第十九幕 斎藤喜平次
屋敷を進むごとに邪気の気配は濃くなり、こうなると最早迷いようがなかった。それでも周囲を警戒しながら3人が辿り着いた先は屋敷の奥の間……主である喜平次の寝所と思しき床の間であった。
襖で仕切られていたが、その奥から濃密な邪気が漏れ出していた。妙玖尼は無言で襖の奥を指し示して頷いた。それを受けて雫が頷き返す。紅牙も刀の柄に手を掛けていつでも抜ける体勢で控える。
雫が襖に手を掛けて一気に開け放った。すると途端に蟠っていた邪気が流れ込んでくる感触に妙玖尼は顔を顰めた。しかしすぐに今度は驚きにその顔を歪めた。
床の間は広い畳張りになっており、その奥に大きな布団が敷かれていた。その布団の上に二人の人物が座っていたのだ。1人は白い寝間着姿でだらしなく膝を立てた胡坐を掻く若い男だ。これが屋敷の主である斎藤喜平次なのは言われなくとも分かった。だが妙玖尼が驚いたのは、そこにもう1人……喜平次に抱き寄せられて震える若い女性がいた事だ。着崩れた半襦袢姿で涙に震える顔から、何をされていたかは明白だ。
(無関係の女性……!? この展開は……予想しておくべきでしたか)
妙玖尼は内心で唸った。だがここまで来て後には引けない。こうなったらある程度出たとこ勝負だ。
「……斎藤喜平次。貴様が外法に手を染めている事は図らずもあの鉄鼠共が証明した。義龍様の命により抹殺する」
雫も同じ結論に至ったらしい。喜平次に短刀を向けて宣言する。
「義龍だと? クソ兄貴め、先手を打ってきやがったか。だが……それで差し向けたのがこんな美女揃いとは、俺にとってはむしろご褒美みたいなものだな」
「……!」
喜平次は慌てる様子も怖れる様子もなく、それどころか妙玖尼達の顔を見回して好色で下卑た笑みを浮かべる。こんな夜中に寝所に女性を連れ込んで乱暴している事からも、全くもって褒められたような人格ではないらしい。或いは外法に手を染めた事で精神まで歪んだか。
「男の視線には慣れてるし普段は快感ですらあるけど……何でかアンタに見られても不快な感じしかしないねぇ」
露出甲冑から剥き出しの素肌を視姦された紅牙も、言葉通り不快気に顔を顰めている。
「くはは、良い反応だな。嫌がる女を無理矢理抱くから面白いんだ。のこのこ俺の前に現れたお前らは飛んで火にいる夏の虫って所だな!」
喜平次が片手を上げて合図すると、天井が割れてそこからいくつもの影が飛び降りてきた。それは黒い忍び装束を纏って同色の覆面で顔を隠した男達であった。喜平次、またはその父の道三が私的に雇っている忍者か。
通常の警備兵では行き届かない夜間や寝所など私的な身辺警護も兼ねて忍者を雇っている武将や大名は多い。末法戦国の世において忍者たちの需要は尽きず、ある意味で彼等にとって血塗られた黄金時代と言えたかも知れない。
「……! 松葉流か。だが様子がおかしいな」
忍者同士は互いの里や流派が解る符丁のような物があるらしく、すぐに相手の流派を読み取った雫だが、敵忍者たちの様子に違和感を覚えたらしく目を細める。だが妙玖尼にとっては違和感どころではない。
「気を付けて下さい! この者達からも邪気を感じます!」
「何……!?」
彼女の言葉を裏付けるように敵忍者たちの目が赤く光り、装束を突き破って角や鉤爪、鋭利な突起などが出現する。
「こいつら……外道鬼か!」
「それの忍者版ってとこだね!」
雫も紅牙も表情を厳しくして武器を構え直す。邪気の浸食は主の喜平次だけでなく、その傍で身辺警護を担当する忍者たちにも及んでいたらしい。喜平次に抱かれている女性が悲鳴を上げるが、今は頓着している余裕がない。
「俺を暗殺しようなどという身の程知らずな女共。今更後悔しても遅いぞ? 全員殺せ! そして首だけ義龍に送り返してやる!」
喜平次の命令で、外道鬼と化した忍者共が一斉に動き出した。敵忍者の数は全部で4人。その内の2人は雫のような短刀を逆手に握っている。1人は長い鎖の先に鉄鎌が備わった、いわゆる鎖鎌を取り出す。最後の1人はその場から動かず、代わりに懐から抜き出したクナイを振りかぶる。
忍者だけあって戦闘手段が多彩だ。しかも遠中近距離と役割を分担している。それに外道鬼としての能力も加味されていると考えるとかなり厄介な敵かも知れない。加えて……
「気を付けろ! そいつらの刀は鉄鼠どもを一撃で斬り払った! あの尼僧の法術だ! あいつを狙え!」
「……っ!」
喜平次は鉄鼠との戦いをどのような手段でか覗き見していたらしく、矢継ぎ早に指示を飛ばしてくる。後列にいる忍者が妙玖尼に向けてクナイを投げつけてくる。
「く……!」
妙玖尼は弥勒で手裏剣を弾くが、敵忍者は立て続けにクナイを投げつけてくる。正確さは勿論、鬼の膂力で恐ろしいまでの速度になっており、妙玖尼は忽ち手裏剣を受けるので精一杯になってしまう。とても法術で2人を援護する余裕がない。
「尼さん! ……ちっ!」
紅牙が救援に向かてこようとするが、短刀持ちの忍者の1人が斬り掛かってきてやはりその対処に掛かり切りになってしまう。もう1人の短刀持ちは雫に襲い掛かっており、彼女もやはりその対処だけで手一杯になってしまう。
3人それぞれが一対一のような構図になるが、敵は4人いる。つまり鎖鎌の忍者が余っている状態だ。すると当然……
「う……!?」
妙玖尼は側面から薙ぎ払われる鎖鎌に気付いて慌てて弥勒でそれを受ける。普通の武器ならそれで受け止めるか弾くか出来るのだが、鎖鎌は弾かれる事無く弥勒に巻き付いた。
「あ……!?」
次の瞬間凄まじい力で鎖を牽引され、妙玖尼は錫杖を把持しきれずに鎖鎌忍者に奪われてしまう。
(し、しまった……!!)
顔から血の気が引いた。当然クナイ忍者はその隙を見逃さずに新たな手裏剣を投擲してくる。武器が無いので弾く事も出来ない。
「く……! 『オン・アミリティ・ウン・ハッタ!』」
咄嗟に『衝天喝破』の法術を発動する。無手では弥勒を持っている時のような威力も無く精度も甘くなる。そんな中途半端な法術では鬼忍の投擲する手裏剣を完全に弾く事は出来ない。僅かに軌道を逸らせるのが精一杯で、本来は心臓に突き刺さる軌道が逸れて左の肩口に手裏剣が突き刺さった。
「うぐ……!!」
妙玖尼は苦痛に顔を歪めて、その場に片膝をついてしまう。ただでさえ弥勒を奪われて法術の力が落ちているのに、左腕を使えず、更に痛みから法術に集中できなくなり増々術の使用が困難になってしまう。
しかしクナイ忍者は容赦なく次の手裏剣を投擲しようと腕を振りかぶる。駄目押しに鎖鎌忍者も追撃の体勢に入っている。絶体絶命の危機に妙玖尼の顔が引き攣る。だがそこに……
「尼さん!!」
紅牙が強烈な踏み込みで鎖鎌忍者に斬り付ける。そして雫もクナイ忍者に逆に手裏剣を投擲してその動きを妨害する。二人ともそれぞれの短刀忍者を何とか倒す事に成功したらしい。『破魔纏光』の効果がまだ切れていなかった事が幸いした。




