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まほろば  作者: 雨音かえる
秘伝書之段

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第拾参話 影の胎動

 久造の足取りは、老いを感じさせないほどに軽く、そして速かった。

 その後を追う三人の心中は、三者三様だ。巻物を取り返した安堵よりも、己の未熟さを突きつけられた屈辱に震える玄瑞。玄瑞の師という存在に圧倒されるも、どこか禍々しい気を感じ取る刹。そして、自分の知恵が「死の軍勢」を生む鍵であると突きつけられ、底なしの絶望に立ち尽くす梓。

 

 数日の強行軍を経て、一行はかつて燃え盛ったあの忍びの里『常葉(つねは)』へと辿り着いた。

 焼け焦げた木々、崩れ落ちた屋敷。玄瑞にとっての地獄の光景は、しかし、この短期間で見事な変貌を遂げていた。


「……信じられん。里に、これだけの者が生き残っていたのか」

 玄瑞が絶句する。灰に塗れたはずの地面には新しい踏み跡があり、崩れた屋敷の廃材は片付けられ、隠れ住んでいた里の忍びたちが、密かに、だが力強く再建を始めていたのだ。


「玄瑞!」

 再建の柱となっていた紅梅の屋敷から、一人の男が飛び出してきた。旅立つ直前に声をかけてきた仲間の宗助(そうすけ)だった。

「お前、ようやく帰ってきたか! 紅梅様がお待ちだぞ。早く中へ入れ!」

「……え? 今、誰が待っていると言った?」

 玄瑞の心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。


 宗助に促されるまま奥の部屋に通されると、そこには、死んだはずの、玄瑞がその腕の中で確かに看取ったはずの「母」が座っていた。

「……ばあ、さん……っ!」

 紅梅は杖に身体を預け、未だ痛々しい包帯を全身に巻きながらも、あの鋭い眼光を一切失ってはいなかった。

「情けない声を出すんじゃないよ。ワシはこのぐらいでは死にゃぁせん。しぶといのが、薬師の取柄だからねぇ。それに、あの『翁』……。致命傷は負わされておらんじゃった。急所を微妙に外されておったんじゃよ。運が良かったのう」


 紅梅は訝し気な顔を見せるも、奇跡の再会に、玄瑞は膝をつき、子供のように涙を流した。しかし、久造はその光景を、まるで見世物でも眺めるような冷ややかな目で見ていた。

「それにな、玄瑞。実は誰も死んではおらんのじゃ。里の者は、傷は負わされたが、命までは取られておらん。その目的は明らかではないがの」

「え……?」

 玄瑞は顔をあげ、紅梅に向ける。

「玄瑞。あの時、俺が引き留めるのも聞かず、お前は自分勝手に飛び出して行っただろう?」

 宗助が呆れたように玄瑞の顔を覗き込む。

「あー、そうだった……か? 俺はてっきり……」

「そうだ。あの時俺は、『……いいのか、玄瑞。ばあさんに会わなくて』って、確かにお前に声をかけたぞ? お前が話を聞かずに走り出したんだ」

 玄瑞は記憶の断片を繋ぎ合わせ、己の早合点と動揺を思い出し、気まずそうに照れ笑いをして涙を拭った。


 紅梅は二人のやり取りを黙って見ていたが、辛抱たまらず巻物を渡すよう促す。

「玄瑞。そんなことはどうでもいい。帰ってきたということは、あの巻物を取り返したんじゃろ?」

「あ、ああ、すまねぇ。これだ。じいさんが取り返してくれた」

 懐から取り出し、紅梅に差し出す。

「これを、久造が? ……なぜじゃ」

 紅梅は久造を見据え、睨みつけるが、久造は素知らぬ顔をして部屋を出て行った。

「じいさん。あの後里に帰ってきてたんだ。俺を追って事の顛末を知り、一足先に取り戻したんだとよ」

 玄瑞の言葉に、さらに首を傾げる紅梅。だが、気を取り直して彼女は震える手で秘伝書を広げ、深く吐息をつき、皆に説明し始めた。


「この巻物は、里に伝わる秘伝書じゃ。ここに書かれた処方通りの薬を作り、飲めば身体の底から力がみなぎり、古くから『子』を宿しやすくなるとされてきた。いわば、里を存続させるための『精力剤』……繁栄の礎じゃな。これがないと、子々孫々まで繁栄は難しい。このご時世じゃからの」

「だが、それだけじゃねぇよな」

 玄瑞が紅梅の話に、冷めた水を差した。

「本当はその薬、裏があるだろう。作り方の順を変えれば、文字通り『鬼の如き力』を宿す劇薬に変わる」


 紅梅はそれを聞くと目を見開き、これまでにない険しい表情を見せた。

「何故それを知っておるのじゃ! それは代々、ワシら薬師家系の長しか知らんはずの禁忌!」

「……俺じゃない。この梓が、その巻物の処方箋を見ただけで、本物の『強靭丹』を作り上げちまったんだ」


 紅梅は部屋の隅に梓と刹がいることに、ようやく気付いた。静かに正座をし、玄瑞とのやり取りを聞いていた。まだ年端も行かぬ、少女と見紛うような少年が、数代かけて隠蔽してきた巻物の真理を、一瞬で読み解いたというのか。

「そのおかげで、こいつは今、赤坂から『動く兵器』として付け狙われている。……いや、賞金稼ぎまで含めた天下に、な」

 梓は周囲の視線の重さに萎縮し、紅梅の顔をまともに見られず、爪先を見つめて沈黙していた。


「お主、名はなんと申す」

「……梓。薬師村の、梓です」

「薬師村……。なるほどな、あの村の血か」

 紅梅が何かに納得したように深く頷き、梓を憐れむように、あるいは慈しむように見つめる。

「あ、あの。薬師村をご存じなのですか?」

 梓が恐縮しながら紅梅に聞く。同じ薬師として、経験の差か、それとも貫禄からか、思わず丁寧な口調が口をつく。

「梓といったか」

「はい」

「薬師村はな、代々赤坂ご用達の薬師を育てる村じゃ。ワシも若いころ、薬の知識を盗みに訪れたことがあった。じゃが、先の戦で薬師村は焼かれてしもうたの。村はまだ、存続しておるのか?」

 紅梅の言葉に、梓は静かに頷いた。

「はい。ですが、もはや年寄りばかりの寂しい村になってしまいました。薬師村に伝わる、書物も何もかも焼かれて。薬師を育てられる人材ももういません。実質、薬師村はなくなったも同然です。私も、師と仰げるものはおらず。独学でしか……」

 梓はつらそうな顔で話した。今まで梓と一緒にいた玄瑞と刹も、梓の本当の胸の内をこの会話で知ることとなった。

「ほう。そのような状態で、この秘伝書を読み解くとは。小さき頃から医学、薬学を学んでいたと見える。よほど、親御さんの教えがよかったのじゃろうな」

 梓は、奥歯をかみしめ、それ以上答えなかった。

「梓や。どうじゃ。よければワシの元で修業をせんか?ワシの知識、全てお主に受け継ごうぞ?」

 それを聞いた玄瑞が紅梅に食って掛かる。

「ばぁさんっ! 大丈夫なのか? 梓は里の者じゃない! よそ者にそんな知識与えていいのか!?」

「だまらっしゃいっ! よそ者であろうが、ワシが認めた者じゃ。梓は今日からこの『常葉の里』の人間よ。これで文句なかろう。それに、お前よりよっぽど優秀じゃわい」

 紅梅はふんっと鼻を鳴らし、玄瑞に畳みかける。

「梓や。明日から早速始めるぞい。里の長屋を使え。あとで宗助に案内させるでの」

「ありがとうございます。師匠。よろしくお願いします」

 梓は、目頭が熱くなり、今にも涙があふれそうだったのを必死でこらえた。

 こうして、梓は紅梅の傍らで傷の治療と薬の調合、そしてその華奢な体格を活かした毒吹き矢の修練をすることとなった。


「さて、それはさておき。そこの小僧。お前はなんじゃ」

 紅梅が梓の横にいた刹に問いかける。

「俺は。玄瑞に弟子入りしました。今まで一緒に旅をして、ここに来ました」

「ほう。玄瑞に弟子とな」

 紅梅は玄瑞をひと睨みすると、先ほどの仕返しと言わんばかりに言い返す。

「玄瑞。里以外の者にこの里の技術を教えてもよいのかのぉ?」

 紅梅は意地悪そうに言うも、玄瑞は頭を掻きむしりながらバツが悪そうに笑う。

「まぁよい。お主もついでじゃ。梓と同じ長屋に暮らすがよかろう」

「ありがとう。ばあさん」

「ばぁさん?その辺は早速、玄瑞譲りじゃの」

 かっかっかっ、と笑うと、紅梅はゆっくりと茶を啜り一息ついた。



 

「二人とも。よかったな。ばあさんに認められたのなら、大手を振ってこの里で暮らせるぜ」

「うん。ありがとう玄瑞」

「お、おう。よろしく頼むぜ」

 宗助に案内され長屋に向かう途中、里の景色を見た。

 村よりも少し大きく、小さな団子屋があったり、ちょっとした問屋などがある。家々が立ち並び、里というよりもはや町と呼んでもいいように思った。

「あっちのあのでかい建物。あれは湯屋だからな。『忍びは毎日、湯に浸かるべし』紅梅様の教えだ」

 宗助の説明に、刹と梓は軒並みに驚きつつ、長屋へ到着した。

「どこでも好きなところ使ってくれ。この長屋は使ってないからな」

 長屋はまだ建てられたばかりで、真新しい木の匂いがした。小さな土間に台所があり、上がり框の居間兼寝床がある。

 長屋の前には井戸が設置され、何もかもが揃っていた。

「火事だけは、くれぐれも気をつけろよ」

 そういうと、宗助は紅梅の屋敷へ戻っていった。

 

 刹が部屋に入ろうとすると、梓が刹の袖を引っ張って引き留めた。

「刹。あの。い、一緒に暮らさない?」

 刹の心臓が飛び上がり、今にも口から出そうになる。

「は?なんだよ。今まで散々、俺の事馬鹿にしてきたくせに」

 刹は思い切り強がりを見せる。

「あの。ここ、知らない里だし。俺、狙われてるし。刹と一緒なら、だいじょぶ……かな?って」

 梓の目が泳ぎ、そわそわと落ち着かない様子だ。確かに、今まで知らない土地に行っても、皆が一緒の部屋に寝泊まりをしていた。急に一人で寝るのが怖くなったのだろう。

「別にいいけどよ。お前、もう少し可愛げ見せろよな」

「それは……無理」

 刹も梓もお互いに顔を真っ赤にし、それを目の当たりにした玄瑞は「俺は蚊帳の外かよ」とやるせない気持ちになった。

 

 

 その日の夜。

 里の外れに、刹は玄瑞を呼び出した。

「梓は寝たのか?」

「あぁ、よほど疲れたんだろうな」

 二人は暗がりの中、月明りを頼りに、池の傍にある簡素な東屋に腰を下ろす。

「なぁ、玄瑞。あのじいさん、本当に俺らの『味方』なのか?」

 刹の声音には、いつもの軽薄さは微塵もなかった。

「どういう意味だ。俺にとっては拾いの親だし、師匠だぞ」

「いや、分かっちゃいねぇな。大体、なんで『秘伝書』あいつが持ってくるんだよ。ただの親切心か?それに、玄瑞。気が付かなかったのか? あいつがずっとつけてきていた時のあの何とも言えない気配をよ」

「いや。俺はじいさんの気配に慣れすぎていて、気が付かなかったのかもしれねぇ」

 玄瑞は黙り込んだ。久造の背中に感じていた、あの正体不明の「違和感」。それを刹も感じ取っていたのだ。

「梓にもしものことがあるようなら、俺は梓を連れてこの里を出るからな」

 刹の言葉に玄瑞はただ頷くしかなかった。師と仰いできた久造を疑いたくはない。だが、どこかおかしい。そして、それは刹にも矛先が向く。

「しかし、刹。お前の方こそ何者だ。じいさんの気配に気付いたり、じいさんがお前の体に触れようとした時、お前自分から避けただろ。それにあの情報収集」

「俺か? 俺はただの野盗だよ」

 刹は、呑気に頭の後ろで手を組み、背伸びをした。



 秘伝書之段 了。

【あとがき:解説】


これで、秘伝書之段は終了です。

お付き合いありがとうございました。


次回から、『常葉ノ里之段』が始まります。よろしくお願いします。

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