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2-2(1200年後 2)

「フランさん、話を戻してもらえませんか」

 むくれるナーナを宥めながら、アキラはフランに声をかけた。

「そうね」

 と、フランが笑う。

「話を戻すとね、お母さまにも神々にも、流石に天を覆うほどの大質量物体が落ちてくるのを止めることはできなかったそうよ。

 だから、お母さまは別のことをされたわ」

「何をされたんですか?」

「それを説明できないそうなの。

 ただ、何をすればいいかは判ったって、お母さまはおっしゃられていたわ。

 神々にもお母さまが何をされたか判らなかったみたい。お母さまが空を見上げて、何かをされた。すると、月の欠片は速度を落とした。突然、止まったかのように。神々は速度が落ちた欠片を支え、西の大洋に運んで、アースディア大陸としたのよ」

「止まった訳ではない、ということですか?」

「ええ」

「何をされたのかな。シェルミ様」

「あたしがお母さまに尋ねたときには、『あなたは自分がどうやって手を上げているか、判る?』って訊き返されたわ」

「そりゃこうやってだろ?」

 ヴラドが実際に手を上げて見せる。

「そうね。手を上げるってそういうことね。でも、手を上げようって考えただけで、どうして手が上がるのかしら」

「まず頭の中で思考して指令を出し、神経細胞内ではナトリウムイオンとカリウムイオンを利用して情報を伝え、神経細胞間では化学物質をやり取りして末端である筋肉に指令を送り、筋肉は筋肉で伝えられた指令に従ってカルシウムイオンを制御して収縮している、といったところでしょうか。

 でも、そんなこといちいち意識しませんよね。

 理屈はそうだとしても、どうしてそんな風に脳から指令を送ることができるのか、なぜ化学物質が放出されるのか、そうした仕組みを統括しているのは誰かとなると、さっぱり判らない。

 そもそも、手を上げようって思考したのは誰かという、哲学的な問答にも繋がりそうですね」

「うん」

「そこ、頷くとこか?嬢ちゃん。そこは、コムズカシイことばかり言うなって文句を言うとこじゃねぇか?」

「ホントね」

 フランが笑う。

「フランさん、確認しますが、月の欠片は止まった訳ではない、ということですね」

「ええ」

 アキラが考え込む。

「何があったか判る?見習君」

「そうですね」

 慎重にアキラが口を開く。

「シェルミ様は、本当に神様なのかも知れませんね」

「どういうことかしら」

「宇宙が今の姿であるためには、いくつかのパラメータが、ある値である必要があります。万有引力定数Gとか、プランク定数hなどですね。シェルミ様は、そのうちのひとつを変更することで、月の欠片の速度を落としたんじゃないでしょうか」

「それは何?」

「真空中の光速、定数cです」


「真空中の光速cは、マクスウェルの方程式に真空の誘電率と真空の透磁率を導入することで理論的に導かれます。もっと正しく言えば、そうして求めた電磁波の伝播速度が当時判明していた光の速度と一致したので、マクスウェルは光の正体が電磁波の一種だと提唱したということになるでしょうか。

 アインシュタインは、そうして求められた真空中の光速cが、異なる慣性系でも常に満たされるように特殊相対性理論を考案したんです」

「ゴメン。よく判らない」

「難しく言ってるけど、難しいことじゃないよ。まっすぐ上に放り投げた物体は、そのまままっすぐ落ちてくる。

 陸地でも。動いている船の上でも。

 そうだよね」

「うん」

「つまり、異なる慣性系でも物理法則は変わらないってことだよね。

 マックスウェルの方程式に従えば、任意のいずれの慣性系でも真空中の光速cは一定だ。例えば、動いている船から放たれた光を陸地から観測しても光の速度は変わらない。船の速度は加算されることなく、定数cのままになる。一方、動いている船から見ても、放たれた光の速度は定数cになる、ということだよ」

「え?」

「またヘンなことを言い出しやがったな。アキラ」

「オレも話していると混乱しますけど、光速cは常に一定だということです。真空中の、という但し書き付きではありますが。それ以上速くもならず、遅くもならない。任意の慣性系の誰から見ても。

 では、もし、質量のある物体にエネルギーを加えて加速し続けたらどうなるか」

「真空中の光速cを越えるまで、ってこと?」

「そう」

「どうなるんだろう?」

「質量のある物体は、真空中の光速cを越えられない。ある程度まで速度が速くなると、それ以上エネルギーを加えても、質量に変化する、と言われているよ」

「え」

「前に説明したエネルギーと質量は等価だという、E=mc^2という数式、憶えてる?」

「あ」

「つまり、見習君が言いたいのは、普遍であるはずの真空中の光速cの定義を変更して、ずっと遅くして、遅くなった分の速度が質量に変化したってこと?」

「シェルミ様が変更されたのは一部の慣性系に限って、具体的には、落ちてくる月の欠片のうちでも壊滅的な被害をもたらすと思われる巨大な欠片に限ってだとは思いますが、そうです。落ちてきた月の欠片は外部から力を加えられたんじゃなく、変更された物理法則に従って、運動エネルギーを質量に変化させたんじゃないでしょうか。

 もし、外部から力を加えられて速度が落ちたんだとすると、止まったかと思えるほどの急激な速度の変化です、作用反作用の法則に従って、それまでの運動エネルギーが月の欠片にそのまま跳ね返って、月の欠片を破壊していたでしょう。

 しかしそうはなっていない。

 それと、オレが、シェルミ様が真空中の光速、定数cを変更したんじゃないかって思うもう理由のひとつは、スゥイプシャーの重力異常です」

「どういうこと?」

「アインシュタインの一般相対性理論の方程式は、左辺が時空の歪みを、右辺が物質の分布を表しています。

 この右辺に、真空中の光速、定数cが含まれています」

「じゃあ、スゥイプシャーの重力異常って、月の欠片を止めるために変更した定数cが、いまもまだ揺らいでいるから……?」

 ナーナの呟きに、アキラが頷く。

「スゥイプシャーの重力異常って、大災厄以降のことだよね。それと、”全ての神々を祀った神殿”がスゥイプシャーにあるのも、偶然じゃないかも知れない」

 アキラの言葉を噛みしめるように、ナーナが、ゆっくりと、大きく頷く。

「うん」

「なるほどね。だから、お母さまのこと、本当に神様かも知れないって言ったのね。見習君」

「はい。

 ですが、それだけではありません」


「E=mc^2という方程式は、本来は、静止した質量にも莫大なエネルギーが含まれているという意味です。

 方程式のどこにも速度を表す変数vは記述されていません。

 ですから、運動エネルギーが質量に変化するのに、E=mc^2という方程式を使っていいのかオレには判りません。そもそも物理法則を変更するなんてアインシュタインも想像していなかったでしょう。

 しかし他に手掛かりはありませんから、E=mc^2の方程式に従って考えると、シェルミ様が真空中の光速cを変更した結果、運動エネルギーから変化した質量を求めようとすると、E=mc^2を変形して、m=E/c^2となります。

 この時、定数cは、桁違いに小さな値となっています。

 1秒間に約30万キロ、地球を7周半できる速度が、止まったかと見えるほど遅くなっているんですから。

 となると、エネルギーEから変化した質量mは、本来得られる値よりも桁違いに大きなものになった筈です。そして、神々が速度の落ちた月の欠片を支えた時には、定数cは元の値に戻っていた。エネルギーEから変化した質量mは、本来のE=mc^2の方程式に従って、莫大なエネルギーを保持していた。

 それはつまり、真空中の光速、定数cを変更することで、シェルミ様は、『無から有』を生み出したってことじゃないかと思うんです」

「そうか……」

「つまり、お母さまはエネルギー保存則を破っている、ということね。見習君」

 アキラが頷く。

「はい」

「それってよ、そんなにスゲェことなのか?フラン」

 フランが軽く肩を竦める。

「知っているつもりだったけど、見習君の言う通り、お母さまって本物の神様かも知れないわね」

「ふーん」

 フランの膝で眠るシェルミの頬を、ヴラドが指の裏で優しく撫でる。

「こんなに可愛い顔して、大したモンだな」

「おおかみくん、気をつけないとシェルミ様、寝惚けてあなたの腕を吹き飛ばしちゃうかも知れないわよ?」

「心配ねぇよ、フラン。ちゃんと手加減してるぜ、この子」

「そうね」

 しっとりとフランが笑う。

「どうかしたの?アキラ」

 まだ何か考え込んでいる様子のアキラに気づいて、ナーナが尋ねる。

「いや」

 そうやって生み出されたエネルギーは、いったい、どこへ行ったのか--。

「もしかするとオレも、シェルミ様に生み出されたのかも知れないなって、そう思っただけだよ」

 と、ナーナに顔を向け、アキラは笑った。

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