研究室にて
地下室に来るか、という問いに、こくりとうなずく。
すると、ユーゴは「入っていいよ」と、まず私を研究室に招き入れてくれた。
「すごい部屋……貴方はいつもここでお仕事をしていたのね」
中はそれなりに整頓されているが、とにかく物が多い。
棚にはぎっしりと書類が詰まっており、机の上には瓶詰めの草花や薬品らしきものが並んでいる。
何に使うのか見当もつかない道具も、多数散らばっていた。
「まぁ、ここでする仕事は、大したものじゃない。本当に大切なものは全て、奥に隠してあるんだ」
そんなふうに彼は言うけれど、私にとっては何もかもが難しそうに見える未知の世界。
すでに感嘆のため息をこぼすことしかできなくなっていた。
「おいでレイラ。地下室を見せてあげるから」
ユーゴは床にあいた穴に足をおろして言ってくる。
小さくうなずき、地下に潜っていく彼の後ろに続いた。
階段を降りきったユーゴは、手持ちのランタンを天井にかけて吊るしていく。
すると、部屋全体が照らされて、地下室の全貌が明らかとなった。
地下室と研究室の見た目はさほど変わらないけれど、一部だけ違うところがあった。
「スケッチブックと青い花……?」
机の上に置かれた、大量のスケッチブックと瓶詰めを見つめて呟く。
スケッチブックには一冊一冊タイトルが書かれており、小さな瓶の中に入っているのは全て、種類は違えど青い花だった。
「そう、僕は青い花について研究をしているんだ。こちらがヤグルマギク、こっちはロベリア」
ユーゴはスケッチブックと瓶とを照らし合わせて、説明をしてくれる。
何ヵ月も共にいたのに、未だ彼の仕事についてわからないことばかり。
こうやって、彼や彼の研究について知ることができるのがたまらなく嬉しくて、胸が高鳴っていくのが自分でもわかる。
「あら、これだけ色が違う。この青い表紙のタイトルは、何の花?」
机に広げられたスケッチブックは、薄茶色のものばかり。
青色の表紙のものはたった一冊、これしか見つからなかった。
私の言葉にユーゴは困ったように微笑んで、青のスケッチブックをめくっていく。
そこにはスケッチはおろか、文字さえ一つも書かれていない。
「これは、青いひまわりについての研究成果。つまりは収穫ゼロってこと。これのタイトルは一度だけ夢で見た花の名でね、暗闇の中、青く美しく、誇らしげに咲いていた」
ユーゴは、ぱたんと音をたててスケッチブックを閉じ、深いため息をこぼした。
「青いひまわり、って実在するの?」
恐る恐るユーゴに尋ねると、彼は首を横に振ってくる。
「恐らくは存在しない。だから自分で作ろうと考えているんだが、困ったことに人工的に花を青くするのは困難でね。すでに何年もの時と莫大な金を費やしている」
「だから、私と結婚を……」
「君はいけすかない神職たちとは違うし、申し訳ないことをしたと思っている。それにこんな研究、毒にも薬にもならないってことも理解している。だが、もう一度あの花を見てみたくて、どうにもやめられないんだ。バカな男だと思うだろ?」
ユーゴは青いスケッチブックをひと撫でし、自嘲気味に笑う。
彼が青い花を夢で見たせいで、ずっと振り回されてきたのは事実。
だけど、その花のおかげで、この人にめぐり会うことができた。
「青い花の研究、私は素敵だと思う。そんなに美しい花なら、私も見てみたいと思うもの。だから、絶対にこの研究をやり遂げて」
にこりと微笑みかけると、彼もめずらしく同じように微笑んでくれる。
「ありがとう。君のためにも、この青い花は絶対に開発してみせる。例え、僕の全てを失ったとしても」
まっすぐスケッチブックを見つめる強い瞳と、男らしい真剣な横顔に、思わずどくんと心臓が跳ねた。
一通り地下室の説明を受けて、地下室を出ていく。
ユーゴは地下室の扉を閉めて上から置物をおき、その存在を隠した。
「ねぇ、ユーゴ。いつも首にかけて大切そうに持っている鍵は、地下室の鍵ではなかったの?」
ユーゴの首元を指差して尋ねる。
ユーゴはいつも、白い石飾りのついた金色の鍵をアクセサリーのように首から下げていて。
彼にとって、大切な場所の鍵なのだろうと、ずっと思っていたのだ。
「ああ、これか。これはここの鍵」
ユーゴは、くすりと微笑み、部屋奥の扉へと向かう。
そこの鍵を開けると、中はウォークインクローゼットのようになっており、いくつかワインが並んでいた。
「研究室に、ワイン……? もしかして、これだけなの?」
「そう、これだけ。この鍵は言ってしまえば、ただのダミーなんだ。こうしておけば、重要なレポートは鍵のかかるところにしまってあると印象づけられる。まさか、あの置物の下に地下室の扉があるなんて誰も思わないだろう?」
「そういうことだったのね、納得したわ。それに、ユーゴがお酒好きだったのは知らなかった。だって、飲むところを一度も見たことがないんだもの」
ワインを手にして、それを見つめた。
お酒には詳しくないけれど、ワインは料理酒として使うため、ここにあるのが値打ちのする銘柄だということはわかる。
「ああ、これか。数年前までは飲んでいてね。体質的に合わないのか動悸がするし、元々大して好きでもなかったから、もう二度と酒を飲む気はないんだ。せっかくだし、内緒で少し飲んでみるかい?」
ユーゴに問いかけられ、私は首を横に振ってワインを棚へと戻した。
「やめておくわ。禁忌とされているし、私はワインより、あなたが好きな紅茶を一緒に飲めたほうが嬉しいから」
そう答えると、彼はどこか照れくさそうな様子で「そうか」と呟くように言っていたのだった。