第二章『紅を求める影』(3)
「……んで、何なんだ、この有様はぁ?」
サングラスにニット帽、といういかにも怪しい容姿の男を肩に軽々と担ぎながら、遼平は疲れた表情で賑やかな監視室を見回していた。
「あ、お疲れ、遼〜」
デスクの脇に座り込んでいる真の腕に包帯を巻きながら、純也は笑顔で遼平を迎えた。傍らに、何故かロケット弾が転がっている。更にその背後では澪斗と希紗が何やら言い争いをしているし、足下には縄でぐるぐる巻きにされた中年男とスキンヘッド頭がもがいていた。とりあえず、遼平は担いでいた男(既に気絶済み)を乱暴に降ろし、適当な椅子に腰を下ろす。
「希紗、一体何を考えているんだ貴様は! こんなふざけたモノを使うやつがあるか!」
「何よ、ちゃんと使えたんだから文句無いでしょ? これ、考えつくのに三時間もかかったんだから!」
「コルク栓だぞ!? どんな思考回路を辿ればそうなるんだっ!」
「だ〜か〜ら〜、サイレント系にするには弾丸を軽くするしかなかったんだってば!」
「他にもいろいろあっただろうっ」
「そりゃ、候補はいろいろあって悩んだわよ。消しゴムとかスーパーボールとか、王冠まで集めたんだけど、やっぱコルク栓が一番だったでしょ?」
「……今時何処に行けばそんな物が手に入るんだ……?」
「私の近所の、もはや骨董品屋的な駄菓子屋よっ!」
呆れて敗北を感じ俯いた澪斗の前で、希紗が得意げに胸を張ってVサインを突き出した。どうやら今回も澪斗の完敗らしい。そもそも、メンバーの中で最も饒舌である希紗に毎回挑む澪斗も、かなりのチャレンジャーなのだ。
「……うん、これでいいよ。でもまだあまり動かさないでね」
「えろうありがとなァ、純也」
まくり上げていた長袖を下ろして、真は右腕に巻かれた包帯を隠す。制服の下に隠れる一瞬前、うっすらと血の滲んだ包帯が見えた。制服の上着の内ポケットに、純也は治療道具を収めていく。
「あのホールに、まだ侵入者がいたのか?」
「そのようやなァ〜。ワイはあの後宮澤会長の後ろで控えとったんやが――――」
真はその後起こった出来事を細かく説明しだした。
一通りマスコミのインタビューも終わって、開館セレモニーも終わりに近づいた頃。会長がステージから降りる前にもう一度『鮮血の星』に近寄ってショーケースの左側に軽く手を置いた瞬間だった。一瞬で異様な気配を感じ取った真は、急いでマスコミをはらうふりをして会長もろともショーケースの前に立ちふさがったのだ。真は何かが自分の腕を貫いた音を聞いたが、周囲の喧噪で誤魔化して、素知らぬ顔で宮澤会長をせかしてステージを後にしたのだという。
「銃弾が真君の腕を貫通したみたいなんだ……良かったよ、あと二センチずれてたら骨が砕けてた」
心配そうな、しかし安堵も混じった表情で純也は真の右腕を見た。メンバーの中で、唯一医学に詳しい純也は怪我の治療を担当している。純也の持つ医学の知識量は膨大で、人間のあらゆる身体の構造を熟知していた。怪我だけでなく、病気でも確実な処置が出来る。……もっとも当の本人にも、何故そんな知識があるのかわかっていないのだが。
「もう、高い所には上がっちゃダメだって私がちゃんと警告しといたじゃない」
我が物顔で、希紗が胸を張る。その仕草に真はむっとした顔を向けて。
「そんな占いなんか、偶然やろ。……で、今日のワイはどんな感じなん?」
「結局気になるんじゃない。えっとね、今日の真は〜『やること成すこと思うこと、全て裏目に出るでしょう。もはや一歩動くだけで危険です。ラッキーアイテムは十年間使い続けたタワシ、ラッキープレイスは奈落の底、ラッキーアクションは富士の樹海散策、ラッキーカラーは鮮血のようなどす黒い――』」
「もうエエです。とりあえず今日のワイには救いようが無いことがわかったから」
「真君、落ち込まないで……はい、タワシだよ」
「うぅっ、ありがとなァ純也……」
「ってか純也、お前タワシなんてドコから出した?」
「真、感動するほど貴様にタワシが似合っているぞ。一種の才能かもしれん」
慈愛の眼差しで優しく手渡した純也からタワシを受け取り、真はそれを崇めるように両手で掲げる。貧民的な後光がタワシから発せられているような……錯覚を部長は見た。
「それで、コレがその弾なんだけど……」
純也はくるまれた白い布を開き、全員に見えるように持ち上げる。布の中央に、血みどろの小さな弾丸が収まっていた。布が、薄く紅に染まっている。
「ん〜、これはちょっと珍しいタイプね……フルメタルジャケットかしら? 随分小型のようだけど?」
「間違いないな。だが、これにさほど破壊力は無い」
ひょいっと弾丸を摘みあげて鑑定し始めた希紗に、澪斗が頷く。血糊を拭き取ってメインコンピューターの横に置いてから、希紗が目の前のキーボードになにやら打ち込み始めた。途端、正面の一番大きなディスプレーに監視カメラの映像が映し出される。
「ちょっとこれ見てほしいんだけど、真が撃たれた時の画像よ。ほらここ、会長の左前に真が割り込んだでしょ?」
ステージの真上から撮影していたらしい、無数の人の頭がステージ前に集まっている。
宮澤会長の左前にいきなりやや強引に真が進み出たところで、希紗は映像をスロー再生させた。ゆっくりと映像をズームして、『鮮血の星』周辺を映す。
駒送りで流れる映像の中で、真が一瞬揺れた。そこで希紗は映像を一時停止させる。
「ここ! ここで真は撃たれたのよ。惜しいわ、もう少し右にいてくれたら弾道がはっきりわかるんだけど……」
「そんな、これ以上逸れてたら胴を撃たれてたよ〜」
「そうなのよ、そうしてくれてたら射程距離も測れてたじゃない! もうっ」
「いや、だからそんなことになったら出血が……」
「大丈夫よ、身体に穴の一つや二つ、空いたって生きていけるでしょ」
「それはそうだけど、胴なんかに怪我されちゃったら包帯がたくさん必要じゃないか。治療道具費だって結構ばかにならないんだよっ?」
「……誰かワイの身体を心配してくれ」
本気で惜しがっている希紗と経費ではなかなか落ちない治療道具費を心配する純也達の背後で、がっくりと真が肩を落とした。そんな真の肩に、ぽんっと遼平の手が置かれる。
「気にすんな、お前が死んだらばっちり裏ルートで臓器を高額で売ってやるからよ」
「何言ってるのよ! 臓器は無料で移植してもらうに決まってるでしょ!」
「っていうか無理だよ、胴なんか撃たれたらほとんどの臓器は使い物にならなくなるってば」
「そうなのか!? ったく使えねぇなー」
「今こうしている間にも多くの人々がドナーを待っているのに……」
「う〜ん、せめて頭ならね〜。撃たれても他の臓器は無事なんだけどね〜」
「…………ワイ、もう死にたい……」
既に真の死亡を前提として展開されていく三人の会話の隅で、リーダーである部長は完全にうずくまって暗くなっていた。心なしか、その空間だけ重たい空気が溜まっているように見える。
「……貴様ら、そのへんにしておいてやれ」
「澪斗……」
至極珍しい澪斗の慈悲に、真は涙ぐみながら顔を上げた。が。
「どうせこんな身体は元より使い物にならん。」
グサッと全員の耳にも届くようなトドメの音が。希紗達三人は内心で(((冗談だったのに……)))と凍りついたが、どうやら澪斗には全員真面目に議論しているのだと聞こえていたらしい。真は、腕を撃たれた時以上の衝撃が身体中を巡っていくのを感じ、意識を手放したいと本気で思った。
「……ワイ、ワイィ……。……なんか最近みんな冷とうない? ってゆうか一応部長やで? 上司やで? 何なん、その人以下の扱い?? ……死ぬ。ワイ絶対このままやと死ぬ、絶対こいつらに殺されるゥ〜……」
真が部屋の端でいじけ始め、何やらブツブツと呟いていたが、他の四人は本題に戻る事にして再びディスプレーを仰ぎ見た。
「はいはい、じゃあ話を戻すけど。この角度、実は真と会長がここにいなかったら……ショーケースの丁度左角に当たってたの」
「それに何か問題があんのかよ?」
「それが大有りなのよ。このショーケースは宮澤財閥が用意した超頑丈な特別製で絶対開かないようになってるんだけど、ちゃんと『鮮血の星』が取り出せるように唯一キーが用意されてるの。それが、《ショーケースの下角四隅に設置されてる宝石を破壊すること》なのよ……」
「えっ、それじゃあ……」
「そう。犯人はそれを知ってて、キーを解除するために狙ったら失敗した、ってとこでしょうね」
「確かに、そう考えれば侵入者が四人いた事にも納得がいくな。それぞれキーの宝石の破壊を担当していたのだろう」
「たぶん、まだ見つかっていない最後の一人がキーを解除した後に『鮮血の星』を盗るつもりだったんだわ。……ねぇ、そうなんでしょ?」
ディスプレーから振り返り、床で拘束されている侵入者達に希紗は問いかける。もっとも、口をガムテープで塞がれているので彼らは返答はできないのだが。ふんっと縄で拘束された男は顔を逸らした。
「今ここで訊いても無駄のようだな。俺が地下まで連れて行こう、尋問もそこでしてやる」
「澪君、あんまり乱暴な事しちゃダメだよ」
「フン、こいつら次第だ。さぁ立て」
遼平が気絶させてしまった男を足蹴にして意識を戻させ、澪斗は三人を地下の格納庫へ連行しようとする。侵入者達を見下ろすその視線はいつも以上に鋭かった。
この宮澤財閥主催『世界の芸術・美の祭典』は、一週間のみ『鮮血の星』を公開する美術館開館イベントだ。普段はパリのルーヴル美術館に収蔵されている『鮮血の星』を護るために、ロスキーパーは雇われた。
そしてそのイベントの間、侵入者は一切警察には渡さない依頼をされている。事を荒立てて客足が減るのを避けたいのだ。その為、泥棒などは地下の格納庫に隔離しておくことになっていた。
「じゃあその前に回収した弾丸を置いていって。一応調べてみるから。皆も出して」
もう美術館内は一般客で溢れかえっている。人々はその前に行われた戦闘など知る由も無く、数々の美術品を堪能していることだろう。それもこれも、戦闘後に澪斗達がそれぞれ戦闘の痕跡を消し去ってきたからだ。
「では俺は行くぞ」
「何かあったら無線で呼んでね〜」
「何も無い」
三人を拘束したロープを片手に澪斗は無愛想に出て行く。希紗は仕方が無さそうな笑みでその後姿を見送っていた。
「んで、俺らはどうするよ? 今は表の警備会社のやつらが巡回してんだろ」
「そうねぇ、今夜に備えて仮眠してもらってても構わないけど……」
「気になるんやろ? 最後の侵入者が」
いつの間にか立ち直っていた真が、壁にもたれながら腕を組んで希紗の思考を読み取る。
「まぁ、ね。今は監視セキュリティーをオートに切り替えてほぼ万全な状態にしてあるから、騒ぎを起こされる心配はないと思うわ。……でもその侵入者がまだ館内にいることは考えられるし、もしあの時ステージの近くにいたのだとしたら何か痕跡がまだ残っているかもしれない。私、ちょっと現場まで見に行ってこようかしら」
「それだったら僕が見てくるよ。希紗ちゃんはいろいろお仕事があるだろうし」
デスク上の銃弾とロケット弾を見て、純也は希紗の代わりを申し出る。巡回などはそもそも希紗の担当外なのだから、当然と言えばそうなのだが。
「ならワイも行くで。どうせ暇やったさかい」
「遼はどうする?」
「あ? 俺は面倒臭ェから仮眠室で寝て―――」
本日三度目の、高らかに響く音が遼平の後頭部に。真の十八番であるハリセンが気配を感じる間さえ与えず叩き込まれたのだ。
「〜っ!! いきなり何しやがんだよっ、お前腕怪我してんだろ!?」
「心配すな、今のは左腕や。遼平がすぐサボろうとするんは想定の範囲内! ほら、あんたも一緒に行くんやで」
「ちくしょー……」
襟の後ろを掴まれてズルズルと遼平は真にドアへ引きずられていく。そんな二人を追いかけようとして、純也はある大切な事を思い出した。
「あ、二人ともちょっと待って!」
「どうかしたん?」
「ゴメン、あのさ……」
恥ずかしそうに頭を掻く純也に、真は首を捻る。遼平はなんとなく気づいていたので「やっぱりな……」と小声でため息まじりに呟いた。
「お腹空いちゃったから、何か食べてからでもいい?」
「……構わへんで……」
一応仕事中なのだが……と思ったが、なんだか純也の和やかな雰囲気に呑まれて、真は脱力しながら頷いた。
◆ ◆ ◆
「入れ」
厚い扉の前で指紋と網膜のセンサーロックを解除し、眼鏡をかけ直して澪斗は侵入者三人を扉の先へ促した。重い質量の音を立てて二重の扉が横に開いていく。
頑丈な扉の先には先程のメインホール並みの大きさの部屋があった。ここは元は美術展地下の格納庫だったが、今は美術品目当てに侵入してきた窃盗犯達の牢獄……というか収容所になっている。ここのセキュリティーロックは希紗特製で、解除できるのはLKのメンバーのみにしてあった。
すでに幽閉されていた九人の泥棒達が、一斉に新入りの三人と彼らを連れてきた警備員を見る。何にもないただ広いだけの部屋だが、人数分の布団と食事はちゃんと用意している。あと一週間はここで生活する羽目になるからだ。
連れてきた男達の口に貼られていたガムテープを無造作に剥がす澪斗。背後の厚い扉が再びうるさい音を立てて閉まっていく。
「話せ、最後の仲間は何処にいる? 何故ショーケースの解除キーを知っていた?」
「ふんっ! 人に訊く前にこの縄を解きやがれ」
あぐらをかいて座り込んだ男に、澪斗は片膝をついて視線を合わせた。眼鏡越しに男をじっと見据える。
「……何か勘違いをしているようだな。俺は警察でも表社会の警備員でもない」
僅かに金属音がしたと思うと、既に男のこめかみには澪斗の銃が突きつけられていた。
「貴様を殺そうが俺にはどうでもいい事だ。……もう一度だけ訊いてやる、何故ショーケースの解除方法を知っていたんだ?」
「どっ、どうせその銃は本物じゃないんだろうが! あの女の作ったオモチャなんだろっ! 人を殺すぅ? 馬鹿言ってんじゃねーよ小僧!! はっ、ははははははは……!」
嘲りながら笑い始めた男の目の前で澪斗はすっと立ち上がり、格納庫の天井四隅を見上げる。この部屋には監視カメラが無いことを確認した後、右手に握っていたカートリッジ式銃『ノア』をゆっくりと右脇の腰のホルスターに収めた。
「……まぁ、いいだろう」
「へっ、わかったんなら早く縄を解けよ! 解いてくれたら少しぐらい答えてやっても――――」
密室空間に刹那響く、空気を震わす銃声!
「お、お前、本物を持って……!?」
「いいだろう、一人ぐらい殺したところで問題はあるまい。それとも喋るか? この世にまだ未練があるのならな」
視線だけで射殺せそうな無感情の殺気。男の脚を僅かに逸れた位置の床に突き刺さった弾丸。
澪斗の右手が左腰から引き抜いたリボルバー式マグナムの銃口が、硝煙を上げていた。