車は城から離れ、それぞれ違う方向へ向かって行った。
言えなかった言葉。それでも、もうすぐ言える気がした。
ハルカは帰ったら「ただいま、お母さん、お父さん」と言おうと心に決める。
2つの馬車が離れて見えなくなると、急にセラの体がふらついた。
倒れそうになるセラの身体をカイが支える。
「…最近ハルカに付き添っているから疲れているのかもしれないわ」
「無理はするなといつも言っているだろう。…寝室まで行くぞ。歩けるか?」
「ええ。だけどこのままお姫様抱っこで連れていって」
「…子どもたちには見せられないな」
苦笑を浮かべながらカイは軽がるセラを持ち上げる。
軽い。いつの間にこんなに軽くなってしまったのだろうか。
言葉を失ったカイの表情をセラが見つめている。カイは小さく頷き、「何でもない」と告げる。
それでも、不安に襲われた。心なしか急いで寝室まで運ぶ。
セラをベッドに寝かし、肩まで布団をかけた。
「今日はゆっくり休みなさい。何かやらなければいけないことがあるなら俺がやるから」
床に膝をつけ、セラの髪をなでながらカイは優しく言う。頷くセラに笑みを浮かべた。
立ち上がり出て行こうとする。
扉に出をかけた時、後ろから声が聞こえた。
「カイ、ハルカは結局お母さんとは呼んでくれなかったわね。でも、母として接してくれた。それで十分よ。カナタとホタカは私よりしっかりしているから大丈夫よね。タイラにはハルカがついているわ。あの2人はきっと幸せになる。見ていて初々しいわ。こっちが照れちゃうくらい」
「…何を言っているんだ?」
カイは振り返った。
「カイ、手を握って」
布団からほんの少し手を出す。白く細い手。今にも消えてしまいそうだった。
目が少しだけ潤んでいる。
「まさか…」
声にならない声。セラは小さく頷いた。
カイはゆっくりベッドの方へ向かって歩く。
再び膝をつき、セラを見た。両手でセラの右手を握る。
「ハルカとタイラはこの国をより良くしてくれるかしら?…大丈夫よね、あの2人なら」
「ああ」
「女性の地位が高くて、女性と男性の差がこんなにない国を私は他に知らないわ。この国は素晴らしい国よ」
「そうだな。君の愛したこの国は素晴らしい国だ」
「これからも栄えていって欲しい」
「大丈夫だ。ハルカとタイラがもっとこの国を良くしてくれる」
「ええ、そうね」
「俺も俺にできることを手伝うさ」
「頼むわ」
「ああ」
「カイ…私、眠くなってきちゃった。少し寝るわ」
「…」
「私はあなたに出会えてよかった。カイがそばにいてくれた毎日、私は幸せだった」
「ああ、俺もだ」
「あなたがいたから、私は幸せだった。ありがとう。…カイ、愛しています。これからも、ずっと」
「俺も…俺も愛しているよ、セラ」
カイの声を聞き、セラは笑みを浮かべた。ゆっくり瞼を閉じる
カイはただ黙って手を握っていた。
その手にカイの涙が一滴、また一滴と落ちていく。
それからセラが再び目を開けることはなかった。
馬車の窓から外の風景を眺めていたハルカの頭の中に突然、呪文が浮かんだ。
ハルカは金縛りにあったかのように固まる。
頭が動くことを止めた。
「どうした?」
ハルカの異変に気づいたタイラが問う。
「…セラ…様が…」
「お母様がどうしたんだ?」
「…死んだ」
「え?」
わからずタイラは再び聞く。
「どういうことなんだよ。死んだって…なんなんだ?」
しかしハルカはもう話すことができなかった。
「死んだ」そう声に出してしまったから。
一気にセラの死に現実味が増してしまった。
セラが死んだ、その事実がハルカにのしかかる。涙が溢れ出した。
拭くことも忘れ、ただ泣いた。
ハルカの涙を見てタイラにもセラの死が実感として伝わった。
タイラの目からも少しずつ涙が流れ始める。
ハルカは以前言われた言葉を思い出していた。
「私、猫だから」
その時は何を言われたのかよくわからなかった。しかし今なら分かる。
猫は死に際を誰にも見せないのだ。
今日4人を城から出させた理由とも繋がった。
ハルカは今朝、「お母さん」と言いそびれたことを後悔した。
言うチャンスはいくらでもあった。いつもそばにいたのだから。
あと少し勇気があれば言えた筈だった。
しかしハルカは言わなかった。
セラの命が短いことを自分が一番よく知っていたのに。ハルカだけが知っていたのに。
また明日も会えるといつも思ってしまっていた。
ハルカは思いっきり叫んだ。
「お母さん―――!」
声は遠くまで響いた。初めて口にした言葉だった。できればもう少し早く言いたかった。
何回も口にしたかった。しかしそれはもうできない。
ハルカとタイラの様子に気づいたのだろうか、馬車を動きを止めていた。
揺れていない馬車の中、ハルカとタイラは抱き合った。
そして泣いた。
「…私、言えなかった。お母さんって言えなかった。…でも、私にとってはお母さんだったの。私のお母さんだったの」
「きっと、わかっていたと思うよ。お母様もハルカがちゃんと母として接してたこと。それに俺には…本当の親子に見えた。俺たちはちゃんと家族だった」
「うん。…でも、ちゃんと目を見て言いたかった」
「…」
「もう…言えないんだよね」
「直接は言えないかもしれないけど…これからいっぱい言っていけばいいよ。お母様はきっと、そばにいてくれる」
「うん」
「お母様に俺たちは立派な姿を見せていこう」
「…うん」
2人は涙が枯れるまで泣いていた。
従者が、2人が落ち着いたのを見て引き返すかどうか尋ねた。
2人は話し合い、このまま進むことにした。きっとセラは2人が頑張る姿を見ることを望むから。
城にいい報告を持って戻ること。きっとそれが一番セラを喜ばせるだろうと思ったのだ。
馬車は直進した。
2人は言葉を交わすことなく、しかししっかりと手を握り前を見ていた。




