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通学路が一緒なだけだから

瞬くと、雨上がりの初夏の空が清々しく眼前に広がっていた。アカネは河川敷を歩きながら、朝陽に煌く川面に目を細めていた。

「おは」

 振り向くと、寝癖頭のユウキがにこやかに近づいてきた。彼は鞄を肩に担ぎ、もう片方の手でトーストを持っている。口元から零れたパン屑が腰履きした学生服に点在している。だらしない姿を認めると、アカネは気づかない風を決め込み歩を早めた。

「おい待てよ」

「ついてこないで」

「何言ってんだよ。一緒の学校なんだから一緒にいけばいいじゃん」

 そう言ってユウキは駆け寄ってきた。が、アカネは同じ速度で小走りし、差を縮めることを許さなかった。

 二人は小学校からの幼馴染で、偶然か必然か同じ高校に進んでいた。文武両道の名門校にアカネは家から一番近いという理由で、ユウキは野球の特待で学費が安く済むという理由で進学を決めた。

「朝練は?」

 三歩後ろを歩くユウキに訊くが、答えは返ってこない。

「朝練はどうしたのってきいてんの」

 苛立ちながら振り向くと、彼はすごい勢いでパン屑を零していた。

「パン齧りながら通学するなんて、今どきドラマでもありえないから」

 だから思わずそう忠告したが、ユウキは表情を崩さず緩慢な動作で裾を手で払うだけだった。


 アカネはユウキが好きだった。いつからかはもう思い出せない。気付いたら好きだった。初めてその想いに気付いたのは小学5年の夏だった。その日は両親が出場する地域のスポーツ大会の練習のため、夜の学校を訪れていた。子供は皆、体育館の二階にある卓球場で練習風景を眺めたり、ドッヂボールをしたりして過ごしていた。同じ状況で連れてこられていたはずのユウキの姿が見えないことを不思議に思ったアカネは、何の気なしに彼を探し始めた。

 一階を見渡しても大人達しかおらず、幕の降ろされたステージにも、器具置き場にもその姿はなかった。

 諦めて水を飲みに館外に出ると、バン、バンと鈍い音が定期的に聞こえてきた。体育館と校舎を繋ぐ通路の脇に一本ある外灯が、時を経て鈍くなった光で辺りを照らしていた。近づくと例の音の直前に鋭く地面を蹴り上げる音が聞こえてきた。アカネは少し恐ろしくもあったが、好奇心に任せて柱の影に隠れるように音の正体に目を向けたのだった。

 バン、と校舎の壁から跳ね返ったボールは、吸い込まれるようにユウキの構えたグラブに収まった。彼は目の前に描かれた3重の円から片時も視線を逸らさず、額の汗を拭った。もうどれくらいそうしているのだろう。汗はこめかみを通過して頬に沿う形で弧を描き、顎先にしばらく留まった後、ポツポツと垂れた。時折、彼は額や顎や首筋を腕で拭うが、汗は瞬く間に噴き出した。

 夢中で目の前の的に投げ込む彼の姿をアカネはなぜか少し恐ろしく感じた。ボールを捕球し、汗を拭い、振りかぶり、投げる。ユウキはこの動作を延々と続けた。

「なんだ、いたの」

 彼が普段どおりのどこかネジが外れた笑顔を咲かせたのは、大人たちの練習が終わる笛の合図が鳴ったときだった。声を掛けられたアカネは我に帰ると同時に、夜気の冷たさに自分の腕を抱いたのだった。

 特にその時、二人はこれといった会話を交わしたわけではなかった。しかし、次の日から三日ほど高熱にうなされたアカネの頭には、ユウキの的を見る真剣な瞳と頬を伝う汗、そしてこちらに気付いた時のバカみたいな笑顔が代わるがわる浮かんできたのだった。枕を抱きながら、彼女は自分の感情に嫌でも気付かされたのだった。でも、その感情があると気付いたのがその時だっただけで、それがずっと以前から抱いていたものであることを彼女は知っていた。胸の中にあるもやもやの正体が今回の出来事で突き止められただけだとアカネは思ったのだった。


 小学5年の夏だから、十才。それからもう5年になる。その間、二人の関係は何も変わっていない。距離も付かず離れずのまま。でも、それを望んでいる自分がいる。想いを告げないまま今日に至るアカネは、それも認めている。万一この想いを悟られてしまったら、きっとあいつは悲しい顔をするだろう。彼女の中で根拠のない確信めいたものが心を占めていた。野球に打ち込む彼の背中を見守っているだけで私は満足。なのにあいつときたら・・・。

「ねえ、今度の休み、ヒマ?」

 三歩後ろを行くユウキは唐突にそう告げた。アカネは思わずドキッとしてしまったが、動じていない風を装う。今度の土日は特に予定はない。

「ないけど、あんた、大会じゃない」

 何も求めていないはずの自分に思いもかけない感情が湧いているのに彼女は驚きながら、心配がそれをうまく押し込めていることに少し安心した。

「あ、いいのいいの。じゃあちょっとあけといてよ」

 校門を跨ぐと同時にユウキは彼女を追い抜いた。

「なんか誘い方がチャラいんだけど」

 立ち止まって悪態をつきながらも、アカネは大きくなった彼の背中に次の言葉を投げかけられぬまま、見送るだけだった。

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