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まほろば  作者: 雨音かえる
秘伝書之段

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第伍話 大串浦

ルビ表現修正、加筆修正しました。

 芒の原を抜け、険しい岩山を二つ越えたところで、風の色が変わった。

 湿り気を帯びた山の空気に、微かな、しかし確かな塩の香りが混じる。

(海だ)

 玄瑞は足を止めず、さらに地を蹴った。軽く仮眠は取ったものの、体の疲れは限界に近づいている。梓が行きがけに渡してくれた水と干し飯も、腹の足しにはならない。

 肺は焼けつくように熱く、足の感覚はとうに麻痺している。

「俺も歳をとったな……」

 自分を皮肉る。だが、目を閉じれば、意識の闇に落ちる刹の「迷惑かけてすまねぇ」という掠れた声が響く。それが、折れそうな玄瑞の心を無理やり前へと押し出していた。

 さらに峠を登りきった所で、視界が唐突に開けた。

 眼下に広がるのは、見渡す限りの紺碧――大串浦の海だった。

 陽光を跳ね返す波は銀色に輝き、崖下には板屋根の家々が寄り添うように並んでいる。梓のいた薬師村の独特な空気とは対照的な、生命力に溢れた眩い光景だった。

 玄瑞は崖道を一気に駆け下り、潮騒の音が間近に迫る浜辺へと辿り着いた。

 漁網を繕う老人や、海辺で遊ぶ子供たちの視線が、泥を被り血走った目をした余所者の男に集まる。

 玄瑞は構わず、懐から梓の描いた『潮凪草』の絵を取り出した。

「これを、探している」

 最初に声をかけた漁師は、玄瑞の出で立ちから身を竦めた。だがその時、背後から弾んだ二つの声が響いた。

「なぁ、おっちゃん! なんか探しとるんか?」

「おっちゃん、そないなボロボロな格好で何してんの?」

「おっちゃんっ!?」

 振り返ると、そこには見分けがつかないほどよく似た少年が二人立っていた。

 一人は太陽のように屈託なく笑うと、チラリと見える八重歯が特徴的だった。もう一人は少し首を傾げ、眠たそうな眼で玄瑞を観察している。

 玄瑞は、持っていた紙を双子に見せると、眠たそうな方が応えた。

「あぁ。その草やったら崖の下にぎょうさん生えとるわ」

「……本当か! 場所を教えてくれ!」

「ええよ。やけど、あれ茎がめっちゃ硬いから、手じゃ摘めへんよ?」

「俺らが生えとる場所まで案内したるわ!」

 双子は玄瑞の険しい表情など気にする様子もなく、軽やかな足取りで波打ち際を走り出した。

 玄瑞はただ、刹の命を繋ぐ「紅い葉」を求めて、双子の後を追った。

「ここやで。ぎょうさんあるやろ?やけどこんな草なんにするん?」


  屈託なく笑う八重歯の少年が波飛沫の舞う岩場を指差した。

「これだ!」

 そこには、梓が描いた通りの姿――波に洗われながらも、周囲の岩にしがみつくように根を張る、紅い葉の群生があった。

「……これがないと色々と困るんだよ」

 梓の絵には、根が必要と書いてある。玄瑞は膝をつき、試しにその草の茎を掴もうとしたが、双子の警告通り、それは草というよりは細い鉄線に近い手触りだった。

「あかんって、おっちゃん。素手でやったら指切れるで?」

 眠たそうな眼の少年が呆れたように言うのを背に、玄瑞は懐から一振りの棒手裏剣を抜き放った。

「うわっ、武器や!  おっちゃん侍か何かなん?」

「いや?ただの運び屋だ」

 玄瑞は笑いながら短く答え、棒手裏剣の鋭い切っ先を岩の隙間に差し込んだ。潮凪草の根は岩の深くまで食い込んでおり、一株掘り出すだけで全身の筋肉が悲鳴を上げる。

 ようやく一袋分の潮凪草を採り終えた頃には、西の空が茜色に染まり、玄瑞の体力は完全に底をついていた。立ち上がろうとした膝が、ガクガクと震えて地面に崩れ落ちる。

「おっちゃん!?」

「……大丈夫だ。少し、目眩がしただけだ……」

 強がってみせたものの、視界は白く霞み、波の音が遠のいていく。二日間ろくに寝ていないツケが回って来たのだろう。忍びの鍛錬をもってしても、今の玄瑞には一歩を踏み出す力さえ残っていなかった。

「あーあ、無茶苦茶やな。火弦(ひづる)、おっちゃん担ぐぞ!」

「しゃあないなぁ、火緒(ひお)。おっちゃん、肩貸したるわ」

 火緒と火弦は、自分たちより大きな玄瑞の腕をそれぞれ肩に回すと、ふらつく彼を支えて村の中へと引きずっていった。

 その夜。玄瑞は双子の家で目覚めた。どのくらいの時間眠っていたのだろうか。

 鼻を突くのは、香煙の匂いではなく、潮の香りと温かい汁物の匂い。

「……気ぃついた?  ほら、これ食べ。お母ちゃんが作ったんや」

 火緒が差し出してきたのは、新鮮な魚の身が入った粗末ながらも温かい汁と、握り飯だった。

「……すまないな。恩に着る」

 玄瑞が汁を啜ると、冷え切った内臓に熱が染み渡っていく。

「お前らの両親は何処にいる? 世話になって挨拶もしていないが……」

 玄瑞が恐縮しながら尋ねると、火弦が逆に聞き返してきた。

「お父ちゃんとお母ちゃんは、村の寄合に行っとるわ。そんなことより、おっちゃん。何をそんなに急いどるん?」

「……あぁ。俺は薬師村から来たんだが、訳あって七日で戻らねばならん」

「薬師村!? めっちゃ遠いやん!」

「ちょお待って。足だけでここまで来たんやろ? あと何日あるん?」

「五日だ」

 火緒が驚き、火弦が目を丸くする。

「ってことは……。二日でここまで来たんかっ!?」

「そら、ボロボロになるはずやわ。少し休んで行き。帰りは、馬貸したるわ。そないな身体であそこまで帰るんは、休まな身が持たへんよ」

 その言葉に玄瑞は、双子一家の厚意に甘えることにした。

「俺は、火弦。双子の兄のほう。こっちは、弟の火緒や。よろしくな……えっと」

「玄瑞だ」

 眠たそうな方が火弦。八重歯が火緒。玄瑞はそう覚えることにした。

 昼間手に入れた『潮凪草』。一刻も早く持ち帰らねばならない。刹の事も気になる。

 だが、温かい食事と、子供たちの無垢な優しさに触れ、玄瑞はこの日、久々泥のように眠りに落ちた。


  翌朝、大串浦の空はどこまでも高く、昨夜の泥のような疲労を忘れさせるほどに澄み渡っていた。

 玄瑞が目を覚ますと、日はすでに登りきっていた。

 火緒が囲炉裏端で鍋をかき回し、火弦は火に薪を加えている。

「あ、おっちゃん! おはようさん!」

 玄瑞に気がついた火緒が、相変わらず元気な声を張り上げ挨拶をした。

 火弦も「おはようさん」と眠そうな顔で挨拶を交わすが、どうやら朝が弱いらしい。

 昨日に続いていい匂いが鼻をつく。味噌の匂いに、魚を焼いた匂いにそそられる。堪らず囲炉裏端に突き刺してある魚に手を伸ばすと、火弦に「ぱしり」と手を叩かれた。

「まだやで。ちゃんと焦げ目がついてからや」

「火弦は相変わらず、焼き加減にうるさいなぁ!」

 火弦に手を叩かれ、しょんぼりと肩を落とす玄瑞をみて、火緒は笑い転げる。

「昨日あれからすぐに寝てしまったが、親御さんは?」

 玄瑞が尋ねると、火弦が焼けた魚を差し出しながら応えた。

「あぁ、お父ちゃんもお母ちゃんも漁に出てもたわ」

「お父ちゃんは漁師。お母ちゃんは海女やねん! 俺らも将来、お父ちゃんみたいな漁師になんねん!」

 火緒は、目をキラキラさせながら魚を高らかと掲げる。

「また入れ違いか……。後で案内してくれないか?」

 双子は快く了承し、三人で朝飯をたいらげ父親のいる浜へと向かった。

 浜では双子の父親が網の修理をしていた。玄瑞が近寄ると、父親は豪快に笑い、「もう一晩ゆっくりしていけ! 酒でも酌み交わそうや!」と、何故か玄瑞を気に入った様子だった。

 家に帰り、しばらくすると双子の母親が帰ってきた。

 この母親も父親同様明るく、はつらつとしていた。

 玄瑞が丁寧に挨拶をすると、「うちの子らが気に入ったみたいやったから」とだけ応え、さっさと夕飯の支度を始めた。

 玄瑞は久々暖かい家族に触れ、里での日々を思い出した。

 あの翁の仮面の奴らを何としてでも探し出す。

 里を、紅梅を手にかけたこと、絶対に許すわけにはいかない。玄瑞は爆ぜる火の粉を見つめながら、再び心に固く誓った。

「お前ら。翁の面を被った奴らを見かけなかったか?」

 双子はしばらく考え、「見たことない」と首を振った。

 その夜。双子の父と約束通り酒を酌み交わし、漁の話や、双子の事などを沢山聞かされた。

 父にとって、双子は泳ぎが上手く漁師の素質が高いらしい。

 それを聞いた双子は、喜び、母も笑っていた。

 玄瑞にとって、現実を忘れる一時となった。

 

 ――次の日。

 玄瑞は、双子が引いてきた毛並みの良い一頭の馬の前に立っていた。背には、ずっしりと重い『潮凪草』を詰めた麻袋を背負っている。

「玄瑞のおっちゃん、これ。道中で食べや!」

 火緒が包みを差し出し、火弦が真面目な顔で手綱を玄瑞に預けた。

「この馬、うちの村に一頭しかおらへんから、後で返しに来てな。ほんでな。ついでに、頼みがあんねん」

「なんだ?」

 玄瑞が促すと、火弦は少し声を落として続けた。

「薬師村に行くんやろ? あそこはええ薬がぎょうさんあるって聞くわ。……うちのお母ちゃん、最近少し腰と足が痛むみたいなんや。もし良かったら、今度馬を返しに来る時、傷薬とか痛み止めの薬、分けてもらってきてくれへん?」

 玄瑞は、背負った麻袋の感触を確かめた。この中には、梓が求めた「代償」が詰まっている。

「分かった。この礼は必ずする。馬を返しに来る時、最高に効く薬を持ってくる。約束だ」

 玄瑞は静かに、だが重く頷いた。

「やった!  おっちゃん、期待しとるで!」

「無理しなや。またな。おおきに」

 二人の声に見送られ、玄瑞は馬の腹を蹴った。

 蹄が砂浜を叩き、馬は矢のような速さで山道へと駆け上がっていく。

 馬の背に揺られながら、玄瑞は麻袋の中から聞こえる、潮凪草が擦れ合う「カサ……カサ……」という音を聞いていた。

(傷薬と、痛み止め……か)

 あの双子の笑顔と、母親が作った汁物の味。

 それを守るためなら、梓にどんな無理を言ってでも薬を用意させてやる。そんな「情」が玄瑞の胸に灯っていた。

 

 辺りが夕闇に落ちる頃、薬草の独特な匂いが漂い始めた薬師村の境界に辿り着いた。

 薬師村は、大串浦の鮮やかな紺碧とは対照的に、どんよりとした湿り気を帯びたもやに包まれていた。

 馬の蹄の音が静まり返った村に不自然に響き、井戸の影に潜む村人たちが、怪訝そうな、あるいは怯えたような視線を送ってくる。

 玄瑞は馬を庵の前に繋ぐと、一刻も早く重荷を下ろすべく、麻袋を担ぎ直して戸を勢いよく開けた。

「梓、戻ったぞ!」

 室内には、相変わらず喉を突くような薬草の香りと、炉の熱気が満ちていた。

 炉の前で薬草を刻んでいた梓が、驚いたように肩を揺らして振り返る。その顔はまだ「女」の装いだが、目には隠しきれない動揺が走った。

「嘘だろ。まだ四日しか経ってないけど? お前、本当に……」

「いや、馬は立ち寄った村で借りた。これだ。中身を確認しろ」

 玄瑞は、ずっしりと重い麻袋を土間にどさりと投げ出した。中から、鉄のように硬い潮凪草が擦れ合う音が響く。

 その音に呼応するように、奥の寝台から「う、……ぅぐ」という低く情けない呻き声が聞こえた。

 見れば、刹が上半身を起こし、脇腹を必死に押さえながら、顔を真っ赤にしてこちらを見ていた。

【あとがき:用語解説】


海女あま:素潜りで貝や海藻を採る女性。大串浦のような漁村では、男性の漁師と並んで重要な役割を担っていました。

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