愛しの君を振り向かせるための幾つかのかけひき
「リリアナ、君との婚約を破棄したい──」
クライストは、彼の前で椅子に腰かけている少女、リリアナにそう言葉を告げた。
そう告げられた少女リリアナは、目をパチクリと一度瞬いて、首を傾げた。
リリアナは、赤い髪に黒いドレスを着て、人形のように整った容姿をしている少女だ。
クライストはリリアナをじっと観察するが、その表情からは動揺や悲しみは見受けられない。
ただ、じっとその赤い瞳でクライストを見つめる。
「──と、私が言ったとしたらどうする?」
リリアナがもう一度目を瞬く。
「……殿下は時々、とても突飛な事を言う」
「さて、冗談だと思うかな?」
二人がいるのは、リリアナの自室で、いまはリリアナとクライストだけしかいない。常ならそばに控えるお付きも、今ばかりは部屋の外に立たせてある。
丸テーブルを挟んで、二人は向かいあっている。
テーブルの上には茶菓子と、ポット、紅茶の注がれたティーカップが二人分用意されていた。
「もし仮に、先の発言を本当にしたいとしても、難しいと思う」
「それは、リリアナが私と別れたくないからかな?」
リリアナはゆるゆると首を振る。
「わたしの気持ちどうこうでなく、色んなことを考えて」
「そうかな。私はそうは思わない。幸いなことに、我が国は王族と言えども自由恋愛を認めているからね。例え王と言えども、どこの誰と結ばれようとも自由だ」
少なくとも建前上は。
「…………」
クライストの言葉に、リリアナは押し黙ってしまう。
クライストはティーカップの紅茶を口に含み、一息ついた。
「そう言えば、リリアナのためにバラを摘んできたんだ」
「ありがとう」
クライストは、バスケット一杯のバラをリリアナに手渡す。
リリアナが礼を言ってバラを受け取るが、人形のような顔は変わりなく、はた目からでは喜んでいるのかそうでないのか判断がつかない。
相変わらずリリアナは何を考えているのか表情から読めないが、ややあって口を開く。
「クライスト様は、エレノア様がお好き?」
リリアナが口を開いて、首を傾げた。
「どこからその名前が出てきたか、聞いても?」
「前にクライスト様がエレノア様と一緒にいるのを見かけました。……とても楽しそうだった」
エレノアは平民ではあるが、良い所がたくさんあり、喋っていて楽しく思う。確かにリリアナの言う通り、クライストは、このところエレノアと仲良くしているのに間違いはない。
「なるほど。ではもし仮に、私がエレノア嬢と一緒になりたいと言ったら、リリアナは祝福してくれるかな?」
「……殿下がそうしたいならそうするといいと思う」
「私の話ではなく、リリアナがどうしたいかを聞きたいんだけどね」
「………?」
「まあいいさ」
リリアナが戸惑ったような表情を見て、クライストはそれ以上の追及をやめた。それ以上続けても、クライストの望む答えは聞けないだろうし、リリアナを困らせるだけだからだ。
じっとリリアナの双眸がクライストを見つめる。
「………」
クライストにとって意外なことに、言葉の続きを口にしたのはリリアナの方だった。
「あのね、前に、意見を挟まないのがいい女って聞いた。男の人はみんなそういう人が好きなんだよって」
「それ誰から?」
クライストはムッと怒ったように問いただす。
「エル様」
「エルか。あのバカめ」
クライストは、はあとあからさまにため息を吐きだした。
確かに、あの男がいいそうなことだ。
いい友人ではあるが、決して性格のいい人間と言い切れないのがたまに傷だ。軽薄で調子のいい男で、顔はいいが女性に対する態度は悪い。不誠実だし、浮気性とくれば、まあロクな人間でないことがわかるだろう。
「確かにいい女だ。頭に、「男にとって都合の」とつくけれどね」
クライストはいい笑顔で笑った。
笑ったが、全然面白そうさじゃない。
リリアナに変なことを吹き込む友人は、あとで一言いってやろうと思って。
「アイツの言う事を真に受けるのはやめなさい」
「わかった」
「本当にわかっているのかい?」
「うん」
頷くリリアナを見つめるが、彼女が何を考えているのかクライストには全然わからなかった。他のことなら大抵のことは上手くやれるのに、リリアナに対しては全然上手くいかない。
「リリアナ、私はね、今のままの君が好きだよ。本当だとも」
「わたしもクライスト様は好き」
オウム返しのように告げられる言葉に、クライストは微妙な表情をした。
クライストは本当にリリアナの事が好きだし、愛してもいる。だが、リリアナがクライストの事をどう思っているのかはわからない。
好きだと言えば私もと返してくれるし、愛していると告げれば愛していると返ってくる。
だが、それだけだ。
リリアナが自分の気持ちを告げるのは、決まってクライストが口に出してからだ。クライストは、彼女の方から先に言葉にするのを聞いた事がない。
生まれた時から決まっている政略結婚で、クライストとリリアナが初めて会ったのは十年前の六歳の時だった。
そのころから、リリアナは人形のように可愛らしい少女で、けれどあまり感情を表に出すことはなかった。
クライストは時々わからなくなる。
いかに自由恋愛が許されているとはいえ、普通、王家からの婚姻の打診は名誉なことであるし、断れるものでもない。
リリアナは、家の決定に嫌々従っているだけではないだろうか。
考えたくもないが、本当はリリアナから嫌われているんじゃないだろうか。
リリアナの考えは読みにくい。
不安から、どう思っているか、幾度も聞いてみた。
でも、それが本心からの言葉なのか、クライストにはわからなかった。
◇ ◇ ◇
「リリアナ嬢に婚約破棄したいって言ったんだって?」
エルの質問に、クライストは眉をひそめた。
「誰から聞いた?」
「リリアナ嬢本人から」
「したいとは言っていない。したいと言ったらどうすると聞いただけだ。私が本気でそんな事をいうはずがないだろう」
「あー、はいはい。君は相変わらずリリアナ嬢にご執心だね、クライスト」
エルは心底面白そうに告げる。
「そう言えば、エル。リリアナにあまり変なことを吹き込むんじゃない」
「ん、なんのこと?」
「意見を挟まないのがいい女とかどうのと言うヤツだ」
「あー、確かに言ったね、そんなこと。心外だね。僕は聞かれたから答えただけだ」
「聞かれた? なにを?」
「さあ? 本人に聞いてよ。陰でアレコレ詮索する男はモテないぜ」
むう、とクライストはうなった。
「ともかく、あまりリリアナに近づくんじゃない」
と、クライストはエルを睨みつけて釘をさした。
「おお、怖」
エルはそれに大げさに驚いてみせた。
「はあ、結局リリアナの本心は聞けなかったな」
「ねえ、リリアナ嬢が君をどう思っているかって、それ本気で言ってるの?」
「なにかおかしいか?」
「いいや、なんでもないさ」
クスリと、エルは面白そうに笑った。
彼女の態度を見ていれば、好きか嫌いかどっちかなんて簡単にわかりそうなものなのに、クライストはわからないと言う。
だから、婚約破棄だなどとトンチンカンなことを言い出すのだ。
本当にリリアナが離れていってしまわないか、確かめるために。
クライストがそんなことを言い出すのは、これで何回目だったか。
リリアナは、ちゃんとクライストに何度も好きだと告げているというのに。
本人だけがわからない。
「恋は盲目だねぇ」