2.初日
シュリアはいつもより少しだけ早く起きてマーケットへ向かった。家から少し距離があるため、いつもマーケットへは乗り合い馬車を利用している。
ここ王都ラウエストは、北側に王宮を構え、パレード用の大通りを挟んた向かいからは碁盤の目状に道が敷かれている。王宮と南側を真っ直ぐ突っ切る大通りと、中央にある東西の大通りがメインストリートと呼ばれており、大通りが交差する中心には大きな女神像が建てられている。
いたる所に乗り合い馬車があり、どこに行くにも便利だ。料金はどこまで乗っても1回1D――菓子パン1つ分と同じだ――と安いのもありがたい。
マーケットはメインストリートが交差するそれぞれの角に4ヶ所あり、北西の角に生活用品、北東に冒険者用、南西に食品、南東にその他、と売り物によって分かれている。
シュリアは乗り合い馬車から外をぼんやり眺める。
朝だからか、歩く人はどこかせわしない。たまに香ばしいパンの匂いが鼻を擽る。レンガ道にリズムよく響く蹄の音と、少し温い風。それらがささやかながらも緊張を解していく。
ふわりと磯の香りがしたら、東に向かっているんだと実感する。ラウエストの東側は大きな海だ。王都は国1番の港町でもある。
御者にお礼を言って降りると、もう目の前が冒険者用マーケットだ。
シュリアは深呼吸してから歩き出した。
「ホーリーさん。今日からよろしくお願いします」
「ああ、ウォルナッツさんだったかな? 応援してるよ!」
「はい。ありがとうございます」
シュリアが声を掛けたホーリーは、このレンタルスペースの管理者である。背が高く、白髪混じりの赤茶色の髪を後ろに流し、常にニコニコと笑っている。髪と同色の鼻髭と少しふくよかな体型がより親しみ易さを感じさせる。この国は夏でもそこまで暑くはないが、ホーリーは少し汗ばんでいた。
幅が2メートル程ある木製の台。その3分の1がシュリアのレンタルスペースだ。運良く真ん中を借りられたと思っていたが、隣は空きの様だった。
「君の隣はまだ借り手がついてないんだ。たくさん売って隣も借りてくれると助かるよ!」
「そうできる様に頑張ります」
「そんなに売れたら自分で台借りるか! あっはっは!」
軽い調子のホーリーにシュリアも笑顔を返す。
自分のスペースのディスプレイを終え、ホーリーに挨拶をしてからマーケットを回った。
レンタルスペースは売上の10%を取れられるが、販売も担ってくれる。自分だけで台を借りる場合はマーケットに月額200Dを支払い自分で販売する。1番単価の高い上級回復薬でも25D――どれも相場より少し安めだが――なので、固定客が付くまではこのままでいく予定だ。
参考になりそうなディスプレイをいくつかメモし、マーケットを出て向かうは判子屋だ。以前見かけた老舗店で注文すると、快く2日で仕上げてくれると約束してもらえた。
次に向かったのは生活用品のマーケット近くのとある劇団だった。シュリアは慣れた歩みで裏口へに回った。
「ケイト。お疲れ様」
「あ、シュリア! もう終わったの?」
「うん、今日は並べるだけ。それよりお腹空いちゃった」
「ちょっと待ってて、休憩もらってくる」
ケイト・ライナス。
シュリアとは初等学校1年からの親友だ。燃えるように赤い癖の強い天然パーマの髪を高く結び、健康的な肌色に少し釣り目のぱっちり二重。化粧もしっかりされており、服装も肩を出したカラフルなTシャツにホットパンツ。大きな花のピアスが動く度に揺れる。見た目はシュリアとは正反対の派手めな女性だ。
「シュリアはお昼希望ある? なかったら食品マーケットの屋台行こ」
「うん、いいよ」
「またその服? 好きね、ほんと」
「だってラクだもん」
またその服、とはシュリアの着ている半袖の白いブラウスワンピースのことを指す。詰め襟でボタンが可愛いのがお気に入りで、使用頻度が高いためいつも指摘される。
シュリアは服にはあまり拘りがなかった。見兼ねたケイトが誕生日にプレゼントしてくれたこともある。
食品マーケットの一角は屋台村になっている。休日には人が溢れかえる程人気なのだが、平日の今日はいつもより空いていた。
パラソル付きのテーブルをゲットできた2人は順に食べたいものを買いに行く。シュリアは新発売のハンバーガーセット、ケイトはいつものカルツォーネとドリンク。サイドメニューはシェアするのが2人の定番だ。
「やっぱり! 絶対それ食べると思った!」
「新しいハーブ使ってるって言われたら食べてみたくなるもの」
「ふふ、さすが。じゃ、シュリアの商品が沢山売れます様に、乾杯!」
「ケイトの本職人昇給を祝って、乾杯!」
セットのドリンクを軽くぶつける。卒業式の日まで会っていたというのに、2人の話題は尽きない。裏表のない性格のケイトと友達になれて良かったと、裏を読めないシュリアはよく思う。
「レンタルスペースの担当者、イケメンだった?」
「おじさんだったよ。良い人そうな」
「えー、残念」
「イケメンならケイトの劇団にいっぱいいるんじゃないの?」
「あたしじゃなくて、シュリア! もうあいつと別れて1年以上経つでしょ」
「まだまだいいよ、そういうのは」
あいつ、とは高等学校の時に5ヶ月付き合ったダニエル・ガスリーのことだ。お互いに未熟な子供だったのだ、とシュリアには全く未練はなかった。
「そんなことより、ケイトの親は大丈夫?」
「面と向かって文句は言われてないけどね。言いたそうな感じはもうヒシヒシと」
シュリアは苦笑する。
ケイトのご両親は魔力なしなので、ケイトへの期待が大きい。できれば魔術を使った職に就いてほしいとシュリアにまで説得を迫ることが多々あった。
彼女自身は出会った時から劇団の小道具職人になると決めて、ついにその夢を叶えた。高等学校の時から今の劇団でアルバイトをし、卒業をもって本職人になれたのだ。
この国には約4割の魔力持ちがいると言われている。その多くが遺伝だが、稀にケイトの様な例外がある。逆もまた然りだ。
魔力とは"気"や"エネルギー"の様なもので、基本は攻撃する・防御する・治癒することができる。火や水を操れる人もいると聞くが、それはかなり一握りで、そういった人は必ず王宮魔術師にならなければいけない。鍛錬を積めば色々と応用が利き、体力のように魔力の量を増やすことも可能だ。魔獣に変身することもできる。
魔術の基本は義務教育である初等学校で学ぶ。貴族・庶民、魔力あり・なしの4つに分かれている。初等学校を卒業すると就職できるが、魔術を使った職に就きたい場合は高等学校に進む必要がある。
ケイトは初等学校卒業後すぐに小道具職人になりたがっていたが、両親の猛反対で渋々高等学校に通うことになった。それでも諦めなかったケイトをシュリアは尊敬していた。
「そういえばこれ、本職人昇給祝いに」
「え、うそ! 嬉しい! ありがとう!」
「肩凝りに効く薬だから、気に入ったら次から買ってね。いくつか入ってるから、周りへの宣伝もよろしく!」
「ちゃっかりしてる!」
2人で笑い合う。
ケイトはシュリアが作った薬を使いたいと言ってくれ、その上思ったことを素直に言ってくれる数少ない協力者でもあった。父は半年に一度、母に至ってはいつ帰ってくるか分からないシュリアにとって、彼女の存在はとても助かっていた。そういえば昨日苦労したラベルも、在学中に何度もケイトにセンスがないとダメ出しされ、卒業ぎりぎりにOKが出たものだった。
明後日にまた会う約束をして、ケイトとは手を振って別れる。
こうしてあんなに緊張した初日は、呆気なく過ぎていったのだった。
誤字報告、評価ありがとうございます。とても助かります。