第三章『愚者よ、舞え』(6)
五人は一斉に「ふぅ……」と、やっとまともに呼吸ができたような息を漏らした。
「危なかったなァ、キャンセルされるとこやった」
「希紗ちゃんすごいね」
「えへへ〜」
「まぁ責任問題も事実だったがな」
「ちっ、あの女、いけすかねーなー……!」
それぞれが溜め込んでいたものを吐き出すように口を開く。裏の人間なだけに、皆厳格な雰囲気に対して免疫が少ないのだ。
「……さて、ワイらは交代で警備にあたるとしよか。希紗と澪斗は隣の仮眠室で待機や」
「真君、さっきの人達はどうするの? 全員地下の格納庫に連れていかないと……」
「せやなァ……表の警備員の連中に手伝うてもろて、あそこに押し込むか。そっちはワイが行くさかいに」
「いや、俺が行く。貴様は仮眠室行きだ」
「は? 下手な気遣いは無用やで?」
顎で隣の仮眠室を指す澪斗に、むっとしたように真が返す。だが普通の人間ならとっくに貧血で倒れているであろう程の出血を、彼はしているのだ。真とはいえ、キツくないはずはない。
「巡回だけなら俺達二人で充分だぜ、な」
「うん。治療担当としても言わせてもらうけど、真君は今は休んでいて。何かあったら必ず連絡するから」
「……せやけどなァ……」
「はいはい、怪我人は大人しくしましょーねー! 寝てなさーいっ」
「あっ、おい放せー!」
抵抗する体力も無いのか、それともただ単に希紗の腕力が強いのか、耳を引っぱられて真は仮眠室に押し込められていった。強引に背中を押され、さらに鍵までかけられて、真は仮眠室に《隔離》される。ドアが中から強く叩かれる音が響いた。
「ナニすんねんっ、出せーっ!」
「もう! 静かにしてなさいって言ってるでしょ!!」
希紗が一発ドアを強く蹴ると、余力も尽きてきたのか内側からドアが叩かれる音は止んだ。観念したらしい。
「おーおー、ウチの部長は血気盛んだなぁ」
「メカニッカーも、だな」
「ほんと、遼も見習って欲しいぐらいな仕事意欲だよね」
真と希紗のやりとりを見ていた三人が、それぞれの表情で呟く。
「じゃあ希紗ちゃん、僕達行ってくるけど……」
「えぇ、私も監視システムをオートにしたら寝させてもらうわ」
「あのさ、真君にこれを五錠呑ませておいて。あと、充分な食事ね」
そう言って小瓶を純也は希紗に渡した。中に入っている赤い錠剤は鉄分を多く含んだ物で、足りない血液を作る自然治癒能力を促進させる効果も持つ。ビンを受け取り、希紗は頷いた。にこっと微笑んで純也は遼平と共に部屋を出て行く。
「……俺も行ってくる。片付いたら寝かせてもらおう」
「うん、待ってるね」
「無用だ、先に寝ていろ」
充填の終わったノアをホルスターに戻して、視線も合わさず澪斗はコートを翻して行ってしまった。その後姿を、いつものように哀しげに希紗は見送っていた。
◆ ◆ ◆
蒼い綺麗な三日月の夜だった。空気の汚れた東京の大気が見せる、美しくも醜い蒼の月光。
爽やかな夜風を浴び、気持ち良さそうに純也は大の字に身体を倒し、伸びをした。気圧に大きな落差は無い……穏やかないい風だ。純也は食べるか風を受けるかすると体力が多少回復できるという、便利なんだか不便なんだかわからないが単純な身体能力がある。
隣りで遼平は目を閉じ、チェーンのついた細い煙草のような笛を口にくわえて立ち尽くしていた。呼び続けながら、じっと待っているのだ。
ここは美術館の屋上……というより屋根の上。普通の人間なら上がってこれない場所に、二人の警備員はいた。遠く住宅の明かりが見えるだけで、光源といえば月ぐらいな闇夜。
遼平が瞼を上げる。真っ暗な前方の空をじっと見据え、近づいてくる闇を迎えた。
「……来たな」
闇に属する小さな影、悪魔に喩えられるその翼。
突然飛んできた大量の蝙蝠の群れが二人を囲んで、飛び回ったり屋根に着陸したりする。
『随分と遅かったじゃねーかよ』
遼平は口を動かし、左腕を伸ばす。その腕に一際大きなこの群れのボスである蝙蝠が留まった。遼平と契約を結んだ蝙蝠の、宋兵衛だ。そのまま遼平はまるで喋っているかのように口を動かし続ける。……いや、実際に喋っているのだ、人間では聞き取れない高音域で。
『べらぼうめ、てめぇがいきなりこんな所まで呼び出すからじゃねぇか』
『そりゃ悪かったな。で、ちょっと今回も手伝ってほしいんだけどよ。手数が足りねぇんだ、お前の群れを貸してほしい』
『どれくらいの期間だ?』
『一週間。』
『はぁ!? てめぇ俺をなめてんのかっ? 冗談じゃねぇ!!』
『落ち着け宋兵衛。一週間っつても夜だけだから……』
『馬鹿野郎! 絶対に断るっ』
『宋兵衛、お前な……人が下手に出てりゃつけ上がりやがって! 報酬はちゃんと払うんだからいいだろうが!!』
『てやんでぇ! 俺は束縛されんのが一番嫌いなんでぇっ!』
『何をコノヤロー!』
純也には遼平と宋兵衛の会話は聞き取れないが、なんだか雲行きが怪しくなっているのは遼平の仕草で嫌でもわかった。交渉が決裂しつつあるらしい。ケンカの仲裁をしたくても、何を言っているのかわからないのでどうしようもない。仕方が無いので、頭の上にとまった一匹の蝙蝠と戯れながら決着を待つことにする。
『たまにはてめぇでしっかり仕事しろってんだ!』
『今回はマジでそれができねーから頼んでんだろうがっ』
『……じゃあ今までのはただ面倒だったからなんだな?』
『あ。』
『あ。ってなんだっ、あ。って!! もういい、俺達は帰るぞ!』
『待て! 今回は報酬二倍にしてやるからっ!』
飛び立とうとする宋兵衛を無理矢理掴む。妥協案まで出して遼平が粘るのには理由があった。今回の敵が組織がらみとすると、五人では実力で勝っても不利になる可能性が高いからだ。
『……仕方ねぇな、わかったよ』
『やってくれんのか?』
『べらぼうめぇ、男に二言はねぇ!』
『よし、で、仕事内容なんだがな……お前らにはこの美術館の周りにいてほしい。何かが来たら俺に知らせるんだ』
『適当なのは追っ払ってもいいんだな?』
『まぁな。だが、少しでもヤバそうだったら知らせるだけでいい』
『ふん、承知したぜ』
大人しくなった一人と一匹を見て、純也は契約が果たされた事を悟った。ほっと胸を撫で下ろし、周りの蝙蝠達の頭を撫でる。蝙蝠達も純也の頬に擦り寄ったり、腕や肩の上に乗ったりして遊んでいた。
「成立したみたいだね?」
「骨が折れるぜ」
人間の音域に声を戻し、はぁーっと深呼吸をする。契約を交わしたとはいえ、宋兵衛がいつもそれを果たしてくれるとは限らない。
遼平が宋兵衛と結んだ契約……それは遼平が宋兵衛を使役するかわりに、その代償として遼平の血液を宋兵衛に与える事だった。
宋兵衛は日本では珍しい特殊な吸血蝙蝠だ。そして、宋兵衛の祖先は昔から蒼波一族の血を好んできた。なんでも特に美味く、精力になるかららしい。だから宋兵衛と遼平の祖先は代々争い続けてきたのだ。しかし、時代が流れていくにつれ、互いの一族は急激に減っていった。蝙蝠達は貴重価値のため捕獲され、蒼波一族はその特殊能力故に戦争などに狩り出されたからだった。……こうしてもはや互いに絶滅したと思っていた種族は、何の前触れも無く寂れた都市で出会い、契約を結んで共存する事になったのだ。
遼平は右腕の長袖をめくり、宋兵衛の前に突き出した。ゆっくりと深く、宋兵衛は鋭い牙を目の前の腕に差し込む。紅い液体が牙の隙間から漏れて滴った。
『採り過ぎじゃねぇか?』
『報酬二倍にするって言ったのはてめぇだろうが』
『へーい……』
これ以上宋兵衛の機嫌を損ねるのは避けたいのか、肩を落として口を閉じる。キィィッと甲高く鳴いて、宋兵衛は群れを率いて下方へ舞うように飛んでいった。
「お疲れさま」
「まったくだ」
血を漏らす右腕に軽く絆創膏を貼ってやる純也を見下ろし、館内の警備にあたるべく遼平は屋根から跳び下りていった。
「……」
暫く空を見上げながら、純也は頭で引っかかっているモノが何なのか考えていたが、諦めて遼平の後を追うことにした。思考の中のもやもやを晴らすように首を振ってから。
星の輝かぬ都市の闇は、全てを覆い隠しているように沈黙を守っていた。