第拾話 日銭と噂
雑賀を後にし、三人は赤坂へと続く街道沿いをひたすら歩いていた。
双子という「守るべき対象」がいなくなったことで、玄瑞たちは本来の足取りを取り戻していた。……が、一歩踏み出すたびに、空っぽの財布の中で小銭が虚しく音を立てる。
三人とも、腹の音が交互に鳴り大合唱を繰り広げていた。
「腹……減ったな……。路銀ももう底を突いた。梓、お前の薬草の在庫はどうだ。売れそうなもんは残ってねぇのか」
玄瑞が、ふらふらしながらほぼ空になった財布を寂しく振りつつ尋ねる。
「……最悪だよ。雑賀で双子のためにありったけの傷薬を使い切っちゃったからね。原料の仕入れすらできないし。この辺、薬草が採れそうな山もない。……ここらで適当に日銭を稼ぐしか」
「腹へったぁーっ! 道端の草が食いもんに見えてきやがる……!」
刹が大声で叫ぶと、梓からすかさず「うるさい、余計に腹が減るだろ」と低く鋭い怒りが飛んだ。
玄瑞が憔悴しきった様子でぶつぶつと呟いていると、刹が遠くに町を見つける。どうやら規模の大きな宿場町のようだ。いくつもの旅籠が軒を並べていた。
助かったとばかりに町へ駆け込み、安宿の門を叩くが、いかんせん持ち合わせがない。泥に汚れた三人の身なりを不審げに見ていた女将だったが、玄瑞の必死の交渉(という名の泣き落とし)に折れ、近くの団子屋へ掛け合い、少しの間だけ働かせてもらえることになった。
数刻後。
梓は団子屋の軒先で、売り子として働いていた。その整った顔立ちから、有無を言わさず「看板娘」として駆り出された。
先渡しの報酬として、この日はまず団子をたらふく食い漁ったため、主人の命令は絶対なのだ。
店の女将の着物を無理やり着せられ、前髪を整えた梓は、心の中で毒吐きを封印した。得意の作り笑顔で、道行く旅人ににこやかに対応する。
「いらっしゃいませ! 焼きたてのお団子はいかがですか?」
『愛想のいい可愛らしい店員がいる』
その評判は瞬く間に宿場中に広がり、梓目当ての男たちが集まり始め、店はかつてないほど繁盛し始めた。梓は笑顔の裏で(どいつもこいつも鼻の下伸ばしやがって……顎外してやろうか)と呪詛を吐いていたが、客には一切悟らせない。
一方、刹は「俺、ちょっと市場見てくるわ! 情報の仕入れも仕事のうちだろ?」と威勢よく飛び出していった。野盗時代に培った、街の裏事情や不穏な動きを嗅ぎ取る嗅覚だけは一人前のようだ。
「あいつ……一番楽な役回りを選んで逃げたな」
梓は客の前では完璧な愛想を振りまきつつ、心の中で刹を八つ裂きにしていた。
玄瑞はといえば、裏で旦那の手伝いをしながら、炭火の熱に顔を赤くし、汗水垂らしてひたすら団子をひっくり返していた。かつて刀を振るったその手は、今は団子の焼き色を均一にするために全神経を注いでいる。
そこへ、刹が血相を変えて戻ってきた。
「おい、玄瑞、梓! 妙な噂を耳にしたぜ」
刹は息を切らしながら店に入ってくると、客の視線も構わず水を一杯飲み干し、商品として炉端に刺してあった団子を一本ぱくりと頬張った。「こいつらのツケで」と店主に親指で二人を指すと、主人は「看板娘のおかげで儲かってるからいいよ、まいど!」と機嫌よく応えた。
「刹! お前……。ちゃんとお金を払っていただかないと困ります(……殺すぞ)」
一瞬素が出そうになった梓だったが、すぐに玄人の笑顔を取り戻す。だが、その目はどことなく引きつっていた。そんなことはお構いなしに、刹は声を潜めて本題を切り出した。
「『戦場に鬼が出た』ってよ。つい数日前、赤坂の兵が数名で、隣国の名だたる敵陣に殴り込んだらしい。目撃した足軽の話じゃ、そいつら矢が刺さっても、刀で斬られても平気な顔で暴れ回り、敵将の首を一瞬でかっさらったんだと」
「……鬼、だと?」
玄瑞の眼が、仕事の手を止めて細まる。
「ああ。だが、不可解なのはその後だ。その『鬼神』のごとき強さを見せたのは一度きり。その後、そんな噂は一度も聞かねぇってよ」
その言葉を聞いた瞬間、梓が盆を手にしたまま硬直した。透き通るような白い顔から余裕が消え、冷たい戦慄が走る。
「……だろうな。おそらく、奴らは俺の作った『強靭丹』を実験台として使ったんだろう」
梓は低く、自分自身を責めるように吐き捨てた。
「本来、奪われた巻物に書かれた処方箋は、普通の精力剤に過ぎない。俺が手順を直して作ったあの数粒だけが、人間の限界を外す本物の『劇薬』だったんだ。……でも、俺は処方箋に作り方の訂正までは書かなかった。だから、それ以降は誰も、あの『鬼の力』を再現できずにいるはずだ」
「なるほどな。で? その鬼たちはどうなったんだ?」
「刹。その頭の中には脳がないのか? 何を言っても結局は薬。体から出れば、それまで。もしくは、器が耐えきれず死んだか……しかないだろ?」
玄瑞は、団子の煙の向こうに、赤坂の方角の空を見上げた。一度だけの鬼神。それは、奪われた秘伝書を無理やり使いこなそうとした、誰かの野心の犠牲者だ。
「お前、それやばいんじゃねぇ?」
刹の野盗としての直感が、即座に危険を察知する。
「そりゃ、身体への負担はヤバいだろうけど……」
「いや、そうじゃなくてよ、梓。その『一度きりの劇薬』を作ったのがお前だと奴らが気づいたらどうなる? その薬をお前だけが作れるとわかったんなら……お前、攫われて、薬作りの道具にされるんじゃねぇかって話だよ」
「……刹の言う通りだ、梓。お前の噂が広まるのは時間の問題だ。薬師村に刺客が送られ、お前がいないと知れば、追っ手は必ずこの街道へ流れてくる」
一瞬、梓の顔が強張るも、無理に不敵な笑みを装って見せた。
「わかってる。……面白くなってきたじゃないか。自分の作った薬の不始末をつけろってことだろ? 俺の薬を死ぬほど欲してるんだ。捕まるか、逃げ切るか。それだけだ」
そう言って不敵に笑ったが、前掛けの下でその指先は微かに震えていた。
「はいはい! お喋りしてないで、ちゃんと働いてくだせぇよ! 客が待ってるよ!」
ぱんぱんと手を叩きながら店主の呑気な声掛けで、張り詰めた空気は一旦お開きとなった。
「とりあえず、しばらくはこの町で様子見だ。宿場町なら情報が行き交う。忍びの基本は情報だ」
夕闇が町を覆い始める頃、三人は団子屋の主人に「明日もよろしくな、看板娘!」と言われ、足を棒にして宿へ帰った。
飯をたらふく食らい(もちろん、店の余り物だが)、ようやく長らく浸かっていなかった湯に浸かろうとする三人。
だが、ここでもまた、平穏とは程遠い新たな揉め事が起ころうとしていた。
【あとがき:用語解説】
宿場町:街道沿いに設置され、旅人の宿泊や休息、人馬の継ぎ送り(荷物や飛脚の輸送)を行っていた町のこと。戦国時代には戦国大名が軍事・物流拠点として整備し、江戸時代に五街道(東海道など)の整備により最盛期を迎えました。本陣や旅籠、問屋場を中心に発展しました。
路銀:旅行や道中(移動)に必要な費用、すなわち旅費のことです。旅において、宿代、食事代、交通費などに充てるための金銭を指す言葉です。




