ビーバー、マルちゃんについて
2025/05/11の文学フリマ東京40で頒布するビーバー本の全公開です。
ビーバーかわいいね。かわいすぎてここまで調べちゃったよ。
①ビーバーとは?
ビーバーは世界で二番目に大きな齧歯類、つまりネズミの仲間です。和名を海狸といいます。ちなみに一番大きな齧歯類はカピバラですが南米大陸にしかおらず、ユーラシア大陸ではビーバーがもっとも大きな齧歯類となります。
大きさは体長が八、九〇センチ。三〇センチくらいの尻尾を追加すると、一メートルをゆうに超えます。体重は一〇キロ台からなんと三〇キロオーバーまであるそうです。かつてはもっと大きく、四、五〇キロもある個体がいたと考えられていますが、現在残っている標本では最大三一・七キロが確認されています。
※野生動物は同種でも寒い土地に住むと体が大きくなる『ベルクマンの法則』というものがあり、より寒い地域に住むビーバーは大きくなる傾向にあります。個人的な見解ですが、現在北海道の『おびひろ動物園』にいる『モカ』(二〇二〇年七月生まれ・オス)くんもたっぷり気味です。『モカ』くんの兄弟親戚も何かと体が大きくまるまるとしてとても可愛いです。
ビーバーは巣である『ダム』を作ることで有名です。木を切り倒し、「うんしょ、うんしょ」とくわえて運んで組み、植物や泥など近場の素材で塗りコンクリート並みの固さにして、水の流れを大幅に堰き止めていきます。これにより強度はクマが乗っても問題ないほどになり、人間が発見したダムの中で最長のものは八五〇メートルもあったそうです。ダムの中はビーバーの巣となっており、入り口は水中にあるためビーバーの天敵である肉食動物は入ってこられません。泳ぎの得意なビーバーはこうして身を守り、家を建築しているので、『森の建築家』と呼ばれています。個人的には『生態系のエンジニア』や『ダム職人』、『樹木グルメの達人』という呼称のほうが好きです。
ビーバーは草食動物です。木の皮、葉っぱ、新芽、草花も食べます。個体ごとに好みがあるため、多種多様な樹木をむしゃります。なお、馬と同じく糖質を摂り過ぎると消化器障害を引き起こすため、リンゴやサツマイモの与えすぎはよくないようです。
これは飯田市立動物園のHPに掲載されている二〇二四年六月八日の記事「アメリカビーバーガジコについてのご報告と今後の飼育方針について」に詳しく説明されています。記事をかい摘みますと、本来、糖質の多い植物を食べてこなかったビーバーは、消化器に負担がかかるだけでなく、口腔内の病気のリスクもある、という話です。よくビーバーがサツマイモを欲しがるシーンが見受けられますが、できればやらないようにしたほうが無難でしょう。
こう言ってしまうと、トリアスふれあい動物園の『えいた』(二〇〇八年五月五日生まれ・オス)くんが大好きなレーズンをもらえなくなるかもしれません。
今までヨーロッパビーバーとアメリカビーバーの二種が確認されており、前者はかつてイギリスなどの西欧から南はイラク、東は中国まで広く分布していましたが、現在ではフランスの一部、チェコなど中欧からノルウェー、ロシア、モンゴル付近までの河川流域に生息しています。人間とは紀元前一〇〇〇年ごろからの付き合いですが、一六〇〇年前後から人間による乱獲が原因で大きく個体数を減らしていき、絶滅の危機に瀕しました。
川の中や寒い地域でも平気なビーバーのあたたかい毛皮は、高級素材として広くヨーロッパの上流階級のファッションに用いられてきました。シルクハットをはじめとした帽子、防寒用の毛皮のコート、手袋はビーバーの毛皮を使っていたそうです。ヨーロッパのビーバーの数が減少して毛皮が減ってくると、ヨーロッパの人々は北米大陸のアメリカビーバーに目をつけ、北米で毛皮をめぐる戦争を何度も何度も引き起こしました。そうして何百、何千万頭、もはや数えることもできないほどの多くのビーバーが殺され、絶滅寸前になるまで毛皮を奪われたのです。
また、ビーバーの香嚢から採取されるクリーム状の分泌物(海狸香)にはローマ時代から薬効があるとされていました。実際のところ、抗菌物質を含み、鎮痛剤であるアスピリンに似た効果があるようです。とっても臭いので、同族のビーバーを誘き寄せる罠にも使われました。その後、香水の材料として着目されはじめ、毛皮だけでなく香嚢を得るためにも大量に捕獲されてしまいました。
ちなみにビーバーの肉は、北米の先住民族が食用にしていただけでなく、中世ヨーロッパ以来キリスト教徒も食べていました。後者はビーバーの尻尾がウロコ状であるため『半分哺乳類で半分魚類に違いない』(※違います)として尻尾が肉食を禁じるイースターごろの食事に供されていたようです(なんだか日本でも肉食が忌避された江戸時代にウサギを食べられるようにした理由と似ています)。おそらく、尻尾だけを食べるとは考えづらいので、ビーバーの体の肉も食べていたのだろうと推測されます。
ビーバーは一つの巣に父、母、およそ二歳までの独立間近の兄姉、その年生まれの幼い子どもたちと大家族で暮らす傾向にあるため、一度巣を見つけられてしまうと人間には一網打尽にされてしまいます。それに、身を守る武器は持っていないも同然です。唯一、木を切り倒すことのできる丈夫な歯は、誰かを傷つけるために使われることはごく少なく、もともと臆病で足の遅いビーバーは戦うよりも水に逃げることを選びがちです。それでは人間に抵抗することなどできませんでした。
その証拠に、ビーバーによって殺害された人間の数は、確認できるだけでたった一人しかいないのです。紀元前から付き合ってきた動物なのに、記録ではたったの一人です。実際にはもっといるのかもしれませんが、「あんなノロいビーバーに殺されるとかマジだっせぇwww」と言われるのが嫌でみんな黙っているのかもしれません。
西暦一九〇〇年を過ぎたあたりから、ビーバーは保護されるようになってきました。カナダでは国獣に指定され、毛皮の取引はなくなっていきました。しかし、そのころにはもうイギリスにはヨーロッパビーバーはいなくなり、都市化が進んだヨーロッパの多くの国々でも姿が見えなくなっていました。アメリカビーバーも同じで、かつては北極圏のカナダからメキシコの砂漠近くに至るまで広く生息していましたが、もうアメリカ、カナダ、アルゼンチンの一部にしかいません。保護活動が進んだ現代でも総数二〇〇〇万頭を超えないと言われています。昔は億を超えていただろうといわれる個体数から考えると、激減と評するべきでしょう。
そうして、人間は思い知りました。「ビーバーには木を齧られるから木材として売れなくなる、害獣だ」と言っていたのですが、実はビーバーが自然の管理を担っていたことに気付きます。ビーバーの巣である川などを堰き止めたダムは、溜まり水の水場を作り、豊かな湿地、果ては草原へと育てます。
水資源が豊富な土地に住む日本人には想像しにくいのですが、世界の多くの場所は割と乾燥しています。国同士が水源を巡って争うこともあれば、複数の国をまたぐ大きな川の上流域と下流域で水だけでなく漁業などの権益を争うことだってあるのです。
しかし、川というものは、多くは雨や地下水によって山林からもたらされる水で自然にできるものであり、人間が住み着く場合は氾濫対策など管理が必要となります。自然はただそこにあるだけでは活用できず、むしろ人間を含む動物たちにとって毎年命を脅かす存在となりえます。そのため、危険を承知でそのまま川の近くに暮らすか、それとも川の流れを管理して有効活用するか、人間は選んできました。
一方で、ビーバーは管理を選択していたのです。川の流れを堰き止め、緩やかにし、池や湖、湿地帯を作って、水が多くの土地に供給されるようにしました。これにより干ばつによる乾燥、山林火災が防がれ、ダムが堆積物や汚染物質を濾すフィルターとなり、下流域に比較的きれいな水を供給していました。
また、ユーラシア大陸の泥炭地の維持にはビーバーの活動が不可欠です。泥炭地は植物が湿ったまま腐ったり朽ちていった結果生まれた土地であり、泥炭や、条件が揃えば石炭が取れます。さらに、ちょうどいい降水量の冷涼な地域では、黒土という肥沃な大地になるのです。アメリカやウクライナ、ロシア南部、中国東北部にあるこの黒土は、肥料をやらなくても小麦やトウモロコシが勝手に育つという農業に適した土地です。世界の黒土地域の総量のうち、三割はウクライナにあると言われています。ちなみに二〇二二年から始まったウクライナ・ロシア戦争で、ウクライナの黒海を経由した穀物輸出が問題になったことがありますが、まさにウクライナは世界有数の大穀倉地帯なのです。
その泥炭地の維持に、ビーバーは一役買っています。ダムの放水量を管理することで地下水位の安定化に繋がり、またせっかく豊かになった土壌が水に流されていくことも防ぎます。長い時間をかけて形成される泥炭地は、自然とビーバーの管理を受けていたりしました。
泥炭地の重要性からも、人間にとってビーバーの活動が大事であることは分かります。
人間に関わりの薄いところでは、自然の生物多様性を維持するためにも働いています。生き物は水がなければ生きていけない以上、基本的に水場を中心に生活圏を作ります。なので、水を堰き止めて常時水のある場所がたくさんできれば、その分生き物たちが集まってきます。川は流れが急すぎて……というカエルやカタツムリ、トンボたちの住処になり、水草など植物が増え、たくさんの水鳥たちがやってきます。ダムの木々は橋となって大型の動物たちが通行し、生息域を移動する助けになります。適度に濁った水と泥によって栄養が豊富な水場は、虫や魚、コウモリまで住みやすい土地になるのです。時間が経って、ビーバーがいなくなり土砂に埋もれたダム湖は肥沃な土地となり、やがて草原になっていきます。
もっとも、ビーバーは放っておけば木を切り倒しすぎて、逆に環境破壊に繋がるケースもなくはないのです。天敵の肉食動物がいない場所では、確かにそれは起きています。ただし、そうしたマイナス効果は前述のプラス効果を上回ることはないでしょう。
もう一つ、ビーバーの作るダム湖は溜まり水であるため、そこまで清潔とは言えません。日本人基準では汚いとさえ見られるでしょう。そのため、人間がビーバーのダム湖で泳いだり、水を飲んだりしてはいけません。ジアルジア症(俗にビーバー熱と呼ばれる)など感染症にかかる可能性が大きいからです。
とはいえ、普通に自然環境には寄生虫やノミ・ダニなどの害虫が多くいるので、耐性のない非現地人が生水を飲んだり現地の川を泳いだりすれば、体調不良になることは当然とも言えます。緊急事態でもないかぎり、やらないようにしましょう。まれに狂犬病にかかった野生のビーバーもいるので、むやみやたらと触ってはいけません。野生動物に容易に触れてはいけないのは世界共通の常識です。
②マルちゃん
さて、ここからはマルちゃんを紹介しながら、ビーバーについてもっと詳しく知っていきましょう。
『マル』(二〇〇九年五月十五日生まれ・メス)ちゃんは、宮城県のマリンピア松島水族館で生まれました。
母は釧路市動物園から、父はマリンピア日本海から二〇〇四年にやってきました。二〇〇六年に双子の姉『ニコ』と『のんの』、二〇〇七年に双子の兄『ナギ』ともう一匹(出生時は四匹との説もあり)、そしてマルちゃんと双子のもう一匹が生まれたそうです。残念ながら記録が失われており、マルちゃん家族の正確な名前や死亡年月日などの多くは不明です。
マルちゃん父は二〇一〇年に亡くなっており、姉『のんの』は二〇〇八年に三重県の鳥羽水族館へ引っ越しました。二〇一一年には、家族構成はマルちゃん母、姉『ニコ』、兄『ナギ』ともう一匹、マルちゃん自身と双子のもう一匹の計六匹でした。
しかし、二〇一一年三月十一日の東日本大震災によって、状況は一変します。マルちゃん家族も被災したのです。
マリンピア松島水族館は宮城県松島の海沿いにありました。地震、津波を受け、大きな被害をこうむり、水族館にいた人々は展示飼育している動物たちを連れ出すことなどできず、避難しました。そして戻ってくると、多くの動物たちが犠牲になったものの、泥と瓦礫の中でマルちゃん家族は生きていました。何匹かは泥水のプールで泳いでいたそうです。
ところが、汚れた泥水と海水により低体温症と脱水症状が引き起こされ、三月のうちにマルちゃん母、兄一匹、双子のもう一匹が相次いで亡くなってしまったのです。ビーバーは毛皮に脂や分泌物を塗って水に濡れないようにします、そうして水の中でも体温を保つことができるのですが、汚れによってそれができず、体が冷えてしまったのでしょう。もう一つは、淡水で生きるビーバーにとって海水は塩分が含まれるためより体内の水分を排出してしまい、脱水症状になってしまったのです。
一気に家族が半分になってしまい、年長の姉『ニコ』は家族を守るためなのか気が強く、威嚇するようになったといいます。
その後、マリンピア松島水族館は二〇一五年五月に閉館し、マルちゃんと姉『ニコ』、兄『ナギ』は同時期に仙台うみの杜水族館へ引っ越しました。二〇一五年七月に開館した仙台うみの杜水族館で暮らしはじめたマルちゃん家族三匹は、しばらく平穏に暮らしましたが、マルちゃんはなんだか毛並みが悪いままです。ひょっとすると、震災の折に被った泥水の影響を受けているのかもしれません。
それからしばらくして『ニコ』、『ナギ』がいなくなり、二〇二二年には千葉市動物公園からゴールデンビーバーと噂される毛皮が薄い金色の『幸』(二〇二〇年五月三日生まれ・オス)くんがやってきました。マルちゃんと十歳以上も年齢が離れた『幸』くんは、つがいではなくおばあちゃんと孫のような関係です。このころにはマルちゃんも十三歳だったので、動きが遅く、泳ぐことも少なく、あまり元気がないようでした。
その二年後のことです。二〇二四年七月、羽村市動物公園のアイドルビーバーこと『ぷかぷか』(二〇二三年五月二十四日生まれ・メス)が、嫁入り道具の餌用バケツとともに仙台うみの杜水族館へ颯爽と登場したのです。
羽村市動物公園では飼育員さんの膝に乗ってご飯を食べたり、バックヤードに侵入してサツマイモを奪ったりとやりたい放題のおてんばプリンセス『ぷかぷか』の引っ越しにより、一時は緊迫した空気こそあったものの、慣れてくると三匹でくっついて眠るようになりました。まるで微妙に色の濃さが違う黒糖饅頭が三つ並んでいるようです。
そしてなんと、マルちゃんに元気が出てきたのです。飼育員さんにブラッシングしてもらったり、クリームを塗ってもらったりして毛艶もなんとなくよくなり、木を齧ったり、ちょっとだけ泳いだり、普段はあまり活動的ではないもののだいぶ動くようになりました。
『ぷかぷか』と『幸』くんは泳いでいるところもご飯を食べているところもよく見られますが、基本的にビーバーは昼間眠っているので、開館時間中に起きてこないこともあります。しかし、それはそれでふかふかの黒糖饅頭が可愛いので問題ないのではないでしょうか。夜間開催のナイトズーが開かれることを期待しましょう。
なお、『ぷかぷか』の叔母は鳥羽水族館の『陽』(二〇二一年五月十四日生まれ・メス)ちゃんなので、傍若無人プリンセスっぷりは似ています。
③ビーバー降下作戦
今から八〇年ほど前のことです。アメリカ・アイダホ州は人口が増え、ビーバーとの共生に悩まされていました。そこで、ビーバーの駆除ではなく移住をさせ、ビーバーには新天地に引っ越してもらうことを計画します。
しかし、道すらない険しい山や自然をロバに乗せて長時間かけて行かなければならず、ビーバーたちはストレスにより死んでしまいます。これではダメだと、別の方法を模索した結果、漁業狩猟局の担当者はある道具に目をつけたのです。
それが、第二次世界大戦後に余っていたパラシュートです。試行錯誤の末、地面に降りたら開く木製のケージを作り、七六匹のビーバーをチェンバレン盆地へと投下したのです。残念ながら一匹は地上二五メートルほどでケージが開いて落下死してしまいましたが、残りのすべてのビーバーは無事降下して自然の中へと溶け込んでいったそうです。
今では考えられない計画ですが、当時は大真面目です。『Fur for the Future』という短編ドキュメンタリーが二〇一四年にアイダホ州公文書館で発見され、デジタル復元されたのちYouTubeで公開されました。現在は『parachute beaver』、『beaver drop』で検索するとたくさん出てきます。
人間とビーバーの関わりは、ときにとんでもないことを引き起こしていたようです。
(おわり。)
参考文献など
・海洋研究開発機構「BlueEarth」二六〜二七ページ(二〇一一年四月発行。第二三巻第二号、通巻一一二号)
・ナショナルジオグラフィック日本版「本当にあった「空飛ぶビーバー作戦」、76匹が新天地へ」(二〇二一年一〇月一四日)
・JB(@jbnn331)氏Xアカウントより【日本ビーバーデータベース】にて、ビーバーの生年月日、出身地、現在地などを参考にしました。こちらがなければ執筆は不可能だったほどです。
ビーバーに拍手してくれればそれでいいです(作者)