2-5章
訓練生たちのメニュー表を眺めていた僕は、ふと首をかしげた。
どう見ても自分だけ内容が違う。
「異種格闘技戦向け・特殊実戦訓練」と書かれていたのだ。
不安を覚えつつ、近くにいたロウ先生に尋ねた。
「ロウ先生、この訓練メニューって……どういう意味ですか?」
ロウは腕を組んで、にやりと笑った。
「ピダン、君は“異種格闘技戦”に出たいと言っていたね。昨日戦ったホップ君やアゲハちゃんたちは予選止まりの予定だ。だが——本線を狙う者が、もう一人だけいる」
ロウは視線を訓練場の奥へ向けた。
「その者が、君の実力を見たいそうだ。今から手合わせしてもらう。ただし、油断したら首を持っていかれる。命がけの模擬戦になると思っておけ」
背筋がぞくりとした。
ロウの声に冗談の色は一切ない。
訓練着を取りに仲間のもとへ向かう。
ジグとポップは快く貸してくれ、防具の装着まで手伝ってくれた。
「僕たちは自分の練習があるから行くね。気を付けて!」
二人はそう言い残して去っていった。
戻ると、ロウが訓練場のカーテンを閉め、重い扉を施錠した。
「外に音が漏れぬようにした。ここからはお前と、その“挑戦者”だけの空間だ。」
張り詰めた空気の中で、胸の奥にある言葉を思い出す。
――“人生は楽しんだもん勝ち”。
かつて師匠が教えてくれた言葉だ。
緊張すら楽しめ。恐怖を笑え。
そうすれば勝機は見える。
「準備はできたか?」
「はい!」
「よし。——出てきていいぞ」
ロウの声に合わせ、奥の扉がギィ……と軋んだ。
その隙間から、鈍い金属音とともに“ズズン”という地鳴りが響く。
闇の向こうから現れたのは、片腕に巨大な鎌をもつ人影。
筋肉で膨れ上がった身体。
反対の腕は細く、全身のシルエットが異様に均衡を欠いている。
光がその姿を照らした瞬間、息を呑む。
人間とカマキリが混ざったような戦士——カマキリ族の女だった。
「はじめようか」
低く響く声。
構えると同時に、彼女の鎌が風を裂いた。
刃が引かれ、次の瞬間にはこちらへ一直線に飛んでくる。
反射的に床に糸を撃ちつけ、ジャンピングスパイダーを発動。
身体が弾かれるように斜め上へ跳ぶ——が、勢いが強すぎて天井近くまで達し、思わず手で壁を蹴った。
下を見ると、鎌がブーメランのように戻っていく。
「速い……!」
着地と同時に再び突進してくる。剣で受け止めるが、衝撃が腕に響く。
重い。まるで金属の柱を叩きつけられたようだ。
受け続ければ押し潰される——そう悟った瞬間、僕は再び跳んだ。
糸を張り、壁を蹴る。視界が回転し、床が遠ざかる。
今度こそ、空中戦の時間だ。
空中に躍り出た僕は、クモ糸を伸ばして天井に張りついた。
頭に血が上る感覚があるが、訓練で慣れている。
相手の動きを俯瞰できるこの位置は、最高の観察場所でもある。
下ではカマキリの戦士が鎌を構え、次の攻撃を見据えていた。
無駄のない動き。彼女は完全に戦い慣れている。
「上か……面白い」
彼女はそう呟き、鎌を横に払った。
金属の軋む音が響くと同時に、鎌が投擲された。
こちらへ一直線。
糸を解き、跳ぶ。
鎌が通過する瞬間、糸をその柄に絡ませた。
「……引く!」
糸を強く引いたが、びくともしない。
重い。
まるで大木を引っ張っているようだ。
「チッ……!」
鎌はそのまま円を描いて彼女の手へ戻っていった。
完全な支配。投げても戻る。
まるで武器が生きているかのようだ。
彼女が再び踏み込む。
鎌の一撃は速く、鋭く、重い。
こちらの剣で受けても、腕がしびれる。
「反応がいい。だがそれだけじゃ生き残れないよ」
左へ、右へ。鎌の軌道が読めない。
だが、ほんの一瞬——振りかぶるその姿勢で、左肩がわずかに開いた。
「……そこだ!」
彼女が鎌を振り抜いた瞬間、
僕はその刃の上に飛び乗った。
金属の冷たさが足裏に伝わる。
そして——ジャンピングスパイダー。
鎌の反動を利用して一気に跳躍、相手の背後へ回る。
天井に糸を打ち、振り子のように身体を回転させて勢いをつける。
「いける!」
落下の軌道上で剣を構え、彼女の左腕めがけて一撃。
しかし鎌が逆手に構えられ、火花を散らした。
「見事。でもまだ甘い!」
すぐに反撃の凪払い。
地面すれすれの斬撃が走る。
僕は再びジャンプ、刃の風圧で髪が乱れた。
呼吸が荒い。
糸のストックも少ない。
だが、もう一度だけチャンスがある。
——彼女の鎌は左手。
鎌を投げた瞬間、左側の防御が一瞬だけ消える。
次の投げモーションを見て、地を蹴る。
鎌が放たれる瞬間、僕はその軌道のすぐ脇をすり抜けて跳んだ。
無防備な彼女の体へ、全力で糸を射出。
手首、肩、胴へ——ぐるぐると絡め取る!
「捕まえた!」
だがその直後、鎌が戻ってくる。
彼女自身に直撃する軌道だ。
「危ないッ!」
咄嗟に糸を引き、彼女の体を後方に倒した。
金属音。鎌が壁に突き刺さり、粉塵が舞う。
ロウの声が響いた。
「——そこまで!」
静寂。
汗が頬を伝う。
糸をほどきながら、倒れたカマキリの少女に駆け寄った。
彼女は頭を押さえながら、ゆっくりと体を起こした。
その瞳は、怒りではなく安堵の色をしていた。
「……よく見切ったね。私の鎌を避けられたのは、初めてだよ」
ロウが歩み寄る。
「彼女はカマキリ族だ。異種格闘技戦に出たいと思い続けていたが、自分の動きに合わせられる相棒がいなかった。だから、ずっと独りで鎌の練習をしていたんだ」
彼女は小さく笑い、僕の肩を抱きしめた。
「君なら、私の鎌を使いこなせるかもしれない」
その腕の力強さに、言葉が出なかった。
あの夜中に聞こえた“ギィ……ギィ……”という音。
あれは、彼女が夜もひとりで鎌の訓練をしていた音だったのだ。
ロウが笑いながら言った。
「いいペアができたじゃないか。次の試練は——“共闘”だな」
僕とカマキリの少女は、互いの手を強く握り合った。
冷たく硬い彼女の手の中に、確かな温もりがあった。




