第三幕 『貞操』の危機
紅天狗砦の天守閣にある首領紅牙の寝室。その中央に敷かれた布団の上に妙玖尼は縛られた状態で座らされていた。
(さて……賊の根城に潜入できたまでは計画通りですが、まさか頭目があのような女性であったとは驚きましたね。しかし私の使命に変わりはありません。ここには必ず『瘴気溜まり』があるはず。その在処を突き止めて浄化しなくてはなりません。そのためにはここから脱出しなくてはなりませんが……)
現在は縄で縛められているが、蓄えた法力を使えば縄を切る事は可能なはずだ。だがまずは錫杖を取り返さなくてはならない。錫杖には彼女の法力が付与してあり、手放した場合も在り処は分かるようになっていた。だが首尾よく取り返したとして流石に何十人もの賊を1人で相手には出来ない。ましてや瘴気溜まりがあるとすれば、ここには既に物の怪の類いが潜んでいる可能性もある。
何とか隙を突いて脱出し、尚且つ極力賊共をやり過ごせる手段を見つけねばならなかった。
「よう、尼さん。待たせたねぇ! アンタを連れてきた奴等にご褒美をやってて遅くなっちまった」
「……!」
だが彼女が何かするよりも前に部屋の扉が勢いよく開いた。案の定、女頭目の紅牙だ。あの露出甲冑姿のままだ。どうやら彼女の普段着を兼ねているらしい。
紅牙は無遠慮に妙玖尼の元まで歩いてくると、再び顎に手をかけて覗き込んできた。
「見れば見るほどいい女だねぇ。妙玖尼って言ったかい? 尼を物にするのは初めてだけど、これなら楽しめそうだ」
「……!」
賊達の言葉やこれまでの紅牙の言動からそうではないかと思っていたが、この女は妙玖尼を手篭めにしようとしているようだ。それは彼女の常識からすると考えられない事であった。
「お、女同士ですよ? 何を考えているのですか?」
「はっ! お偉い大名様やその臣下の武将達だってお気に入りの小姓に身の回りの世話をさせて、戦場にまで連れて行って慰み者にしてるじゃないか。だったら女同士でそういう事したって何もおかしくはないだろ?」
「む……」
それを言われれば確かにその通りではある。普通戦場には女性を連れていけない為、見目麗しい小姓をその代用にする武将や大名は多い。それどころか女っ気が全くない戦場の陣地などでは、普通に兵士の間でも衆道が流行ったりする事はあるらしい。
となれば女同士で致したとしても何が悪いのか、という話になる。ただ妙玖尼が個人的に受け入れられないだけだ。
「だからアタシも好きにやらせてもらうのさ。アタシは男もいけるが女はもっと好きなんだ。ただし……アンタみたいな美女に限るけどねぇ」
「……っ!」
紅牙が妖しい表情になって舌なめずりしながら迫ってくる。妙玖尼は激しく焦った。同性相手に迫られる事態は想定していなかった。思わぬ動揺から法術を上手く発動できず拘束を解けない。紅牙の手が無遠慮に妙玖尼の身体をまさぐってくる。
「く……や、やめ……やめなさい……!」
「ああ……いい感触だ。法衣の上からでも分かるよ。アンタ、いい身体してるねぇ。尼なんぞにしとくのは勿体ないよ。……でも、ふふ、これが仏門に身を捧げた女の身体かい。何とも言えない背徳感って奴があるねぇ。もっと味わわせな」
女の手が無遠慮に自分の胸をまさぐる感触に妙玖尼は全身鳥肌が立った。このままでは取り返しのつかない事になる。強引にでも跳ね除けて法術を発動するしかないと、丹田に力を込めるが……
「……紅牙殿。お遊びはその辺りにして頂きたい。今はもっと重要な案件があります故」
「っ!!」
突如冷たい感じの男の声が聞こえてきて、妙玖尼は驚いて目を瞠った。同時に紅牙も動きを止めた。そして忌々しそうに舌打ちする。
「……海乱鬼。戻ってたのかい? でも今いい所なんだ。邪魔するんじゃないよ!」
彼女らが見上げる先に、いつの間にそこに居たのか1人の男が佇んでいた。こんな賊の根城には不釣り合いな仕立ての良い直垂姿で、年の頃は三十前後と思われる若い男であった。まるで蛇のような感情のない冷酷そうな目が印象的だ。
「その尼僧、何やら法力のような力を使うようですな。そのままでは逆にあなたが大怪我を負っていた可能性もありますぞ。お遊びも過ぎれば怪我の元。程々になさった方が良いとご忠告します」
「……! 何だって!?」
その男……海乱鬼に忠告された紅牙がギョッとしたような顔で妙玖尼を見やった。一方で妙玖尼も自身の隠している力を見抜かれた事に驚愕していた。それで海乱鬼の言っている事が嘘ではないと悟ったらしい紅牙が、その顔を怒りともより深い興味ともつかない微妙な感情に歪めた。
「ふ、ふふ……ただの世間知らずの尼さんじゃないって訳だ。増々気に入ったよ。こりゃ時間を掛けてじっくり調教してやる楽しみが出来たねぇ。……誰かいるかい!」
紅牙が手を叩いて人を呼ぶと、警護役と思しき賊兵が2人ほど入ってきた。
「この女を地下牢に入れときな! 鎖で繋いどくんだよ。後でたっぷり楽しませてもらうんだからね!」
命令を受けた賊兵が妙玖尼を引っ立てる。彼女は砦の地下牢に引っ立てられながらも、あの海乱鬼という男はもしかしたら人ならざる者かも知れないと考えていた……