こんな時だから敢えてチベットの話をつらつらと
気持ちを乱されるようなニュースが日夜報道されている。
戦争、大規模な震災、世界的感染症の時もそうだったが、不安を煽るような情報や映像を四六時中暴露させられる状態というのは、どんなに健康な人であっても堪えるものである。
だから敢えて関係ないどうでもいい話をしてみようと思う。
不安な世界と壁を作ろう。
怖い話を囁いてくる風から身を守ろう。
さあ家の中にお入り。
あま~いホットミルクでも飲みながら、どうでもいい話をしてあげよう。
そんな感じだ。
普段私が頭の中でぼーっと考えている時のように、とりとめもなく、思考が広がるままに。
あなたにとって、心底どうでもいい話を敢えて投稿してみようと思う。
私にとっても投稿したところで……というくらいの内容である。一方的な雑談だとでも思ってもらえればいいかもしれない。
残念ながら私はあまり雑談が得意ではないから、お気に召さない可能性が高そうだけど……。
さあて何文字になるだろうか。
推敲が大変そうな長さになりそうだなと思いながら、スタートしてみる。
もの好きな方だけお付き合いいただければ嬉しい。
本題のチベットに入る前に、なぜチベットの話をするのかという話を少し。
私は普段テレビを見ない。
私がテレビをつけているときは基本YouTubeでBGMを流している。作業用R&Bとか、環境映像+滝や川のせせらぎ音とか、まあそういうやつだ。
そうするとYouTubeのAIさんが『こんなのもオススメでっせ』と関連動画を案内してくれる。
最初に気になったのはモンゴルの映像と音楽だった。
青い空。
広大な大地。
色鮮やかな布たち。
伸びやかな低い歌声。
体の内部まで響くホーミー。
すぐに虜になった。
以前モンゴルを題材にした作品を投稿していたこともあり、モンゴルはいつか一度は旅行してみたいと思えるくらい好きになった。
(別に作品の宣伝をしたいわけではない。
でも一応読んでみたい人のためにタイトル表記→イーグル・ハンター)
しばらくはひたすらモンゴル音楽漬けの日々を送っていたが、その中のチャンネルのひとつをお気に入り登録して、他の音源も聴いてみた。
その中の北欧系の音楽も好きだったが、妙にチベット音楽に惹かれた。
最初はモンゴルとチベットの明確な違いがよく分からなくて、モンゴルの延長で聴いていただけだったんだけどね。
ちょっと前(でもないかな?)ヒーリングミュージックが流行って、そういうCDがいっぱい売れた時代があったのを覚えているだろうか。
教授のBTTBとか、懐かしいと感じる人もいると思う。
裏とかもあるんだっけ? 知らんけど。
あの時代、OrigaとかSecret Gardenとか好きなアーティストも発掘できたけど、民族音楽的なワールドミュージックと呼ばれるジャンルの良さは当時はあまり分からなかった。
こういうのってどういう人が好んで聴くんだろう。ちょっと理解できないなって思ってた。
結論∶こういう(自分)のが聴くんだな。
私の今のお気に入りであるSoundPassportというチャンネルは、字幕でその土地の音楽の特性や文化が紹介されている。
音楽を通して世界中を旅するというコンセプトらしい。実に良きである。
寝る前のBGMにしているのだが、つい解説を読んでしまうので睡眠前には適さないのかもしれない。それもまた良きである。
ちょうど今連載している作品が今後、山岳地域での展開になるので、ついでにこのチャンネルを視聴しながら風景のイメージを深めているところでもある。
そんな感じでチベット音楽が身近にある生活を続けているうちに、音の中に宿っている『祈り』の要素や、音楽の根源と共にある、生と死の概念がもっと深く知りたくなった。
そうだ、チベット仏教を読もう。
思い立ったが吉日だ。
チベット仏教といえば『死者の書』だろう。
チベット仏教をよく知らない私でもそれは知ってる。
ツーと言えばカー。
モーと言えばムリ。
それくらいのレベルでチベットの仏教と言えば死者の書だ。当たり前田のクラッカーである。
とりあえず図書館でチベット関連書籍を取り寄せ予約して、死者の書ももれなく依頼する。
実はこの行動を起こす前に、地球の歩き方のチベット編を買おうと思ったのだが、現在チベットへの個人旅行は禁止されているため、最新の地球の歩き方は発売されていなかった。
そして足元を見やがって軒並み中古通販は値段がつり上がっていやがった。マジ腹立つ。
……という経緯があり、2018版地球の歩き方も取り寄せ依頼する。
マジ中国……………………。(自主規制)
チベットがチベットのままであり続けてほしいと思うし、自分が生きているうちにチベットであり続けるチベットへ旅行できる日を願っているし祈りたいと思う。
さて死者の書である。
ちなみに読んだのはゲルグ派だ。
……。
…………。
すげえ……、わかんねえ……。
これが最初の感想。
分からないって、笑える。
笑うしかないという表現の方が合ってるのかな。
日本語で書いてあるのに、文字を読んでも意味あるものとして認識できない。
その現象がなんか笑える。
自分の世界の外にある概念すぎて、文字を読んでも、頭の中に何のイメージも浮かばない。
そのことがとても面白い。
こんなに理解できないことがあったんだという発見がまず新鮮。
完全にゼロからのスタートなんだということに対するワクワクが止まらない。
楽しい。分からなすぎる。どんどんニヤニヤしてしまう。
とりあえず分からないままなんとなく読んでいく。
すると、何故か既視感。
どこかで読んだことがある気がする。
もちろん死者の書は初読だ。
記憶を探って思い出す。
分かった。パラケルススの本だ。
パラケルススは実在する錬金術師として有名なので知っている人も多いと思う。
ちなみに何故パラケルススの本を読んだのかというと、初めてここのサイトに登録して小説を投稿しようと思い立ったときに、資料として何冊か中古で購入したからというのが理由である。
なにせファンタジーの世界なんてドラクエくらいしか分からない。
そんなやつがどうしたらファンタジーの世界観を一から構築できようか。
そんなこんなでパラ三部作と呼ばれるうちの二冊は我が家の本棚に眠っている。そして三部作だというのに三部作目は日本語訳がない。ゆえに未読である。
ついでに愚痴らせてもらうと一部作目はまだ内容がまともだったのに、二部作目は医師や薬剤師に対しての悪口が本文の半分以上を占める。
笑えるくらいボロクソなのである。
金出して買うんじゃなかったなという思い出深い本である。(でもそれはそれと思えば案外楽しめたりする)
そんな経緯で買って読んだパラケルススの本の内容と、チベットの死者の書が妙にリンクしてしまった。
地理的にも人種的にも年代的にも異なるのに、妙に概念が似ている箇所がある。
突き詰めていけば、結局たどり着くのはそこなのだろうか。
万物の真理なのか? それともただ単に集合的無意識的な? ん? てことは一周回ってそれってやっぱり世界の共通的な根源になる?
気にはなるけど、まだ答え合わせはしたくない。
そもそもすぐに答えなんて出るわけないし、答えの出ないことを延々と考え続けるのも楽しいもんである。
きっとAIに聞けば、もっともらしいこじつけをしてくれるのかもしれない。
でもいつか、ふとした拍子に何かが繋がり、気づきを得た瞬間の感動は、AIから解答をもらうことでは決して得られない体験だ。
だからこれは私の楽しみとして取っておくことにする。
いつか私だけの答えが見つかるといいなと思う。
さて3000字オーバーかな。
まだダラダラ語ろうと思えば語れるけれど、思ったよりも切りが良さそうなのでこの辺でこのどうでもいい話は終わりにしようと思う。
さらにここからアバタールチューナーの話も混ぜ込んでいけば、たぶんあともう3000字は語れるし、人間回数の話も入れたらさらにもう5000字は語れるけれど、さすがに疲れたのでこの辺で。
ここまで読んだ人がどれだけいるかは分からないけれど、語れと言われればこのネタでまだまだ語れる。
だからそのうち機会があればまた似たような話をどこかでするかもしれない。
最後に。
チベット音楽の持つ独特な音の振動は、人の心を癒やす効果があるらしい。
あまり気分の良くないニュースも続き、もうすぐ連休もあるから、そうすると連休が明けてほしくないサザエさんシンドロームで苦しむ人も出るかもしれない。
入浴しながらスマホで音楽を流し、その音に身を預けてみたり、眠るまで子守唄のように流してみたり、そんな感じで心をほぐすのもいいと思う。
私は最近そんな感じでチベット音楽と暮らしている。




