第一章『星に集いし者』(1)
第一章『星に集いし者』
「オラおらぁっ、どきやがれ!」
一般道路を常識外れの速度で一台のバイクが駆けていく。二人を乗せておきながら自動車の間をギリギリですり抜けていく様子は、もはや神業だった。
「くそっ、このままじゃまた遅刻じゃねーか!」
「っていうか、もう十一時まわってるから完璧に依頼先の宮澤美術館には遅刻だと思うんだけど……」
渋滞で混雑している道路に悪態を吐きつつ、その大型バイクは速度を上げていく。
「大体なぁ、お前が目玉焼きを焦したりしなければこんな事にはならなかったんだ! 何をどーしたら卵があんな炭素の塊になんだよ!?」
「それをいうなら遼が目覚まし時計を叩き落したのが悪いんじゃないかぁ!」
「お前だって二度寝してたじゃねーか!」
「だって、遼は昨日仕事中に居眠りしてたからいいかもしれないけど、僕はずっと起きて働いてたんだよ!?」
「ぐ、でもしっかり泥棒は捕まえただろっ」
遼平は少し言葉を詰らせる。「俺はここを見張っているから」と言って純也に館内の巡回を全て任せて居眠りしていた事は、否めない事実だ。まぁ、泥棒を捕らえたのだから結果オーライと言えなくもないが。
「捕まえたっていうよりは、倒したって感じだったけどね……」
同情を禁じざるを得ないほどボコボコにされた昨日の泥棒達。寝起きは機嫌の悪い遼平に見つかったのが、そもそも運の尽きだったのだ。
「ちっ、また赤かよ。誰だ、信号に赤なんて付けやがったのは!」
「……遼、『ルール』って言葉知ってる?」
「こうなったら近道だ、行くぞ純也!」
いきなりバイクで歩道に乗り上げ、そのまま細い裏道に入っていく。かなり乱暴な運転で。
「うわっ!? ちょ、待ったぁ〜!」
バランスを崩してヘルメットが少し壁にかすってしまい、純也は焦って遼平の身体にきつく抱きつく。明らかに人間さえ通るのが難しそうな道を、遼平の愛車ワイバーンが危なげも無く通過していく。
どうしてこう無駄に命を危険にさらすコトするのかなぁ、と他人事のように純也は思う。案外こういう人間の方がしぶとく長生きするものなのかもしれない。
人間の神秘を朝っぱらから実感している純也をよそに、バイクは再び車道に出、更にスピードを上げていった。
◆ ◆ ◆
宮澤財閥。精密機器の部品などを扱って大きくなり、今では建設業、食品、衣服、など幅広い分野で発展している大財閥。どんどん新しい分野に手を伸ばしているため、他の財閥との仲は悪化しているらしい。ちなみに会長である宮澤清十郎氏の格言は、『細かいことは気にするな』。
「――で、だから何なんだ?」
遼平はさも興味無さそうに純也を見る。いきなり長々と宮澤財閥の解説を始めた純也の意図が読めない。
「だからね、天下の宮澤財閥となると、やることなすこと全部ビッグってことで、つまり……」
「つまり?」
純也が言うことを躊躇ったその先を、嫌な予感がしつつも促す。短い沈黙の後。
「僕ら、迷っちゃったみたい。あははは〜……」
「って、あははは〜じゃねぇだろ! どーすんだよ、どっち行きゃいーんだよ!?」
純也の胸倉を掴んで、遼平は怒鳴る。何の目印もない真っ白な廊下を進む彼らの目の前に十字路が現れたのは、これで七回目だった。
宮澤美術館に、到着はした。だが裏口から入った二人を待っていたのは、迷路のように入り組んだ通路。壁は一切白で、時折曲がり角や行き止まり、十字路があるだけ。
「んー、さすが宮澤財閥。通路も長くて大きいんだねぇ」
「感心してる場合かっ、この役立たずが〜!」
「うわわっ」
胸倉を掴んだまま激しく揺すられて、純也は浮いた脚をバタつかせる。遼平のほうが頭一個分は背が高いので、純也は完全に持ち上げられてしまうのだ。
「でもさっ、やっぱ『細かいことは気にするな』の精神で行こうよ! ね?」
「ざけんな、全っ然細かくねぇだろうが!」
遼平は胸倉を掴んでいた手を離し、純也の頭を一発殴る。別に迷ったのは純也のせいではないのだが、とりあえずモノに当たらないとイライラが治まらないので殴ってみた。
「イタタ、なんで殴るのさぁ〜」
「うるせえ。で、なんとかならねぇのかよ?」
「んん、さっきから風の通り道を調べてるんだけど、なんだか変な流れなんだよね」
純也には、風の流れを操り、感じる力がある。何故そんな事が出来るのか本人にもよくわかっていないが、「気圧を調整出来るのではないか」との推測を、以前他人事のように言っていた。
だが、ここの空気の流れは少しおかしい。空調装置のせいで風が乱されてしまい、純也にもよくわからなくなっている。
「マジで使えねーなー」
「じゃあ、遼にはなんかいい考えがあるの?」
「そうだな、とりあえずこの壁ぶっ壊していって部屋探すってのはどうだ?」
「それ犯罪だよ……」
真剣な表情で白壁を指差す遼平に、純也は頭を抱える。わざとでも冗談でもなく、本気で言っているのだ、この男は。以前、三十円のお釣りが出てこない自動販売機を一発殴って倒し、派手に壊したことは記憶に新しい。あの後、どれだけ事後処理に走ったことか。思い出すだけで疲れた少年は、静かにため息を落とす。
「ゴメン、遼に訊いた僕が間違ってたよ……」
「な、俺だって真面目に考えてんだぞ! 例えば、天井突き破ってみるとかっ」
「いや、もういいから……」
「まだ他に!」
「貴様ら、一体何をしている?」
突然の冷ややかな声に驚き、純也と遼平は振り返る。あまりに見慣れた軽蔑の瞳が、こちらに向けられていた。
「あっれ〜? 2人ともなんでこんなトコにいんの?」
その男の後ろからひょっこりと顔を出した、まだ幼さの残る若い女が首を傾げた。
「澪君、希紗ちゃん! よかったぁ〜」
純也は2人の姿を確認して胸を撫で下ろす。
遼平たちの前に現れた2人は、同じロスキーパー警備員。
眼鏡越しに鋭い眼差しで遼平達を眺めている若い男は、紫牙澪斗だ。淡緑の前髪がやや目元を隠しているが、その瞳が放つ冷たい光までは隠せていない。本人に自覚は無いがかなりの美貌の持ち主のため、とても女性にモテて……それ故に遼平が常にひがんでいる。
一方、その後ろにいて見えなかった茶髪の女は、安藤希紗。いつもと同じで、長髪を後ろの高い位置で結わえている。彼女は中野区支部のメカニッカーで、巡回などよりも、専ら防犯システムの改良・警備員の装備品の作成・監視室のモニターでの監視などを担当する。
「本当に良かったよ〜、このままじゃ僕達まよ――んぐっ」
この『迷い続ける』という危機的状況から救われたことを純粋に喜んでいる純也の口を、遼平は無理やり抑えた。遼平の大きい掌で鼻まで隠れてしまう。
「まよ?」
「ま、まよ、マヨネーズを忘れちまったから誰かに借りられないかと困ってたんだよ!」
呼吸ができなくてジタバタしている純也はお構いなしで、遼平はなんとか誤魔化そうとする。こいつらにだけは(特に澪斗には!)、迷っていたなどとは知られたくなかった。
「マヨネーズ? 遼平たちってもしやマヨラー?」
希紗の不思議そうな直視。澪斗の心を見抜いてくるような視線と共に、さりげなく逸らす。
「あ、あぁ、そうなんだよ。なっ?」
「へ? あ、うん」
やっと純也から手を離し、同意を求める。深呼吸でそれどころではなかった純也は適当に返事した。
「ここで探しても無駄だと思うぞ。こんな所にいるとすれば、盗人か《愚かな迷子》ぐらいだろうからな」
冷気を伴った鋭い視線の一撃が2人に突き刺さり、強制硬直。
完璧にバレている……!
「そ、そうだよね、あはは……」
「そーいうてめぇはココで何してんだよっ。実は迷ってんじゃねーのか?」
澪斗はこれ以上無いというぐらいの軽蔑の眼差しに軽いため息、というオマケまで付けて遼平を一瞬だけ見、すぐ目を逸らした。その横顔は疲労にも見える。希紗はというと、必死に笑いを堪えているような表情だ。
「なんだよ、バカにしてんのか!? 文句でもあ――」
「えっと、私達は侵入者防止用の罠に引っかかった不法侵入者がいるって連絡があったから来たんだけど……まさか、遼平たちだったとはね〜」
「「……」」
ついに吹き出して笑い始めた希紗を、二人は呆然と見つめる。「あぁ、どうりで出口が見つからなかったわけだ」、と妙に冷静に納得しながら。初めて来た美術館の警備システムなど、知る由もなかったのだ。
希紗の解説によれば、遼平達が入ってきたあのいかにもな裏口は、侵入者防止用の罠である迷路につながる入り口だったらしい。そして、この迷路には監視カメラが設置されており、二名の不法侵入者がいることを即座に監視室に伝えた。
「文句ならば山ほどあるが時間の浪費だ、とりあえずここから出るぞ」
言って、遼平達には見向きもせず澪斗は背をむけて元来たほうへ歩き出した。希紗も、まだ笑いの止まらない様子でそれについて行く。
心底悔しそうな遼平を、純也が引っ張って連れていった。
◆ ◆ ◆
ピリピリとした空気が漂う監視室で、遼平と純也は俯いて正座をさせられていた。その前に、仁王立ちで怒りのオーラを噴出させている男。
「ワイが言いたいコトはわかるな? 遼平、純也」
「「なんとなく……」」
「こんなでかい仕事に遅刻してきた挙げ句、侵入者用のトラップに引っかかるなんちゅうアホやらかしたんは、自覚しとるんやな?」
「で、でも、俺達は昨夜違う依頼があったんだぜ!? 疲れてたからっ、」
往生際の悪い遼平が、顔を上げて部長に訴える。
そこに立っているのは、ロスキーパー中野区支部の若き部長、霧辺真。浅黒い肌に、今日ばかりは怒りを表現しているような逆立った金髪。革靴に届きそうな長い上着の制服。
「どうせ遼平はまたサボってたんやろ? なら、仕事してないんも同然や」
「なっ、何決めつけてんだよ! 俺はっ」
「純也、あんたの教育不行届きやで? まぁ、あんたを責めはせんけど」
「ごめんなさい、真君」
「俺の言い分は聞く気ゼロか!? なんで純也が保護者の立場になってんだよっ!」
「えぇいっ、うるさいわボケ!」
一瞬で振り下ろされたハリセンが、神業のごとく優美な音を立てて遼平の頭へ。真の《部下制裁アイテム》、裏社会仕様のハリセンが。
「いってえっ! 何しやがんだよっ、依頼先にまでそんなモノ持ってくんなっ!!」
「あんたがアホするんはお見通しなんや! そこで正座のまま反省してろ!」
《部下(遼平専用)制裁アイテム》、ハリセンを肩に当てながら、真は希紗に振り返る。真の説教を含み笑いをしながら見ていた希紗と、至極くだらなさそうに壁によりかかって腕を組んでいる澪斗が顔を上げる。
「とりあえず全員集合したんや、希紗、もう一度依頼品の詳細を確認するで」
「わかったわ。じゃ、特に遼平と純くん、よく聞いてね。今回のメインの依頼品は、最低時価10億と言われている細工芸術品、『鮮血の星』よ」




