第二十幕 ろくろ首の恐怖
「おお……りゃあぁぁっ!!」
「ふっ!!」
紅牙と雫がそれぞれ持っている得物を振るって敵の鬼忍どもに斬り付ける。二人の武器には未だに『破魔纏光』の効果が宿っていた為に、その攻撃力を以って鎖鎌忍者とクナイ忍者に反撃を許さず斬り倒す事が出来た。
「尼さん、大丈夫かい!? しっかりしな!」
「う……へ、平気です。私の事はいいので喜平次を……」
妙玖尼は脂汗を流したまま気丈に答えた。実際にはクナイが刺さった左の肩口の傷はそれなりに深く痛みも強い。法力は自身の身体に作用を及ぼす内気法もあるため、それを応用すれば傷の回復も速められる。だが精神の集中が必要になるため戦闘中など激しい運動をしている最中は不可能だ。
しかし護衛の忍者たちは全員倒した。あとは喜平次だけなので、もう戦闘は終わりのはずだ。妙玖尼は自分の事は気にせず任務を全うするように伝える。
「すまん、すぐに終わる。……さて、斎藤喜平次。最早貴様にかける慈悲もない。義龍様のためにも今この場で誅殺させてもらおう。言っておくがその女を人質に取った所で無意味だぞ?」
雫が未だに女性を抱き寄せて胡坐をかいたままの喜平次に短刀を向ける。確かに雫も紅牙も人質が目的の妨げになるなら、それを切り捨てる事に躊躇いを感じる性質ではない。だが護衛の忍者たちが全員倒され人質も通用しないというのに、喜平次に動揺している様子がない。それどころか卑しい笑みを浮かべた。
「くはは、全く役に立たねぇ用心棒どもだ。主である俺の手を煩わせるなんてよ。いや……この場合は首を煩わせるとは、というべきか?」
「訳の分からん事を。死ね……!」
雫が一直線に斬り掛かる。胡坐をかいている喜平次にそれを受けたり躱したりする術はない。終わりだ。妙玖尼も紅牙もそれを確信した。だが……
――ビュオオッ!!
「……っ!?」
空気を切り裂く鋭い音と共に、何か細長い物体が鞭のように撓った。全く予想だにしていない奇襲、そして腕利きの忍者である雫をして見切れない程の速さで撓ったそれは、彼女に躱す暇を与えずにその身体を打ち据えた。
「ぐぁ……!!」
「……! 雫さん!?」
吹き飛ばされた雫は背中から壁に叩きつけられて崩れ落ちる。
「おいおい、何なんだい、こいつは!?」
雫を叩き飛ばしたモノを見て紅牙が慌てて刀を構え直す。
『くはは……この力を戦いで使うのは初めてだが、中々のモンだな。気に入った』
そこに異形の存在がいた。まず目に付いたのは異様に長い『首』だ。相変わらず布団の上に座っている喜平次の首だけが異常に伸びていたのだ。
にょろにょろと蛇のような気色悪い動きで蠢く長い首は、その部分だけで人の背丈の何倍もの長さがあるように見えた。しかもその首は本当の蛇のように鱗状の表皮に覆われていた。
その『首』の先には喜平次の頭が付いていたが、その頭もまるで鬼の面貌のように目が赤く光、額からは太い二本の角が生え、口からは牙が覗いた異形の貌へと変じていた。
首から下は人間のままで、首が異様に伸びた鬼……。それが斎藤喜平次の客観的な姿であった。その余りにも異様な姿に、奴の腕に抱かれている娘が失神する。
「こ、これは……ろくろ首!?」
一見奇矯な外観に見えるが、れっきとした鬼の一種だ。それも外道鬼などとは比較にならない剣呑な怪物だ。それはひしゃげた壁にもたれて尻餅を付いまま未だに立ち上がれない雫の姿からも明らかであった。
「ち……気色悪い化けモンだね。でもその方が殺りがいがあるってモンさ!」
紅牙が刀を構えて突っ込む。とりあえず動かない胴体の方を狙うようだ。だが相手がそう来るだろう事は当然喜平次も解っているはずだ。
『は、馬鹿めッ!』
「……っ!」
次の瞬間、喜平次の『首』が恐ろしい速度で撓った。余りにも速過ぎて先端にある喜平次の頭が消えたように思えた程だ。紅牙に出来たのは咄嗟に腕を掲げてそれを受ける事だけであった。
「がはっ!!」
「紅牙さん……!?」
凄まじい殴打音と共に紅牙が血反吐を吐いて吹き飛ばされる。入ってきた側の襖を突き破って隣の間へ倒れ込む紅牙。
『くはは、俺は人間を越えた力を手に入れたんだよ。お前らのような女共が俺を討てる訳がないだろうが』
「く……!」
いきなり1人にされてしまった妙玖尼は、喜平次が嗤っている隙に弥勒を回収しようと飛び出す。だが左肩の痛みに呻いてその動きが停滞してしまう。そのため床に転がっている弥勒を手に取るのが間に合わず、寸前で喜平次の頭が錫杖を弾き飛ばしてしまう。
「あっ……!」
『お前はこの錫杖がないとあの厄介な法術を満足に使えないみたいだな。くふふ……お前のような美しい尼を甚振るのも一興か』
「……っ!」
妙玖尼の顔から血の気が引いた。弥勒も無しではこの妖怪から身を守る術もない。
『そら、まずは脚だ!』
「……!!」
ろくろ首が再び撓る。妙玖尼は被弾を覚悟して歯を食いしばった。だが……
「ふっ!」
風を切る音と共に、喜平次の本体に向かって複数のクナイが放たれる。雫だ。最初の奇襲の衝撃から辛うじて立ち直ったらしい。喜平次は妙玖尼への攻撃を中断して、首を高速で撓らせてクナイを全て叩き落とした。
『義龍の犬がっ!』
「……!」
喜平次はそのまま凄まじい勢いで首を伸ばして雫を攻撃する。その速さと最初の奇襲の衝撃が残っているのが合わさって、何とか攻撃を凌ぐので精一杯になる雫。とても反撃する余裕はない。だがそこに……
「オラァ! あんたの相手はこっちにもいるよ!」
紅牙だ。彼女も立ち直って、刀を手に再び喜平次に突撃する。
『くたばり損ない共め!』
喜平次はその長く伸びた首を一回転するように振り回して雫と紅牙を同時に牽制する。紅牙は喜平次の本体ではなくその首や頭に直接斬りつけるが、奴は恐ろしい速さと反射神経で彼女の斬撃をするりと躱してしまう。そしてそのまま紅牙に反撃しようとするが、そこに雫が再びクナイを本体に向けて投げつける。
『ちっ、雑魚どもが! 鬱陶しい!』
二人の連携の前に防戦気味になってきた喜平次が苛立ったように唸り、これまでと違う行動を取ってきた。その長い首を上に伸ばし天井スレスレの位置からこちら全体を睥睨すると、大きく息を吸い込むような動作を取ったのだ。
「いかん! 下が――」
雫が警告しかけた時には、喜平次の口から大量の緑色の霧のような物が吐き出された。その緑の霧は瞬く間に拡散して彼女らを包み込んでくる。狭い屋内という事もあり、とても退避が間に合いそうもない。紅牙と雫が為す術もなく不浄の気体に包まれそうになった時……
『オン・クロダノウ・ウン・ジャク!!』
彼女らの周囲に半透明の光の膜が出現して、緑の気体を遮断した。『真言界壁』の法術だ。
「……!! 尼さん、大丈夫なのかい!?」
これが何なのかすぐに察した紅牙が確認してくると、妙玖尼は脂汗を垂らしながらも頷いた。その右手には二人が喜平次の注意を引き付けている間に取り戻した弥勒が握られている。だがすぐにその顔が苦悶に歪む。
「ぐ……く……!」
『真言界壁』に加わる圧力の強さに苦鳴を漏らす妙玖尼。緑色の霧に触れた屋敷の壁や畳、その他調度品などがグズグズに溶けて形を無くしていく。これは恐ろしく強力な溶解液の類いのようだ。それを霧状にして周囲に噴射したのだ。これをまともに浴びていたら紅牙達もこのように溶け崩れていたのだろう。
「……っ」
その事が想像出来たのか、周囲の惨状に紅牙だけでなく雫さえも若干顔を青ざめさせていた。だがその地獄の噴霧にもやがて終わりが訪れる。
「く……い、今です……!」
大技を放った直後の喜平次は一瞬の硬直状態にある。辛うじて奴の噴霧を防ぎきった妙玖尼は、真言界壁を解除すると息も絶え絶えに促す。傷の痛みもあってもう限界であった。
「ああ、任しときな!」
紅牙が即座に突っ込む。その横には短刀を構えた雫も追随している。
『クソ! ふざけるな!』
喜平次は苦し紛れに、自分の腕の中で失神している娘を身体ごと投げつけてきた。それで時間を稼いで態勢を立て直そうというつもりか。紅牙は舌打ちしつつ娘ごと斬り倒そうと刀を振りかぶるが、寸前で追い抜いた雫が娘に体当たりするようにして一緒に転がった。
一瞬目を瞠った紅牙だが、無用な殺しをせずにすむならそれに越した事はない。雫のお陰で動線が開き、喜平次の本体は一時的に無防備となった。そして紅牙の刀にはまだ『破魔纏光』の効果が残存している。
『あり得ねぇ!! 俺は人間を超えた力を――』
「――終わりだよ、長首野郎!!」
紅牙が振りかぶった刀を全力で斬り下ろした。破魔の力が纏わった刀は喜平次の胴体を袈裟斬りにする。
『イギャアァァァッ!! チクショウ……み、光秀ぇぇ……! 話が……違……』
「……っ!」
断末魔と共に喜平次の身体が塵となって消滅していく。外法に手を染め完全なる妖怪と化した人非人の末路だ。だがそれより奴が今際に漏らした名前に反応して雫が眉を顰めていた。




