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過去



 翌日からタイラの予言どおりとなった。

午前中には家庭教師が呼ばれ、字の勉強。午後からは政治、経済を学んだ。これにはカナタが教師としてつく。

夜は女王としてのあり方、他国との交渉の仕方、他国の特徴などを外交についてセラから学んだ。字を読めるようになると呪文を覚えることも勉強のスケジュールに入れられた。

貴族の特徴や接し方を教えるのはホタカだった。

毎日が忙しかった。今までと違い身体を動かすのではなく、頭を動かす生活。生活リズムも変わり、疲労は溜まった。

タイラとゆっくり話す時間も取られず、あっと言う間に数カ月が過ぎた。

その忙しい日々の中、カイは暇を見て、昔話を聞かせてくれた。休憩しているハルカの横に座り、「こんな物語はどうかな」と世間話をするように話してくれた。その時間が好きだった。

カイと話し、優しかった父を思い出し、セラに様々なことを教えられる度、記憶にない母と重ね合わせた。2人もはじめての娘としてハルカを可愛がった。

セラとカイはハルカによく言った。「お母さん、お父さんと呼んでね」と。

しかし女王、王として見てきた2人を急にそう呼べず、いつも「また今度呼ぼう」と思うだけだった。

 

 心地よい風。暖かい陽気。適度の疲労感。

「はあ~」

「ハルカ。授業中にあくびですか?」

 大きく開く口に添えられた手を隠す。恐る恐る見上げると笑顔のカナタ。しかし、この笑顔は怒っている時だということがここ数か月の付き合いでわかっていた。

「す、すみません」

 謝り再び机に視線を向ける。

 ハルカはカナタの講義を受けていた。

カナタは呆れを含むため息をつき、授業を再開しようとした。

 ノック音。ハルカは視線を扉に向ける。

「どうぞ」

カナタが言うと、若いメイドが部屋の中に入ってきた。

「何ですか?」

「ハルカ様に会いたいという女性が来ております」

「…私ですか?」

「はい」

ハルカは驚き、カナタの顔を見た。

カナタは再びため息を小さく漏らす。

「…しょうがないですね。勉強中なのですが…。どこにいるのですか?」

「はい。1階の階段の前で待っていただいています」

「わかりました。ハルカ、今日の分は必ず今日のうちに終わらせます。いいですね」

「はい。わかりました」

ハルカは立ち上がり、部屋を出ようとした。しかし足が止まる。

「どうしたのですか?客人を待たせてしまいますよ」

「…私を訪ねる女性なんて、伯母しかいないと思うんです。あの…だから…」

「何ですか?」

カナタが聞いた。優しいだった。

「お兄さん、一緒に来てくれませんか?」

少し潤んだ目を向けられ、カナタは、額を手で押さえた。可愛がっているのは何もセラやカイだけではない。

「…手のかかる妹ですね」

「ありがとうございます」

カナタも立ち上がり、並んで部屋を出る。

階段の上から見えたその客人は、重たそうな水色のドレスを身にまとっていた。年の割には明るすぎるその色は、不似合いとしか言いようがない。

客人の指には多すぎるほどの宝石を付けた指輪が光っている。気合いの入りすぎたその格好に2人は驚く。しかしそれ以上に2人を驚かせたものがあった。

客人の前にセラが立っている。

人前に出るわけではないため、セラはいつもより質素な服を着ていた。宝石の類は、首にかけているネックレスだけである。

けれどそれでも、目の前に立っている宝石の塊より、美しかった。

「なぜ、母上がいるのですか?」

客人の存在を無視し、カナタが尋ねる。その声にセラは視線だけを寄せた。

「この方は、ハルカの伯母なの。娘の伯母を母が出迎えるのは当然なことではないかしら?」

「でも、母上は女王なのですよ」

「女王である前に、母親よ。私はね」

これ以上何も言わせないというようにセラは語尾を強める。

カナタはもう何も言わなかった。静かに客人の方に身体を向ける。

「…伯母さん、どうしたの?」

そんな2人に構わずハルカは聞いた。カナタの後ろに少しだけ隠れるようにして立っている。

「ああ、よかった」

ハルカの伯母は、カナタを押しのけるように前に出て、何か月ぶりに会う姪を抱きしめた。

突然の暖かさにハルカは戸惑う。

「伯母さん?」

「よかった。ハルカ。お前がいなくなってずっと心配していたんだよ」

「…」

「次期女王になったんだってね。おめでとう」

「…」

 ハルカは思わず言葉を失った。予想外の伯母の反応に戸惑う。

伯母からこんなに優しい言葉をかけてもらえたのは、何年ぶりだろう。

「…伯母さん、ごめんなさい。黙って出て行って。家の方は大丈夫?」

「…いや…それがね、ハルカがいなくなって黙って仕事をする人がいなくなっちゃったでしょう?みんな、やった分のお金は要求するしさ。それで今日はハルカに頼みがあってきたんだよ」

「……頼みって?」

「お金をくれないかい?」

「…え?」

「だからお金。家の方は何とかなるんだけどさ、遊ぶお金が厳しくてね。あんた魔力なくても意外に稼いでいたからさ、いなくなって困ってるんだよ」

「…」

「ほら、あんた次期女王になったんだろ?それなら少しのお金くらい動かせるんじゃないの?」

「…私、そんなことできないよ」

「何言ってるんだい。次期女王なんだろう?」

「次期女王って言っても権力があるわけじゃないし、それに…」

「それに、何さ」

忠実な筈のハルカに断られたことに腹を立てたのであろうか、伯母の声には怒りの色が見え隠れしていた。

「それに、そんな権力があっても私はそんなことのためにお金なんて使わない」

「何を言ってるんだい?お前をあそこに置いてやったのは誰だと思ってる?」

「…用がないなら帰ってよ!」

「このっ!!」

ハルカの頬に、手加減なしの力が加わった。勢いでハルカは横を向く。心配そうな顔をしているセラと目が合った。ハルカは目を閉じる。

初めてこの人が伯母であることを、恥ずかしいと思った。

「何、口応えしてるんだよ!」

「…」

「もとはと言えば、あんたが魔力がなくなったとか言うから悪いんだろう。次期女王になれるくらいの魔力があったんなら今までの倍以上は稼げたよ」

「…」

「今まで文句言わずにやってきたくせに、次期女王になったからって、生意気な態度とってるんじゃないよ。奴隷のくせにさ!」

仕事をしても対価は与えられず、罵られ、暴力を受けた。そんな自分を「奴隷みたいだ」と思っていた。

けれど、言葉で投げつけられると自覚していた筈なのに苦しかった。叩かれた頬よりずっと痛かった。

ハルカは流れそうになる涙を、必死で堪える。涙を見せたら、負けを宣言したことと同じになるような気がした。

 そんなハルカを隠すようにセラが立った。

「カナタ、聞いたかしら?」

後ろを振り向かず、カナタに問う。

「ええ、聞きましたよ」

セラは伯母に笑みを向けた。一瞬でその笑みを消す。無表情の顔が伯母を見ていた。

「ねぇ、カナタ」

「はい、何でしょう?」

「奴隷はこの国で許されているかしら?」

「いいえ。この国で奴隷は禁止されています。それがたとえ家族であろうと…姪であろうと」

「…いえ、私は、あの…」

2人の鋭い視線に伯母は、口を噤んだ。

このままいけば伯母が罰を受けることは必然だった。

「ちょっと待ってください」

しかしそれをハルカが止める。

「ハルカ…」

「私、ちゃんと食べ物や寝る場所も与えられていました」

「…」

「だから奴隷ではないと思います。…あの、だから、伯母さんを許してあげてください」

「…」

「ハルカ、どうして庇うのですか?今までひどい扱いを受けてきた筈でしょう?」

カナタがハルカに聞いた。理解できないといった表情を浮かべている。

カナタの問いにハルカは首を振る。

「…よくわからないんです。確かに、ひどい扱いを受けてきました。…でも、伯母さんは、どうしても私の家族なんです」

その言葉を耳にした伯母は、目の前に立つセラの存在を一瞬忘れた。

女王であるセラを強い力で押し退ける。

もう1度ハルカの頬の痛みが走った。鈍い音。

再び腕は高く上げられた。しかしそれはカナタによって止められる。

伯母はカナタの手を振り払うと、ハルカを睨みつけた。

「本当にあんた、あいつにそっくり。だから嫌いなのよ!」

自分の立場。今いる場所。周りにいる人々。そのすべてを忘れて、伯母は叫んでいた。

「伯母さん…?」

「こんな私をかばって…、そこまでいい人ぶっていたい?私は優しいですってアピールしたい?」

「私はそんなこと…」

「本当にそんなところまであいつに、私の弟に似ているのね。私があいつを売った時だって、あいつは私を許した」

「…!」

「私は一気に悪者で、あいつは一気に英雄よ」

「伯母さん…どういうこと?お父さんを売ったって…何?」

ハルカの視線を受けて伯母は笑った。

「あんたなんかに教えてやらないよ。教えてほしけりゃ金をよこしな」

 微かな音が聞こえた。カナタが伯母の頬を叩いた音。

痛さは小さい筈だ。けれど我に返るには十分な痛みだった。

自分の立場を認識した伯母に、小さな声が届く。

静かで、低い声。

「説明してください。嘘、偽りなく」

カナタの顔は、伯母の少し上にある。見上げたカナタの冷酷な瞳に、伯母は威勢を失くした。淡々と話し出す。

嘘、偽りなく。



 貧しい平民の出身であったハルカの父、リクと有名な貴族の娘であったハルカの母、ソラは、雇われる者、雇う者という関係だった。リクはソラに仕え、ソラの身の回りの世話をしていた。

身分の差からいって、決して結ばれる筈のない2人だった。

しかし2人は恋に落ちてしまった。

2人は意を決し、断られる覚悟で、ソラの父に2人の結婚を認めてくれるように懇願した。

そしてその結果は予想していた通りだった。2人は会うことさえも禁止された。

だが2人は互いに相手のことを想ってしまっていた。会えない分、余計に。

そこまで深く愛してしまっていたのだ。

だからソラは自分の父や家族と縁を切ることを決めた。始めは反対していたリクを説得し、2人は駆け落ちを計画した。

若い2人が頼れるのは、リクの家族だけだった。

リクの両親は2人の幸せを願ってくれた。何度ソラの両親が訪ねてきても、いくらお金を積まれても、2人のことは「知らない」と言い通した。

しかしリクの姉であるハルカの伯母は違った。

2人の幸せと目の前の大金でできる幸せを天秤にかけてしまった。そして後者を取った。

伯母が2人の居場所を教え、ソラは自分の家に強制的に戻された。幸せな生活は1年ほどしか続かなかった。

リクとソラを家族を裏切った伯母は周りから非難の視線を浴びた。

しかしそれでも、リクの父も母も、決して責めることはなかった。「しょうがない」と言い、必死でリクに頭を下げた。

そんな両親に、そして姉にリクは「いいよ」と言った。

伯母が手に入れた大金で、貧しい暮らしをする両親に安定した暮らしを与えようとしていたという本心をわかっていたから。

「大丈夫。俺は必ず、ソラと2人で幸せになる」

そう言ったリクは、英雄になった。そして大切な両親のことを想い行動した伯母は、リクの優しい態度によって一気に悪者になった。

責めてくれれば少しは違っていたかもしれない、今でも時々そう思うという。

それからだった、伯母は自分でもわかるほど変わっていった。

お金だけを信じるようになり、優しさを嫌っていった。

自分を犠牲にして相手の幸せを願う、そんな人々を貶めるようになっていった。

そして異様な変貌を遂げた伯母のところに、リクはハルカを連れて訪ねてきたのだ。リクとソラは2回目の駆け落ちに成功し、ハルカを授かっていた。しかしその幸せはソラの死によってすぐに終わることとなった。

そしてリクは、ハルカを残して死を選んだ。しかし、その選択にも、リクの優しさが出ていたのだ。

貧しい自分と一緒に生きていてはハルカは幸せになれない。自分が完全に姿を消せば、世間体を大切にする伯母はハルカを育てないわけにはいかない。リクはそう踏んだようだ。

そこには魔力の強いハルカを大切に養うだろうという計算も含まれていただろう。

リクは、自分を裏切った姉を再び信じようとした。自分を犠牲にしてハルカの幸せを願った。

だから伯母は、ハルカが魔力を使えなくなったと聞いた時、利用することはできないと思ったと同時に心の中で喜んだという。

リクが大切に、大切に育て、命に代えてまで守ったハルカが不良品だったことが嬉しかったそうだ。

そしてそれからハルカを奴隷として扱った。

魔力の使えない姪をどのように扱ったとしても世間は何も言わないとわかっていたから。

 

そこまで話した伯母の目から、ゆっくりと涙が零れていくのをハルカはただ見ていた。

「私は父や母のために、お金を受け取った。私だけが悪いわけじゃなかった。リクがあんな態度さえとらなければ…私だってこんな風になってなかったのに。……あんたなんかいなければよかったのに!」

両手でハルカを思いっきり押す。バランスを崩したハルカは、強く尻を打った。

伯母は顔を下に向け、自分の足を見つめている。

地面に座ったままのハルカを無言でカナタが立たせた。

立ち上がったハルカは、何もできなかった。

目の前の伯母になんと声をかければいいのかわからなかった。声をかけていいのかもわからなかった。

沈黙の中、金属がぶつかり合う音が聞こえた。

セラが身につけていたネックレスを外し、それを伯母の手に無理やり押し込む。

「たとえあなたが誰を憎もうとも、お金だけを信じようとも、それがハルカにしていたことへの理由にはならないわ」

「…」

「それをあなたにあげる。売ればお金になる筈よ。それを持ってここから出ていきなさい。そしてもう2度とハルカの前に現れないで。ハルカが優しい両親のもとに生まれたことも、ここにいることにも意味がある」

「…」

「もう1度、私の娘に何かしてみなさい。次はハルカが止めてもあなたに罰を与えます。…行きなさい」

ハルカの伯母は返す言葉なく、静かに城から出て行った。

伯母の後ろ姿はとても悲しく、淋しそうだった。誰も信じない、そのつらさを知っているハルカだから余計に、その後ろ姿を見たくないと思った。

「伯母さん、ありがとう。教えてくれて、ありがとう。私は、お父さんに嫌われたと思っていた。お父さんは私を憎んで死んだと思っていた。でも、お父さんはちゃんと私を愛してくれていた。命に代えてまで、守ってくれた。そう教えてくれて、ありがとう」

そう叫んでいた。

淋しげな背中が一瞬止まる。しかしすぐに歩みを始めた。

振り向いてはくれなかった。それでも、立ち止まってくれたことが嬉しかった。

城の出口を見つめたままのハルカの頭に温かな手が触れる。

「ハルカ、勉強に戻りましょうか」

何事もなかったかのように、カナタが言った。

「はい。…お兄さん。それから、セラ様、ありがとうございました」

「何がですか?」

「何のことかしら?」

「…いいえ。なんでもないです」

ハルカは静かに首を振る。

2人の優しさが嬉しくて、優しくされることを幸せだと思えた。

部屋に戻るとカナタは早速、いつもの調子で講義を再開した。

太陽は輝き、小鳥は囀っていた。世界は美しく優しい。それも幸せだとハルカは感じた。


もうしばらく続きます。


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