開幕
日が暮れ、川と橋とが四辻を作る。
袂の柳を越えて橋渡り。
くるり其処から夜の国、異界なり。
静かだ。
小さな町は日が暮れ眠りに就いたかのように静まり返っている。
江戸時代からの風景を残した川沿いの町は、夜になれば細々と灯りがある程度で音と言えば川の流れくらいという、言ってしまえば寂れた町だ。細い川には古い橋が架かっており、その橋の袂には町並みと同じくらい古い柳の木が一本植わっている。濃い闇と古い町並み。夏場であれば怪談話の一つや二つ持ち上がりそうな場所。
そのせいもあって、幼い頃はこの場所が怖くて仕方なかった。父が怖がる娘を見て面白がるというろくでもない悪癖の持ち主だったので、人の多い昼間とて近づきたくなかったくらいだ。
闇に紛れて妖怪があの橋の向こうからやってくる。
柳の木の下にはお化けが立っている。
この川は三途の川に繋がっているから、夜にこの橋を渡るとあの世へ迷い込んでしまう。
等と散々に話を聞かされたため、とにかくこの場所は苦手だった。今にして思えば、父なりに幼い娘をこの場所へ近づけないためにした親心というものだったのかもしれないが、当時はただひたすらに怯え、何故父はこうも自分が怖がるような話ばかりするのかと泣きながら恨んだものだ。
懐かしくも恨めしい記憶に思いを巡らせながら柳の木を離れ、橋を歩く。静かな夜に、川のせせらぎと足音だけがよく響いた。
そうして五メートル程の長さの橋を渡りきり、地面に足をつければ静まり返っていたはずの町は喧噪と色鮮やかな色彩とに溢れ返っている。
祭囃子のような高い笛の音色に太鼓の音。賑やかに飛び交う声。吊り下げられた提灯の列。あちこちを飛び交う様々な色の鬼火。この世の賑やかしを全て取り集めたような極彩色の世界。
昼には決して姿を見せぬ町の全貌が露わになる。
町の中心には煉瓦と木製の十二階建ての塔。その屋上には常に煌々と炎が揺れている。そこまで続く大通りは瓦葺の商店や屋台がずらりと連なるが、通りから外れてみれば擬洋風建築風の半端に西洋的な館が建っていたりもする。少し道を外れ歩いてみるといつの間にか提灯ではなく瓦斯灯が道を照らしていることもある。
節操がないと言えばそれまでの、雑然とした光景だ。そしてそれは建造物だけでなく、町を歩く者達にも言える。
瓦葺の店先で酒を飲み交わす人々。怪しげな露天商。店の客引き。その姿は十人十色で、パーカーにハーフパンツという格好で話し込んでいたり、派手な柄の着物の襟元を大胆に広げて談笑していたり、髷を結って月代に灯りが反射している者がいたりと統一性はない。
ここは昼には決して立ち入れない場所。
夜だけの町。
どこにもない町。