EL『終わりなき禍』(2)
「ん、うぅ……」
眩しさに目をゆっくり開けると、この一週間で見慣れた仮眠室の天井があった。
「純也、気が付いたか!?」
「りょう……?」
寝かされた純也の頭に、温かい感覚。何故かとても懐かしく、悲しくなる温もり。それが遼平の手だということに気づき、純也はその手を見上げる。
純也の視線に気づいた遼平は、焦って手を離した。「ご、ゴミがついてたんだよっ」と何も訊いてないのに言い訳をして顔を背ける。
「僕を呼んだのは……遼?」
「あ? 知らねーよっ」
「……散々蒼波が貴様の名前を呼んでいたぞ、純也」
身体が動かないので顔を傾け、純也は声がした方を見る。そこには、包帯でぐるぐる巻きにされた上半身を起こして、壁にもたれている澪斗がいた。
「なっ、バカ言ってんじゃねーよ紫牙! お、俺はっ」
「純也、気分が優れぬのならまだ寝ているといい」
「え、なんで?」
必死な遼平の言葉は完全無視で、澪斗は純也に向き直る。
「何か嫌な夢でも見たのだろう? 貴様が器用にも眠りながら泣くものだから、蒼波が愚か者らしく心配していた」
「てめっ、さっきから余計なコトほざくんじゃねぇ!! 純也、俺は違うぞ、別にお前を気にしてたわけじゃねーからなっ!」
「僕が、泣いてた……?」
痛みで軋む右手を頬まで持ってくると、何筋も涙が流れた跡があった。
「なんでかな……温かくて悲しい強い感情があったのに、全部忘れちゃった。もしかして、僕の過去のコトかな?」
「やっぱり僕ってダメだな」と無理に苦笑する純也の髪を、遼平が大きな手で強引に撫で回す。
「純也、深く気にすんな。記憶なんか、焦って取り戻さなくてもいい。……いつか思い出せるだろ。今はお前が生きてる、それだけでいいんだ」
「……うん」
何度も《化け物》と呼ばれたこの身を、受け止めてくれる人がいた。たった一人だけでもいい、それだけで、純也は己の命を肯定できる。
「相変わらず蒼波の理論には全く根拠が無いな。今後の仕事に支障をきたすと厄介だ、今は休んでおけ」
「澪君も、ありがとう。ところで、二人は?」
仮眠室内を首で見回し、自分と遼平、澪斗しかいない事に気づいた。他のメンバーはどうしているのか。もしかして……。
「案ずるな、今上で閉館セレモニーをしているはずだ、二人はその警備に当たっている」
「そう……」
「純也、俺からも一言いいか」
「なに、澪君?」
「貴様、初めからわざとルインの罠にはまるつもりだったな?」
なんだかいつもより鋭い視線に、嘘は通じないと観念して純也は頷く。その言葉に遼平も純也を見た。
「ああいった自己陶酔型の人は、一度自分の策が成功すると自ら手の内を明かす傾向がある。その為には……こうするしかなかったんだ」
「真が聞いたら、怒るだろうな」
わかっていた。仲間が犠牲になるのは、真が一番嫌う。きっとバレたらひどく怒られることだろう。
「……勘違いすんなよ、純也」
「遼?」
顔を向けたら、軽く頭を殴られた。
「俺も怒る」
「うん……もうしないよ。ごめん」
真剣な遼平の横顔に謝ってから、心の中で小さく「ありがとう」と呟いていた。
短くない沈黙が流れた。が、突如純也の腹部から、ぐうぅぅ〜、という激しく気の抜ける音が。空腹過ぎて痛みさえ感じる。
「あー……」
「お前なぁ、なんでそんな大怪我してんのに内臓は正常に働いてんだよ?」
遼平の驚きながらも呆れた声。また違った意味で動けなくなってしまった純也の毛布の上に、澪斗からかなり大きなアンパンが投げかけられる。
「食べろ、その方が回復が早まる」
「ありがと……でも、いいの?」
「会長からの差し入れだそうだ。そこのダンボール箱に腐るほどある」
澪斗が顎で示した先に、『宮澤食品』とロゴマークの入った巨大なダンボール箱があった。その箱から溢れんばかりの菓子パンが山積みになっている。
「あのさ、あれ全部食べてもいいかなぁ?」
「……構わんと思うぞ」
さらっと笑顔で吐かれた問いに、脱力しながら澪斗は静かに頷いた。澪斗の許可が出た途端に、純也は起き上がって大人でも五人でやっと食べきれる程の量を、あっという間に平らげていく。純也が大食いなのは知っていたが、改めて澪斗はその胃袋の神秘さに目を見張る。
「よーし、体力満タンっ!」
「……」
本当に全て食べきってしまった純也が、元気そうに立ち上がる。ひどい火傷のために両腕や脚に巻かれている包帯など忘れているように。回復が早まるどころか、一気に全快してしまったらしい。
軽いノック音の後、返事をする間も無くドアが開かれる。三人がドアの方へ顔を上げると、逆光で二つの影が部屋に入ってきた。
「終わったわよ〜。あ、純くん目が覚めたんだ!」
「希紗ちゃん! 良かった二人とも無事?」
「純也、あんたなァ……一番危険な状態だったあんたがそれ言うか?」
顔に幾つか絆創膏を貼った真と希紗が帰ってきた。どうやら閉館セレモニーは終わったらしい。ここに二人が戻ってきたということは、最後の仕上げの時だ。
「三人とも、もう動けるか?」
「うん、僕は大丈夫!」
「別に俺は元からなんでもねーよ」
「なんとかな……」
「じゃ、最後の挨拶行きまっせ」
まだ怪我が治りきっていない仲間に合わせて、真は遅めに先頭を歩く。オーナー室へ向う通路の途中で、希紗が深夜の戦闘後の事を説明をし始めた。実際には、全員気を失っていたので後から来た宮澤財閥の社員の話なのだが。
「あの後、宮澤財閥全総力でメインホールを修復して、見事に朝には復活してたのよ〜。私達は医療班に仮眠室まで運び込まれたってワケ。で、ルインなんだけど……社員達がここに到着して私達を発見した時には、五人しか居なかったって言うの。逃げられちゃったみたいね〜……」
「まさか……あの傷で逃走できるわけ無いのに……」
「ホントよね、人間業とは思えないわ」
「っていうかあいつ人間なのか? 未知の別種族じゃねーの?」
「……貴様に言われるようでは本当かもしれんな。親戚か何かか?」
「ンだとコノヤロー! あんな狂ってるヤツと一緒にすんじゃねーよっ!」
「でもなんか、あのルインって人、遼平のこと《同胞》って呼んでなかった? 知り合い?」
希紗の不思議そうな問いに、遼平は一瞬言葉が詰まる。《同胞》ではないと否定を口にしたいのに、それに確信が持てない自分がいた。
……あの時は拒んだが、確かにこの拳は……身体の能力は、きっとルインと同じ……。
「違うよ。遼はルインとは関係ない。だって遼は、《守護者》だから」
「純也……?」
「遼は《護る人》で、僕達の仲間だから。大丈夫だよ、遼。僕が信じてる」
「だからそんな顔しないで?」と微笑んで言われて始めて、遼平は自分が苦しい表情をしていたのに気づいた。俯いていたのだが、背の低い純也には見られてしまったのだろう。
「じゃ、ワイも信じようかなァ」
「そうよね、信じちゃおうかな〜」
「まぁ、貴様のようなヤツが『芸術』などとは口にしないと思うしな」
「……けっ、くだらねーこと言ってんじゃねぇよっ!」
全員から顔を逸らして、不機嫌そうな声色を出す。…………それでも、細められた瞳にはいろんな感情が含まれて。
そして、五人はオーナー室のやたら豪勢で大きいドアの前に辿り着く。真がノックをし、中からの「どうぞ」という声でドアノブを回した。
そこは美術展の会場にひけを取らない程豪華絢爛な空間だった。照明はシャンデリアが二つ、壁は外を一望できるガラス張り、そして部屋の中央の横幅二メートルはあるのではないかという巨大なデスクに、宮澤会長はにっこり微笑みながら全員の入室を待っていた。
「……この一週間、君達は実に見事に働いてくれたのぅ。ありがとう、今日で依頼内容は完了した」
「あの、米田秘書の件ですが……」
「米田くんかの? あぁ、徳二からの密告者だってことは知っていたよ」
「「「「「はい!?」」」」」
座って両手を組み、その上に顎をのせた会長は笑顔のまま何気なく言い放った。警備員達は意外過ぎる言葉に固まる。
「じゃあ何で秘書にしはったんですか!?」
「いや〜、こちらも代々木財閥には数人のスパイを送り込んでいるしのぅ……お互い様ってことじゃな」
「はァ……ってそーゆーコトじゃなくて! どうしてそれを教えてくれなかったんですっ? 閉館セレモニーの時に襲撃されてたら死者が出たかもしれないんですよ!?」
「ははははは〜、その辺は大丈夫じゃよ。アレで徳二もそうそう悪人じゃないから――――」
その時、ドドドドドドッという、会長の言葉を切らすほどの騒音と地響きがした。何かがこちらへ超スピードで駆けて来る……しかも何やら異様な熱気を放ちながら!
警備員達は全員警戒してドアに振り返り、構えたが、開かれた扉の先の人物に目を見張ってしまった。
「清十郎ーっ!!」
息をゼイゼイ切らしながら乱暴に入室してきたのは、他の誰でもない、代々木徳二会長であった。もう厳格そうな雰囲気は無く、顔は鬼のような形相で、目は血走っている。
構えて並んでいた真達警備員を押し寄せ、深いシワの刻まれた両手を強く巨大なデスクに叩きつける。そのまま両者睨み合いが続き、そして……。
「やりおったな清十郎! 今度こそお前に勝てると思ったのに!!」
「はははははっ、どうやら今回も私の勝利のようじゃな、なぁ? 徳二よ?」
「くっそーっ、お前はいつもいつもそうだ! 人の裏をかいて変なのを用意して勝ちおって!!」
「思い出すのぉ、あれは小学校の時だったか? 徳二が運動会のパン食い競争で私に負けたのが最初の勝負じゃったなぁ……」
「そうだっ! 俺はあの日の為に必死に練習していたのに、お前は『やっぱりアンパンがいい』とか言いおって俺の狙っていたパンを横取りしたではないかっ! おかげで俺は四位だったのだぞ!! 許せんっ」
「だってアンパン好きなんだもん」
「俺だって好きだったんだーっ!」
本気で猛烈に怒りまくる代々木会長と得意気な宮澤会長の不毛なやりとりが続くなか、警備員達五人の頭上ではピシッ! と空気が割れた音がし、全員が骨の髄まで脱力する。そして、一テンポ遅れて。
「「「「「はあぁ〜!!??」」」」」
「ワ、ワイらのしてきた事って一体……」
「ふざけんなよこのジジイども! いつまでガキみてぇにケンカしてやがんだっ」
「「もうかれこれ六十九年」」
「……本気でいい加減にしろ……」
「ま、まぁケンカをするのも仲良い証拠……だよね?」
「もう我慢できねぇ……!」
拳を震わせて俯いている遼平の口が、動き出す。横にいた純也ははっとして遼平の腕を掴んだ。
『我が名は蒼波、音を統べし者……!』
「遼ダメだって! 真君、遼を止めてっ、『覚醒の調べ』を!!」
「何やて!? 抑えろ遼平っ、報酬は入るんやし、あんたが暴れたら殺人事件起きてまう!」
「うをおぉぉっ、放せー!!」
「会長逃げてください! ……って聞こえてへんしっ」
何やらまた言い争いを始めてしまった会長達には遼平の只ならぬ殺気も届かない。
「うっ……傷口が……」
「澪斗!? ちょっとしっかりしてー!」
「てめぇら二人仲良くあの世でケンカしてろってんだ〜っ!!」
「遼やめてーっ、ほんとに死んじゃうからー!!」
「あぁ、蒼波くんは少し黙っていてね。細かいことだから、気にしないで」
「全っっ然、細かくねぇ――――!!!!!」
……そして。
そしてこの後、美術館のオーナー室は謎の大破を遂げたが、宮澤会長は細かい事は気にしなかったという……。
依頼1《禍の紅い星》完了
ここまで『闇守護業』を読んでくださり、誠にありがとうございました。
この物語は、シリーズとして続編を書く予定です。
もしよろしければ、コメントを残していってくださると作者は至福の極みであります。