第三章『愚者よ、舞え』(5)
「痛っ、おい滲みるだろ。いてーよ!」
「あぁもう、動かないでよ。子供じゃないんだから〜」
「あ、二人ともおかえりなさ〜い!」
ここは学校の保健室か? と思わせる賑やかながら平和そうな雰囲気漂う監視室に、真と澪斗は入ってきた。希紗が嬉しそうに手を振って二人を迎える。
騒がしい横を見ると、暴れる遼平と消毒液を片手に彼を押さえこんでいる純也がいた。かすり傷だらけでベタベタと絆創膏を貼られていく遼平は、消毒液が滲みるのかあがき続ける。
「……はい、お終い。まったく遼ってば無駄に暴れるんだから〜」
「なァ純也、なんかお疲れんとこ悪いんやけど……」
肩が凝ったように首を回す純也に、真の申し訳無さそうな弱々しい声が届く。「なに?」と振り返ると、苦笑のまま右腕からダラダラと大量に出血している真が。
「あぁーっ! 傷口開いちゃったの!? 無理しちゃダメって言ったのに……とりあえずそこ座って! ほら遼どいて!!」
「うおっ」
やっと治療が終わってイスに腰掛けていた遼平を蹴り飛ばし、純也は真に座るよう指示する。医者モードの純也に敵う者は、今はいない。
「コート脱いで。かなり出血しちゃったみたいだね、穴が開いてる……。大丈夫、すぐ塞ぐから」
そこから何か小さくブツブツと呟きながら純也の治療が始まる。止血点を圧迫して出血を抑え、傷口を消毒し、小さな錠剤を真に呑むように指示する。細胞活性剤だ。この薬は身体で損傷した部分の細胞分裂のスピードを格段に速める効果があり、緊急病院などでは普及している物だ。無論、安くは無い。
「あ〜、ホンマに今日は厄日やァァ〜。ワイも今度から占いとかチェックしようかなァ」
「それは無駄だと思うわ、真」
「なんで?」
「悪いんだけど、私、一週間前の占い読んでたのよ〜。だから、さっきの占いは全部間違ってるの。喜んで! 真は今日、人生で最も幸運な日ですって!!」
「……ワイの人生の幸運って、これが最高なん? もう、生きる気力無くなってきたわ……」
純也が見事な腕さばきで真を治療している間、澪斗は希紗に空になったカートリッジを渡す。ついでに、最大出力を使ってしまってエネルギー切れのノアも。
「ノアの充填にはどれくらいかかる?」
「そうね、バッテリーが幾つか用意してあるから二分とかからないわ」
「カートリッジの替えはあるのか?」
「ふふふ、そのへんはばーっちりオッケーよ。こんな事もあろうかと、たっくさん作ってきたんだから!」
どこから出したのか、希紗はドサッと新しいカートリッジを山にしてデスクの上に置く。できれば替えはいらなかった澪斗の顔が、曇る。
「そうか……」
「今なんか残念そうな顔しなかった?」
「いや……」
疑わしげにじっと見据えてくる希紗から視線を逸らし、部屋を見渡す。全員に聞こえるように澪斗は口を開いた。
「セレモニー時の侵入者から聞き出した情報がある。皆、聞けるか?」
「あぁ、ワイはエエで」
「僕も聞こえてるからいいよ」
「なになに? 収穫あったの?」
「けっ、早く話せよ」
遼平の言葉だけ無視して澪斗は話を始めることにする。格納庫で尋問(一般人には拷問)した内容の、報告。
「……どうやらセレモニーの時の侵入者は雇われただけだったらしい。しかも、今までの奴等も半分は同一人物によって雇われている。今日の奴等が話した内容によれば……その人物に三人で仕事を持ちかけられ、それぞれの位置からショーケースのロックを解除するようにと依頼されたそうだ。破格の依頼料で、な。だがその人物は名前はおろか年齢・性別までわかっていない。他の雇われた者達も同じような依頼のようだが」
「ということは、真をセレモニー会場で撃ったのもその人物? でも、何故……誰なの?」
「今回の仕事、糸を引いてる黒幕がおるようやな。そいつが『鮮血の星』を狙ってるんか。しかも個人でできる事やあらへんし……」
「なんだ、要はそいつらをぶっ飛ばせばいいワケだろ?」
「あのねぇ、それができないから困ってるんじゃないか」
「たった今襲撃してきた奴等は雑魚ではあったが、裏社会の人間だったな。おそらくあの侵入者達も……」
「黒幕からの差し金、かァ」
「厄介ね、こんなのがこれから毎日やってくるワケ?」
「あのさ……」
真の傷を手当てしながら純也は何かを言いかける。一つの推論が思い浮かんだのだ。だが、その続きは軽いドアのノック音で遮られた。全員がドアを見つめる。
「失礼するよ」
穏やかな声がドアの奥からし、ゆっくりと開けられた。宮澤会長がたった独りで、監視室のドアに現れた。
「騒ぎがあったそうじゃねぇ、お仕事ご苦労様」
「いえ。ところで会長、お尋ねしたい事があるんですが」
まだ包帯を巻き終えていない真が、立ち上がって会長に迫る。真剣な警備員の表情に、会長は「なんじゃね?」と優しく問う。
「今回の一連の襲撃には、組織めいたものが感じられます。窃盗集団か、あるいは……」
「宮澤財閥に恨みを持つ者達の策、という事かの?」
「そう考えられます。失礼ですが、心当たりはおありですか?」
「そうじゃの……」
コンコンと、再びノック音。ドアからあの美人秘書、米田凛子と知らない老人だ。宮澤会長と違い、その老人は高齢そうながらがっしりとした身体つきだった。
「会長、代々木様がお見えです」
「久しいな、清十郎」
「おぉ、徳二じゃないか。わざわざこんな所まで、どうしたんじゃ?」
会長に徳二と呼ばれた老人が監視室に足を踏み入れてくる。低く威圧するようなとても高齢とは思えない声色だった。その顔を見たとたん、純也は何か思い出したようにはっとする。
「まさか……」
「どうした純也?」
「遼、あの人……代々木徳二さんだよ……!」
「誰だそれ?」
宮澤会長と代々木氏が親しそうに話す後ろで、純也と遼平が囁きあう。
「もう、ニュースとか見てないの? 代々木コーポレーションの創始者にして今は代々木財閥の会長さん! 宮澤財閥と同じくらいの規模を持つ大財閥で……ライバル財閥でもあるんだよ」
そう言われ、遼平は改めて代々木会長を観察する。和やかに話す宮澤会長と違い、代々木会長のほうは常に挑みかかるような気迫を持っていた。
「お前が美術展なんぞ開いたというから来てやったのだよ。……しかし何かあったようだが大丈夫か?」
「いや、何もない。万事順調に進んでいるわ」
「そうか、それは結構」
全く嬉しく無さそうに代々木会長は心のこもっていない声で言う。知り合いのようだが、あまり良い仲ではないらしい。
「しかしそちらこそ大丈夫かの、代々木財閥の会長がこんな所で油を売っていても?」
「なに、少し覗きに来ただけだ。もう失礼させてもらうとする」
「そうか、それは残念」
やっぱり残念そうではない顔つきで宮澤会長は握手を求めたが、代々木会長は一瞥しただけで帰っていってしまった。丁寧に、米田秘書がドアを閉める。
「とまぁこんな風に、敵も多いわけじゃよ。わかってくれたかのぅ?」
「は、はァ……」
くるっと振り向いて会長は笑顔で言い放つ。(上に立つのも大変なんだな……)と、中野区支部のメンバーは実感していた。
「お話中申し訳ありませんが、よろしいでしょうか?」
美人秘書が一歩前に出て会長に問う。「構わんよ」と宮澤会長は笑顔のまま頷いた。
「先程の襲撃が一般客に気づかれなかった事に関しては皆様お見事でした。しかし、閉館時刻がやや早まり、退館を促されたとクレームが来ております。その件に対する責任を取っていただきたいのですが」
刺すように鋭い秘書の言葉を受け、一応部長である真が前に出て口を開こうとする。しかし。
「はーい、すみませんそれやったの私でーす」
その間に希紗が手を上げて割り込んできたのだ。しかも、子供が悪戯を自白するような感覚で。そのテンションに、秘書はたじろぐ。
「館内の放送機器は私が管理していました。責任は私にあります。どうすればいいですか?」
「え、えっと……本当なら今回の依頼は無しに……」
「まぁまぁいいじゃないか米田くん。細かい事は気にしない、気にしない。君達も、責任問題は気にしなくていいからの」
「ですが会長……!」
「米田くん。君は二階の休憩所の破損箇所を直すように本社から美術担当員を呼び出してきてくれないかのぉ?」
「……わかりました。失礼します」
柔らかだが強い物言いに、秘書は身を退いてドアから出て行った。なんとなく漂っていた張り詰めた空気が消え去っていく。
「じゃあこれからもしっかり頼む。ではまたのぉ」
腰の後ろに両手を組んで、老会長は監視室を出て行った。
何か一つの謎を、純也の思考にまとわりつかせて。