表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
まほろば  作者: 雨音かえる
秘伝書之段

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/12

第陸話【閑話】かりねの野べの 露のあけぼの

 玄瑞が旅立ち、すぐ。刹は未だ死の淵に立っていた。

 夢の中で、見知らぬ少女が刹の手を握りしめ、懸命に自分の名前を呼ぶ。

 それに応えるように、手を握り変えすと、温かさと共に光の中へ吸い込まれた。

 刹が目を覚ますと、そこには夢で見た少女がいた。彼女は刹の額に手を当て、心配そうに顔を覗き込んでいる。

 刹は夢の中と同じく、思わず少女の手をがっちりと掴んでしまった。少女が一瞬恐ろしく口元を引き()らせ嫌な顔を見せた気がしたが、朦朧とした頭ではよくわからなかった。

「え、と……あの」

 戸惑う少女に、刹は思わず手を離した。

「す、すんません……」

「あ、目が覚めたんですね。よかったぁ」

 刹は恥ずかしさから、咄嗟に再び目を閉じた。そして、目を閉じたまま尋ねる。

「俺……どうしてここに……。君は……」

「私の名前は梓。玄瑞さんに刹さんの看病を頼まれました」

 梓。

 熱にうなされながらも、まさに可憐な彼女にぴったりの名前だと思った。

 それから、梓は懸命に自分の世話をしてくれた。手とり足とり看病に尽くす。まさに、仏のよう。玄瑞の事も、訳あって今は使いに出ていると説明してくれた。

 彼女は薬師だというが、まだ若い。自分と変わらないぐらいだろうか?刹の心が奪われるのに、そう時間はかからなかった。


 ――このまま玄瑞が帰ってこなければいいのに。


 熱に浮かされながらも、つい、そんなことを考えてしまう。

 梓が作った栄養剤を匙で刹の口に運ぶ。味は、正直美味くはないが、梓の作ったものだと思うと、さほど気にはならなかった。

『このまま、二人でここで暮らしたい』と、何度喉の奥に飲み込んだことか。

 刹は、梓の献身的な看病のおかげで、みるみるうちに元気になっていった。


 「うっ……う……ん……」

 刹は寝苦しさにうなされていた。

 刹が運ばれてから三日が経ち、死の淵からは脱したものの、まだ身体は重い。

(喉がカラカラだ。水……)

 刹が目を覚まし、起き上がろうとするが、やはり体が重い。

 (やっぱり、まだ回復しきってねェな。一人で体を起こすことも出来ねえなんて……)

 いや。違う。体が重いのではない。

 ふと目を開けると、首元に風が当たる。

 風?……いや、違う。寝息だ。

「ふっ」っと温かい吐息が首筋をかすめる。

 息が近い。

 視界は闇に沈んでいたが、確かに自分の上に誰かが覆いかぶさっている気配があった。

 

「……っ!」

 

 刹の胸が跳ね上がる。薬草の匂いが鼻を掠めた。


 (間違いない、梓さんだっ! か……顔がっ! 近いっ!)

 

 動揺を隠せなかった。

 梓が自分の身体に上半身を重ねている。

 冷や汗が首筋を伝う。


 看病に疲れたのか、隣で眠っていたはずの梓が、寝返りを打つうちに刹の寝床まで侵食してしまったらしい。

 刹は息を呑み、そのあどけない寝顔をゆっくりと覗き込んだ。

「……っ!」

(可愛い……)

 動揺が止まらない。梓が小さな唇を動かし、「ん……」と微かな吐息を漏らすたび、刹の理性は薄氷を踏むように「ぴしっ」と軋んだ。

 彼女は献身的に自分を救ってくれた命の恩人だ。邪な心を抱くなど……男として以ての外だ。

 必死に自分を説得し、刹は梓の身体を静かに元の場所へずらそうと手を伸ばした。

 だが、運命は刹に味方しなかった。

 何とも都合よく雲間から現れた月明かりが、窓の隙間から差し込み、梓の姿を青白く照らし出したのだ。着物の裾がはだけ、すらりと伸びた白い足が露わになる。

「むにゃ……せ(っかく)……つ(んだのに)……」

 (寝言! しかも俺の名を呼びやがった!)

 刹は雷に打たれたように硬直した。心臓は暴れ馬のように喉元までせり上がってくる。

 月光に縁取られた長い睫毛。

 規則正しく胸が上下する度に、何故か無駄に興奮してしまう。

 一瞬、頭が真っ白になる。


 ……これはまずい。実にまずい。

   

 (とにかく、梓さんを起こさずに身体をずらし、離れなければ! そうすれば変な誤解は避けられる……はず! 下手に起こして騒がれでもしたら……! 絶対に嫌われるッ! ……まずいっ!やっぱり、まずいっ!)

 

 脳内でそんな結論にたどり着き、刹は息を潜めて、ゆっくりと梓の身体をずらし始めた。

 だが次の瞬間、梓の足がぬるりと蛇のように刹の腰に絡みつき、がっちりと身体を梓に包まれてしまった。

 

 刹は凍りついた。身動きが取れない。心臓はさらに暴れ馬のように跳ね回る。

 

 (どうする? どうすればいい!?)


「……っっ!?!」


 さらに追い打ちをかけるように、梓の唇が刹の首筋を掠める。

 

 (違うっ! 違うっ! 違うんだ! 俺は何もしてねぇ! 事故だ! これは事故なんだァ!)

 

 完全に危険領域。刹は頭の中で鐘を鳴らしながら錯乱状態(パニック)に陥った。

 

(やばい!やばい!やばい!起きるな!梓さん!絶対に起きるなっ!)

 

 必死にもがき、なんとか足を外すことに成功した。

 その反動か、梓の体がゴロンと仰向けの状態になる。梓の子供のようにあどけない寝顔が露になると、もはや刹の興奮が頂点に達した。

  

 (落ち着け! 俺ッ! 落ち着くんだッ!)

 

 煩悩という名の毒が、鎌の傷よりも深く刹の全身に回っていた。

 もはや抗う術はなかった。刹は吸い寄せられるように、ゆっくりと梓の唇へと顔を近づけていく。

 互いの吐息が混じり合う、その瞬間。

「……(薬草が)だめぇー(になる)」

 梓が、本日一番の勢いで寝返りを打った。

「ぐはっ……!?」

 凄まじい速度で振り上げられた梓の膝が、無防備な刹の左脇腹に入る。

 一瞬肋骨が折れたかと思うほどに、「みしっ」と言う音がした。そして……刹は悶絶しながらその場へ倒れ込み、意識は闇に沈んで行った。

 

 翌朝、刹の脇腹を見た梓は刹を叱りつけた。

「刹さん! 寝相が悪すぎます! また、怪我が増えてるじゃないですかっ!」

「はい……。すみませんでした」

 刹の脇腹には、丸く紫色の痣がくっきり出来ていた。

 

 玄瑞が潮の香りを纏いながら帰った後、梓の事実を知らされ、こうして刹の初恋は、朝露のようにあっけなく消えた。

【あとがき:解説】


忘れめや 葵を草に引き結び かりねの野べの 露のあけぼの:百人一首のひとつで、式子内親王が歌ったとされる恋歌です。

題名に使わせていただきました。

現代語訳:忘れることがあるでしょうか。葵の葉を枕として結んで旅寝した野辺の一夜があけて、露の置いたあの曙の景色を。


刹と梓は、一夜明けたら、刹の脇腹に曙のごとく痣がついていました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ