第二章『紅を求める影』(1)
第二章『紅を求める影』
いよいよセレモニーの時間が近づき、ギャラリーの興奮はほぼ絶頂まで高まっていた。正確には警備員側も、だが。
今回の依頼は『何事も無く美術展を終わらせること』。少なくとも、そう見せかける事だ。何かが起きる前にそれを阻止、又は一般人に気づかれる前に片付けなければならない。非常に面倒な仕事ではあるが、報酬が桁違いに高い。もちろん成功報酬だが。
やや緊張した面持ちで真は無線機のスイッチを入れた。
「希紗、今んとこどうや?」
『は〜い、現段階では異常は察知できてないわよ。監視モニターでも観てるけど……うわっ、あのオバサン化粧無駄に濃いわね〜。あ、あっちにも。あの真っ赤なドレスはどうかと思うわ』
「誰が客のファッションチェックせェゆうた! だいたいあんたはいつもなァ、仕事にもっと責任をやなァ……」
『あ〜、はいはい小言はストーップ! 任せて、監視室の機器は私がぜーんぶ支配してるからっ』
「……せめて《管理》とゆうてくれ……」
さらっと吐かれた《支配》という言葉に真はうっすらと悪寒が走っていくのを感じる。また胃がキリキリしてきた。たぶん緊張だけのせいではない。
「あのさ、遼……」
「あ? なんだよ」
ステージの厚い壁の隙間からじっと客を見回している遼平の制服の裾を、純也は申し訳なさそうな表情で掴んでいた。返事をしつつも、遼平は振り向かない。
「さっきはありがとう。僕の苗字、誤魔化してくれて」
「別に。ただでさえガキなのに、記憶喪失なんてクライアントにバレちまったら仕事がパァになるかもしれねぇだろ」
「でもわざわざ『蒼波』って……」
「俺の弟じゃ不満か?」
相変わらず遼平は顔を背けていたが、皮肉げにニヤリと口元を歪めているのがなんとなくわかった。ギャラリーを警戒しつつも、声色が微妙に変化している。
「ううん……あ、でも遼の弟って役、けっこー大変かも?」
「どこがだよ?」
「だって遼より鈍くなきゃいけないし、あまり物事考えちゃいけないしさぁ……」
「……オイ。まるで俺が鈍くてバカで全然モテねぇみてーじゃねーか! ちったぁ『兄貴』を敬えよっ」
「僕、遼がモテてないなんて一言も言ってないけどね……。わかったよ、『お兄ちゃん』」
フンっと腕を組んでまた集中し始めた遼平を、純也はおかしそうに小さく笑っていた。
今まで遼平と純也は兄弟だと誤解されてきた事がよくあった。実際、面倒だったので親戚なのだと偽っていた時期もあったが、今では純也がさりげなくそれを否定している。遼平に嘘をつかせ続けることが純也には辛かったからだ。
……いきなり、遼平が勢いよく身を乗り出した。ステージ脇に手をかけ、素早く客を見回しながら何かを必死に探している。そんな遼平の様子に、メンバー全員に張りつめた空気が走った。
「どうしたの、りょ――」
「おい希紗、聞こえるか!」
突如、自分の無線機に向かって叫ぶ遼平。いつもの薄ら笑いではない、真剣さが遼平の漆黒の瞳に光っている。
『なに、どしたの?』
「拳銃だ、全部で……三丁! こン中で少なくとも三人、武装したヤツがいる。ドコだかわかるか?」
『ダメっ! 金属レーダーはさっきから反応しっぱなしなの、お客のアクセサリーとかで! 今十機のカメラが不審者を捜索中よっ』
遼平がまた口を開きかけた時、突然拍手喝采が巻き起こって反射的に耳を塞がなければならなかった。セレモニーが、始まってしまったのだ。
「アカンな……、じきに『鮮血の星』が出てまう!」
真の言葉が終わるか終わらないかのうちに、宮澤会長があの美人秘書を引き連れてステージに上がってしまった。一呼吸置いて、会長が挨拶を始めるが、静かな興奮は収まらず、会場は未だざわついている。会長の挨拶が終われば、いよいよ『鮮血の星』が観衆に公開されてしまう。盗られるとすれば、まさにその時だ。しかも相手が武装しているとあれば、強盗行為も充分考えられる。
不気味な音を遼平は耳にする。撃鉄の起こされる微かな音。犯人は今か今かと公開の瞬間を待っている。またカチッ、カチッと撃鉄の起こる音が。
しかし皮肉にもその僅かな音が犯人達にとって致命的な失敗だった。遼平には今の三回の音で全員の居場所がわかってしまったからだ。
「そこかっ!」
『えっ? どこどこ??』
「三人とも二階の吹き抜けの手摺りから身体を乗り出しているヤツだ。よく聞け! 右、中央、左のそれぞれ奥の通路につながるドアの前にいやがるっ!」
「あれか……」
いつの間にか遼平の隣りに立っていた澪斗も、二階の観衆の一人を睨み付けている。その右手には、すでにノアが握られていた。
ステージ上では赤い派手な幕のかかったショーケースが運び込まれ、今まさにその布を会長自身がとりはらうところだった。観衆はステージ上のショーケースに釘付けで、誰も手摺りから突き出た銃口に気づいていない。
二階にいる武装した三人が、ステージ目掛け一斉に引き金に手をかけたっ!
けたたましい音の中で、砕け散る悲鳴があがる――――。