第弐話 飢えた野良犬
加筆修正しました。
「……いいのか、玄瑞。紅梅様に会わなくて」
里の外れ。準備を整えた玄瑞に、生き残った仲間の宗助が力なく問いかけた。
玄瑞は足を止めず、背中を向けたまま短く答える。
「死に顔など、見たくもない」
見れば、それが「現実」になってしまう。火の中で力なく垂れたあの首の感触が、掌に蘇りそうだった。
今はただ、怒りだけを糧に足を動かしていたかった。悲しみに暮れる暇があるなら、一刻も早くあの「翁の面」の喉元に刃を突き立てる。それが玄瑞なりの、不器用な死者への弔いだった。
「玄瑞っ!」
呼び止める声を背に、玄瑞は一度も振り返ることなく、墨を流したような夜の街道へと消えていった。
勢いで里を飛び出した玄瑞だったが、現実は非情だ。
忍びとて、喉が渇き、腹が減る。
「ちゃんと飯、食ってから出りゃよかった……」
街道沿いの寂れた茶屋の跡で、玄瑞は携帯食の干し肉を一人ひもじく噛み締めていた。
と、その時。
茂みの奥から、じっとこちらを凝視する「視線」に気づいた。
殺気ではない。飢えた獣のような、剥き出しの執着。
玄瑞は視線に気づきながらも、あえて無視を決め込み、最後の一片を口に放り込んだ。
再び歩き出すが、茂みを揺らしてついてくる気配がある。玄瑞は道端に腰を下ろし、草履の紐が解けたふりをして深く身をかがめた。
敵を誘う、致命的な「隙」をわざと晒して見せたのだ。
刹那、背後の空気が爆ぜた。
茂みから一人の少年が飛び出し、必死の形相で小太刀を振り下ろしてくる。玄瑞は最小限の動きでそれをかわすと、流れるような動作で少年の腕を捕らえ、鮮やかに地面へひねり上げた。
「あだだだっ! 離せ、離せよクソオヤジ!」
「……短刀を抜いておいて、威勢のいいことだ。野盗の真似事か?」
「違う! 俺は、その干し肉が欲しかっただけだ! 傷つけるつもりなんて……」
玄瑞は鼻で笑い、さらに腕を極める力を強めた。
「あだだだっ! 折れる、折れるって!」
少年の口から、短く惨めな悲鳴が漏れる。
「その言い訳は、俺を仕損じた後じゃ通用しねえ。他の奴なら、今ので死んでるぞ」
玄瑞は少年の腕を突き放すように離し、懐から予備の干し肉を放り投げてやった。少年は地べたに這いつくばったまま、砂を綺麗に払い、それに一心不乱に喰らいつく。
「じゃあな。二度と俺の前に現れるな」
玄瑞は足早にその場を立ち去った。
森に入り、日が落ち始めると、玄瑞は焚き火の準備を始めた。
(……また、ついている)
背中に粘りつくような視線を感じ取り、玄瑞は荷物はそのままに茂みの中へ消えた。そして音もなく木に上り、葉の陰で完全に気配を消す。
しばらくすると、先ほどの少年が用心深く現れ、玄瑞の荷物を漁り始めた。
少年が干し肉の包みに気を取られている隙に、玄瑞は頭上から音もなく舞い降り、少年の喉元に苦無を突きつけた。
「お前、死にたいのか。なぜついてくる」
本気の殺気を滲ませると、少年は怯むどころか、玄瑞の腕を強引に振り払い、瞬時に懐から小太刀を抜き放った。その一瞬に見せた目の光は、ただの飢えた子供のものではなかった。
「お前、ただの野盗じゃないな」
「やだなー、俺はただの野盗……いや、気高い物乞いだって。さっきの肉があんまり旨かったから、さッ!」
少年は一瞬で目の色を変え、体制を低くしたかと思うと、ものすごい速さで玄瑞の懐に潜り込み、小太刀の柄で玄瑞の鳩尾を正確に狙う。
玄瑞は半歩飛び退いて衝撃を逃がし、少年の首根っこを掴み引き寄せると、少年の頭に思い切り拳骨を食らわせた。
「ぐはっ……!?」
――再び静寂が戻り、玄瑞は焚き火の前で少年に干し肉を手渡した。少年は頭のたんこぶを摩りながら、恨めしそうに玄瑞の向かいに座り、肉を頬張る。
「……少しは手加減してくれよ。脳震盪起こすかと思ったぜ」
「俺に刃を向けるなんて、十年早ぇ。お前、名は? 幾つだ」
「刹だ。十七」
「その年でまだ野盗まがいの事やってんのかよ。本気で外道になり下がるつもりか?」
玄瑞の説教を右から左へ受け流し、刹はぺろりと肉を平らげると、手に着いた肉の味を最後まで丹念に舐めとる。
「おっさんは、何やってんだ? こんな物騒な場所を一人でさ」
「……探し物だ。里から奪われた、大切な秘伝書を取り戻しに行く」
「秘伝書? ……それって金になんの?」
「ならねぇよっ! 俺の命より重いもんだ」
玄瑞もまた、刹の素性を問うた。
幼い頃に村を焼かれ、それ以来道行く者から奪い、盗み、泥水を啜って食いつないできたという。
狼のように鋭い目つき、愛想のない口ぶり。だが、その身なりは不思議と整っており、どこか端正で育ちの良さを感じさせた。とても、そこらの野盗には見えない。
「『木乃伊取りが木乃伊になる』ってやつだな。野盗の真似事のわりに、随分と小綺麗にしているな」
「……色々あんだよ。野盗ってのは。あいつらの汚らわしさには反吐が出る。ノミとかシラミとか不潔なのは最悪なんだぞッ」
刹は吐き捨てるように言い、視線を逸らした。
「着るもんや食いもんはそこいらから『調達』した。……けど、人は殺してねえ。俺の矜持だ」
刹はそれ以上の追及を遮るように立ち上がると、急に悪戯っぽく目を輝かせ、玄瑞を指差した。
「決めた。俺、オッサンについて行くわ」
「……あぁ?」
「この土地に未練はないし、毎日退屈で死にそうなんだよ。俺は面白い方がいい。文句ないだろ?」
玄瑞は呆れたように吐息をつき、火にくべる枝を無造作に折った。
「勝手にしろ。それから俺は、「オッサン」じゃねぇ……玄瑞だ。まだ二十八だぞ」
「見えねぇ。三十五だろ?」
「殺すぞ」
刹は笑って悪態をつく。
口元を歪めた玄瑞の胸の奥に、奇妙な疼きがあった。かつて自分も、こうして誰かの背中を強引に追いかけたことがあったような気がした。その「誰か」の顔は思い出せないが、刹の野良犬のような眼差しが、凍りついた玄瑞の記憶をわずかに溶かしたようだった。
「玄瑞か。よろしくな、オッサン」
「……死んでも助けねえからな、刹」
こうして、玄瑞の孤独な奪還行に、最も騒がしく危うい同行者が加わることとなった。
【あとがき:用語解説】
木乃伊取りが木乃伊になる:相手を説得・捜索しに行った者が、逆に説得・丸め込まれて相手と同じ立場になってしまうことです。刹は、野盗に襲われて村を失ったにもかかわらず、自身も野盗になってしまいました。




