第玖話 雑賀の雙龍(そうりゅう)
――紀国、雑賀。
眼前に広がるのは、穏やかな大串浦とは対照的な、荒々しい断崖と群青の海だった。波飛沫が岩を叩き、風に乗って潮の香りと、そして火薬の匂いが漂ってくる。
「……着いたぞ。あれが雑賀城だ」
玄瑞が指差した先。海を一望できる小高い丘の上に、その城はあった。
城とはいえ、戦国大名が君臨するような立派なものではない。だが、あちこちで火縄の煙が上がり、絶え間なく銃声が響くその様は、城というより巨大な兵器の塊のようだった。干された漁網の影で、幼子さえもが鉛の玉を数え、老婆が手慣れた手つきで火縄を手入れする。生活のすべてが戦火と隣り合わせの、この地独特の殺伐とした空気が、一行を沈黙させた。
雑賀に辿り着いたものの、『例の二人』が何処にいるかもわからない。城での聞き込みによると、今は宮ノ郷という所へ出向いているらしい。数日で戻ると聞き、一行は麓の村の空き家を拠点として待つことにした。
「こんなにのんびりしてていいのか?」
刹が尋ねるも、玄瑞は呑気に片肘ついて横になっている。
「今はどうにもならねぇ。待つ他ねぇな」
(……奴らが、変わっていなければいいがな)
玄瑞は天井の煤けを見つめながら、かつての記憶を反芻していた。雑賀の傭兵たちと切り結んだ若き日の、あのヒリつくような緊張感。そこに、これから会う二人の影が重なる。
さらに数日が過ぎた頃――家の戸口が勢いよく開き放たれた。
「玄瑞ッ!」
そこには美しくも勇ましい女と、背の小さな幼顔の娘が立っていた。
「よ、よぅ。山吹、蓮音。久しぶり」
玄瑞は、二人の顔を見るとたじろぎながら挨拶を交わす。その顔は引き攣り、懐かしむ様子もない。
「お前、いつからこんな子守りの真似事なんざするようになったんだ?」
山吹は家を見回し、そこにいる子供たちを見ると、吐き捨てるように言った。
「お前ら、少し出てくる。山吹、場所を変えよう」
玄瑞は二人を連れて、少し離れた川の傍までやって来た。
「玄瑞。紅梅様は、息災か?」
開口一番、山吹に問われ、玄瑞は喉を詰まらせた。
山吹は玄瑞の表情を読み取ると、有無をも言わさず胸ぐらを掴み上げた。
「何があった。お前がここに居るということは、紅梅様に何かあったという事だろ?」
山吹の声は低く、目は鋭い。獲物を狩るような殺気が漲っていた。掴まれた襟元から、彼女の指先が小刻みに震えているのが伝わってきた。それは怒りか、あるいは受け入れがたい事実への拒絶か。
「まぁまぁ」
蓮音が柔らかく手を離すよう促す。
「で? なんで、玄瑞がここにいるのぉ? あの子供たちも何? ちゃんと……聞かせてくれるよね?」
おっとりとした口調。だが、その奥には底知れない殺気が隠されていた。彼女の視線は、玄瑞の喉元を正確に射抜いている。まるで、答えを間違えればその瞬間に命を刈り取る準備ができているかのように。
玄瑞は今までの経緯を全て話した。翁の面、紅梅の最期、奪われた巻物、そして双子のこと。
「お人好しにも程があるな」
聞き終えた山吹は、溜息を吐いたあと、玄瑞を静かに罵った。
「お前がいながら、紅梅様を守れなかったとは。万死に値する。今、私がここで殺しても構わぬが……紅梅様のご意志を無下にする訳にもいかん。ただ、なぜ私たちがガキの面倒をみなければならない。そんな義理はないぞ」
山吹の言葉に、返す言葉もない。
「山吹。アイツらも心は俺らと同じなんだ。この借りは必ず返す。だから、どうか」
玄瑞は頭を下げた。
「へー。お前が私たちに頭を下げるなんてな。かつては女だの何だのと馬鹿にしていたお前がな」
「あの時は……すまなかった」
玄瑞は、心から二人に詫びた。若いころの玄瑞は、女が火縄銃を握るなどありえないと笑った男だ。力もないのに、どうやってその重さを支えるのかと。
――そんな自分が、今は頭を下げている。だが、子供たちに幼い日の自分を重ね、放っておけなかった。その深々と下げられた頭に、山吹は呆れたような、それでいて少しだけ毒気の抜けた視線を向けた。
「お前の頼みを聞くわけではない。あいつらの不憫さに同情しただけだからな」
山吹が大きくため息をつき、頭を掻きむしりながら応じ、玄瑞は安堵の色を見せる。
「山吹も甘いよねぇ? 玄瑞。あのガキ、勢い余って殺しちゃっても、文句いわないでよね?」
蓮音がニコリと微笑みながら釘を刺す。
「あぁ。ついて来られない奴が悪い。それは俺もアイツらも承知の上だ」
「それと、玄瑞にも後できっちりと、貸しは返してもらうからね。何にしようかなぁ。楽しみだなぁ」
蓮音はさらに追い打ちの微笑みを投げる。玄瑞は、その笑みの意味を理解した。山吹より質が悪い。
三人が空き家へ戻ると、そこには嵐を待つ小動物のような面持ちで、双子が座っていた。
山吹の姿を見た瞬間、火弦の肩がびくりと震えた。山吹が纏う苛烈な空気。それは亡き母の面影を呼び起こすと同時に、これから始まる事の「本気度」を、言葉以上に知らしめていた。優しさなど微塵も介在しない。ただ純粋な「強さ」への渇望。それを突きつけられ、火弦の心臓は早鐘を打つ。
「おい、そこのガキ共。立て」
山吹が双子を威圧する。一方で蓮音は、火緒の頬をむにむにと弄り始めた。
「わぁー、本当に双子だぁ。似てますねぇ?」
「蓮音。あまり馴れ合うな」
「えー……? ま、でも、可愛がり甲斐はありそうですねぇ」
蓮音は、値踏みするように目を細めながら双子を見定め、不敵な笑みを浮かべる。
「蓮音」
山吹の一喝で蓮音が下がると、山吹は改めて鋭い目つきで双子を見下ろした。
「火弦と言ったね。仇を自分の手で撃ち抜きたいんだってね?」
火弦は恐怖を押し殺し、山吹の瞳を真っ直ぐに見返した。
「やりたい。あいつらに、父ちゃんや母ちゃんと同じ思いをさせてやりたいんや」
「いい返事だ。だが、今のあんたの細腕じゃ、引き金の一本もまともに引けやしないよ。明日からみっちり、あんたたちが雑賀の波に揉まれて砕けるか、鉄の弾丸になるか。試してやるよ。ついて来られなけりゃ、死ぬだろうが……見ものだな」
その様子を傍らで見守っていた梓が、玄瑞の耳元で囁く。
「ねぇ、玄瑞。あっちの山吹って女、あんたよりよっぽど『忍び』らしい怖さがあるね。それに、あの天然の娘……あれ、一番ヤバい奴でしょ。笑いながら火緒の頬を触ってるけど、いつでも指一本であいつの顎を外せる位置に手を置いてる。毒草を扱う時と同じ、一切の情がない奴の目だよ。」
玄瑞は苦い顔をして頷くしかなかった。
玄瑞は双子に向き直り、別れを告げる。
「火弦、火緒。俺たちはここまでだ。お前らはここで、しっかり鍛錬に励め。そして、ちゃんと仇を討て」
「おっちゃん。いや、玄瑞。おおきにな。ここまで良ぅしてもろて」
火弦は声を震わせながら礼を言い、火緒は涙を拭う。
「梓、刹兄、おおきに」
「おう。またな」
刹は愛想よく返事を返すが、梓は顔を背け、ひらひらと手を振るだけだった。
「ほら、行くよ。ついてきな」
双子は、山吹と蓮音に連れられて、出ていった。蓮音は無邪気そうに手を振っていたが、別れ際にふっと冷たく笑うのを、玄瑞は見逃さなかった。それは、双子のこれからを物語る残酷な笑みだった。
双子がいなくなった物寂しさか、玄瑞が口を開く。
「あいつら、せめて『玄瑞さん』って呼べねぇのか? お前らもだけどよ」
玄瑞がぼやくと、刹が即座に返した。
「お前に『さん』なんて付けたら気持ち悪いだろーが」
梓も刹の言葉に、同意するかのように深く頷く。
その一言に、玄瑞は刹の頭を少しだけ小突き、心にぽっかり空いた物を穴埋めするかのように紛らわせた。
夕闇が降りてくる雑賀の空は赤く染まり、銃声に鳥が舞う。
【あとがき:解説】
紀国の雑賀:本作における、鉄砲技術を極めた者が集う特別な土地。玄瑞が「並外れた毒」と評する二人が待ち受けています。歴史上の雑賀衆とは別物とお考え下さい。




