第二十三幕 鬼退治
旭山城の一の丸御殿。戦地の山城とはいえ流石に一の丸御殿ともなれば、それなりに瀟洒な佇まいの建屋となっていたが、今はその名残すら分からない程に無残に破砕され倒壊していた。
『景虎ぁぁぁ……。貴様もこの建物のように原型を留めない肉片へと変えてやるぞ』
その原因となった存在がまるで蒸気のような呼気を吐き出しながら唸る。身の丈は優に十尺を超えるだろう馬鹿げた山のような巨体。そしてその巨体に見合うだけの分厚い筋肉が、その赤銅色の全身を覆っている。
ざんばらに伸びた蓬髪からは太い二本の角が突き出し、双眸は不気味に白濁し、口からは収まりきらない不揃いな牙が突き出る。極めつけはその手に握られた、まるで柱のごとき巨大な鉄棒。
それはまさに人々が想像する『鬼』の姿そのものが具現化したかのようであった。
「怨霊鬼……。まさか鎌鼬の他にも、これほど強力な妖魔を従えていたとは……」
その威容を見た妙玖尼が呻く。怨霊鬼は見た目通りの怪力と耐久力を誇る上級妖魔だ。それ以外に特殊な能力は持っていないが、その肉弾戦に特化した巨躯こそが一種の能力と言える。中級妖魔である一つ目鬼の完全な上位互換だ。
「……! 来るわっ!」
武田の密偵だが現在は共闘する立場の神職である伽耶が、持っている弓に素早く矢を番えながら警告する。
『景虎ぁぁぁーーー!!!』
元は大熊朝秀という名の長尾軍の武士であった怨霊鬼は、大量の蒸気を吐き出しながら咆哮し、元のの主君であった景虎に狙いを定めて突進してきた。巨大な鉄棒を振り上げながらのその姿は凄まじい迫力で、もはや物理的な圧力さえ伴うほどであった。
「く……!」
対象となった景虎もその余りの迫力に気圧され回避行動が若干遅れてしまう。そこに容赦なく迫る鬼の巨体。だがその鉄棒が振り下ろされる前に……
『ヒノカグヅチの滅炎!』
後方でいち早く臨戦態勢を整えていた伽耶の援護射撃。彼女たち神職の異能である『神祓』が付与された火矢で、下級の妖魔ならそれだけでも倒せるくらいの威力を持つ。しかもそれが神業の連射で複数一気に放たれたのだ。
的が大きいだけあって全ての火矢が命中したが、何と怨霊鬼は殆ど痛痒を感じてすらいないかのように、被弾しながらも強引に突っ込んでくる。馬鹿げた耐久性だ。
「そんな……!」
自身の攻撃が牽制にもならなかった事実に伽耶が目を剥く。
『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』
だがそこにやや遅れて妙玖尼の法術『破魔光矢』が、怨霊鬼の顔面に炸裂した。
『……!』
顔面に光弾が衝突した事でそれが一種の目くらましとなり、一時的に視界を奪われた事で流石に怨霊鬼の足が止まる。だが驚くべき事に『破魔光矢』が顔面に当たったにも関わらず、奴が被ったのは一時的な視界不良だけで、やはり碌に痛打を受けていない様子であった。
「だったらこれならどうだい!」
奴が光で怯んだのを隙と見て取った妖艶女武者の紅牙が素早く接近して、その太い脚に直接斬り付ける。彼女の刀にも妙玖尼の法術である『破魔纏光』が付与されており、妖魔に対しては絶大な攻撃力を保持している。それに彼女の剣技が合わさる事で、一つ目鬼のような中級妖魔にすら有効な斬撃となるのだ。だが……
「っ!?」
斬り付けたはずの紅牙の方がたたらを踏んで体勢を崩してしまう。怨霊鬼の脚には殆ど傷も付いていない。『破魔纏光』による斬撃が一方的に弾かれたのだ。そこに目眩状態の怨霊鬼が振り回した鉄棒が迫る。体勢を崩された直後の紅牙は回避が間に合わない。直撃したら一溜まりもない。
「危ないっ!」
だがそこに景虎が体当たりするような勢いで紅牙に飛びつき、間一髪回避が間に合った。二人の女武者は密着したまま何度か地面を転がりつつ、怨霊鬼と距離を取った。
「わ、悪いね、助かったよ」
「お互い様だ。それより奴がもう回復した様だぞ」
「……!」
紅牙は慌てて景虎から離れて立ち上がった。彼女の言うとおり怨霊鬼の狂乱ぶりが収まっていた。だが視力の回復したその目には明らかな怒りの感情が宿っていた。
『女共が、姑息な真似を……。貴様らの小賢しい手妻など今の俺にかすり傷一つ付けられんわ!』
怨霊鬼の怒りの咆哮。実際に神祓も法術も直撃したにも関わらず殆ど痛痒すら与えられていないのは事実だ。
「ちょっと、どうするの? 私達の力が通じないなんて、あんな化け物どうやって戦えばいいのよ」
伽耶が弓を構えつつも焦燥した様子で問いかける。だが妙玖尼は絶望していなかった。
「何か特殊な能力によって通じない訳ではありません。なら奴の耐久力を上回る威力で攻撃を当てれば良いだけです」
「そ、それは、理論上はそうだけど……」
「悠長に対策を練っている余裕はありません。伽耶さんはとにかく最も威力の高い神祓の発動準備に掛かって下さい!」
「あ、ああ、もう! 分かったわよ!」
妖魔退治に掛けては本職の退魔師である妙玖尼に一日の長がある。他に有効な手段がある訳でもない現状、伽耶は本能的に妙玖尼の指示に従って神力を溜めはじめる。それを尻目に妙玖尼は前衛の紅牙たちに向きなおる。
「紅牙さん! いつもの要領で行きます。お願いできますか!」
「……っ。ああ、それしかなさそうだね! やってやるよ!」
こちらの言葉を解する敵が目の前にいる状態で作戦内容をべらべら喋る訳にもいかない。だが流石にこれまで数多の強敵相手に共闘してきただけあって、相棒の紅牙にはそれだけで伝わったようだ。
「景虎、アンタも続きな! とにかく攻めて攻めて、攻めまくるんだよ!」
「む……攻撃こそ最大の防御ということか。たしかにこの化け物相手に受けに回る方が危険だな!」
紅牙が手本を見せるように率先して反撃に転じると、最初は目を剥いた景虎も紅牙の意図を曲解して負けじと薙刀を構えて追随する。
『ふはっ、馬鹿な女鼠どもが! 望み通りひねり潰してやろうっ!』
だが景虎がそう発言してくれたお蔭で、怨霊鬼にもそう思わせることが出来たらしいのは嬉しい誤算であった。それを確認して妙玖尼もすぐさま法術の発動準備に掛かる。
怨霊鬼の鉄棒が唸りを上げて叩きつけられる。紅牙と景虎は左右に分かれて飛び退ることでそれを回避した。だがそのまま地面に叩きつけられた剛撃は地面を小規模に陥没させ、巻き上げられた大量の土砂と凄まじい衝撃によって爆風が周囲に拡散する。
「……っ!!」
「ぬぐ……!!」
鉄棒の直撃は回避できても拡散放射される爆風までは躱せない。衝撃を食らった二人は吹き飛ばされ、苦痛に顔を歪めて地面に転がる。勿論優れた戦士である二人は横転しながらも即座に体勢を立て直して身を起こすが、それとほぼ同時に……
『死ねぃっ!!』
怨霊鬼が今度は鉄棒を(奴にとっては)低い位置で水平に薙ぎ払ってきた。その効果範囲は圧倒的で、離れた位置にいる紅牙と景虎が二人同時に範囲内に収まっていた。そして奴の怪力なら文字通り二人同時に薙ぎ払うことは容易いだろう。まともに当たれば当然二人とも即死だ。
「ち……くしょっ……!」
「くぅ……!!」
二人は碌に体勢を立て直す暇もないまま、再び飛び込むようにしながら回転回避を余儀なくされる。
『ぬははははっ!! ほれ、どうした! 動きを止めたら死ぬぞ!?』
一方的に追い立てられる紅牙たちの姿に哄笑しながら、嵩にきて鉄棒を振りまわして追撃してくる怨霊鬼。艶めかしい露出甲冑姿で必死になって逃げ惑う紅牙。そして奴の元々の殺害対象であった景虎もまた手も足も出ずに転がり回るしかない。
そんな美麗な女武者達の艶姿(?)に怨霊鬼はいつしか意識を吸い寄せられ、それ以外の存在について半ば忘却した状態となっていた。鎌鼬とは違い、なまじ人間としての意識が残っているが故の失態。
意図した形とは違っただろうが、紅牙たちは立派に己の役目を果たしてくれたと言える。何故なら……無事に妙玖尼たちの術発動の準備が整ったからだ。
『オン・マユラギランデイ・ソワカ!!』
まず妙玖尼が目をカッと見開いて『孔雀天雷』の術を発動する。一の丸御殿は怨霊鬼自体が破壊して尽くして、遮るもののない上空から幾条もの雷光が降り注ぐ。何せ的は大きいのでほぼ全ての雷が怨霊鬼に命中した。
『ッ!? ウゴォォォォッ!!』
奴が己の失態に気づいた時はもう遅かった。凄まじい雷撃の雨を浴びた怨霊鬼は、大気を震わせるような咆哮を上げて悶え苦しむ。だが驚いた事に、これまで様々な強敵を斃してきた『孔雀天雷』の術をまともに食らってなお、怨霊鬼は致命傷を受けていない様子だった。見た目に違わない馬鹿げた耐久力だ。
『き、貴様、らぁぁ……姑息な真似を――』
だがかなりの打撃は与えたようで、その巨体から焼け焦げたような煙を大量に噴き上げながら、怨霊鬼が怒りの視線を妙玖尼たちに向けてくる。だがそこで奴の台詞が止まった。
『――――』
奴の視線の先には弓矢を構える伽耶の姿。限界まで弓弦を引き絞ったその『矢』に、猛烈な勢いで風が逆巻き纏わっていく。周囲の空気を全て吸い込むかの如きその勢いに怨霊鬼だけでなく、たった今大技を発動し終えたばかりの妙玖尼も目を瞠った。
「こ、これは……なんという……!」
暴風の如き勢いで風が集まり、伽耶の構える『矢』を取り巻いていく。余りの風圧に妙玖尼は倒れないように弥勒で身体を支える必要があるくらいだった。『矢』はまるで小さな横向きの竜巻の如き様相を呈する。
『キサ――』
『――スサノオの破天剣!!!』
溜めに溜めた力を一気に解放する伽耶。『矢』は唸りを上げる竜巻を纏ったまま、まっすぐ怨霊鬼に向かって突き進む。『矢』の速度自体はそれほどでもないが、幸いというか怨霊鬼は見た目通りに動きは鈍重で的が大きく、かつ事前に妙玖尼の『孔雀天雷』で痛打を受けていた事もあって、『矢』は狙い過たず怨霊鬼の巨体に命中した!
『ウボアァァッ!!!!』
凄まじい爆風と共に再度の絶叫。爆風に手を翳して顔を庇っていた妙玖尼は、風が晴れた所で手を降ろした。そして眼の前の光景に絶句した。
『ゴ……オォォォォ……』
怨霊鬼の強固な肉体に文字通りの風穴が空いていた。丁度脇腹の辺りだ。『破魔纏光』でも傷を付けられなかった怨霊鬼にあれほどの大傷を穿つとは、発動までの隙は『孔雀天雷』より更に大きく、しかも術自体の速度も遅く躱されやすいものの、その分命中した時の威力は計り知れない。
これほどの強力な攻撃術を伽耶が持っていたのは予想外であった。勿論すでに『孔雀天雷』で大きな打撃を受けていた事も影響しているだろうが。
「今よ! 止めを刺して!」
その伽耶の叫び。怨霊鬼は致命傷と呼べる傷を受けたものの、驚くべき事に未だ死んではいなかった。だがその脇腹には大きな『風穴』が空いている。つまり今なら……
「……! うむ、任せろ!」
『孔雀天雷』や『スサノオの破天剣』に巻き込まれないように、飛び退って距離を取っていた景虎と紅牙。より手近にいた景虎がいち早く反応した。薙刀を構えて突っ込む。
『ひっ……!? ま、待て――』
「地獄に堕ちろ、朝秀ぇぇぇっ!!」
見苦しい命乞いを最後まで聞かず、脇腹の風穴に身体ごとぶつかる勢いで薙刀を突き入れる景虎。勿論その刀身には未だ『破魔纏光』が掛かったままだ。
『ウギィエェェェェ!!! か、景虎ぁぁ……!』
その鋼鉄の肉体と表皮は法術の加護さえ退けたが、流石に内部まではそうも行かないらしい。風穴から体内に直接法術の掛かった薙刀を深々と突き刺された怨霊鬼は、その名の通りの怨嗟に呻きながら横倒しとなった。
巨体が倒れる震動で地面が揺れた。間を置かずその身体は大量の煙を上げながら、内部から焼き尽くされて消滅していった。妖魔に魂を売った武将、大熊朝秀の最後であった。




