第漆話 薬師 梓
ルビ表現修正、加筆修正しました。
「なぁ、玄瑞。……梓さん。俺の看病を必死でしてくれてさぁ……」
玄瑞の隣で、刹が少し照れくさそうに、しかし熱っぽい視線を炉端の梓に向ける。脇腹の痣はまだ痛むが、それすら「献身的な看病の結果」だと考えれば、どこか愛おしささえもあった。
玄瑞は麻袋を片付けながら、不思議そうに刹を振り返った。
「そうなのか? ……だが、なんだ。あいつ、口が悪かっただろ? 相当、絞られたんじゃないか」
「そんなことある訳ないだろ? それよりめちゃくちゃ可愛くてさぁ……」
「お前……騙されてんぞ?」
「いやいや。玄瑞。お前は冷たくされたかも知れねぇが、俺には優しかったなぁ。 」
刹は、ウットリとしながら梓の後ろ姿を眺める。
「梓さんさぁ……仏みたいに優しくてさ。夢の中で俺の名前呼んで、手まで握ってくれてよ。あんな女子他にいねぇ」
玄瑞の動きが、ピタリと止まった。
「お前、手ェ出してないよな?」
「い、いや?そんなことしねぇよ?」
刹の泳ぐ目と、脇腹の痣に交互に目がいく。
数秒の沈黙の後、玄瑞の肩が小刻みに震え始める。
「ぶっ、くくくっ! か、可憐? 梓が、尽くす女子だと!? 本気で言ってんのか?」
「何がおかしいんだよ! 笑うなっ!」
「あーっははは!」
玄瑞は膝を叩き、涙を流して爆笑した。あまりの笑い声に、外の馬が驚いて嘶くほどだった。
「刹、残念だったな。あいつ、男だぞ?」
刹の時が、止まった。
「梓さんが……男?」という言葉が、頭の中で何度も反芻される。
「……は? 何を、言って……」
すると、それまで背中を向けていた梓が、ゆっくりと立ち上がった。
梓は、わざとらしく可憐な仕草で首を傾げると、いつもよりさらに低い、少年らしい生意気な声で言い放った。
「あーあ。玄瑞、バラしちゃったか。せっかく面白かったのに。こいつ、俺のこと、完全に女だと思い込んでたもんなぁ」
梓は、帯に挟んでいた手ぬぐいで唇を拭った。そこには、刹が焦がれた「可憐な乙女」の面影はなく、ただただ意地の悪い笑みを浮かべた「薬師の少年」がいた。
「お前、寝てる間に俺に何かしようとしただろ?」
梓は、刹の脇腹にちらりと目をやり、わざと追い討ちをかけるように聞く。
「梓さんが……男……。仏の……ような……梓……お、お……」
刹は魂が抜けたような顔で、座り込んだまま放心状態となった。口だけが、壊れた人形のように同じ言葉をブツブツと繰り返している。
「おい、死んでる暇はないぞ。薬の準備だ」
玄瑞は、もはや置物と化した刹を放置して、梓の方へ向き直った。
「梓さんが……男……仏のような……梓さんが……」
呟き続ける刹を一瞥し、梓は心底面倒そうに鼻を鳴らした。
「あいつはダメだ。放っておけ。使い物にならん。おい玄瑞、突っ立ってないで手伝え」
梓は麻袋から潮凪草を取り出すと、玄瑞に鋭い指示を飛ばした。
「根の部分は幸いそこまで硬くない。切り落としたら、まずは細かく砕け。そのあと薬研ですり潰して、すり鉢で跡形もなく滑らかにするんだ。いいな、少しでも塊が残れば、あの侍どもの喉に詰まるからな。そうなったら、俺が手打ちにされる」
玄瑞は頷き、黙々と作業に取り掛かった。かつて人を殺めるために鍛えた腕が、今は薬を練るために使われる。
根を砕き、すり潰し、蜂蜜や他の薬草を混ぜ合わせる。庵の中には、甘ったるさと土の匂いが混ざり合った、形容しがたい香気が立ち込めていた。
梓は手際よく調合を進めていたが、ある一点でその手が止まった。侍から渡された、あの無造作な処方箋の写し。それを凝視する梓の眉間に、深い皺が寄る。
「……? なんだ、これ。おかしいだろ」
「どうした?」
手を休めず玄瑞が問う。
「調合の手順だよ。この『潮凪草』の成分を後に入れるなんて……。本当にこの薬草のこと知ってる奴が書いたのか? これじゃあ、成分がうまく混ざらずにただの薬草汁になる。それでも、ある程度精力はつくだろうが、順番を変えて先に熱を通した根の汁と合わせるのが正解だ。作り方が全くもっておかしいじゃないか」
梓は迷いなく、処方箋とは異なる手順で大釜に材料を投じた。
「まったく。こんな走り書きするから、手順を書き間違えたりするんだよ。やっぱり、あいつらいい加減だな」
梓は紙切れをパシンと弾くと、ふんっと鼻を鳴らした。
「よし、あとは煮出すだけだ。玄瑞、少し休め。お前、さっきから目が充血してるぞ。俺は徹夜なんて慣れてるけどな」
「ああ。井戸で顔を洗ってくる」
玄瑞は外の冷たい空気を求め、庵を後にした。
村の境界に近い井戸で、冷水で顔を洗う。掌に伝わる水の冷たさが、ようやく旅の終わりを実感させた。
ふと顔を上げると、隣の家に住む老夫婦がゆっくりと玄瑞に歩み寄ってきた。
「旅の方。少し、寄っていかれませんか」
老婆の静かな声に、断る理由もなく、招かれるままに古びた家へと入った。
差し出された白湯を啜る玄瑞に、主である老爺が、祈るような目で言葉を紡いだ。
「旅の方。不躾なお願いなのは承知しております。ですが、あの梓を……どうか、ここから連れ出してはくれまいか」
「連れ出す?」
玄瑞の問いに、老爺は深く頷いた。
「あの村の惨劇の後、あの子は生き残った我々のために、城の無理難題に応え続けてきました。ですが、あの子の才能は、この枯れ果てた村で終わっていいものではない。このままでは、あの子も村と共に腐ってしまう。どうか、あの子を外の世界へ」
玄瑞は、湯呑みの底を見つめた。
自分は里を追われた忍びだ。連れには、失恋で魂が抜けたガキがいる。そんな自分たちに「梓を救え」という願い。
「連れ出す、とはどういうことだ。あの子はこの村で、薬師として重宝されているのではないのか」
玄瑞の問いに、老爺は力なく首を振った。
「重宝など……。あの子は、城の侍どもに『飼い殺し』にされているのです。かつてこの村が戦に巻き込まれた際、腕利きの薬師たちは皆、城へと連行されるか、逆らって命を落としました。生き残ったのは、まだ幼かった梓と、我々のような動けぬ年寄りだけ……」
老爺は震える手で、空になった湯呑みを握りしめた。
「侍どもは、梓にだけ『村の再建』という甘い夢を見せ、呪わしい仕事を押し付けておるのです。この村を立て直すまではこの場を動かぬ、その代わり城の要望には応える、と。あの子はワシらのために、戦で使う『毒』の研究を……」
老婆が玄瑞の前に膝をつき、縋るように手を合わせた。
「あの子は、本当は心の優しい子なのです。自分の知恵が、誰かを不幸にしていることに、誰よりも怯えている……。だからこそ、あのように強がって見せているのです。旅の方、どうか、あの子を外の世界へ連れ出してはくれまいか。梓はまだ十六なんじゃ。あの子に自由を……やってはくれまいか」
玄瑞は沈黙した。
大串浦の双子が笑いながら言った「お母ちゃんに痛み止めを」という願い。そして今、目の前の老夫婦が流す涙。かつて忍びとして「無情」を叩き込まれたはずの胸の内に、ざらついた感情が渦巻く。
「……あいつにその気があるのなら、拒みはしない」
玄瑞の短い答えに、老夫婦は安堵したように何度も畳に頭をこすりつけた。
庵に戻ると、それまでとは明らかに違う、鼻を突くほど鋭く官能的なまでに甘い香気が玄瑞を包み込んだ。
「遅かったな。いい塩梅だぞ。あとはこれをさらに練って、丸薬にすれば出来上がりだ」
釜の前に立つ梓が振り返る。その瞳は、調合の熱気にあてられたのか、不気味なほどに爛々と輝いていた。
「……梓。疲れている所すまない。実は、薬草を取りに行った村で薬を頼まれてな」
玄瑞が切り出すと、梓は口角を吊り上げ、禍々しくも美しい笑みを浮かべた。
「ああ、もちろんだ。史上最高に『効く』やつを用意してやるよ」
梓は休む間もなく、玄瑞からどのような薬が必要なのかを聞き出し、薬草棚へ向かった。刹は薬の匂いに当てられたのか、掛け布団に包まり、雪でできたカマクラに入っているかのようだった。
「痛み止めと、傷薬だったな? 待っていろ、今混ぜてやる」
梓は棚から、いくつもの瓶を手に取った。
「お前が持ってきたあの『潮凪草』は、やはり化け物だったよ。根の汁を先に煮詰めてから、この『銀糸草』と合わせる。そうするとどうなると思う? 薬草同士が互いの気を食らい合い、爆発的に効力が高まるんだ。処方箋を書いた奴は、この『ぶつかり合い』に気づいていなかった。阿呆な連中だよ」
梓はすり鉢で青白い粉末を練り合わせながら、恍惚とした表情で続けた。
「さぁて。この痛み止めを飲めば、どんなに深い傷も、骨が砕けるような痛みも、瞬時に消え去る。痛みを感じなくなるだけじゃないよ。身体が軽くなり、不安すら消える。まさに、極楽への薬だ」
その言葉に、玄瑞は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「梓。それは本当に、ただの『痛み止め』なのか?」
「ああ、そうだとも。効きすぎるぐらいに『効く』、ただの薬さ。試しにそいつで試してみるか?」
指を刺された刹は、フルフルと全力で首を左右に振る。
梓は小さな革袋にその特製の薬を詰めると、玄瑞の手に押し付けた。
「その村の奴に持って行ってやれ。腰の痛みなんて一瞬で忘れて、子供のように走り回れるようになるさ」
玄瑞は、手の中にある小さな袋を見つめた。微かに熱を帯びている気がした。
「梓。この調合が終われば、お前は自由になるのか」
梓の手が、一瞬止まった。
「自由? 変なことを聞くんだな。俺はこの村の再建を願っている。それが終わるまでは、どこへも行けないし、行かない。それが俺の『仕事』だと決めたからな」
玄瑞は、布団に包まって震えている刹に目をやった。
「外の世界は広いぞ。お前のような知恵者が、こんな湿ったもやの中で一生を終えるのは、勿体ない気がする」
梓は一瞬、窓の外の深い闇を見つめたが、すぐにいつもの不敵な笑みに戻った。
「よせよ。柄にもない勧誘なんて。さあ、十日目は明日だ。侍たちが来る前に、これを仕上げちまうぞ」
梓は再び大釜に向き直った。
釜の中で煮える赤黒い液体は、まるで意志を持っているかのように、どろりと泡を吹いている。
玄瑞は、懐の「薬」を握りしめた。
翌朝。もやを切り裂いて現れた城の侍たちは、梓が差し出した桐箱の中身を確認すると、無愛想に代金を投げ出し、風のように去っていった。
静まり返った庵の中で、玄瑞はふと、大釜の残滓を片付ける梓に問いかけた。
「なあ、梓。あの薬は、結局何だったんだ?」
梓は手を休めず、淡々とした声で答える。
「ああ。たしか……『強靭丹』とかいう薬だったな。一粒飲めば、身体の奥底から力が湧くっていう。でもあれ、ただの精力剤……」
「――強靭丹、だとっ!?」
刹那、玄瑞が梓の細い両肩を、骨が軋むほどの力で掴み上げた。その瞳には、今まで見せたことのない激しい怒りと動揺が混ざり合っている。
「痛っ! なんだよ急に!」
「……ばあさん」
玄瑞の脳裏に、死に際の紅梅の掠れた声が蘇る。
『強靭丹を……巻物を取り返しておくれ……』
あの時、里を焼き、紅梅の命を奪った惨劇の元凶。その名が今、目の前の少年が作った薬として結びついた。
「梓! あの侍はどこの城の者だ! 答えろ!」
「あ、赤坂だよ! 赤坂城の使いだ!」
玄瑞は梓を突き放すようにして外へ飛び出した。だが、もやの立ち込める街道に、すでに侍たちの影はない。ただ、蹄の跡だけが無機質に残されていた。
「……赤坂……城……」
玄瑞は侍たちが去った方向を、憎しみを込めて睨みつけた。ようやく、手がかりを掴んだ。
――翌朝。
玄瑞と刹は、旅支度を終え、草鞋の紐を結ぶ。
刹の傷も、梓のおかげで驚くほど回復していた。梓は土間で、二人の水と食料と薬を包んでいた。その背中は、少し寂しさを纏っている。
昨夜、玄瑞からすべてを聞かされた刹は、いつもの調子を取り戻し、梓の細い首に腕を回して引き寄せた。
「梓、お前も一緒に行くぞ」
「はぁ!? 何言ってんだよ、俺はこの村を……」
「強制連行だ」
梓が頑なに拒み、押し問答を繰り返していたその時。
「……行け。梓」
庵の戸口に、昨日の老夫婦が立っていた。老爺が声を荒らげる。
「ワシらを気にしておるのなら、とんだ勘違いじゃ! ワシらは、お前のような子供に世話を焼かれるほど、ヤワなタマじゃないわい! お前などおらんでも、ワシらはこの村を再建してみせる! お前の世話焼きにはもううんざりじゃ! さっさと出ていけ! 顔も見とうない!」
そう言い放つと、背中を向け立ち去ってしまった。
「おじいちゃんっ! なんで……っ!」
梓は戸惑いを隠せなかった。老婆が、梓の肩にそっと手を置く。
「梓、お前の知恵はもっと広い場所で、誰かを救うために使いなさい。ここはもういいんだよ」
「そうだよ、梓。もうあたしらの事は放っておいておくれ」
「梓、出ておゆき」
気付けば、戸口には薬師村の村人たちが押し寄せていた。
「おばあちゃん……みんな……」
追い出される形にはなったが、それが彼らなりの、梓への最後で最大の愛情であることは明白だった。
村の入り口まで来た梓は、ずっとしょんぼりと俯いたままだった。
「元気出せよ。じいさんもばあさんも、他のみんなもお前のためにあぁやって……」
「……お前らに……何がわかるんだよ。住む場所を失って、独りになる気持ちが……」
「わかんねぇな」
刹は低く重い声でぽつりと呟く。
「お前の苦しみなんて、俺にはわかんねぇよ。でも、俺はお前と旅がしてぇ。それだけは言える」
刹は照れ隠しに顔を真っ赤にしながら、そっぽを向いて鼻を鳴らす。
「……あと、お前。俺より一つ年下なんだから、あんまり偉そうにすんなよな! わかったか、梓!」
梓は一瞬、目を見開いたが、すぐにふいと背を向けた。溢れそうになる涙を見せたくなかったのだろう。
「……うるせぇよ。男に靡いた変態の癖に……」
「ッんな!」
スタスタと早足で行く梓を、怒りながら追いかける刹。
玄瑞は、懐にある「史上最高に効く痛み止め」を握りしめた。
次は、大串浦だ。
約束を果たし、馬を返しに行かなければならない。
目的地はわかった。玄瑞は赤坂へと急ぐ気持ちを、一旦心の奥に押し込めた。あの、屈託なく笑う火緒と、眠たそうな目をした火弦が待っている。
【あとがき:用語解説】
薬研:薬草を細かく砕いて粉にするための道具。中央がくぼんだ舟形の器具の中で、車輪状の部品を前後に動かして使います。




