第二十八幕 大器
鷺山城が『陥落』し、義龍と道三親子の対立が確定的となったしばらくの後。道三方は尾張の織田信長に援軍を要請し、信長が来る前に道三を殲滅したい義龍方は遂に兵を挙げ、道三討伐に踏み切った。
道三を隠居させて義龍が家督を継ぐ事を支持した稲葉良通を始めとした西美濃三人衆ら家臣団の殆どは、今さら道三やその娘婿の信長が美濃の領主になる事を歓迎できるはずもなく、義龍方として道三討伐に従軍する事となった。
この動きを察知した道三方も義龍軍を迎撃する為に挙兵。両軍は長良川を挟んで北岸と南岸に布陣。一触即発の睨み合いとなる。しかし今さら義龍を廃嫡しようという無茶を通そうとする道三方に大義はなく、また美濃を信長に売り渡そうとしているという情報も出回り、道三に従って挙兵に応じた者達はごく僅かとなった。
最終的に両軍の兵力は義龍軍約18000に対して、道三軍は僅か3000程度。兵力差にして約6倍という、戦う前からほぼ勝敗が決していると言っても過言ではない様相となっていた。だが……
「……恐らく、いや確実に道三方は、戦場に『瘴気石』を持ち込んでいるはずだ。そうなると道三方の兵や武将がどの程度外道鬼や妖怪に変じているかにもよるが、平均で考えて5倍程度の戦力増と見積もっていいだろうな」
両軍の戦場となっている長良川を迂回しながら、なだらかな農地を走る3人の女達の姿があった。勿論妙玖尼、紅牙、そして雫の3人だ。彼女らは義龍軍が道三軍の主力と合戦している間に迂回して裏から回り込み、敵本陣にいる斎藤道三を直接討つ任務を帯びていた。
先導する雫の予測に妙玖尼は眉を顰める。
「5倍、ですか……。そうなると義龍公との戦力差は殆ど埋まってしまうのでは?」
「ああ、そうだ。そしてそこに信長の援軍による挟撃を許そうものなら……」
「……最悪、全滅もあり得るって訳かい」
深刻そうな雫の言葉を紅牙が引き継ぐ。流石に彼女も神妙な調子にならざるを得ない。妙玖尼達が想像していた以上に義龍は厳しい状況に置かれているようだ。
「それも肯定だ。義龍様は今、危機的状況にある。それはあの方自身が一番良く分かっているはずだ。だがそれでも退く事はできん。もし義龍様が敗れたらこの美濃は、人外のあやかし共が支配する闇の国と化してしまうだろう。それを防ぐ手段は一つしかない」
その為に今、彼女らはこうして戦場を迂回するべく走っているという訳だ。即ち……斎藤道三を暗殺する事。それが義龍が完勝を収められる唯一の方法なのだ。
戦場といっても無限に広がっている訳では無い。少人数であれば敵に見つからずに迂回して敵陣の後方に回り込む事は可能だ。ただ通常、生半な人数では回り込んで挟撃を仕掛けても殆ど意味がない。まともな戦術として後方撹乱を行おうとすればどうしてもそれなりの人数を運用せねばならず、そして人数が増えれば増えるほど敵にも察知されやすくなるのが常だ。
しかし今の場合妙玖尼達3人しかおらず、全員が腕利きの遣い手であるため、油断さえしなければ敵に察知される危険は殆ど無かった。
「……今頃は既に長良川河畔で戦が始まっているはずだ。一刻の猶予もならん。急ぐぞ」
先導する雫は気が急いている様子で2人を促す。無理からぬ事ではあるが、焦りは不注意を生みやすい。
「気持ちは分かるけど落ち着きな。ここで不注意から敵の斥候に見つかったりしたら元も子もないだろ? 急いては事を仕損じるってヤツだよ」
「……!」
どちらかと言えば直情型な紅牙が自分と同じ事を考えて諫言する様に、妙玖尼は驚いて目を瞠った。それは雫も同じだったらしい。
「……まさかお前に諭されるとはな。だが……お前の言う通りだ。このような時こそ冷静にならねば」
雫は大きく息を吐いて気持ちを落ち着けたようだ。紅牙は見た目や普段の言動との印象とは異なり、元は武家出身というだけあって意外と教養もあるらしい。その紅牙が首を傾げた。
「しかし前から思ってたけど、アンタ随分と義龍に入れ込んでるね。忍びってのは基本的に雇われなんだろ? でもアンタは雇われ忍者ってよりは、完全に義龍の忠実な家臣みたいだ。それとも忍者ってのは皆そんな風に、雇い主に対して主君のように接するモンなのかい?」
それは妙玖尼も気にはなっていた所だ。忍者と雇い主の関係は所詮契約に基づく無機質なものだ。どれだけ破格の条件で雇われたとしてもそれは変わらないはずだ。
例え雇い主が死んだとしても、忍者は所属組織に戻って次なる雇い主を探すだけだ。武士とはその点で大きく異なる存在だ。だからどれだけ能力があったとしても社会的に信用される事はなく、常に日陰者なのだ。
その常識からすると雫の態度や言動は、通常の忍者のそれとは明らかに異なっているように思われた。短いながら今まで接してきた彼女の言動は、まるで武士のように義龍に対して主君として忠誠を誓っているように見えた。
問われた雫がかぶりを振った。
「……私は義龍様に天下人の器を見出したのだ。このお方なら天下を統一し、この末法戦国の世に終止符を打つ事が出来る。そんな大器を秘めた人物だと」
「……!」
天下統一。それは戦国大名なら誰しもが一度は夢見て、そして理想と現実の落差を思い知って諦めていく究極の夢想。しかし大名でもない、いや武士ですらない雫がそれを見据えているという事実に妙玖尼は驚いていた。
「天下統一って事は戦が無くなるって事だろ? そしたらあんたら忍者はお払い箱になっちまうんじゃないのかい? 忍者たちが天下統一を望んでるとは思えないけどね」
紅牙も同じ思いだったようで訝しげに問いかける。今忍者たちが隆盛を誇っているのは、それだけ需要が尽きない売り手市場だからだ。戦国戦乱の世であれば忍者の仕事はいくらでもある。
「確かに同胞や他の忍者どもの中にはそういう思考の持ち主もいる……というより殆どがそうだろう。だが私は忍者という立場に何の未練もない。我々のような存在が必要ない時代が来るのならそれが一番良い事なのだ」
「し、雫さん……」
彼女は恐らく斎藤義龍という個人に対して心酔し、自発的に忠誠を誓ったのだろう。忍者という自分の生業を捨てても良いと思える程に。それが最初からだったのか、忍者として近侍している内にそうなったのかまでは分からないが。
「とはいえ仮に天下を統一したからといって、忍者の仕事がすぐに無くなるとは限らんぞ? よからぬ事を考える者共や火種は尽きぬであろうし、我らの力は体制維持の為にも大いに役立つはずだ。そうそうお払い箱という事もあるまい」
雫が彼女にしては若干おどけた調子で口の端を吊り上げる。だが確かにそういう考え方も出来るか。忍者の諜報活動や情報収集能力は治世においても役立つ事は間違いない。
「はは! ちゃんと将来の事も考えた上で肩入れしてるって訳かい。ま、確かに戦乱が無くなりゃそれに越した事はないしね」
紅牙も釣られておかしそうに笑う。とはいえ如何に義龍が傑物であったとしても、天下統一など並大抵の偉業ではない。仮に実現できるとしても下手すれば何十年も掛かる。それまで自分たちが生きていれば御の字という所だろう。
「であるなら余計にこの度の任務は成功させねばなりませんね。道三や信長のような卑劣な輩に、その天下統一の『芽』を摘ませる訳にはいきませんし」
妙玖尼とて世の中が平和であるならそれに越した事はない。戦乱が収まり世情が安定してくれば瘴気が発生する余地もなくなり、結果として人外の撲滅にも繋がる。妙玖尼達退魔師がやっているのは所詮一時凌ぎの対症療法でしかない。
人外の妖怪共が発生し続ける根本の原因を解決する事。それもまた広義の意味では退魔の仕事と言っていいはずだ。義龍や雫と関わるようになってから、彼女もそう思えるようになってきていた。




