1.出会い
初めての連載ものです。
お手柔らかにお願いします。
シュリアリース・ウォルナッツは突如聞こえてきた音に顔を上げた。
原因は窓を嘴で叩く大きな灰色の烏だ。
普通よりも身体も嘴も二回り大きく、魔獣の一種の魔烏だと分かる。その大きな脚にあるタライを見て、シュリアは急いで玄関に向かった。
イグアス王国王都ラウエスト。海と大きな運河に挟まれ、肥沃な大地によって栄えた大都市だ。
その北東の小さな森――マルリッツの森と呼ばれている――の入口にレンガ造りの古めかしい家がぽつんと建っている。道を挟んた向こうには建物が延々と続くが、鬱蒼と茂った樹木のせいか隣に家はない。入口も小さく粗末な門しかないため、その奥に家があると知らない者も多かった。家の庭は自然の宝庫で、少し歩くと小さな湖があり、更に進むと城門がある。
シュリアは、この代々受け継がれた家と静かな環境がとても気に入っていた。
いつもは静寂に包まれた森を、シュリアは魔烏を追って走っていた。彼女の荒い呼吸音と魔烏の叫ぶ様な鳴き声だけが聞こえる。向かっているのはどうやら湖の方向らしい。
漸く湖が見えたところで彼女は足を止めた。湖の手前で倒れているのは二頭の―――魔獣だったからだ。
一般的に魔獣は人や動物を襲う凶暴な魔物であるとされている。
魔力を持っており、色や大きさは違うものの、姿形は普通の動物に似ていることが多いため、名前の頭に”魔”を付けて呼ばれることが多い。各国に討伐部隊があり、ここイグアス王国でも騎士団がその役割を担っている。魔獣は薬などの素材としても使われるため、騎士団か許可されている上級冒険者のみしか討伐はできないことになっている。乱獲を防ぐためであり、死傷者をなるべく出さないためでもあった。
立ち止まったシュリアに気付いた魔烏――その瞳の色からオリーブと彼女は呼んでいた――が背後に回り込み、進むように背中を押した。
言葉は分からないが、「大丈夫だから」と言われている気がする。
(魔犬と魔梟…?)
大きくて黒い犬の様な魔獣と、白金色の羽を持つ梟の様な魔獣。二頭ともにかろうじて生きているようで、呼吸は浅く早い。身体中に深い傷がいくつもあり、赤黒い血がべっとりとついていた。
こんなところで縄張り争い?いやそれはないはずだとシュリアは訝しんだ。
(これは結構酷い…)
ぐるりと湖の周りを見回しながら、頭では処方内容を考える。シュリアは走って次々と薬草を摘み、オリーブから受け取ったタライに入れていった。最後に湖の水を数回掬って入れ、右手で混ぜながら魔力を流す。ふわりと一瞬輝き、薬草が水に溶けて混ざり、綺麗な緑色の液体になった。
シュリアはその回復薬を指に付けて味を確認すると、倒れている魔獣達に近づいて、そうっと傷口にかける。直接飲ませることは難しそうだし、何よりシュリアはまだ怖かった。半分以下に減った回復薬を地面に置いたまま、彼女は少し離れた所に移動した。
「オリーブ、重い…」
「カァ!」
二頭を見たまま、頭に乗ったオリーブに文句を言うも退く気配はない。
オリーブの言葉は分からないが、彼にはきちんと伝わっている気がするから不思議だ。
「グゥ…グルル…」
先に目を開けたのは魔犬だった。タンザナイトのような群青色の瞳が覗き、まずオリーブを捉えた後にシュリアを見て瞠目した。
目覚めたことにほっとしたシュリアは、魔梟に視線を移す。程なくして魔梟の目も開き、それに気付いた魔犬がゆっくりと起き上がった。
その瞬間。
「グアアアアアア!!!」
雄叫びをあげながら、全身深緑色の毛で覆われた巨大な熊のような魔獣が突然シュリア達の目の前に現れた。
シュリアが思わず後退ると、先にいた魔犬が「ワウ!」と一喝するように叫んだ。その声に反応したように魔熊がそちらを向き、魔梟を交えて小声で唸り合いだした。
シュリアは唖然と3頭を見つめる。
(魔獣が話し合い…?まさか友達…?いやそんなまさか。)
よく見ると魔熊もかなりの傷を負っていた。
すると魔犬と魔梟は順に回復薬を一舐めした。それに倣う様に魔熊は恐る恐るタライに口を入れた後、またこちらを睨むように視線を投げて寄越した。
そしてすぐに、3頭は森の向こうへと走り去っていった。
「何だったの…」
恐怖からか驚きからか、シュリアは暫くの間その場から動けなかった。オリーブに呼ばれてから恐らく10分と経っていないはずなのに、長い時間ここにいた気がする。
「魔獣ってお互い意思疎通できるの…?」
「カァ」
オリーブが「そう」と言ったのか「さぁ?」と言ったのか、シュリアには分からなかった。
シュリアリース・ウォルナッツ。
少し不健康そうな青白い肌に、新緑色の大きな丸い瞳。肩下まで伸びた癖のない胡桃色の髪は、今はひとつに縛られている。顔の造りは悪くないが、服や化粧に興味がないせいか全体的に地味だ。
薬師の家系に生まれた彼女は、高等学校を卒業したばかり。目指していた王宮の研究所に落ちたために、来年また受験しようと思ってはいるが、競争倍率が恐ろしいため半ば諦め気味だ。
(1人でやっていけるのかな…)
心が暗くなりそうになって慌てて首を振る。1人で薬師になると決めたばかりだ。シュリアは重い息をゆっくり吐いた。
手元にあるのは明日マーケットに持って行くための薬だ。初級・中級・上級の回復薬、痛み止め、初級解毒剤の五種類。冒険者の集まるこの都市には欠かせないものである。
両親――父バルガーは王宮研究所勤め、母ユッタは上級冒険者だ――が太鼓判を押してくれた薬ばかりだからと自分に言い聞かせても、不安は中々消えない。
はぁ、と溜息をついてシュリアは机に突っ伏した。
卒業したのは3日前の8月31日。
2日前にあの魔獣3頭に会った。
未だに信じられない。種族の違う魔獣が、一緒に行動していたなんて。襲われなくて良かったし、怪我も治っていればいいなと思う。
昨日はマーケットに申請に行き、無事許可を得た。まずはレンタルスペースに商品を置かせてもらうところからスタートだ。好調に売れれば自分だけの屋台を借りられる様になるし、冒険者が気に入って継続契約してくれたら冒険者ギルドにも卸せる様になる。新規事業者の王道コースである。スペース管理者のおじさんも良い人そうでシュリアは安堵した。
そして今日は、朝からずっと明日の準備をしていた。薬を作るのに時間はかからないが、その前のラベル作りが想像以上に手間取ってしまった。けちって手書きにしたけれど、やっぱり判子を作ってもらおうとシュリアは心に決めた。
もう、卒業したのだ。
学生とは違う。自分でこれから歩いていかないといけないのだ。頭では分かっていたが、いよいよだと思うと身体が強張るのを感じる。
ほとんどの不安の中にほんの少しの期待が入り交じる様な落ち着かない感覚に、シュリアは唇をぎゅっと結んだ。