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迷い夜行  作者: 初瀬 泉
3/6

迷い人、探し人

「おっ、いたいた。シノの旦那!」

 人混みを縫うようにやってきたのは、ユズリも顔なじみの町で両替商を営む小柄な男だ。

こうがお呼びですよ」

「ああ、もうそんな時間か」

 父は到底時計とは思えない数の数字と針が並ぶ懐中時計を見ながら立ち上がり、そして遊佐を見下ろした。

「申し訳ないが私はこれから用があってね。明日には戻っているだろうが、今日はまだ分からない。急な用事であればそこの私の娘に相手をさせよう」

「は?」

 思わず口にしていたスプーンを噛んでしまう。

「何で私が……」

「どうだろうか? 遊佐君」

「ちょっと人の話を……」

 熱くなるユズリをよそに、父は悠然と遊佐を見ていた。

 遊佐も遊佐で少し考え込むように目を伏せてから父を見上げた。

「構いません」

「私が構うかどうかのほうが先でしょ!」

「ではユズリに任せよう」

「お父さんっ!」

 怒鳴りつける娘から軽く目を逸らして父はぽそりと呟いた。

「お父さんはお前の年の頃には下世話な小競り合いから血生臭い雑事まで、この町の全てを支配する勢いで仕切ったものだったが、ユズリにはまだ無理だったかな」

「っ!」

「まぁ無理と言うなら仕方ない。誰か代わりの者を寄こすとしよう。何、私には劣るがユズリよりは優秀な者を連れてくるから安心しなさい」

「……ちょっと待とうよ、お父さん」

 父の肩に手を置いて、ユズリは身を乗り出した。その裏で父がほくそ笑んだこと、馴染みの両替商が顔を背け笑いを堪えていたことには気づかずに。

「私より優秀な奴がこの町にどれほどいると? この町じゃ高級官僚だろうと一国の首脳だろうと無力だってのに?」

「そんなお偉い方々でもそうなのに、一介の学生のユズリは何も出来ないんじゃないのかい?」

「私はあなたの娘ですっ!」

 ユズリの腹の底からの叫びに、周囲の視線が残らず集まった。だがユズリはそんなことにはまるで気付かない。気づいていたとしても気にするつもりもない。

「つまりいずれは私があなたの地位に就くっつーことですよ。あなた様が泣いてびっくりするくらいに立派に! 世襲制なんて古臭いけど、私以上にお父さんの次に相応しい人間なんていないんだから!」

「でもユズリは遊佐君の困り事すら処理出来ないんだろう?」

「出来ないんじゃなくてしないの!」

「まぁ言い訳は何とでも出来るからなぁ」

 傍からは煽っているとしか思えない言葉にも、ユズリはそれはもう正直に反応した。隣で見ている両替商はにやにやと笑いながら、遊佐は親子喧嘩らしきものの成り行きを無表情に見守っている。

「だいたい何で私はいまだに公に挨拶もさせてもらえないのよ! 私もそんな雑用しないで公に会いに行く!」

「子供の頃に一度会っただろう。頭まで撫でてもらって忘れたのかい?」

「もう記憶も朧っ。決めた! 私もこれから公に会って、この性悪オヤジの跡はこの私が継ぎますって宣言してくる!」

「何を言ってるんだ。お前のようなひよっこに、公がお会いになるわけないだろう。御多忙な方を煩わせるんじゃない」

「ひよっこって何よ!」

「お父さんから見ればお前はまだまだひよっこだよ。いや、ひよっこにも至らない卵からようやく這い出るか出ないかと言ったところかな」

 父の意地悪い言葉と性悪な微笑みにユズリは顔を真っ赤にして肩を震わせた。

「……私はひよっこでなくもう十分に一人前ですっ」

「そうかい? お父さんにはどうもそうは見えないだが」

「そう! お父さんは普段の私を知らないからそんないつまでも子供の頃のままの扱いをするけど、私だって――」

「よしわかった」

 憤然とまくし立てるユズリの言葉を、父は爽やかな笑顔で遮った。

「じゃあお父さんにユズリが一人前になったという証拠を見せてくれ」

「証拠?」

 ユズリの訝しげな視線にも父は春風のような笑顔で応える。

「遊佐君の人探しを無事手伝えたら認めてあげよう。その際は公にも、うちの娘は私に似て優秀なようですとお話ししておこうじゃないか」

「っ!」

 自画自賛も良いところの発言だと思いながらもユズリはいつのまにか父のペースに巻き込まれ、遊佐とやらの人探しを手伝うことになっているとようやく気がついた。むしろここまで話を運ぶためだけに今までのやりとりがあったのだと、冷え始めた頭で考えればすぐに分かることになのについ乗せられてしまった。もう何度目とも知れぬ敗北感に打ちひしがれながらもユズリは俯いて「わかった」と呟いた。きっと今顔を上げたらこの父はものすごく意地の悪い笑顔でいるだろうから、せめて意地でも顔は上げずにいよう。

 父にうまいこと乗せられてしまったことは悔しいが、その見返りを得るためだと思えば我慢も出来る。と言うか、そうとでも思い込まねばやっていられない。

「さぁ話は纏まった。それじゃあ遊佐君。不肖の娘だがこの町については詳しいし、それなりに出来ることも多い。とりあえずはこの子で我慢してくれるかい? どうしても駄目だったら戻って来た時に私が改めて話を聞こう」

「わかりました」

 遊佐が物分かりよく頷くと、それを見て両替商は父に声をかけた。

「旦那。そろそろ」

「ああ、すぐに行くよ。あまり目上の方をお待たせするわけにはいかないからね。ああ、すまないがこの将棋盤を片づけておいてくれるかい?」

 両替商が頷くと、父はユズリを見た。

「じゃあユズリ」

「……何?」

 子供のように横を向いて不貞腐れたユズリの頭に大きな手が載せられた。ユズリが顔を上げると父が笑っていた。子供の頃よくしてくれたように、頭を撫でながら。

「頑張るんだよ」

「……わかってる」

 照れくさくなって再び目を逸らすと、父は軽くユズリの頭を叩いてから両替商と共に雑踏に紛れていった。ユズリは昔から変わらない父の後ろ姿をしばらく目で追いかけ続けた。

 これも癖だ。決して成長していないわけじゃないと自分に言い聞かせながら、その背をいつまでも見送っていた。

 

 父の背が見えなくなってしばらく経った頃、腹に響くような大太鼓の音が町全体に響いた。それに続き町中の銅鑼どらが。 

 この町の時を報せるシステムだ。大太鼓を合図に、町のあちこちにある銅鑼を鳴らして時を知らせるというもの。

 町中の銅鑼があらかた鳴らされた後、更にもう一度大太鼓が叩かれ銅鑼の音が静まった。

「もうこんな時間か」

 ユズリは町の中心にある十二階建ての塔を見上げた。この町で一番の高さを誇る建物は町のどこからでも見ることができ、その屋上には常にひとつの大きな炎。その炎は決して消えることはなく、物を燃やすこともない。町で最も高い場所にある炎は時を知らせるためにあるのだ。炎は金色から緋色、赤、紫、青、藍とゆっくりとその色を変化させてゆく。まるで空の色のように。その色でこの町では時を計る。大太鼓を鳴らす刻限も古来より炎の色を基準にしていると聞いた。そして今、炎は深い藍色に揺れている。

「早くしないとよそでは夜が終わる」

「よそではってことは、ここでは違うのか?」

 遊佐が訝しげに訊いてきた。

「ここに普段の私達の常識はないよ」

 そう言って無数の灯りの向こうに広がる漆黒の空を振り仰ぐ。

 便宜上、この町の人々は限りの見えない闇の世界を夜の町と呼ぶが果たしてそれは正しいことなのだろうか。この町には最初から太陽などない。月も星もない。 時はこの町独自の刻み方をし、ひるがないため午前午後の区別がない。だからここには朝も昼も夕方もない。ただ暗いから、夜のようだから、夜に外界との境界が開かれるから夜の町と呼ばれるだけだ。

 だが外界が太陽に照らされる時間にも彼岸此岸ひがんしがんが存在する以上、その境界であるこの町は消えることなく存在している。決して人の計る昼にこの闇の世界がないわけではないのだ。ただ太陽が昇らないというだけで夜と呼ぶのはあまりに性急だろう。ヨーロッパには太陽の沈まない明るい夜があり、季節によっては日本で夜と呼ばれる刻限にもまだ太陽が照らしている国もある。

 ここでいう夜とは絶対的なものではなく非常に曖昧なものだ。だがこの世界で言葉は強い力を持ち、世界の理に作用する。故にこの世界を、町を夜と呼んだその日からこの町は夜の世界となったのだ。

 だからといって、素人にそれを懇切丁寧に説明してやるほど自分は親切ではないし、早々に人探しとやらを終えたいのが本音だ。

 ユズリは憮然と遊佐に向き直った。

「人探しだっけ? 本当にこの町にいるの?」

「多分。この先へ行っていないのなら」

「行ってる可能性はあるの?」

「なくはない。けど多分迷ってる。本人に迷ってる自覚があるかどうかはともかく」

「ここで自覚ある迷子は少ないけどね。あーお父さんに確認頼んでおくべきだったな。でもまたあの親父を頼ったりしたら未熟って言われてバカにされるか」

 それは不本意だ。既に乗せられてしまった上に更に助力を求めるなんてすれば、あの父は当分ユズリをからかうネタにするに違いない。

「まぁいいや。で、その迷子の特徴は? 人海戦術。そこら辺の人に聞くのが一番手っとり早いし」

「とりあえずは……赤」

「赤?」

 遊佐は頷く。

「姿は分からない。けど多分、高確率で赤い打ち掛けを羽織っている」

「赤い打ち掛け……って、あの時代劇で武家の奥方とかが着物の上に羽織って引きずっている着物?」「それだ。その下にも多分赤い着物を着ていると思う。帯も赤だと思う」

「赤ねぇ」

 着物の色の合わせについては詳しくないが、普通はもう少し季節に応じてグラデーションをつけたり、差し色に別の色を取り入れる物ではないのだろうか。別にそういう法があるわけでもないし、仮にあったとしてもこの町ではそういった法は適応されないが。

「それから」

 遊佐は心持ち声を低くして続けた。

「柄が赤い柄巻つかまき脇差わきざしを持っている。多分抜き身だろうな」

「脇差?」

 と言うと確か武士が腰に下げる日本刀のうちの短い方のことだ。その上抜き身ということは刃が剥き出しということではないか。

「ここか先にいなかったら銃刀法違反じゃないの?」

「違反だな」

 至って真顔で遊佐は答えた。そして言う。

「だから探してるんだ」

「……そ」

 淡々とした口調なのに、妙な意志の強さを垣間見せる。妙な奴だ。もう一度ユズリはそう胸の内で呟き、ガラスの器を置いて立ち上がった。

「じゃあとりあえずは橋ね」


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