第十九幕 急襲
「……私に揺さぶりを掛けているんでしょう? そんな事しても無駄よ」
旭山城の地下牢。やってきた景虎から武田軍の内情について聞かされた伽耶は、青ざめた顔のまま気丈に景虎を睨む。だが当の景虎は神妙な表情のままかぶりを振った。
「信じられぬのも無理はない。無理に信じろとも言わぬ。真実は……そなたが自分の目で確かめるが良い。武田領に戻った後にな」
「え……?」
伽耶だけでなく妙玖尼と紅牙も、思わずといった感じで景虎を仰ぎ見た。景虎は肩をすくめた。
「あの時点ではお主が武田の妖魔の事を知っているのかどうか確信が持てなかったので、ああするしかなかったのだ。だが知らぬのであればお主は今の武田の間者ではないという事になる。ならば命の恩人を解放する事に躊躇いなどあろうはずがない。家臣達には尋問の結果、お主らが武田とは縁もゆかりも無い者達であったと解ったので釈放したと言っておく」
「あ、あんた……」
どう見ても本気で言っている様子の景虎に、先程まで彼女を腐しまくっていた紅牙が唖然とする。景虎は彼女にしては少し人の悪そうな笑みを浮かべる。
「『義将』らしい振る舞いが出来なくて悪かったな」
「……! ふ、ふん! まあアタシにはあんたの思惑なんて最初からお見通しだったけどね! 部下達の手前、それっぽく合わせてやっただけさ」
明らかに嘘と分かる強がりを言って、腕組みしてそっぽを向く紅牙。それに苦笑しつつ妙玖尼は景虎に向き直った。
「私は信じておりました。やはりあなたの義心は偽りではなかったと解って嬉しく思います」
「私は……」
妙玖尼がお辞儀をすると、それに続いて伽耶も何か口を開こうとした。だが彼女が何かを言う前に、ここにいる全員が気付いた。地下牢の落とし戸の向こう……つまりは城の地上部分から俄に大きな喧騒が響いてきたのだ。中には怒号や悲鳴なども混じっている。
「……! 何事だ……?」
景虎が訝しげに落とし戸を見上げるのとほぼ同時に、戸が勢いよく跳ね上げられた。そこから息せき切って姿を覗かせたのは、先程の捜索部隊を率いていた色部勝長という武将であった。
「か、景虎様! 大変でございます!」
「勝長!? この騒ぎは何だ! 敵が攻めてでも来たのか!?」
数百人を超える兵士が常駐している城を襲うなど、賊や乱取りの類ではあり得ない。果たして勝長はかぶりを振った。
「よ、妖魔です! 妖魔の群れが大挙してこの城を襲っているのです! や、奴等、仲間が斬られてもお構いなしに、まるで狂乱しているかのような勢いです!」
「な……妖魔だと!?」
景虎は目を吊り上げて床几から立ち上がった。勿論妙玖尼たちも驚愕して目を瞠る。
「直ちに撃退しろ! 私もすぐに向かう!」
「は、ははっ!!」
景虎の指示に勝長は即座に地上に戻っていく。景虎は妙玖尼たちを振り返った。
「済まぬな。まさかこのような事態が起きようとは。或いは私を狙っていたあの妖鬼が、鎌鼬が討たれた事でなりふり構わなくなったのやも知れん」
彼女はそう言ってかぶりを振りつつ、妙玖尼たちが閉じ込められている土牢の鍵を開けた。
「さあ、お前たちはもう自由だ。早くこの城を脱出しろ。そこから上がったらすぐ横に小さな蔵がある。お前たちの得物は全てそこにまとめてある。幸いというのもおかしいが、今なら混乱に乗じてむしろ容易に脱出できよう」
景虎はそう言って土牢の落とし戸を指し示した。確かに得物さえ取り戻せば妙玖尼たちであれば、脱出だけなら問題なく可能であろう。
「は、ご丁寧に痛み入るね。じゃあお言葉に甘えてさっさとズラからせてもらおうかね」
「…………」
鼻を鳴らした紅牙がいち早く牢から出て落とし戸に向かう。その後に無言で伽耶も続くが、先ほどの景虎の話が尾を引いているのか、やや青い顔のままであった。
「ありがとうございます、景虎様」
妙玖尼もこの場でこれ以上の問答はやめて素直に景虎の好意に甘える事とする。まずは弥勒を取り戻す事が最優先だ。あとは地上の状況がどうなっているか次第だが……
「……!!」
紅牙たちに続いて梯子を登り、落とし戸から地上に戻った妙玖尼は目を瞠った。まず目に付いたのは多数の餓鬼や触鬼など下級の妖魔たちの姿。そして必死の形相でそれらと戦っている兵士たちの姿であった。
妙玖尼としては兵士たちが城の外で妖魔を食い止めながら戦っている状況を想像していたのだが、まさか既に城内にまで侵入されて混戦状態になっているとは、状況は思ったより逼迫しているようだ。
「馬鹿な! 見張りは何をやっていたのだ!?」
続いて上がってきた景虎も同じように目を剥いていた。いや、彼女の方が自軍の城だけに驚きは大きいだろう。妙玖尼はかぶりを振った。
「妖魔には人間同士の戦の常識は通用しません。恐らく何らかの妖術を用いて奇襲を掛けたのかも知れません。そもそも妖魔がこのように組織立って人間の城を襲うという事自体が異常な状況です」
「……!」
妙玖尼の言葉に景虎は臍を噛む。組織立って人間の城や軍隊にまで襲い掛かるとなると、明らかにただの妖魔の暴走ではない。間違いなく美濃の時と同じく、背後でこの事態を操っている存在がある。妙玖尼はこの光景を見てそれを確信していた。
(……恐らくあの奈鬼羅という妖鬼の仕業でしょうか)
美濃でも騒動も裏で明智光秀……海乱鬼という妖鬼が蠢いていた。常に最悪の可能性は想定しておいた方がいい。そしてもしその想定が正しいのであれば……
「尼さん! ほら、あんたの得物だよ!」
そこに一足先に地上に出ていた紅牙が、景虎の言っていた蔵から出てきた。その手には既に抜身の刀が握られていた。蜥蜴丸と銘打った彼女の愛刀だ。そしてもう一方の手に持っていた弥勒を妙玖尼に投げ渡してくる。因みにその後ろにはやはり無言の伽耶も追随しており、自身の弓矢と大麻を取り戻して携えていた。
「さあ、これでいつでも行けるよ! こんな所からは早いとこおさらばした方が無難だよ」
紅牙が脱出を促してくる。確かに彼女のように考えるのが普通だ。だがこと妖魔に関しては、『普通』の考えでは退魔師は務まらない。妙玖尼は景虎に向き直った。
「景虎様はこの後どうなされるおつもりですか?」
「? 無論この妖魔どもを掃討するに決まっている。さあ、もう行け!」
妙玖尼が何を聞きたいのか分からず戸惑った表情のまま答えた景虎は、自身も薙刀を構えつつ再度妙玖尼たちに脱出を促す。
「景虎様、あなたを妖魔の脅威から護衛するという我々の任務はまだ果たされていません。であるなら我々にあなたを見捨てて逃げるという選択肢はありません」
「な……」
「あ、尼さん、何言ってんだい!?」
彼女の答えに目を瞠る景虎と紅牙。だが妙玖尼の目はまっすぐ景虎に向いたままだ。
「鎌鼬を倒して、それで景虎様が妖魔の脅威から解放されたなら私達の仕事も終わっていました。しかし現実には鎌鼬は手先に過ぎず、真の脅威はこうして未だにあなたを狙っています。なれば私達の仕事も終わっていないという事です。そもそも目の前の妖魔を放置して逃げたとあっては退魔師の名折れですよ、紅牙さん」
「む……」
妙玖尼と同道するという事は、自身もまた『退魔師』を生業にするという事と同義である。それを自覚している紅牙が唸る。
「まだ……私を助けてくれるというのか? お前達を捕縛して投獄までした私を?」
「それは故あっての事だと仰られたでしょう。そして結局こうして私達を解放し、非常時だというのに私達に助力を要請せず、ご自身で戦おうとなされている。そんなあなただからこそ、むしろこちらからご協力させて頂きたいのです」
そう言って微笑む妙玖尼を、景虎はやや呆然として見つめる。
「やはりそなたは、毘沙門天が遣わした天女…………」
「え……?」
「い、いや、何でもない。……おほん! そういう事ならありがたく助力を受けさせてもらおう。正直この状況では非常に心強い」
景虎は咳払いをして誤魔化しつつ妙玖尼の助力を受け入れた。
「ち……これでアタシだけ逃げたらただの臆病者じゃないのさ。乗りかかった船だしアタシも協力してやるよ。ただし高くつくからね?」
紅牙も嘆息しつつ助力を承諾する。そうなると必然的に場の視線は残る一人に集中する。皆の視線を受けた伽耶は……
「私も……協力するわ。晴信様が妖魔と手を結んでいるという話が本当なら、その奈鬼羅という妖鬼から晴信様との関係を直接聞き出してやるわ。それが事の真偽を確認する一番確実な方法でしょ?」
若干やけくそ気味な笑みを浮かべる伽耶。他ならぬ武田が妖魔に浸食されているという事態を認めるのはまだ抵抗があるらしい彼女は、とりあえずその疑問と怒りを目の前の妖魔達やそれを操っているだろう奈鬼羅に向ける事に決めたようだ。
「とりあえず合意は出来たという事で宜しいでしょうか? それではまずはこの城を襲っている妖魔たちを撃退する事から始めましょうか」
「うむ、感謝するぞ。では行くぞ!」
妙玖尼の言葉に頷いた景虎は薙刀を構えて、城を襲っている妖魔たちの群れに突撃していく。その後に続く妙玖尼たち。信濃の地、旭山城を舞台とした人魔の攻防が始まった。




