再会
2.再会
シャマと呼ばれる国があった。
1年中過ごしやすい気候が続く、人口30万ほどの小さな国だ。
国の中央には女王や王の住む城があり、その周りには、王家や王家にゆかりのある者たちが住んでいる。
城を含むその地域を人々は、「ヒミ」と呼んだ。
「ヒミ」とは、この国の言葉で「富」を表し、声を低くして言えば「富を喰らうもの」という意味となる。人々は公では、声を高く、「ヒミ」と呼び、酒場では声を低くし「ヒミ」言うのだ。
シャマ国はヒミを中心に東西南北にそれぞれ大きく分かれている。
南と西は貴族など裕福な人々が、北と東には貧しい人々が暮らしていた。
シャマ国ではその温暖な気候のため、農作物がとれた。しかし機械がまだ発達していないため、収穫のほとんどは手作業で行われる。
そのような場合、力のある男性の方が上に立つのが普通だ。
しかしシャマ国は違った。男女平等である。いや、むしろ女性の地位の方が高いと言っても過言ではない。
シャマ国の最高権力者は王ではなく女王だ。
シャマ国は国の規模と同じように軍事力も小さい。加えて、女性がトップに立つことで何かと他国から反感を買いやすい。
それでも長年、他国からの武力行使は行われていない。
それは、なぜか。簡単である。他国はシャマ国を恐れているのだ。
シャマ国の女性は不思議な力を持っている。
その力には個人差があるが、力が強ければ過去まで変えると言われているのだ。
力が弱い場合でも多少のことはできる。
彼女たちは、手を使わずに果実をとり、触れることをせずにものを動かした。
その何と表現したら良いかわからない力を人々は「魔力」と呼んだ。
緑が生い茂り、空には雲1つない。青空の中、太陽は強すぎず、弱すぎない力で光を発している。
目を閉じ、耳を澄ませば風が通り抜ける音さえ聞こえた。いつもなら。
いつものように伯母に言われた仕事をしつつ、ハルカはそんなことを思った。
ここ数日はハルカの住む東の地域でも、花火や笛の音で溢れ返っていた。
数日後に次期女王が選ばれるのだ。
この国の女王に世襲制はない。国全体から有志を募り、最も魔力の強い女性が選ばれるのだ。
次期女王を選ぶ試験は数十年に1度行なわれる。その試験で選ばれた女性が次期女王となり、女王になるための準備期間を過ごすのだ。
試験を受ける者の大半は、20代前後の若い女性である。そして最近では貴族だけがその試験を受けるのが通例となっていた。
今、新しい女王の誕生への期待、そして国の経済を急速に成長させた現女王、セラへの感謝を込めた祭りが国中で行なわれている。
人々はここ数日、仕事をろくにせず、酒を飲み、食べ、祭りを楽しんでいた。
しかし休みなく働かされているハルカには、祭りがあろうがなかろうが関係ない。
むしろハルカにとってはただうるさいだけの祭りはない方が好ましかった。
ハルカの本日の仕事は、伯母の家の数百本にもなる林檎の木の世話。赤くなった林檎を収穫し、水をやり、草を取る。もちろんすべて手作業だ。
数年この扱いであるため、ハルカは、つらいとさえ思わない。すでに、何も感じることなく手を動かすことに慣れていた。
ただ時折、昔を思い出しては、比較してしまう。意味のないことだとわかっていながらも、昔のお姫様のような扱いが脳裏に浮かぶのだ。
ハルカは7歳の時、東の地域では比較的裕福な伯母のもとに引き取られた。
引き取られてすぐのころは、伯母や周りからお姫様のように扱われた。「ほしい」言えば、それは手に入った。自分専用のお手伝いもいた。
しかし9歳になったハルカは、ちょっとしたいたずらをした。それが今の状況を生むとも知らずに。
ふかふかのベッドがある大きな個室は、家畜小屋のすぐ隣にある臭い小屋へ変わり、ドレスは、ボロボロの作業着に変わった。
食べきれないほどの食事は朝夕だけの質素な食事となった。その食事はハルカの働きによって変わり、パン1枚だけという日も少なくはない。
1つの嘘がハルカの生活を180度変えてしまった。
背中に大きな籠を背負ったまま、林檎の木によじ登り、林檎をとりながら、ハルカは昔を思い出す。
定期的に聞こえる花火もハルカの耳には届かなくなっていた。
ハルカはそんな扱いになっても、何も言わなかった。自分にはこんな扱いが妥当なのかもしれない、そう思った。
そこまで考えてハルカは思考を停止させようと、頭を数回横に振る。強く振り過ぎて少し頭が痛くなった。
一度目を閉じ、深呼吸する。
花火の音が再び届き始めた。目を開く。
目の前にある赤い林檎に手を伸ばした。しかしその手は結局林檎には届かなかった。
下から聞こえる声に体が反応したから。
「おい、約束どおり、ちゃんと魔力使っているか?」
声のする方に目を向ける。
マントを羽織った、青年の笑顔がそこにある。短く切りそろえられた栗色の髪が風で揺れた。ハルカと同じような年齢だろう。大人びた顔立ちに微かに幼さが残っている。
格好から青年の家が裕福であることがわかる。
貴族の息子だろうとハルカは予想する。
青年の後ろを目で追っていくと、少し離れたところに馬車があり、その横には大人の男2人が立っていた。腰には剣が2本。
護衛だろうか。
もしそうならばこの青年は裕福の上に超が1つか2つ付くことになる。
瞬時に思考を巡らせたハルカに青年がまた下から声をかけた。
「聞こえてる?無視するなよな」
ハルカの視線がまた青年に戻る。口調はやけに馴れ馴れしい。
きっと言えば何でも手に入る生活を送ってきたのだろう。
こういう人は無視しても無駄だと、小さくため息を漏らし、慣れた手つきで木から降りた。
青年の前に立つ。
目の前に立つと青年は思っていたより背が高かった。ハルカより10センチは上だろうか。
青く色付いた瞳は大きい。
「どちら様ですか?」
「あれ?覚えてない?約束しただろ?」
「約束?」
「そう。ちゃんと魔力を使うっていう約束」
「…申し訳ありませんが、約束をした記憶がありません」
「なんだよ、それ。ひどいな。ちゃんとしただろ?思い出せよ」
「……申し訳ありません。もし仮に、貴方と約束をしていたとしても」
「仮にじゃなくて、ちゃんとしたって」
言葉に被せるように、青年は主張する。ハルカは、崩れそうになる笑顔をかろうじて維持し、言葉を進めた。
「貴方と約束をしたようですが、その約束は守ることはできなかったと思います」
「どういうことだ?」
「実は私、魔力が使えなくなってしまったんです」
「…嘘だよね?」
「いえ、本当です。原因不明の病と診断を受けました」
こう言えば大抵の人は返す言葉を失くし、離れていく。それをハルカは知っていた。
「いつから?」
追求する質問。
表情に変化はなかったものの、ハルカは心の中で舌打ちをした。稀にいる「大抵」以外の例外が目の前にいたからだ。
「9歳の時ですから9年前になります」
「…そう」
「はい。申し訳ありません」
「ねぇ、1つ聞いていい?」
「はい?」
「どうしてそんな嘘をつく必要があんの?俺に」
「…嘘?」
「ああ。嘘、でしょ?」
勝ち誇ったような表情を浮かべ、青年は真っ直ぐハルカを見つめた。ハルカも視線を逸らすことなく、青年を見る。
「どうして嘘などと思うのですか?」
「だって、嘘だから。…なぁ、嘘だろ?」
「…」
傾げられた頭。疑問形で聞きながら、それは断定していた。
ハルカの口が止まる。しかし、笑顔を崩すことはなかった。
表情を作るのは得意だった。長年間も続いている今の生活で唯一身に付けた特技と言ってもいい。
無表情、作り笑顔。それを場面によって使い分けていくのだ。
ハルカはそうやって上手く生きてきた。
「嘘つかなくていいよ、俺に」
「嘘じゃないです」
「嘘だよ」
「嘘ではありません」
「だからそれも嘘でしょ?」
「嘘じゃないです」
「嘘だね」
「嘘じゃない」
「嘘だ」
このやりとりが数十回続いた。
引かない青年。ハルカは心の中でため息をついた。時間の無駄遣いにも程がある。
頭上に視線を向ける。数えきれぬほどの真っ赤な林檎。伯母に言われた仕事はまだ半分も終わっていない。
東の地域に貴族が住んでいる筈がない。この青年はすぐにここから去るだろう。
ハルカは、半ば強引に自分に言い聞かせた。
そして何度目になるかわからない「嘘だ」の後に、ハルカは告げる。
「…嘘です」
聞こえないほど小さな声で。
それでも、青年の耳には届いたようで、勝ち誇った表情を浮かべ笑った。
「どうしてそんなこと聞くんですか?」
苛立ちを隠さず聞いた。取り繕う必要がないと判断したので、表情さえ作らなかった。
「俺、お前とここで昔あったことがあるんだよ。3年くらい前。…本当に覚えてないの?」
その言葉に、ハルカは青年の顔を凝視する。
くっきりとした二重の大きな青い瞳。高い鼻。栗色の髪。そして、笑顔。
「…!!」
3年前のあの日、ハルカは確かに彼と会っていた。
今日と同じように林檎の木の世話を命じられていた日だった。
その日に、ハルカはいつものように仕事をこなしていた。けれど、疲労が溜まりすぎていた。手を動かしていても瞼は落ち、数秒の間、意識を失くした。
それでもハルカは休憩を取れる身分ではなかった。休憩をしているところを見られたら、殴られるだけではなく、家から追い出されてしまう可能性まで出てくる。だから決して休むことは許されなかった。
頭ではわかっていた。しかし、それでも、身体はついてこなかった。
必死になっても、動かす手のスピードは勝手に落ちていく。瞼は勝手に閉じようとする。
そこでハルカはこっそり魔力を使ったのだ。
当たりを見回し、誰もいないことを確認すると、魔力によってもうひとりのハルカを作り出したのだ。
もうひとりの自分を働かせ、木の上で仮眠を取るつもりだった。
この辺りではハルカに声をかける人はいないなどいない。狭いコミュニティだ。伯母の家の財力も、ハルカの状況も筒抜けである。でも、だからこそ、好都合だった。
少しの魔力で作り上げた会話のできない低性能の分身でも林檎の世話なら事足りる。
そしてハルカが2人になったその時、ハルカは誰の声が背後からするのを聞いた。
「お前すごいな」
声の持ち主こそが、この青年。当時はハルカより少しだけ背は低かった。
その声にハルカは時が止まったように固まった。
嘘がばれてしまう。
ハルカは焦った。全身から冷汗が出る。
身体の汗を、静かに吹く風が乾かしていた。身体がだんだんと冷めていく。
ハルカは胸に手を当て、ゆっくりと振り返った。
次の瞬間、安堵により、地べたに座り込む。
声の持ち主は、ハルカの知らない人だった。綺麗な青い色の服。刺繍は手の込んだもののようだ。
ハルカは、青年は裕福な人であり、この辺りの人でないと確信した。
「お、おい。大丈夫?」
青年が座り込むハルカの顔を覗き込む。ハルカは、青白くなりながらも笑みを浮かべていた。
「…はい」
ハルカは立ち上がる。青年は安心したように、笑い、言葉を続けた。
「それにしても、お前すごいな。分身なんて並の魔力じゃないだろう?」
その言葉に、ハルカは一瞬言葉を失う。しかしすぐに、「双子なんです」と嘘をついた。
しかし青年の表情は動かなかった。
「なんでそんな嘘つくの?」
真っ直ぐな言葉に、誤魔化そうとしていた口が止まる。言ってもいいかな、と思った。
興味本位だろう。この辺りに住んでいるのではないのだし、大丈夫だ、と自分を納得させた。誰かに言いたかったのかもしれない。
「私、この辺りでは魔力が使えないことになっているんです。だからお願い。黙っていてください」
「なんで?」
「…なぜそこまで話さなくちゃいけないんですか?」
「黙っていてほしいんだだろ?」
「…」
勝気な笑みに言葉を失う。それでも青年はおもちゃを与えられた子どものように、言葉を待っていた。
「なあ、早く」
待ち切れず急かす声。
面白い話じゃないんだけど、そう思いながらも、しかし一歩も引かない青年に負け、ハルカは話を始めた。
消し去りたかった。
けれど、決して消えてはくれなかった思い出を。
「私、父と母がいないんです。2人とも死んでしまいました。今は伯母の所で暮らしています。7歳で父を亡くした私を、伯母は快く引き取ってくれました。優しくしてくれて、何でも買ってくれたんです。『欲しい』って言えば何でも。口に出さなくても、街でものを見ていたら、惜しげもなく買ってくれたんです。父を亡くして、ひとりになって、悲しみのどん底にいた私を救ってくれたのは伯母さんの笑顔でした。私、愛されているんだなって、7歳でしたけどそう思っていたんです。ひとりじゃないと思えることができたんです。それから2年間、すごく幸せでした。…本当に。父の死をやっと乗り越えられるようになったんです。笑顔も自然と出るようになってきました」
「…」
「そんな時、私は冗談のつもりで一つの嘘をついたんです。…9歳になったばかりの頃です」
自然にハルカの口は停止した。軽く息を整える。
表情に変化はなかったが、青年にはハルカが泣いているように見えた。
青年はただ何も言わず、目の前にいるハルカを見つめていた。
ハルカは少し長めの息を吐くと口調を変えることなく続けた。
「伯母に言ったんです。『魔力が使えなくなっちゃった』って。…少しびっくりさせようって思っただけなんです。それに、魔力の使えない私でも伯母は大切にしてくれるっていう自信もありました。…でも、伯母の顔から笑顔が消えました」
「…」
「色々な病院に連れて行かれました。今、思えば、その時に、嘘だと言えばよかったんですよね。でも言えなかったんです。必死すぎる伯母の顔が怖かったから。そこには愛がないように思えたから。有名な病院を何か所も回りました。そして、どこの診察でも原因不明だと言われました。当たり前ですよね、嘘なんですから。…何か所も回って、伯母はようやく諦めたようで、病院に連れて行くことはなくなりました。でも、その日から伯母や周りの態度は急変しました。魔力の使えない私は、伯母の目に映らなくなったんです。そこからはただこき使われるだけの毎日です。…魔力が使えることを隠しながら」
「…嘘だって言えばいいじゃないか。たとえ怖くても、愛がなくても、お前は魔力が使えるんだろ?なら、それを言えばいいじゃないか。そうすれば、こき使われることなく、前と同じように過ごせるだろ?なんでそんなに必死になって隠すんだよ?」
青年の言葉に、ハルカは笑みを浮かべた。普通の笑顔。けれど、言葉を止めるほど、青年には悲しい笑顔に見えた。
「…言えませんよ。だって、その時わかってしまったんですから。伯母が愛していたのは、私ではなく、私の持つ強い魔力だと。私、こう見えて、3歳くらいの頃から分身とか作れたらしいんです。稀に見る魔力の強さだと伯母は嬉しそうに話してくれました。後からわかってんですけれど、伯母は私の魔力を後々利用しようと思っていたみたいなんです」
「え?」
「魔力の強い若い女、なんて、商品価値は高いですからね。…この地域では、未だに人身売買は身近なものですから」
「…」
「私は、こんな魔力いらないのに」
「…いらない?」
「私の強い魔力が、父と母を殺したんです。…私が、2人を殺したんです」
「え?どういう…」
青年が目が合わせると、ハルカは弱々しく笑った。そして、視線を少し外し、言葉を繋いだ。
「私の魔力が強くて、母の身体が持たなかったらしいんです。もともと身体も丈夫な方ではなかったようです。…そのことは、産む前にわかっていたらしいんですけど、母はそれでも産むと決めたようです。そして、案の定、私が生まれたと同時に母は死にました。私が母を殺したんです」
「…」
「そんな私でも、父は愛してくれました。本当に、大切にされました。でもきっと同時に憎んでいた。…だって私は、父の一番大切な人を殺したんだから」
「…」
「大きくなるにつれ、徐々に母に似ていく私に、父は矛盾する2つの思いに耐えられなくなったんです、きっと。だから父は自ら死を選んだ。…7歳の私を置いて、ひとりで母の所へ逝ってしまった。…嘘の後、伯母や周りの人の態度が変わって、様々な言葉で罵られ、暴力を受けました。悲しくなり泣きました。でもそれと同時にどこか納得している自分がいたんです。これが人を殺した人間に1番合う道なのかもしれないって。だから嘘だと言わなかったんです。そしてこれからも言うつもりはありません。これは、私の罪滅ぼしなんです。だから…黙っていてください」
いつの間にか悲しい笑顔は消え、無表情に戻っていたハルカは青年に懇願した。それは土下座をする勢いだった。
そのハルカに青年は小さく言う。
「ごめん」
「…?」
「そんなこと思い出したくなかったよな。言いたくなかったよな。…本当にごめん」
深く下がる頭。それに対し、ハルカは小さく、首を振る。
「いいえ。思い出したくないのは、事実ですが、…今は少し、すっきりしています。本当は、誰かに聞いてほしかったのかもしれません。だから、良かったんです」
「あ、あのさ」
青年が口を開く。
しかし同時に、護衛らしき男たちが青年に告げた。
「もうそろそろ帰る時間なのですが」
「…今、行く」
ぶっきらぼうに答えると、ハルカに背を向けた。
しかしすぐに振り返る。青年は何かを考えるように、一度地面に視線を落とした。
ハルカに視線を戻す。声を潜め、口を動かした。
「今から言うことは聞き流してくれていい。ただ、価値があると思ったら、覚えていて。…魔力を使えないことはわかった。でも、そんなに強い魔力はきっといつかお前の役に立つと思う。だから時々でいい。ばれない程度でいい。使って欲しい。力が衰えないように。…必ず、俺がいい方向へ導くから。お前が自分が生まれたことそんな悲しそうな顔をして話さなくていいようにしてみせるから。だから…またな」
ほんの少し頬を赤く染め、青年は駆けて行った。ハルカは離れて行く後ろ姿を目で追う。
遠のいていく後ろ姿に「さよなら」という単語は浮かばなかった。青年の言葉を信じて見たくなったのだ。
「あの時の男の子…ですか?」
「正解。…約束を果たしに来た」
「約束?」
「お前の強い魔力をいい方向に導くっていう約束」
何を言っているんだろう、とハルカは思った。ハルカが頼んだわけでもなければ、2人で交わし合ったわけでもない。
ただ、青年が一方的に言った、聞き流していいと言った約束。
そんな言葉、家に戻れば忘れていた。青年の言葉を信じたことも。
しかも3年も前の話だ。
それでも、ハルカの目に映る青年は真剣だった。真っ直ぐ綺麗な目でハルカを見ている。
「私には関係ありません」きっとそんなひと言では引いてはくれないだろう。ハルカは思い出した青年の頑固さも併せて思った。
「どうする気なんですか?」
「次期女王の試験にお前を出す」
「…はい?」
「だからお前は女王になるための試験に出るの。それで優勝して、女王になる。お前の魔力ならできるから」
「…」
「大丈夫だよ、お前なら」
「ちょ、ちょっと、待ってください。次期女王の試験に出る?…誰が?」
「だから、お前」
「…えっと、私、字が読めません。魔力も強いと言われていたのは幼少期ですし、探せば、私より強い人は山ほどいます。それに、私はここ数年、ほとんど魔力らしい魔力を使っていないんです」
「大丈夫だよ。お前の魔力なら」
「…それにまず私、女王になんてなりたいと思いません。むしろなりたくないです」
「理由は?」
「…王家が嫌いだからです。いい服を着て、宝石をつけて、私たちは国を平和にしていますみたいな顔して、それでも結局は、貧しい人のこと『しょうがない』のひと言で片づけている王家なんか大嫌いです。いい服なんて売って、貧しい人にやればいいじゃないですか。それでは何の解決にもならないかもしれない。でもダイヤの指輪を買う余裕があるなら、今にも死にそうな人たちの食べ物にすればいい。私はこの扱いでいいです。食べ物も、服もあります。でも、こうしていると同じ扱いをされている人たちも目に入ってくるんです。ガリガリに痩せこけている人、流行病にかかっても治療もできない人。そういう人たちは何かしたんですか。ただ、生まれてくる家が違うだけでどうしてこんなにも…。私はそんなこともわかっていない王家にはいるつもりなんてないです」
息継ぎもせず青年にそう言い放った。2人の間に沈黙が流れる。
ハルカにとって、人に本音をぶつけるのは久しぶりのことだった。だから何が起こってもいいように構えていた。殴られることも視野に入れて。
しかし、その沈黙の中で青年は嬉しそうに口角を上げた。
「な、なんですか?」
「思った通りだ。やっぱお前、いいやつだな」
「…?」
「やっぱお前がいい」
「え?」
「俺は、お前に女王になってほしい」
「だから私はあんな王家は嫌なんです。…セラ様は尊敬していますけど。でも王家は嫌いです」
「だったらお前が変えればいい。みんな平等な世界をお前が創っていけばいい。お前が上に立って、貧しい人たちにパンを配ればいい。お前にはそれができるんだ。それにきっとここで林檎取っているより女王になった方がお前の両親もお前のこと見つけやすいんじゃないのか?」
「…」
「ご両親にお前の活躍を見せようぜ?」
「2人は…私のことなんか見ていませんよ」
「そんなことあるわけないだろ?」
「…勝手なこと言わないでください」
「あの後、考えたんだ。お前は両親を殺したと言った。でも俺は違うと思う」
「違う…?」
「お前は悪くない。お前はちゃんと2人に愛されていた」
「…!」
「きっとお前を見守っているさ」
「そんなこと…」
否定の言葉がハルカの口から出ようとして消えた。青年がハルカの言葉に被せるように言ったから。
「愛してなかったらどうしてお前を生んだ?中絶だってできた筈だ。愛してなかったら、なぜわざわざ裕福な伯母のもとに預けた?お前が少しでも楽できるようにじゃないのか?」
「…産んだのは、子どもがほしかったから。伯母に預けたのは、伯母しか引き取ってくれなかったから」
「馬鹿言うなよ。自分の命を犠牲にして、どうでもいい子ども産む人がどこにいるんだ?それに、お前ほどの魔力なら、引く手数多だろう」
「…」
「お前の伯母なら、魔力の強いお前を大切にするって思ってたんじゃないのか?もしかしたら、伯母が本当の娘のように可愛がることを想定してたのかもしれない。結局は読みが甘かったみたいだけど」
「そんなこと…」
青年が首を横に振る。
「お前は愛されて生まれた。そして今も愛されている」
「…」
「きっと今も、ちゃんと天国で見守っていてくれている。大丈夫だ。…な?」
「私は今でも愛されている?…見守ってもらっている?…こんな私でもそんな風に思っても…いいんですか?」
本当はずっと、ずっとそう思いたかった。嘘でもいいからそう思っていたかった。
でも、自分で言うことはできなかった。自分で言ってしまえば、それはただ自分を守るにすぎない気がして。
自分でそう思えばそれが嘘だと自分で証明しているような気がして。
怖くてできなかった。微かな希望を失いそうで。
でも、この青年は言ってくれる。当たり前だとでも言いたげな、力強い口調で。青年の言葉はすべて想像だ。それでも、信じたかった。信じていいと言ってほしかった。
ハルカは顔には作った笑顔が張り付いている。長年染みついた癖はなかなか消えない。
それでも、その笑顔の中に青年は涙を見た気がした。
青年はハルカに一歩近づく。
綺麗な服でハルカの汚れている服を包み込んだ。
久しぶりの抱擁に、ハルカは頬は赤くなる。
「いいに決まっているだろう。お前は長い間ひとりきりでいろんなものを我慢してきた。もういいんだ。ほしいものをほしいと言っていいし、涙を流してもいい」
「…」
「これからはお前が望むように生きろ。お前が決めて生きるんだ。自分の意志で、歩くんだ。誰かのためはもう十分だよ」
「…」
「俺と一緒に来ないか?…この国を変えよう」
ハルカは青年の胸の中で思った。この優しさは嘘かもしれない。自分の魔力を利用したいだけかもしれない。伯母のように。
でも、それでもいい。
「…お前じゃない」
「お名前は?」
青年が顔を下に傾ける。ハルカは青年の胸に顔をうずめて言った。
青年にだけ聞こえる微かな声で。
「ハルカ」
それが了解の合図。
「俺はタイラ」
「…タイ…ラ?」
目の前にあるタイラの身体を軽く押し、離れる。
声には微かに驚きの色が出ていた。
タイラを足元からゆっくり見る。身につけているもの、態度。そして、青い瞳。
ハルカの中にある仮説が浮かぶ。
その真偽を確かめるため、ハルカはタイラに尋ねた。
「…タイラって…もしかして?」
「そう。セラ女王の3番目の息子」
「…」
「一応、王子かな」
「…王子?」
「ああ」
「な、なんで王子がこんなところに…。え?…王子?」
表情に変化は出なかった。しかし、口調は、穏やかではない。
前髪を触り、考えるように固まった。
その様子を見て、タイラは少しだけ笑う。素直に表される動揺と変化のないハルカの表情がミスマッチだったから。
笑みを浮かべたまま、静かに聞いた。
「王子じゃダメか?」
「…」
意外な言葉にハルカは一気に冷静さを取り戻す。青い目を見つめた。
「俺は確かに王子だ。でも俺は俺だ」
「…うん」
ハルカは少し高い位置にあるタイラの顔を見つめ、静かに頷いた。
「あ、そうだ。ハルカのさっきの言葉、肝に銘じるから」
そう言ってタイラは笑って見せる。
その笑顔を見てハルカは思った。
王子でもなんでもいい。この人についていこう、と。きっとこの人は私を幸せにしてくれる、と。
根拠はなどない。けれど、ただ、そう思った。
青空の中、大きな太陽が顔を出している。時々聞こえる花火の音を耳にしつつ、2人は自然にその太陽を見上げた。
眩しくて決して直視はできない。しかしいつも見守っていてくれる温かい存在。
太陽の光が2人を照らしている。その光は周りの木々も照らしていた。
2人のいる世界に、さわやかな風が吹く。
ハルカの長めの髪とタイラの短い髪を風は揺らす。その風に吹かれ、木の葉も揺れていた。
風に吹かれる度、木の葉が光を反射させる。
その輝きに2人は魅せられた。




