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末法の退魔師 ~戦国妖鬼討滅伝  作者: ビジョンXYZ
第一章 美濃の蝮
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第九幕 公序良俗?

 日本の中央部に横たわる広大な飛騨山脈を抜けると、そこは美濃国の中心部ともいえる平野が広がっており、山間部では見られなかった広い農地がどこまでも続く光景が旅人を出迎える。


「おぉぉ! こりゃ凄いねぇ! 辺り一面どこまでも田んぼが広がってるよ! 山に住んでちゃ見られない光景だねぇ。ようやく『人里』に降りてきたって実感が湧いてきたよ」


 山道を抜けて一気に開けた視界に紅牙(べにきば)が眩しそうに手を翳しながらも歓声を上げた。確かに故郷から逃げて以来真っ当に表を歩けない立場で、飛騨に入ってからはずっと山賊として暮らしていたようなので、このような開けた平野部に出る機会さえ無かっただろう。そういう意味では彼女の感慨も理解は出来る。


 妙玖尼(みょうきゅうに)は苦笑しつつ頷いた。


「確かに美濃は伊勢湾に流れ込む複数の河川が集まる場所で、平野が広がっている事からも農業に適した国ですからね。だからこそこの地の支配権を巡っての戦も絶えなかった訳ですが」


 かくいう妙玖尼も周囲に聳え立つ山影のない開けた場所に出るのは久方ぶりで、若干気分が浮き立つものがあった。人が古来より山に居つかず平野に集落を広げていった気持ちが分かるというものだ。



 山道を抜けてしばらく歩くと、やがて大きな街道に合流する。このまま南方面にこの街道を下って行けば美濃で一番栄えている岐阜の街に到達するはずだ。この辺りまで来ると、他にも旅人や行商など街道を行き交う人々の姿も増えてくる。


 それはそれで『人里に降りてきた』という実感が湧くし悪い事ではないのだが、この時代このご時勢に女だけの旅というのは少々目立つ。妙玖尼1人で旅をしていた時も場所によっては人目を惹いたのだ。ましてや今は……


 街道ですれ違う人々の目が大きく見開かれ、こちらに向けられるのを感じる。すれ違うほぼ全ての人々の目が、だ。彼等の視線はほぼ例外なく紅牙の美貌や、その甲冑から剥き出しの瑞々しい素肌に吸い寄せられているようだった。


 妙玖尼は溜息を吐いた。自分は仮にも僧侶なのであまり不躾にジロジロと見てくる者もいないが、紅牙はそうもいかない。ただでさえ人目を惹きやすい派手な美貌に加えて、何と言ってもその露出甲冑姿が衆目を惹きつける。


 朱色の部分甲冑から上腕部や腹部、そして太ももなどが惜しげもなく大胆に晒されているのだ。基本的にこのような格好をしている女性はまず他にいないという事もあり、妖艶で蠱惑的な秋波を無意識に発散させているかのようで、否が応にも男達の注目を集める羽目になる。



「……コホン! あーー……紅牙さん。その……人里へ降りてきたのですから、もうちょっと、その……何とかなりませんか?」



「あん?」


 咳払いして少し言い淀みながらの提言に、紅牙は最初何の事か分からないという風に眉を上げた。だが妙玖尼の様子からすぐに何を言いたいのか察したらしく、口の端を吊り上げて人の悪そうな表情になった。


「アタシはこの格好が好きでしてるのさ。誰に言われようと変えるつもりはないよ。契約(・・)にもそんな条件は無かったはずだけどねぇ?」


 飛騨で紅牙の同行を許す代わりに妙玖尼が出した条件の事だ。確かにこの件(・・・)に関しては触れていなかったと今になって気付いた。


「後付けで条件追加ってのはちょっと頂けないねぇ。徳より金の生臭坊主共がやりそうな事だよ?」


「……っ。そ、それは……でも、あなただって街中でそんな恰好をしていて注目されたら恥ずかしいでしょう? 殿方の好奇や好色の視線を一身に浴びる事になってしまいますよ?」


 痛いところを突かれた妙玖尼は紅牙の羞恥心に訴えてみるが、彼女は不敵そうに鼻を鳴らしただけだった。


「はっ! 女なんて男から注目を浴びてるうちが華だろ? 歳喰ったらやりたくても出来なくなるんだ。だったら出来る内は存分に楽しむ(・・・)のがアタシの流儀でね」


 見た目の割には随分達観した流儀である。そもそもが男だらけの賊共の中でもずっとこの格好だったのだ。恥ずかしいなどという感情は持ち合わせていないのだろう。と、紅牙がちょっと妖しい目付きになって妙玖尼の身体を見透かすように眺め回してくる。


「どうだい? いっその事あんたも自分の『殻』を破ってみるかい? 砦で触れた(・・・)時に、あんたも結構いい身体してるのは解ってるんだ。ちょっと、ほら……その野暮ったい法衣をたくし上げて腰の所で結んだら、脚が露出してもっと色っぽく――」


「――っ!? こ、こら、止めなさい! それは契約違反(・・・・)ですよっ!?」


 紅牙が本当に妙玖尼の法衣の裾をたくし上げようとしてきたので、彼女は目を剥いて慌てて腰を引きつつ弥勒を振り上げる。半ば本気の動きだった事もあり、紅牙もすぐに身を引いて降参の仕草を取る。


「冗談! 冗談だって! だからその物騒なモン下ろしなよ! ……ったく! 尼さん相手じゃ冗談も命がけだね!」


「……以前も言いましたが、あなたのは全く冗談に思えないのですよ」


 妙玖尼も渋々弥勒を下ろす。紅牙の『冗談』で誤魔化されそうになったが、この件はきっちり詰めておかねばならない。こうしている今も道行く人々の目が主に紅牙に集中しているのだ。……嫋やかそうな尼僧がいきなり目を吊り上げて錫杖を振り回した事に驚いている人々も多分に混じっていたが、それは見なかった事にする。



 必要以上に目立つ事は彼女の本意ではなかった。不必要な厄介事を招き寄せない為にも、余計な耳目は極力集めないのが理想的だ。紅牙をこのままにしておくと男達の欲望を刺激してしまい、それこそ良からぬ厄介事を引き寄せてしまいそうだ。


 しかし彼女自身が望んでこの格好をしている以上、無理強いする訳にも行かない。そして確かに紅牙の言う通り彼女が今の格好を続けるというだけなら、それは妙玖尼が出した条件にも抵触しない。人前で少々刺激の強い格好をしてもそれは犯罪行為(・・・・)ではないからだ。


 それでも人前で完全に全裸や下帯姿になるなら問題だが、紅牙の格好は下着姿とまでは言えずあくまで『甲冑姿』と言い張れる絶妙の境界線を突いている。


 公序良俗に反する(・・・・・・・・)とまでは言えないのだ。だからこそ悩ましい所だ。紅牙がそこまで計算してこの格好をしていたのだとすれば大した物だ。


 とはいえこのままでは目立って仕方ないので、何らかの妥協点(・・・)は探らねばならないだろう。妙玖尼は溜息を吐いた。



「はぁ……解りました。とりあえずもうじき日が落ちますし、最寄りの街道宿に泊まりますよ。この話の続きは宿で致しましょう」


 街と街を繋ぐ規模の大きい街道には、行き交う旅人や行商、時には兵士などを当て込んで一定の間隔で街道宿が営業しているのが普通だ。こういう平野部の大きい街道に賊の類いは殆ど出現しないし、治安面では問題ない。流石に戦乱の世が色濃くなってからは独自に用心棒などを雇う街道宿も増えてきてはいるようだが。しかし……



「え……盗賊、ですか?」


 最寄りの街道宿に着いた妙玖尼達だが、そこは殺気立った用心棒と思しき男達が何人も武器を構えて物々しい雰囲気を醸し出しており、一般の宿泊客は殆どいなかった。宿の主人に何事かを尋ねた所、返ってきた答えがそれ(・・)であった。


「ああ。この街道沿いの宿は皆狙われてる。この間は山之上の宿が襲われたらしい。目撃者の話だと賊共はまるで化け物(・・・)みたいだったって話だが、まあこいつは恐怖心から見間違えた眉唾だろうがな」


「化け物だって!?」


 2人は目を見合わせた。目撃者の話は恐らく眉唾ではない。その確信があった。しかし妖怪が人の大勢いる宿にまで襲撃を掛けてくるというのは、少なくとも妙玖尼の常識としてはあり得なかった。


(……白川での件といい、どうもこの美濃でキナ臭い事態が起きているようですね。調べてみる価値はありますか)


「ご主人、構いませんので今宵の宿をお願いします」


 心を決めた妙玖尼が申し出ると、主人は目を丸くした。


「本気かい? そりゃこっちとしちゃありがたいが、今夜にも賊の襲撃があるかも知れないんだぜ?」


「自分の身は自分で守れます。この者も私が個人的に用心棒として雇っている者ですし」


 紅牙を示しながら、自身も錫杖を強調して請け負う。主人は肩をすくめた。


「まあ警告はしたから後は自己責任だぞ。泊まってくれるならうちはありがたいしな。それに本当に妖怪がいるんなら仏様の加護があった方が良いかもだしな」


 主人としては貰うものさえ貰えれば、奇特な客の心配をしてやる義理もそこまでない。宿への逗留はあっさり認められた。こうして『紅牙の衣装問題』は一時棚上げになり、宿に襲い来る賊(恐らく妖怪)の対処と調査を優先する事となった。

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