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第肆話 それは傲慢や嫉妬というものかな――

 七日目の参詣(さんけい)が終わったときだった。

 あたしの背後に夜の闇よりもさらに黒い牛が、体を丸めて眠っていた……。とても大きな牛だった。どうして、こんなところに……? いったいいつから?


 すぐにあたしは気付いた。

 この牛は魑魅魍魎(ちみもうりょう)のたぐいだと。


 そうか……想い出した。以前噂に聞いたことがある。

 七日目の参詣を終えると黒い牛が突如現れ眠っている、と。

 牛を恐れてしまうと呪いの効果がなくなってしまうという。

 大丈夫、あたしは驚いただけで恐れてはいない。


 牛はいびきをかき目覚めそうになかった。

 もし目覚めてしまったらどうなるのだろう?

 いや、考えるな。

 恐れてはならない。


 とにかく牛を越えるんだ。

 小山のように大きい牛の背にあたしは乗った。

 触れられるということは幽霊ではない。

 妖怪のたぐい?


 もしかするとこれが名高い牛鬼という妖怪なのかもしれない。

 牛を起こさないようにあたしは越えることができた。

 そのとき――。


〈おまえもわかっていてやったんだよね。人を呪った時点で、自分も地獄に落ちることになるって。人を呪わば穴二つ。生きながらに地獄の苦しみを味わい、死んでからも楽にはなれない。人を呪う者に待つのは地獄のみ。おまえにその覚悟はあるか〉


 どこからともなく聞こえてきたその声は、童のように軽快だけれど、人間のそれではなかった。声ではない。音として聞こえるのではなく、頭の中に直接響いてくる。

 

 生きながらに地獄を味わい、死んでからも楽にはなれない?

 上等よ。

 今の生活の方が地獄だわ。

 

 妹が苦しむ方が、あたしにとっては地獄の苦しみよりも辛いこと。

 妹をあの男から助けられるなら、地獄に落ちたって後悔しない。


「ええ、それで構わない。だから願いを聞き届けて」


〈本当にいいんだね。生き地獄を味わうことになるよ。破滅しかないんだよ〉


「構わないって言っているでしょ。だから、早く殺してよッ。あいつを早く殺してよッ!」


〈フフフフフフハハハハハハ、人間っていつの時代も馬鹿で面白いね。自分が地獄に落ちても呪い殺したい相手がいるなんて。そんなに男が憎いの? 自分だけの妹を取られちゃったから? それは傲慢や嫉妬というものかな。わかった。おまえの願い聞き届けた――〉


 耳の奥で虫がジーンと鳴きはじめ、静寂が再び訪れた。

 頭の中に語りかけてきた声はもう聞こえない……。

 願いを聞き届けてくれたのだろうか……?

 再び後ろを振り向いたとき、黒い牛は消えていた。

 いったい今の声は何だったのだろう……?


  *


 あたしは家に帰ってから一睡もすることができなかった。

 本当に、あの男は死んだのだろうか……?

 もし死んでいなかったら……?

 失敗していたら……?


 いや、そんなことはない。そんなことあっていいはずがない。

 願いは聞き届けられたのだ。

 だから大丈夫、心配はいらない。


 布団に入ったまま結局一睡もできず、あたしは明け方に妹の家を訪れた。建物の物陰で様子をうかがっているが、当然中の様子がわかるはずもない……。


 どうしたものか……?

 ここに留まっていると目立ってしまう。

 昼前にもう一度来ることにして、ひとまず引き返すことにした。

 

  *


「姉さん……」


 妹は泣いていた。

 顔中を涙で濡らし、嗚咽交じりに泣いていた。


 妹の悲しみとは裏腹に、あたしは喜びに笑いを堪えるのに苦労した。

 やったのだ。あの男は死んだのだ。

 これで、これで昔のようにまた妹と暮らすことができる。


「どうしたの……? そんな顔して」


「三日前から……あの人が帰ってこないの……。近所の人にも話を聞いてみたけど、誰も知らないっていうし……。どうしていいのかわからなくて……わたし……もう……」


 三日前から?

 あたしが満願したのは今日の明け方だが……?


「きっとどこぞの女と遊んでいるんでしょ」


「あの人を馬鹿にしないでッ!」


 あいつの悪口を言うと、妹は人が変わったようになる。


「ごめん……だけど、三日も帰って来てないんでしょ……。そう考えるのが妥当だわ」


「あの人は一晩も家を留守にしたことない……。それなのに、三日も帰らないなんて……」


 どうして酷い扱いをされているのに、あの男の肩を持つの……?

 あたしよりもあの下衆な男の方を愛しているの……?

 どうして……? あたしはこんなにあなただけを愛しているのに……?


  *


 それから三日後のことだった。

 川下に胸を刺された男の死体が浮かんでいる、と町中が騒然となった。

 背中まで貫通し、心臓を串刺しにされた男の遺体。


 どういうことだろう? 呪術で殺すのではないのか?

 刃物で殺されている?

 まあいい、どちらにしろ、男は死んでいるのだから細かいことはどうでもいい。あたしの願いは聞き届けられたのだ。


「ああああああぁあああぁあぁあぁあぁあぁぁぁああぁああ――――ッ!」


 妹は(むしろ)の上に寝かされた、男の死体に抱きついて泣き続けていた。


「どうしてッ? どうしてッ? どうしてッ? どうしてッ? どうしてッ? どうしてなのッ? 何で殺されなきゃならないのッ……。彼が何をしたっていうのッ……! 誰がこんな惨いことを……? 誰が……誰が……誰がああああああああああああああああッ!」


 ここまで声を張り上げて泣いている妹を見るのははじめてだった……。

 どうしてあの男が妹にこれほど愛されるの……?

 納得いかない。


  *


 その日から妹は未亡人となった。

 邪魔者はもういない。

 あたし達は昔のようにお互いを助け合い、一緒に暮らすことになった。


 地獄などではない、天国だ。

 妹と一緒ならどんな辛い現実でも乗り越えることができる。

 もう何があろうと妹を手放したりしない。

 妹はあたしが一生護るから。


 あたしは妹と一緒に暮らしていくため、前にもまして仕事を掛け持ちするようになっていた。疲れてしんどいと思うこともあるが、家に帰ると妹がいる、そう思うと疲れなどすぐに吹っ飛んだ。


 だが妹はあの日以来、元気がなかった。

 あたしが話しかけても気の抜けた、心ここにあらずな返事しか返してくれない。夫を失ったのだ。しばらく気持ちを整理する時間が必要なのだろう。


 そのような日が続いた、ある日の深夜、ふと眠りの(ふち)から浮上したとき、いつもとなりの布団で眠っているはずの妹の姿がなくなっていることに気が付いた。


 あたしは仕事の疲れが溜まり、眠くて深くは考えなかった。

 (かわや)にでも行ったのだろう。

 そう納得してあたしは再び眠りに落ちた。


  *


 次の日の夜だった。

 いつも布団に入ったらすぐに眠れるのだけど、何故かその夜は寝付けなかった。明日も仕事があるから眠らなければ、と思うほど眠れないのだ。


 布団に入り目だけつむり何も考えないようにすればするほど、色々なことが頭の奥から湧き出てくる。


 男の顔がふと浮かび上がっては消え、妹の悲しみに歪む顔が浮き上がっては消えた。


 あたしは悪くない……悪いのはあの男だ……。妹を傷つけたあの男が悪いんだ。あんな男地獄に落ちて当然の男だったんだ。


 やっとうつらうつらしはじめたのは、何刻くらいだったのだろう?

 現実と夢の狭間を浮かんでいたときだった。

 となりで眠っている妹が布団から抜け出して、スタスタと遠ざかっていった。


 玄関の(ふすま)が開いて、閉められる音を聴いた。

 どうしたんだろう? 

 厠だろう、と納得しようとした。


 けれど、厠にしては遅すぎる。

 あたしは夢と現実の狭間から目覚め、厠に様子を見に行くことにした。白い寝間着のすき間から、澄んだ冷たい空気が入り込み寒かった。

 

 厠はあたし達が住むあばら屋のとなりにあった。

 夜の厠に滅多に行くことはないから、何だか新鮮な気持ちでもあるし、怖くもある。厠の扉は閉ざされていた。


 とびらを軽く叩いて、「大丈夫? 気分でも悪いの……?」と訊いてみた。返事はない。


「ねえ、気分悪いの?」


 しばらく待ったがやはり返事は返ってこない。あたしは何故かわからないが、心臓を握られたような嫌な予感を感じた。


「ねえ……どうしたの……? 開けるわよ……」


 鍵はかかっていなかった。

 扉を引くと、ギーと蝶番の軋む音と共に開いた。

 中には誰もいなかった……。

 じゃあ……妹はどこに行ったの……?


 そのときあたしは妹の憎しみに歪む顔が脳裏に浮かび、最悪の想像が頭を駆け巡った。もしかして……考えることは同じなの……? 


 あたしは白い寝間着のまま家を飛び出し、無意識に足がある場所に向かっていた……。どうして、あたしは走っているの……。


 あたしは何を危惧しているの……。

 何を考えているの……?

 こんな想像……地獄じゃない……。

 考えちゃ駄目だ……。考えちゃ駄目だ……。考えちゃ駄目だ……。

 

 そう思うほどに頭から地獄絵図が離れなかった……。

 そんなの地獄だ……。

 これが人を呪った報いなの……?

 まさかあたしが一番恐れていることが、都合よく起こるの……?

 あたしは無我夢中で夜の町を走った――。

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